2016年9月
目次
食べ過ぎをたしなめらるる避暑終わる Feedback
(たべすぎをたしなめらるるひしょおわる)
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避暑地の涼しさにゆったりとした時間を楽しんでいるとついつい食べ過ぎてしまう。わが身に置き換えて「あるある…」と思いました。くすっと笑える一句です。(ひかり)
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これはもう年配の夫婦旅以外の何物でもないだろう。またそんなに食べて・・・と奥様の声が聞こえてきそうである。ちょっと食べ過ぎると後のちがやっかいな高齢者の、健康を思いやる幸福な会話。(まゆ)
(やどのなをほりししらかばつゆすずし)
避暑ホテルへいたる道の白樺の幹に宿の名と矢印が彫ってある。白樺の木肌にナイフで彫られた文字はくっきりと浮き立って見える。露は秋の季語であるが露涼しなので避暑地の晩夏の候と理解したい。ホテルへの森の道行きは露けしい雰囲気があり早いものは紅葉が始まっていそうだ。
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迷ったのですが白樺の木の幹に名前を彫るのはかわいそうなので宿の名前を彫ってあるのは白樺材に彫られた看板が道標のように立っているのだと思います。朝の散歩にでも出られた時に露に濡れているのをみて涼しく感じたのである。(ひかり)
(ひのやまのきょうのきげんやうまひやす)
馬冷やす…は夏の季語。田畑の耕作に使役した馬を川や湖辺に引き入れ、ほてった脚部を冷しながら全身の汗や汚れを落してやることを言う。一読、阿蘇の草千里あたりの景を連想したが、「馬冷やす」の季語から連想を広げると火の山の裾野に広がる農耕地と見るべきであろう。夏の農耕は日が高く登るまでの朝の間に行う。頑張ってくれた愛馬の足を洗いながら見慣れた火山を見ると真っすぐに高々と穏やかな噴煙をあげている。その様子を機嫌が良いと見た。風もなく上天気であることがうかがえる。
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馬冷すの季語はとても深くてその場の様子周りの景色時間帯を表しています。阿蘇か浅間山の裾の広々とした耕作地帯でしょう。以前どなたかが合評されていた通り絵の世界、日本の原風景耕作馬と人の深い関わりを感じます。(ひかり)
(おおはりになつやまそでをあわせけり)
山国の避暑ホテルのロビーでしょうか、壁一面が大きなガラススクリーンになっていて樹海越しに山襖が展けているのです。ごく近い山とやや遠くにある山とが見えているのだが山裾の部分が重なっている。山裾の両端を着物の袖と見立て重なりあう様子を「袖を合わせけり」と詠んだ。「秋嶺袖を…」でも彩が見えてきてそれなりに美しい景になるが、紅葉した山では色彩が同化して袖を合わす感じに見えにくい。夏山であるがゆえに重なりあった部分の影が濃ゆく印象されたのだと思う。
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大玻璃に…の措辞で眺望を楽しめるように作られた高原のホテルと思います。玄関からロビーに入ると目の前に広がる夏山の豊かな緑と青空に感動されたのです。(ひかり)
(なつやまのそこいのレールありまへと)
有馬への移動手段は神戸電鉄に乗るか、六甲ケーブルを利用して山頂駅まで行き、そこからロープウエイを利用するかのどちらかになる。レールとあるので裏六甲の麓を走る神戸電鉄の可能性もあるが、底ひ…を通過する感じはなさそうに思うので、有馬温泉への行きがての六甲ケーブルでの写生ではないかと…。いづれにしても夏山の底ひ…の措辞が非凡である。「奈落」は上から下を見下ろす感じがあるが「底ひ」は逆に下から上を見上げる感じになる。上手く使い分けると表現の幅が広がると思う。
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有馬へは大阪から高速バスで手軽に行くことができます。緑豊かな夏山を底ひから仰ぐ実感がよく出ています。ケーブルを利用したことはないのですが一度乗って体験したくなりました。(ひかり)
(あじさいやひれんのひめのはかどころ)
断定はできないのですが、悲恋の姫といえば千姫、千姫の墓といえば京都の知恩院かなと想像しました。知恩院は京都の紫陽花の名所の一としても知られます。墓に眠る千姫の霊寧かれと紫陽花が咲き誇っている様子が伺われます。
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紫陽花と悲恋の姫の取り合わせが見事で、吟詠地は何処なのかと心惹かれます。紫陽花は彩が綺麗なのですがなぜか寂しさを秘めています。墓所に寄り添うように咲く紫陽花はやはり青がいいです。(ひかり)
(えんていのたかさにいどむくさやあり)
草矢は、ススキ・チガヤ・スゲなどの葉の太い脈の部分を矢柄とし、その両脇の葉を矢羽根形に裂き、葉を指にはさんで強く引きその反動で軸の部分を投げ矢のように飛ばす遊びで、紙飛行機のように葉全体を放り投げるのではない。青々と草が繁茂する夏の季語とされている。何人かの子どもたちが堤から川面へ向かって草矢を飛ばして遊んでいる。その中の一人が堰堤の上流側に向かって飛ばしているのに気づいた。「草矢かな」ではなく「草矢あり」と強く断定することで焦点が絞られて対象物がより鮮明になる。俳句ではよく使われる表現テクニックで、かな…として余韻を演出するか、あり…として強調するかは推敲するときに試してみると良い。
《参考》 杉の秀の雫と落つる蛍あり みのる
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高さにいどむとあるので見上げるような堰堤なのでしょうね。流れの縁から飛ばしているが届きそうで届かない。見ている人もつい力が入ってしまう。はたして越えることができたのかどうか、その後が気になりますね。(ひかり)
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そういえば幼い頃、川辺で草を飛ばす遊びをした記憶がある。ただ、橋の上から飛ばす距離を競ったもので、茎の硬い芒や蘆をそれこそ矢のようにして芯の方から投げたものである。掲句の草矢は、誰もいない川辺で、風に煽られた草切れが堰提の高さまで舞い上がったのかも知れない。何となく草矢に主体的な「意思」が感じられる。(まゆ)
(ひろければおもいおもいにしばをやく)
芝焼きは、害虫の発生を防ぎ芝の発育を均一にするために行われる春の風物詩。豆
春光に映えて黄金色の枯芝がみるみる漆黒に変わっていく様子は壮観である。狸解のとおり後楽園では大人数で火をつけるという感じはないが、由良台場跡の芝焼きをみるとまさにそんな感じがある。YouTube を見るとよくわかる。ゴルフ場の芝は芝刈り機でカットしローラーで整えるので芝焼きはしない。
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茶色の芝が黒く染まっていく光景は春の訪れを告げる風物詩ですが、広ければ広いほどきちんと秩序たてて焼かれると聞きました。この「広ければ」の広さは、思い思いに火をつけるという行為から岡山後楽園などの芝焼きとは違うんだなと思えました。 世間話などしながら、のんびりと焼き進められたことでしょう。(豆狸)
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わが家は川と橋のそばにあるので、毎年春先の堤防焼きは身近な風物詩である。集落ごとに区切り、長い帯状の土手焼きとなる。はじめは一斉に勢いよく火が周るが、次第に途切れる所もあり、やがてあちこち島状になる。広い山裾や牧草地などは尚更「思い思いに」焼くことになるだろう。黒くなった土手はそれなりの風情があり、その黒が褪せないうちに土筆が顔を出す。(まゆ)
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福岡市内にある油山市民牧場でも 12 月から3月にかけて少しずつ芝焼きが行われます。一斉に燃やすには人手がいるし、来園者への安全も考慮されているようです。「広ければ」という措辞がぴったりの光景です。この句に見習ってじっくり観察してみたいと思いました。(さつき)
(したもえをあぶらがよごすあまのろじ)
下萌に油がこぼれているのはわかるが何の油なんでしょうか? 魚介類の油とは思えないし、下萌は早春の季語なので暖をとるための燃料? あるいは漁船のエンジンの燃料? 蜑の路地というだけでは想像しづらくちょっとお手上げです。
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漁船の燃料の軽油か重油が零れ下萌えを黒く汚しているのに気付いた。雑草は少々のことでは枯れたりはしない。油の臭い、漁網の臭い、潮の匂い等ない交ぜになって漁村の春が動き出した。(うつぎ)
(わかめほすなわおどるなりてをはなす)
水揚げされた若布は海水で濡れており、且つ砂浜をひきずったりして砂も付着しているため振り下げに縄に掛ける時、その重みで縄が大揺れし、落ち着くまでに小さく揺れつづける様子を「をどる」と感じた。さらに、手をはなす…の措辞によって若布を干している人の一連の所作が具体的に連想できる。何でもないことだが確かな写生眼によって完成された作品と思う。
(あみをもてさかいすわかめほしばかな)
網をもて…の部分を、漁網もて…と置き換えると分かりやすいと思う。前句との並びから、こちらも須磨での作品と解するのは早計であるが、漁網で仕切られた小さな干場、すなわち量産のためではなくて、漁師の家族が日常生活の食材として干しているのであろう。干場の領域を区切ることが目的なのではなく、日常的に使う漁網も一緒に干してあって、あたかもそれが仕切ってあるように作者は感じたのである。
(ほしわかめすまのまさごのこぼれけり)
濡れた若布を砂浜を引きずりながら干場に運んだのであろう。乾いた若布から砂がこぼれている。その風景から昔ながらの須磨の風情を連想した。「須磨の真砂」という措辞がそれを暗示している。いわずもがな、笈の小文や源氏物語で描かれている須磨のよすがは有名。須磨離宮公園にある青畝先生の句碑、「須磨涼し今も昔の文のごと」と同じようなスタンスである。
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