みなさんが触れておられるように「北国の夏は短い」という常識がこの句の背景にあることは間違いないと思います。ようするに地域の人達にとっては夏の暑さを託つというよりは、貴重な夏の期間を慈しみながら生活しておられるのではないだろうか。そのような夏の日盛りの中にあって「あっという間に夏は過ぎ去ってまた厳しい寒さの季節がやってくるんだろうな」という感慨が隠されているようにも感じます。
みなさんの合評を拝見していていろんな感じ方があるのだなと感心しきりです。素十俳句の場合は小難しい意図や理屈が隠されていることはまずないと思うので、単純にひらがなで書初めをしたという意に私もとりました。例え方は適切ではないかもしれないですが、「書初めのあいうえおかきくけこ」というような感覚の作品だと思います。一般的に書初めといえば漢字だけとか漢字混じりでも短い言葉が多いと思うのですが、すべて平仮名で…というあたりはいかにも俳人らしい感覚ではないでしょうか。
「べし」は、古語ですがとても短くて意味深いので、文字数に制約のある俳句ではとても便利な言葉です。うつぎ解にあるように「強い推量」の意で「きっと…に違いない」という意味になります。旱魃のぐちなどを話しあっていたところにちょうど暗雲が近づいてきたというようなシチュエイションが想像できます。「我去れば」のことばの意図を解読するのが難しいですが、雨が降りだすまでその場にとどまっていることが出来ない事情があったということでしょう。俳句らしくない「沛然」ということばも勉強になりますね。覚えておいて使いましょう。
円と長方形が一体何者なのかを説明していないところがにくいですね。そのために鑑賞する人の体験によって様々な連想が広がります。わたしなら多分「窓涼し」というふうに説明せずにはいられなかったでしょう。テーブルなのか庭の飛び石なのか、はたまた窓なのかはわからないですがこのような幾何学的な形態に涼しさを覚えるというのは科学者である素十さんならではの感性なんでしょうね。
「少し太りし」の措辞が平常時でもわずかに水が流れていることを暗示していてうまいです。更にこのことばは大雨ではなくそぼ降る程度の春雨であることをも想像させてくれます。春闌ともなれば清水の量も増えるのだと思いますが、冬の期間息も絶え絶えにやせ細ったものが春雨で息を吹き返した…という感じなので復活の春、つまり早春の雨のような気がします。
もし、みのる選ならこの句採れるかしら…と思ってしまいました。理屈でもなく説明でもなく「なんでもない身辺描写と季語との取り合わせの妙」を学ばされます。確かに冷房で暑さを凌ぐ現代の生活習慣では詠めない句ですね。みなさんの合評通り、あつくるしさを感じさせるものが周囲に何もないという広い空間を連想させているのがうまいです。
揚句もブラジル旅行の句と思う。南十字星は、オーストラリアのシドニーでは、高度65°に見え、ハワイでは10°程の高さに見えるという。沖縄の那覇でも水平線すれすれに見えるらしい。ブラジルは広いのでなんとも言えないが、ほぼシドニーと同程度のアングルで見えるのだと思う。
わざわざ「南に」としている意味を少し考えてみた。ブラジルの月は西や南から出る…ということはないと思うので、「月の空」で一度東の空を指し、やおら「南に」ということで天空の立体感を狙った句ではないかと思う。馴染みのない日本人にはよほどの星座通でないと自力で見つけるのは難しいと思うのでガイドの人に「あれが南十字星ですよ」と教えられたのではないだろうか。
夏雲の下にミナス州が見えている、やがてそれはゴヤス州にさしかかったよ…ということだろうと思うのでやはり機窓から見下ろした景だと思う。 どのような種類の夏雲なのかにもよるが雲の切れ目から下界が見えているのだとするとまだ高度の低い状況ではないかとないと思うので、厚い積乱雲ではなくて秋雲に近い「涼しさ」を感じさせるような状況かもしれない。
ただ「ミナス州ゴヤス州」と畳み掛けているので、離陸直後の高度の低い状況ではなさそうで、実際に見えているのは夏雲であって下界の景は明確には見えていないのではないかとも思う。機長の案内アナウンスで飛行機が通過している場所がわかったのではないだろうか…と分析してみた。どちらにしても小さな日本の領土に比べてブラジルの国土の広さを感じさせる句である。
この作品については倉田紘文氏の鑑賞文を引用しておきましょう。
ちょと長い引用ですが深いですね。「黒人の子の黒人」とは一見至極当たり前の内容に思える。しかし、「黒人の子の黒人や」と言われてみると、この「や」の一字の内にある詠嘆の深さというものを覗かずにはいられなくなる。同じ血筋でも白人のそれとでは悲しみの重さが異なる。ここではその悲しみを「宿命」と置き換えてもよかろう。人は誰もが何らかの宿命を背負って生きている。だが、生まれながらにして黒人の子であるというその悲しみは、とりわけ深くて重い。蕭条と吹きゆく秋風が殊さら肌に冷え冷えと感じられて、いよいよ愁いはつのるばかりである。
この素十の心の疼きは、何も黒人に対する同情でもなければ憐れみでもない。同情を超え憐れみを超えたところの、即ち「生」の根源に触れたその暗い嘆きなのである。人間が人間として他の一切を思いやる心の世界である。
素十はこうも書いている。「自然の姿、自然の変化、それ等に目をとめる写生というのはいい句をもたらすというだけではなく、人間を陶冶する」と。ここにきて、素十の写生の目的がわかるような気がする。
「ブラジル」と前書きがあります。南半球の国ブラジルの夏は11~4月で基本的には蒸し暑いそうだが、素十さんが訪ねた4月は快適な頃ではないかと思う。日本でも高齢者の方が緑陰に集って将棋をしたり談笑を楽しんだりしている様子をよく見かけるが、それと似た風景ではないだろうか。うつぎ解にあるように移民初期の苦労を耐えしのいで頑張られた老人たちの姿も重なる。
石投げをしていたらたまたま虹が出てあたかも虹に向かって石を投げている…というのではなくて、何か信仰的ないわれがあるのかもしれないですね。
虹には希望につながる諸説も多いので、虹へ向かって石を投げると夢や希望が叶うというようなことではないかと思う。
稲妻は雷神の怒りで、灯りを消して怒りがおさまるまで祈って待つ…というような風習があるのでしょうね。雷光がひかりだすと突然みなが灯りを消しだしたのを見て不思議に思ったが、ガイドの説明を聞いて納得したのであろう。
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