むべ:「木の実」が晩秋の季語。「簷牙」という言葉を初めて知りました。(初めて知ることの連続ですみません…)樹高のある木から木の実が落ちて、鋭い簷牙にこつんと命中したその一瞬をとらえた句だと思います。この一瞬を目撃する幸運、神様の遊び心やユーモアを感じますね。写真の簷牙は本当に鋭く特徴的ですね!中国で庭園の多い町に住んでいたのですが、簷牙の四阿などあったのを思い出しました。

えいじ:「木の実」は、私の歳時記には晩秋の季語とあります。簷牙は、神社などの建物の軒の曲がり部が、反り上がるように突き出している部分です。さすがに、みのるの日記の写真にあるようなものは、見たことはありませんが、大社では見かけます。あの不思議な反り上がる部分に、さらに高いところから「木の実」が撥ね落ちてきた一瞬を詠んだ句だと思います。晩秋に見えた静と動を巧みに詠まれた句だと感じました。宜しくお願いいたします。

えいいち:木の実が三秋の季語。簷牙をはじめは住宅の軒の角の部分と思いましたがお堂など屋根の四角の切っ先なのか思い悩んでしまいました。しかし皆様の投稿を拝読し、なるほど!と思った次第です。作者は上五中七に何を言わんとしたのでしょうか、私は冒頭の上五の高きよりという措辞に心惹かれました。説明の無い抽象的な表現ですが何故か熟成する木の実の存在感を奮い立たせる表現だと感じました。

あひる:木の実が三秋の季語。簷牙の意味を知り映像を見てより、この句がさらに味わい深くなりました。この鋭く反り返った軒の上で、木の実はどっちの方向へ飛んだのか、想像すると楽しくなります。また跳ねるではなく撥ねるという字を選んだことも、鋭くはじき飛ばされる木の実の様子が想像できます。上五を「高枝より」としないで「高きより」としたことも効果的だと思いました。

せいじ:木の実が三秋の季語。簷牙は調べてみると、軒端に牙のように突き出た垂木(漢語林)とあった。言葉だけでは想像しにくいが、みのるの日記(2013年9月19日)に写真と解説が載っている。屋根が反り返っており、中国式の堂塔に特徴的なものである。日本ではあまり見かけない簷牙を一心に眺めていると、突然、木の実が簷牙を撥ねた。撥ねるほどだから、かなり高い所から落ちてきたに違いない。どれほど背の高い木なのだろうかと上を見上げた作者は、その先に秋の青空を垣間見た。一瞬、木の実が高き天より降ってきたかのように感じられたのではないだろうか。