あひる:運動苦手な私が作者になった気持ちでこの句の情景を想像すると、ジョギングをしているのは他の人です。軽やかに一本の堤防の道を走っています。走っている本人は気が付いているかいないか、その人の上には爽やかな秋の空が広がり、延々と鰯雲が続いています。ジョギングの人のカラフルなTシャツや白い帽子がリズミカルに、鰯雲の下をだんだんと小さく遠のいていきます。

せいじ:鰯雲が三秋の季語。淀川のような大きな川の土堤を想像した。作者はジョギング用に整備された土堤をジョギングしている。土堤はどこまで続いているのだろうかと思うほどに長いが、爽やかな秋の日、長い距離もちっとも苦にならない。空には鰯雲が、それこそどこまでもどこまでも広がっている。爽やかさいっぱいの句である。

むべ:「鰯雲」が三秋の季語。作者は堤防を走っているのでしょうか。川幅のところは建物もなく、空は開けて鰯雲が下流(または上流?)に向かって広がっています。奥行きのある絵で、走っても走っても、鰯雲の天井の下というイメージです。爽やかな秋風を受けながらのジョギング、いいですね。

えいいち:秋にはいろいろな秋がありますがこの句は運動の秋を詠ったのでしょうか。秋の澄んだ空気のなか空には鰯雲が浮きいい気分で土堤をジョギングしています。とても清々しくいい気持ちなので何処までも走って行けそうです。空の鰯雲がジョギングのリズムのようにぽっぽっぽっと浮いていて雲と一緒に楽しそうに走っている様子が思い浮かびます。

えいじ:「鰯雲」は、三秋の季語です。川沿いに長く続く土堤を、ゆっくりと走ってゆく走者を見守るように鰯雲が広がっている情景でしょうか。「何処までも」は線としての「土堤」と、面としての「鰯雲」、両方に掛けられているような印象です。そこにジョガーの爽快な動きを感じさせる巧みな句だと思います。宜しくお願いいたします。