2015年7月
目次
お化髪消えたる露地やバーならぶ Feedback
面白い句を発見。一読、「あれ、無季?」と思いますよね。でも青畝先生が選ばれているのでと思い直して鑑賞してみました。季語の有無ではなくて季感の有無をチェックします。露地ということばに露の文字があるけれど露地は路地と同意なので季感はない。「お化け」に夏の季感が潜むのかなと…。
句意は明快で、派手な目立つ衣装を身につけてアフロヘア風のロン毛のお姐さんが怪しげに身体を揺らしながら大通りを闊歩しているのを見つけた。どこへいくのだろかなどと思いつつ見ていると、そのうちスナックやキャバクラなどが立ち並ぶネオン街の細い露地に消えたのである。今のは本物のお化けたったのかも…というようなうそ寒い錯覚を覚えたのである。
私たちは得てして、季語の有無云々… と理屈っぽく句を鑑賞してしまうが、「これも俳句でっせ」と仰る青畝先生の声が聞こえるようだ。虚子の句に、「祇王寺の留守の扉(とぼそ)や押せばあく」がある。明らかに無季である。「祇王寺の草の扉や押せばあく」 (春の句)が原句だといわれている。早春のころ祇王寺に住む老智妙尼を存問した虚子は、その時の実感からどうしても「留守のとぼそ」と言いたかったのしょう。
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繁華街横路にバーや居酒屋の並ぶ少し怪しげな空間がある。ふと見かけたホステスさんの髪はなぜか少し大きめに派手に整えられています。どのお店に入られたのか人影は見えずまさに消えたる感じだったのでしょう。面白い句で好きです。無季っぽいですがお化け髪で夏の夕暮れを感します。(ひかり)
ホタルは成虫になると何も食べないで草の葉についた夜露をわずかに飲むだけだそうです。成虫の平均寿命は飼育箱で育てると、オス12日、メス16日、野外ではオス5日、メス7日ぐらいといわれています。一日でも長生きするようにと朝な夕なに霧吹きの水をかけて丹精している。ある朝ふと飼育箱を覗くとなんだか元気ない。水が足りないのかと思ってたっぷり霧を吹いてやったが、しばらくすると命が果てていたのである。ホタルの死を憐れむというより楽しませてくれた数日間を感謝しつつ、自然の摂理、命の尊厳を受け止めているのだと思う。
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私の子供の頃は蛍も多かったのですが、蛍は直ぐに死んじゃうしかわいそうだから捕っちゃいけないと言われてました。けれども夕方になると虫かごに葦の葉などを入れて何匹も捕まえたものです。一杯霧を吹いて枕元に置いて楽しみながら寝るんですが、やはり朝になると死んでいてぐずって祖母を困らせたことを思い出しました。(豆狸)
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存分に霧吹きたれど…の措辞に作者の死なせてしまったという残念感がよくでています。生き物を飼うと必ず訪れる別れの切なさですね。(ひかり)
春慶塗は岐阜県高山市などで生産される漆器である。 国内で春慶塗という名の漆器は岐阜県高山市の飛騨春慶、秋田県能代市の能代春慶、茨城県東茨城郡城里町(旧桂村)の粟野春慶等があり、この三つを日本三大春慶塗という。むかしは加代子さんや仲の良い句輩が誘い合ってあちこち吟旅をした。揚句は飛騨高山の避暑宿での写生かと思う。宿料理の並んだ夕膳には春慶塗の漆器がたくさん使われていてその美しさに感動すると同時に贅な気分に満足している。豪華なホテルではなくて白川郷のような茅葺きの民宿かもしれない。この時期は開口部も開放されて夕食を楽しんでいる間も時折通う谷戸の風がいっそう旅の涼しさんを堪能させるのである。
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脚つきの一人膳がお座敷に並べられて旅人を待っている宿の景を想いました。お膳も器も春慶塗、窓には若葉がゆらぎせせらぎの音も聞こえて。旅涼し… に緑風や新緑を想像し春慶の朱色との対比も感じました。以前、神戸の相楽園に江戸時代の春慶塗の御座舟が保存されていました。(菜々)
パジャマ着てそれから食べる苺かな Feedback
夕食の後のデザートであるが、お風呂で汗をお流したあとでさっぱりした気分で大好きな苺を楽しみたいと思って残しておいたのである。家族にはばかることのない一人暮らしの気楽な生活ぶりの写生だと思う。お風呂あがりなのでたっぷりとミルクを入れた苺ミルクかも知れない。
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パジャマ着て… の措辞で夕食の片づけがすみ、お風呂にも入りすべきことを全て終えた状態で大好きな苺を食べるという至福の時なのでしょう。もしかして苺柄のパジャマだったりして(^^(ひかり)
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「きょうのわざをなし終えて心軽く安らえば・・・」というドヴォルザークの家路の歌詞を思い出しました。女の子のプチ幸せ!がスイカやミカンではない「苺」に現れていると思います。(豆狸)
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林檎や梨なら食後にすぐ食べることもありますが、苺はミルクを入れてスプーンで慎重に潰して食べるのが美味しいです。作者が就寝までのひととき、1粒ずつ楽しそうに潰している様子が思い浮かびました。パジャマを来てそれから食べるのは苺しかなく、「苺」の季語が動かないと感心しました。(さつき)
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中 7 の「それから」が重要なはたらきをしている。一日が無事終わった安堵感が充分に伝わってくる。苺は幸せの象徴にぴったりです。(うつぎ)
古写真こぼれ落ちしよ書を曝らす Feedback
虫干しするためにパラパラとページを繰っていたら一枚の古写真がはらりとこぼれ落ちたのである。昭和39年の作品なので戦死された家族の遺品の書かも知れない。そうだとするとセピア色に変色した遺影写真かもしれない。古写真… という切り出しであるので曝している書もまた古いことがわかる。
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土用になると本や掛け軸着物などの虫干しをよく手伝わされたものです。古い写真や葉書などが栞代わりに挟まれていることもままありました。きっと「古写真」に写っている家族或は友人の若い笑顔を見て、思いはその時代に。曝書は遅々として進まなくなったことでしょう。(豆狸)
わかりやすい句ですね。熟年の恋の雰囲気を感じます。なぜかというと若い人であれば炎天など何のハンデもないが、中年、熟年ともなると炎天下に出かけるのはだれでも避けたいと思うからである。小説風に連想を飛躍させてみるならば、あえてそんな時間帯を選ばなければならない逢瀬というのはひょっとして不倫? などと勘ぐりたくもなる。
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数年前の夏、父が入院した時のことを思い出しました。掃除、洗濯などの家事をかたずけてから母と一緒に出かけるので何時も10時すぎ、まさしく炎天下でした。帰る時に「明日は何時ごろくる?」と淋しそうに洩らす父を見ると、いくら草臥れていても明日は来ないとは言えず、結局2か月間毎日通いました。艶っぽくないですねぇ。(豆狸)
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待ちくるる彼…とあるのでやはり愛しい人との逢瀬を感じさせます。なによりも炎天の季語がきいています。いろいろと想像はふくらみますがきっと待ち合わせに遅れそうなのでしょうね。(ひかり)
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炎天という季語をこんなに前向きに詠まれたのに新鮮さを感じました。好きな人に会えるならたとい炎天下だろうがいとわないという率直な明るさが眩しい夏の明るさをも感じさせてくれます。(さつき)
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交際しだしてあまり時間がたっていないカップルと想像します。彼に逢いたい一心で炎天下であっても一刻も早く会いたいという切実な気持ちが伝わってきます。(宏虎)
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炎天の季語からやはり彼との逢瀬に心弾ませている恋の句ととりました。あっけらかんとした詠みっぷりに爽やかさを感じます。恋にも俳句にも情熱を燃やされていたのでしょうね。(うつぎ)
しづまりし動悸に汗のひきにけり Feedback
予期せぬ状況に遭遇した驚きでどつと汗が吹き出し心臓は早鐘を打つように高鳴つている。ようやく状況が落ち着きほっと安堵しているのである。持病の狭心症か心筋梗塞が発症し急遽ニトロをなめて落ち着いたというようなケースであることも考えられる。普通に暑さで出る汗ではなくて、冷や汗、あぶら汗の類でしょう。いろいろと連想の広がる句ですね。
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不整脈などで突然動悸がはじまると一体どうなるのかとても不安になりどっと汗が吹き出ます。けれども動悸が収まり始めると自然と冷や汗もひきはじめ、やがて安堵をとりもどして落ち着くのです。(ぽんこ)
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「しづまりし動悸」の措辞で何だろうと思わせ、「汗の引きにけり」の断定で作者にとっては大変なことだったのでしよう。些細な体験ですが、大の苦手の長々蛇に近距離で出会い激しい動悸に動けずにいて、姿の消えたあたりを眺めながら冷や汗の引いたことを思い出しました。(よし女)
昭和39年の作品。現在でもメロンは高級品、贅沢品というイメージがあるが、当時は庶民には手がとどかない存在であった。せいぜい病人へのお見舞い、上司やお得意さんへのお中元用にという需要であったと思う。そのような高級品のメロンが立派な箱に入って果物屋さんの棚の上段に並べられているのである。とうぜん下段には梨や桃といったポピュラーな商品が並んでいるであろう様子も連想できる。
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「この店の」という措辞で上段に並んだ高級メロンが目に飛び込んできた作者の驚きが感じられます。果物の専門店でしょうか。メロンを貰ったり食べたりという句は多いですが、お店に並んだ様子を写生されたので新鮮な感覚になっていると思います。(さつき)
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やはりメロンは今でも果物の王様です。手の届かない上段にずらっとメロンが並んでいる高級な果物屋さんを連想します。さて何を買われたのかと想像が膨らみます。(ひかり)
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並んでいるだから2,3個ではない筈それも目線より上の上段だから「見事だな」と感じられての句と解しました。高級なマスクメロンには自ずと置かれる位置があるものだと納得されている作者が浮んで来ます。(うつぎ)
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時折のぞいてみる馴染みのお店でしょうか。この店の上段は四季折々の高級品の指定席になっていて今はメロンが揃っている。季節の移ろいを感じつつ、こんな高級品どんな人の口に入るのだろうかなどと思い巡らしている作者の姿が見えるようです。(よし女)
仰向きの眼のまぶしさにラムネ飲む Feedback
ラムネ瓶は真ん中あたりで胴がくびれていてビー玉が下まで落ちないようになっています。そのくびれの少し上にビー玉が引っかかるような仕掛けがあります。一気に飲もうと瓶を逆立てるとビー玉が落ちてきて飲み口を塞ぐのでラムネ瓶の傾け具合が難しいのです。幼いころラムネ瓶と悪戦苦闘した楽しい思い出がありますね。揚句は炎天下の屋外でラムネ売りのおじさんから買って飲んでいる様子でしょう。口につけたラムネ瓶を傾けようと仰向いた視線に丁度夏の太陽が目に入って眩しいのです。
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瞬間写生ですね。このような経験は何回かあったのですが句にするなど心が及びませんでした。ビー玉の音のするラムネ瓶も少なくなりこの光景はとても懐かしいです。(よし女)
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ギラギラと照りつける太陽と真っ青な夏空が一気に連想される句です。動かないラムネ瓶を眺めてどうしたこうしたと説明してしまいがちですが、動きの中で瞬間を捉えるのが大切だと思いました。(さつき)
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眼のまぶしさに… の措辞にラムネの季語が全ての景色を表していると思います。からっとした夏真っ盛りのひとこまですね。(ひかり)
暫くは加代子さんの初学の頃の作品を紹介しています。素直でいいですね。つる首のような一輪挿しを連想します。透明感のあるガラス製であることも考えられます。花が活けられれてあったか否かについては全く触れていません。首が長いのは瓶に挿された花の姿なのかなとも思いましたが、花の心得のないぼくにはわかりません。どちらにしてもその辺りは読者の連想に委ねているわけです。省略して焦点を絞ることの大切さを教えられます。
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首の長い一輪挿しの美しさに焦点が絞られてをり花の活けてない鶴首のガラス製が連想できます。なんとも言えない曲線のその細工にも感動している作者が浮かびます。(よし女)
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わたしも最初に読んだときは一輪挿に活けられたお花の姿かなと思いました。でも何度か読んでうちに一輪挿そのものに感動して詠まれたのだとわかりました。「首長き」という表現で、どんな場所でのどんな一輪挿だろうと楽しく連想させてくれる句ですね。(さつき)
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一輪挿の涼しさよと言われているので鶴首のことでしょう。一輪挿の置かれて場所は何処なんだろうかと考えてみました。美術館に展示されている作品に目にとめられて、すらっとしたその姿に涼しさを覚えたのです。(ひかり)
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首が細くて長く胴のふくらみもあまりないすらっとした一輪挿し、わたしは有田の白磁が大好きです。昼でもうす薄暗い旧家の床の間の銘木の花台の上に置かれてあるような、そんな光景を連想しました。
事故なのか病気なのかはわからないが危篤との知らせを聞いて、とるものも取らずに急遽馳せ参じているのである。「訪ふ」という措辞があてられているので実家の親族とかではなく、ごく親しい友人(句輩)とか旧友であるような気もする。炎天下であることなど気に留める余裕もなく、訪う道すがらなんとか間にあってほしいとひたすら祈っているのである。猛暑に耐えられずに衰弱され急変されたのかも知れない。
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炎天下を急ぐ作者の緊迫感が伺えます。嫁して年数を重ねれば実家であっても「訪ふ」となるように思います。身内の大切な方かも知れませんね。(よし女)
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炎天を… と言いつつ炎天など気にする余裕のない作者の切羽詰まった様子が伝わってきます。また「一縷ののぞみ」という言葉がかすかな希望の光を感じさせてくれます。(さつき)
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只ならぬ様子が伝わってくる。何とか持ち直してほしいと祈りながら急いでいるのであろう。炎天の季語が存分に語っている。(うつぎ)
都会に生活する子供たちにとって甲虫は宝物のような存在だが、昨今は商品として高値で流通するような奇妙な時代になった。むかし、子どもたちに人気のあるものとして、「巨人、大鵬、玉子焼き」ということばが流行ったが、いつの時代も子どもたちは強いヒーローに憧れるのである。夏祭りの参道とかでテキ屋のおじさんが大きな呼び声をかけながら店を広げているようなそんな風景も浮かぶ。
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夜店で甲虫が売られている。籠に入れられ右往左往しているそれを喧嘩させつつと詠まれた事が手柄だと思う。甲虫が必死に手足を動かして混乱している様子が手にとるように見えます。(あさこ)
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夜店に甲虫の店が出ている。私などここで終わるところですが喧嘩させつつと深く観察したところが俳人の目です。強い方を選んでいる子供の情景も見えて来ます。(うつぎ)
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売り手にだけスポットがあてられているが甲虫を欲しそうに眺めている子供や親子の姿も見える。あれこれと迷っているのか、あるいは買い手はまだついていないのかもしれないなどと想像が広がります。下五の「ゐる」の止めに私はとても新鮮さを感じました。(よし女)
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商売上手な売り手ですね。子供たちが目を輝かせて見ている様子がよくわかります。(ひかり)
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子供たちが甲虫を選ぶ時の表情はとにかく真剣で、どれを選ぼうかと思い迷っている顔が眼に浮かぶようです。おじさんは甲虫をけしかけて「ほら強いだろう!これが一番だよ」といいながら子供たちの決心を促している光景浮かびました。(豆狸)
梅雨の時期ながら旅行にいくとなれば開け放しというわけにもゆかず、雨戸も閉めしっかりと戸締まりをして家を出た。旅を終えてようやく帰宅したわが家は閉めきってあったためか梅雨湿りしていてなんだかとても黴くさい。旅の荷解きはあと回しにして大急ぎで窓を全開して風を入れ、ようやく一息ついたら急にどっと疲れを覚えたのである。
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旅疲れ… という季語で、数日間家を空けていたこと、旅の疲れ、黴くさくなった家を片付けていっそうその疲れがましたようす等々が連想されてすごいなあと思いました。じめじめした梅雨の時期でも句はつくれるのですね。(さつき)
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どんな旅かはわからないが帰って来てみればなんだか黴くさい。非日常の旅から日常に引き戻された作者の一瞬の気持が良く出ている。(うつぎ)
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旅は長く楽しかったのでしょうか。無事帰り着いて安堵したものの家の中は黴くさく、その瞬間どっと疲れを覚えたのでしょう。「旅疲れ」の措辞によってその後の事は容易に連想でき面白い一句ですね。(よし女)
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暫く家を空けて旅から帰宅してみると梅雨最中閉め切っていたためか家の中が黴くさい。やれやれという安堵感が先立ちほっと一息ついた気分がよくあらわれていると思う。私にも同じ気分をあじわったことがあるので共感を覚えました。(宏虎)
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旅に出る前にきちんと跡片付けをして帰ってきたら直ぐに平素の暮らしに戻れるようにして出かけた。ところがいざ帰ってみたら家の中は何となく黴くさくてぬくもりがない。非日常から日常へ戻る一瞬のタイムラグが「旅疲れ」という措辞によく表れていると思います。(豆狸)
昭和34年の作品。男女雇用機会均等法が施行されたのは昭和61年であるから、当時の時代背景を想像して鑑賞したい。「ご栄転おめでとうございます」とお祝いの言葉を言いながらお世話になった感謝の気持をこめてビールを注いでいる。でも女である自分には無縁なことだな…などとふと思う。男女の差別を疎んじているのではなく現実を受け止めているのである。
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男女平等が叫ばれる今の世なら女性にも栄転の機会はあると思いますが、団塊の世代の私達にはありませんでした。ビール注ぐ… の措辞に女性である作者の立場が表れています。ビールを注ぎながらふと思われた心情をさらりと詠まれています。(ひかり)
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男女平等の現在でも出産や家事というハンデのある女性にとって栄転とか出世とかは無縁の世界かもしれませんね。「ビール注ぐ」という措辞からは作者の清々しい気分を感じます。(さつき)
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栄転をを祝しつつも今後のご苦労に思いを馳せて、女である自分には栄転などないことにほんの少しの安堵感があるのでしょう。(よし女)
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現在では、子供と旦那様の世話を親に頼んででも単身赴任するという女傑もいますが、昭和30年代といえば、「結婚したら女性は退社すること」などという社則まであった時代です。当時は栄転はおろか転勤さえ女性には無縁なこと、現実を受け止めながらも男女雇用均等の時代がくるのを願望しているような気分もありますね。(豆狸)
五月の第二日曜日は母の日である。ほんとうは何かプレゼントしたいのだけれどお小遣いが足りなくて、肩たたき券とかお掃除券とかを発行した子供の頃が懐かしい。さて、揚句の鑑賞に戻ろう。「お母さん、今日の夕食のメニューはなあに?」と訪ねるのが常なのだけれども、今日は母の日、代わりに夕餉の支度してお母さんを喜ばせたいと一念発起した。けれどもあれこれとメニューに悩んで決まらない。結局、お母さんが食べたいものを作ってあげるのが一番いいと気づいて、いつものように「お母さん、今日は何が食べたい?」と聞いてみたのである。
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やはり母に聞き… の表現から大人の母娘と感じられます。たぶん私がそうであったように「母の日だけど何がいい? 好きなもの作るから」というふうな何気ない会話を素直に十七字に詠まれたところが上手いと思います。(ひかり)
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毎日の食事の支度は娘である作者の役割ではないでしょうか。「作ってくれるんだから何でもいいよ。」そう答えるのは分かっているのに「何食べたい?」といつものように尋ねる。日常の会話。母の日だからこそ、別の答えを少し期待して・・・でも、同じ答えがかえてくるのです。(豆狸)
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「お母さん、今日の晩ごはん何?」中高生頃の子供達の「ただいま〜」のつぎはいつもこの言葉でした。作者も今日は母の日なのにと苦笑しながらも、子供達の元気を喜ばれているのではないでしょうか?「やはり」には「思った通り」「案の定」などの意味もあり、切れ字「や」がいいと思いました。(菜々)
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