母教会で教会学校の奉仕をしていたころ、子どもたちと一緒に旧約の「聖書物語」をよく勉強していた。天地創造、アダムとイブ、ノアの方舟、ソドムの街とロトの物語等々が懐かしい。信仰の有無にかかわらず人間の知恵や力だけではどうにもならない困難や試練は必ずやってくる。直面する場面はおなじでも。自らの力の限界に怯えて恐怖と戦うのではなく、見えざる支配者の加護を信じて委ね、祈り且つ行動できれば苦難の中にも平安が得られ、その結果自然と良い方向へ導かれるのではないかと私は思うのである。
職場の上司が趣味で謡曲に励まれていた。発表会のときに地謡のメンバーが足りないからお前もやれ…ということで昼休みに特訓を受けた時代があった。シテ、ワキというと能の主役、脇役を連想されると思うが、この句の場合は「法師蝉」が季語なので謡曲のそれを連想してほしい。森の遠近からさも掛け合いのように聞こえる法師蝉であるが、近くに聞こえるものがシテのよう感じ、やや間遠に聞こえる多勢がワキの地謡のようだと感じたのである。
牧野富太郎曰く「雑草という草はない」と。人間も小動物も草々もみな「創造主によって授けられた命」だという次元で考えれば、分け隔てするべきではないのである。 花や植物にはまったく疎かった私も俳句と関わるようになって随分と見聞を広げた。俳句以前には、美しいものにしか癒やしを感じなかったのが俗に醜いと言われるようなものにも命の尊厳を感じられるようになったのである。
中山寺の門前にある歴代の焼栗屋のおばさんである。岩田帯を授かりに来る寺であることぐらいしか知らなかったが、おばさんは事細かく縷々と教えてくれた。
前句同様フェリーの二等船室である。当時は広い桟敷のような部屋で足を投げ出したりあぐらを組んだり、はたまたごろ寝して思い思いに過ごすのである。 原句は「雑魚寝もす」であったが「雑魚寝なる」に添削された。原句だと雑魚寝していない客の姿も見えてくるが、「なる」の措辞によって焦点が絞られていることを学びたい。
青畝師の句碑開き神事が小豆島であるというので神戸からフェリーで移動したときの句。俳誌かつらぎのそうそうたる重鎮連衆も一緒であった。まだまだ無名であった私がビギナーズラックでこの句と「二等船室秋の蝿」との二句が青畝選特選に入選し、小路紫峡主宰の結社「ひいらぎ」にやまだみのるという新人が居るということが認知された記念の作品である。原句は「航跡瀬戸を二タ分けす」であったが青畝先生が添削された。「瀬戸内海」の意で「瀬戸」としたが、本来は、「相対した陸地の間の特に幅の狭い海峡」になるので「内海」に直されたのだと後に理解した。船尾の甲板にたつと真っ白な航跡がダイナミックに延びて豪快な印象であった。
新幹線新神戸駅近くにある ANAクラウンプラザホテルの海に面したシースルエレベーターでの句。秋の落暉をまともにしながら上昇していく高層のエレベーターを詠んだものである。 落日のスピードと上昇するエレベーターのとの対比とする鑑賞もあるようだが流石にそれは無理がある。対峙している夕日はほぼサンセット寸前であったので季語として「釣瓶落としの日」を斡旋した。
東吉野での作。急峻な杉美林の奈落道にこだまするかなかなの鳴き声は神秘的でもある。鳴き始めは間遠な感じに聞こえていたのが徐々に大きくなり落日を急かせるかのように佳境となるのである。青畝先生も定宿にしておられた天好園の先代主は、俳句にも理解がありよきもてなしに授かった。もともとは杣一筋であったそうでいろいろと苦労話も聞かせていただいた。古い良き時代であった。
有馬の山路を吟行したときの作。有馬は、その昔「有馬三千坊」と呼ばれ湯治宿が犇めいていたという。紅葉の時期は、太閤の碁盤石で有名な瑞宝寺公園を吟行するのがならいであった。山路の草紅葉隠れに延びているビニールパイプがあったので一瞬何だろうと不思議に思ったが先輩に教えてもらって合点した。「べし」は古語で「きっと…に違いない」という強い推量の表現である。ビニールパイプだったので実際は温泉ではなく冷泉だと思う。
「温泉」を「ゆ」と詠ませるのは俳句特有のルールである。八ヶ岳を「やつ」、富士山を「ふじ」と詠ませたり、鳥のホトトギスを「時鳥」と書き、草のそれは「時鳥草」と書いて「ほととぎす」とよませるなど、俳句に特化した固有の約束事があるが、経験を積めば俳句の常識として違和感なく消化できる。初心者のために「るび」を振るのは構わないと思うが、自分勝手な読ませ方をさせたいために無理なるびを振る行為は感心できない。
帰郷ついでに広島の波出石品女さんを訪ねた折にお土産に大きな鈴虫籠を二つ頂いた。ひとつは「かつらぎ庵」の青畝師に届けるようにと託されたものであった。それは、みのるさんのために青畝師との出会いの機会を…という気遣いでもあった。鈴虫を飼った経験のある方なら具体的に連想できると思う。稿を進めているとまず一疋が鳴き始め、つづいて複数の鈴虫たちが競い合うかのように輪唱を始めるのである。鈴虫のBGMに手を休めるとお届けしたときの青畝先生の慈顔が思い出されて多くお人の愛に育まれている幸せを実感するのである。
六甲森林植物園の奥にある急な渓谷道を下っていくと密かに透明度の高い池がある。池を俯瞰できる位置に探鳥舎があってよく一人吟行に行きました。大きな鯉が放たれていて広池を悠然と泳いでいる姿を眺めていると心が癒やされる。庭池の鯉の動きは慌ただしいが広い山池の鯉は直線的にゆったりと泳ぐ。向きを変えるときもまたじつにゆったりとした動きなのである。
瀬戸内海のフェリーでの作であるが、堀江さんの太平洋横断のニュースの頃だったので少し脚色した。
洛西に新駅が開通したおりにイベントが企画され初めて仕事で俳句会の指導を託された。洛西竹林公園を吟行して公園事務所の和室を借りて句会をしたのが懐かしい。明日香さん、満天さん、はく子さんと初めて顔を合わすことができたのもこの企画がご縁だった。地元のボランティアの方が筍掘りを実演してくださって初めて見た光景である。
サラリーマン現役時代に住宅関係の部署に配属されたことがありクレーマー対応もしました。熱くなっている顧客の言い分に対して言い訳すると逆効果になるのでひたすら聞き役に徹して相槌をうちつつ言われたことを丁寧にメモします。大抵の場合、しばらくすると繰り返しになってくるので、「はい、その件はすでにお伺いしています。ご意見は全てメモしましたので社へ持ち帰り上申して、後日改めてご返事いたします。」というとようやく落ち着き始めますが、理性的には納得しつつも感情の昂ぶりはすぐには鎮火しないのです。
前句とおなじヨットハーバーでの作です。ちょうど出港するためにヨットの帆をあげているところでした。
西宮砲台へ行く道すがらに小規模なヨットハーバーがあり、その隣におしゃれな茶房があります。今どきは禁煙ですが当時のカフェテラスのテーブルには灰皿が置かれていました。お洒落に加工してあったので普通の灰皿かと思いましたがよく見ると大きな二枚貝の貝殻でした。
漆黒の沖遠くに散らばる漁火を詠みました。越前の旅だったと思います。
須磨の国民宿舎で俳誌「ひいらぎ」の全国同人会が合った時に詠んだ作品です。進行役の大任を果たし終えて安堵のコーヒーをのみながら寛いでいます。
南上加代子さんらと王子動物園に吟行したときの作。観覧車の句を詠もうとみなで乗り込みましたが、高所恐怖症の私には勇気がいりました。徐々に高度が上がっていくときはどきどきだったのですが天辺に差し掛かると一瞬動きがとまったような錯覚があり、あたりを見渡す余裕も生まれて一句授かりました。
神戸でも瀬戸内海の水平線に沈む夕日を見ることができますが太平洋に沈むそれはまったくスケールが違うというか荘厳な感じです。真っ赤な巨大サンセットにヨットの黒い帆影が嵌っている様子が連想できるでしょうか?
蕾の様子からどうやら今夜ひらきそうだということでリビングに鉢をとり込み、車座に囲んで家族で鑑賞しました。夕食が済んでもまだまだという感じ、先にお風呂に入って着替えて麦茶をいただきながら…。青畝師の句に「ひらきゆく月下美人の震度かな」がありますが、確かに命の尊厳を実感できる瞬間でした。
でも吟行したことのある西宮市の神呪寺、通称甲山大師での作品。甲山のふもとにあり、天長8年(831)に開かれたといわれる古寺です。山門を潜ると真正面に甲山が見え、境内の展望所からは市街地を一望でき、ハイキングコースにもなっています。
蟻地獄に本物の蟻が落ちるのを半日くらいかけて観察して得た作品です。獲物が足を踏み外して蟻地獄の擂鉢に落ち込んでも主のいない空のものなら自力で脱出できます。またよく観察していると擂鉢の縁に片足が落ちた程度ならこちらも脱出可能です。蟻地獄は獲物が自力脱出限界を越えるまではじっとしていますが、越えるや否やのタイミングで一気に砂を蹴り上げて獲物の足元を掬うのです。つまり揚句は蟻地獄が砂を蹴り上げる動作をはじめる瞬間の写生です。「蟻地獄の捕食」をキーワードに Youtube検索すると動画も出てきますが、残酷すぎるのでリンクはやめておきます。
これも兵庫県加西市にある北条五百羅漢の吟行句です。物理的には石仏である羅漢の表情が変化することはないのですが、人間の顔の表情も光のあたり具合で見え方が変わりますね。
出張で宮崎に行ったときの作品です。仕事を片付けて帰路につくまでの余暇を寛いだので遊子になりました。
渡り鳥の大群や海の鰯の群れが連鎖して向きを変える様子を連想できるでしょうか。小さな命の集合のひとかたまりがあたかも新しい命や意志を持っているような動きをします。誘蛾灯の集まる小さな虫たちの集合した影が狂おしく変幻して居る様子を写生しました。
全く水面が見えないほどの広葉がうち重なって茂っていた蓮池の印象を詠みました。葉が犇めいているだけでは季感は弱くなる。 広々とした池の様子や咲いている花は省略していますが、これらの雰囲気も連想させる狙いも鑑賞して欲しい。
でも吟行した事があると思いますが奈良公園にある春日山原始林での作です。明るい遊歩道からいきなり鬱蒼とした木下闇に足を踏み入れると暗さに目がなれるまでに少し時間がかかりますが、いきなり蔓のようなものが顔に触れたので驚いたのである。
「木陰」は季語として掲載されていない歳時記もあるが、「緑陰」を連想させるように詠むことで夏の季語として働く。俳句は、言葉としての季語の有無ではなく季感の有無であることを覚えてほしい。絵に描かれた薔薇を詠んでも季語にはならないからである。句碑、歌碑ではなく唐詩であったので「一詩碑」とした。
「 青畝師追慕」という記事にも書いていますが、あるとき青畝先生から思いがけないお言葉をいただきました。
これからの俳諧のために、あなたのような若い作家が頑張って欲しい。みのるさん恃みますよ…
俳句を愛し、報いを求めないで弟子を愛して指導してくださる先生の姿勢を見聞きしていた私には、青畝師が教えてくださった俳句の心をしっかり継承せよとの遺言のように思えたのです。
結社とは道を異にして を運用することになりましたが、青畝師や紫峡師から受け継いだ愛と奉仕の精神を決して忘れてはならないと思います。
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