あひる:暮れそうで暮れない秋のたそがれ時、作者はまだ野に出ていたようです。ふと気が付くと、周りには沢山の赤とんぼが飛んでいます。えっ、いつの間に?という感じです。湧くごとくというひと言が、その驚きを生き生きと表現していると思います。

むべ:「赤とんぼ」が三秋の季語。上五「暮れなづむ」は暮れそうでなかなか暮れない様子とのこと。夕方、暗くなる少し手前の野原に、湧いてきたように赤とんぼが群れ飛ぶ様子です。夕日を受けて翅が輝いているとしたら、幻想的でしょう。とんぼの数はいっぱいいるのですが、いっぱいいると言わないで「野に湧くごとく」と表現したところが素晴らしいと思います。

せいじ:赤とんぼが三秋の季語。赤とんぼの代表格であるアキアカネは、夏に涼しい山地で過ごし、秋ごろに平野へと長距離移動するという珍しい習性を持つとんぼとのことである。暑さに弱く、日が西に傾くころから多く飛び交い、日没後には姿を消すらしい。作者はアキアカネをじっと観察していて、日が沈む前の、暮れそうで暮れない黄昏どきに、大量に空を飛び交うことを知った。まさに湧き出たように感じたのであろう。大量のアキアカネが夕日に翅をきらめかして飛んでいる光景は想像するだけでも美しい。

えいいち:季語は赤とんぼで秋ですが、初見では季節感が読み取れませんでした。暮れなづむ野と赤とんぼの季節が違うと思うからなのですが、よくよく読んでみると赤とんぼの飛び様が暮れなづむ野に湧いたようだ、ということなのだと思いました。秋の夕暮れの短かきを赤とんぼの群れが夕日の如く飛び回り日を暮れなずませているようだ、という感じです。あっという間に沈んでしまう秋の夕日だが赤とんぼはそれを惜しむように飛び回っている、私もこの綺麗な夕日をもっと見ていたいものだなあ、という思いを感じました。

えいじ:「赤とんぼ」は、三秋の季語です。秋の夕暮れどき、たくさんの赤とんぼが翔びまわるさまを見たままに詠んだ句です。秋の釣瓶落としの日であっても、「暮れなづむ」ように時間はゆっくり過ぎていくのでしょう。子どもの頃の記憶が蘇ってきます。あの頃は家の近くにも手で捕まえることができるほどたくさんのとんぼが飛んでました。今日は孫娘たちが家にやってきますので、この句の読み聞かせをしてみます。宜しくお願いいたします。