蝿は越冬するとかしないとか…定かではないですが、土管の中とか温かい部屋隅とかに潜んで余命をつないでいて暖かい小春日のような日に誘われて出てくるのではないかと思います。通勤路にある魚屋さんの軒下に積まれてあったトロ箱に大きな蝿が日向ぼこするかのようにじっとしていました。
三木市伽耶院吟行での作品です。岩肌がむき出しになった断層がありそこからゆっくりと滲み出る清水が凍って仙人髭のように長く伸びていたのです。
「 昃る(ひかげる)」は俳句独特のよみかたです。
この作品、虚子先生の「照れば金日かげれば銀芒かな」の句が脳裏にあったのは事実です。時間をかけて "対象物に心を通わせる"、"心を遊ばせる" ことで授かった句だと思う。
通学路の田圃で霜柱を踏んづけて遊んでいる子どもたちを見ての写生句です。シャリシャリと小気味よい音がするので楽しいですね。幼かった頃の自分自身に重ねてタイムスリップしています。
紫峡師の特訓を受け始めて1年ほどしたころ、はじめて二重丸を頂いた記念すべき作品です。「電光石火」という措辞が作者の主観を包み隠した写生である…との評価でした。
猫舌を自覚しているので口に入れる前に十分息を吹きかけて冷ましたので油断したのだと思う。口にいれると思いのほか予熱があったので思わずハフハフになりました。お豆腐には蓄熱効果があるようで、表面は冷めていても中心部はまだ熱いのだということを学びました。
最近は専業主婦も減り、家事とと仕事の両方をこなす女性も多く主婦業はますます大変になった。家電機器の充実で日常の負担は随分減ったと思うけれど、それでも季節の変わり目にはなじかはと準備に忙しい。男でもできることは指示に従ってお手伝いするのだけれどやもすれば粗大ゴミになるらしい。
誰もいない冬のチャペルは凍えるほど寒く、会堂の木椅子もまた氷のように冷たい。指も悴んでいて手袋を脱いで祈りの手を組むことさえもどかしい。けれども白息を洩らしながら口に出して熱心に祈っているうちに心が燃やされてきて寒さも忘れるのである。
明るさによって猫の瞳孔が閉じたり開いたりすることは知られているが、人間とは違って瞬間に変化します。子猫の写真を撮るときの秘訣として猫じゃらしを使って遊ばせながら連写すると大きく瞳孔の開いたかわいい表情を捉えることができます。つまり明るい部屋の中でもより正確に対象物を見ようとするときに瞳孔が開くのです。ぜひ試してみてください。雲の裂け目から指し届く冬日が「さぁ〜」と彼野原にひろがるようなそんな感じが実感できます。
六甲山天上寺での吟行句です。一匹が鳴き始めたかと思うと忽ち連鎖反応のように次々と鳴き始めて大合唱に変わります。やがてその合唱の調べは幾度か転調を繰り返しながら佳境をむかえてしばらしてぴたりと止みます。複数僧による読経のように思えたのですが主観として直喩せず、読者の連想に委ねました。
六甲森林植物園での句。ほろほろと葛をこぼしている萩の山路を散策していると突然ゲリラ風の日照り雨が降り出して道を洗い始めたのです。山のお天気ではよくある現象ですね。と見る間に嘘のようにやんでしまいました。瞬間写生のお手本になれば嬉しいですね。
句意は難しくないと思います。川堤をジョギングしている人を写生した句ですが、三人称では詠まず一人称で詠んでいます。「何処までも鰯雲」の措辞は一人称でなければやや矛盾するからです。
残照の秋の野にじっと佇んでいるとついつい蜻蛉や飛蝗を追いかけ回していた子供の頃が思い出されて郷愁にひたる。ふと気づくとたくさんの赤とんぼが自分を虜のように囲んで群れているのであった。
やや短気性であった会社人時代の私は、のらりくらりとした議事進行が特に苦手だった。アフターファイブの約束もある週末の午後の会議、会議室の窓の秋日が傾き始めると気もそぞろとなるのである。
女性の吟行スタイルは、ジーパンやスラックスというのが定番なのだが俳句入門して間もない彼女はスカート姿であった。吟行の小径でわいわいとおしゃべりしながら木の実拾いをした時、両膝をついたり正座したりしてみな幼子のようにはしゃいでいたが、スカートの彼女だけはそうもできずにいた。こっそりその様子を写生し一人称で詠んでみた。
結社ひいらぎの合宿で六甲山牧場へ吟行したときの句。男ばかりの吟旅であった。結社の先輩でもあるT氏は、入門時代からよく面倒を見てくださり吟行ではいつも一緒だった。写生一筋で特訓されたみのるの作風とは違って、T氏はやや現代俳句寄りでどちらかというと吟行はあまり得意ではなかった。
自分は昔からのひねり癖が抜けないのでいまさら自分自身の作風を変えることはできないが、みのるさんは素直に成長しているから頑張りなさい。
といつも励ましてくださり、みのるが結社賞を受賞したときも自分のことのように喜んでくださった。後のものが先になると何かと圧力のかかる世界なので、嫌な思いをしたことも少なくはないが、そんな結社においてT氏はいつも支えとなってくださった。
帰省した折に波出石品女さんのご主人がくださった十数匹の鈴虫がプラスチック容器に入れられて俳部屋の窓際に置かれている。暑い日中は鳴かないのだが冷房を入れたり夕方の涼しい時間になると「リーン、リーン」と鳴き始める。涼しげなその鳴き声に目を閉じてしばらくのあいだ頭脳労働の疲れを癒やしているのである。
破芭蕉という晩秋の季語がある。芭蕉のみずみずしい大きな葉が秋の風雨にさらされ、葉脈に沿って裂けている状態をいうのであるが、無残なその姿になお容赦なく叩きつける雨に無慈悲さを感じたが、抗うこともなく摂理を受け入れているその姿に敬虔さを見たのである。
菊の花は日差しをうけることで良い香りを放ち、虫たちを集め受粉の助けを得る。従ってこの懸崖菊は屋内ではなく野外で秋の日差しを受けて輝いているという見事な容であることを連想してほしいのである。写生してある事実だけを解釈して鑑賞するのではなく、隠された状況や作者の主観を汲み取ることろまで鑑賞できるように学びたい。鑑賞力が向上することで作句にもよい影響が反映される。鑑賞の未熟なあいだは結局その程度の句しか詠めない。
折れているからはばたかない…という物理的な解釈だけでは単なる直訳。晩秋の芭蕉は台風などの雨風に打たれて折れたりボロボロになったりします。破れ芭蕉という季語もあるのでそうした季節感、雰囲気を連想してほしい。
奈良県十津川村の大吊橋、高所恐怖症のわたしは足がすくんで一歩も進むことができませんでした。雄大な峡谷の秋の声です。
神戸オリエンタルホテルの横に、豪華客船「飛鳥Ⅱ」が泊まっているとの情報を得て見に行きました。秋天高くひびく汽笛の余韻に感動しました。
でよく吟行する西宮市北山緑化植物園に墨華亭と小蘭亭という唐風屋根の建物があります。 四隅に反り上がった簷(のき)のことを飛簷(ひえん)といい、牙のように尖った部分を簷牙(えんが)と呼びます。
奈良県高取町にある青畝師の生家を訪ねたついでに立ち寄った高取城址での作。
野生の野良猫は警戒心が強いので人に媚びることはありません。おそらくもともとは飼い猫であった捨て猫でしょうね。餌が欲しくて鳴いているというよりは、人恋しそうな鳴き声に哀れさを感じました。
奈良の句友のお誘いで紫峡師といっしょに秋篠寺吟行したときの道中での句。あまり広くない小区画の田んぼに画像のような高さ一メートル足らずの小さな藁塚が転々と並んでいました。稲穂から籾をとり、残った稲のを藁を塚状に積み上げたもので地方により様々な形がある。本来藁塚の藁は刻んで堆肥として利用するためでしたが昨今はコンバインで処理されるので、俵や縄などの藁製品に用いるためにごく一部を藁塚にしているのだと思う。数年前、能勢メンバーとでかけた穴太寺付近にも懐かしい風景がありました。
ホームグラウンドの須磨浦公園での作。鉢伏山上へは、ロープウエイがありますが、ゆるやかな斜面なので歩いても登れます。 『頂上や殊に野菊の吹かれ居り 原石鼎』の句が脳裏を過ぎりました。
村相撲、宮相撲という季語もあるようで古来より秋のまつりの一として親しまれてきたのでしょうね。みのる庵の近くにある末社には常設で土俵がありますが、揚句の宮では地域の若者たちが総出で準備されていました。近年ではそうした伝統もだんだんと廃れてきて寂しいですね。
兵庫運河 で詠んだ作品。当時はまだ貯木場ものこっていてとても風情がありました。時代の変化とともに、木材の輸入方法が原木からコンテナによる製材へ変化したことから、貯木水面への木材入庫が減少し、2005年には、貯木場としての水面利用が終わりました。現在は、当初開削された時の目的から大きく機能転換を図り、市民に親しまれる運河沿いの空間、散策道として整備されています。
六甲山牧場の点景である。花野のように群生しているのではなくてどこかから飛んできたこぼれ種で咲いているコスモスではないかと思う。 頼りなく徒長して馬柵に持たれるように伸びているのを見て親近感を覚えた。
マイカーで自宅から30分のところに六甲森林植物園がある。そこから更に15分ほどヘヤピンカーブの山道を進むと六甲山牧場に到着する。運転中に牧場から迷いでた羊たちに遭遇することもたまにある。六甲山は崩れやすい土でできていて過去に何度も土砂災害の襲われていて、砂防対策が進んだいまでも防止金網のはられたカーブがある。
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