むべ:「木の実」が晩秋の季語。歌膝と呼ばれる体勢があるのを初めて知りました。作者は秋のピクニックに出掛けて、レジャーシート上で歌膝をしたのかなぁと想像しました。自然の中、リラックスして過ごしている様子です。ふと落ちている木の実を拾って、その造形や色の美しさに見入っています。

あひる:木の実拾うが秋の季語。上五がこの句ならではの味わいを出していると思います。「歌膝」は昔、貴族が立て膝の部分に短冊を置いて歌を詠んだという楽で優雅な座姿勢のようです。今日、しゃがんで庭仕事をしていると足が疲れて、歌膝をしたくなりました。きっと作者もしゃがんで木の実を拾っていて疲れたのではないでしょうか。疲れて歌膝になってしまったのかと思います。「なりて」という措辞はそういうことかなと思いました。

えいいち:木の実が三秋の季語。歌人になったつもりで歌膝をして木の実の一句を詠もうとしているのだろうと思います。が歌膝の姿勢がよくは分からないのでネットで調べましたらなんと公園や野原でお父さんやお母さんが子の遊ぶ姿を見守っている時などによく見かける片膝を立てた座り方に似ていました。それで歌膝している人を歌人から家人に変えて鑑賞してみました。そうしてあらためて句を読んでみると違った光景が浮かんでまいりました。穏やかな秋の日よりのキャンプ場で家族がくつろいでいる様子が浮かびます。子らは元気に森や川で遊んでいて親はそれを歌膝座りして嬉しそうに見守っています。ふと足元を見ると木の実が落ちており拾い上げ手に取り眺めると子らが成長するように木の実も熟したのだなあと思い、深まる秋と子らの成長、移り変わる季節をしみじみと感じているように思えてきたのです。

せいじ:わたしの歳時記によれば、木の実、木の実拾うが三秋の季語。歌膝というのは、歌人が短冊を持って歌を案ずる時のように、片膝を立てて座ること、またはその姿勢とのこと。「歌膝となりて」から思うに、作者は、よき俳句を授からんと、歌人にあやかって歌膝のような姿勢をわざととり、木の実を拾ったということであろうか。

えいじ:「木の実」は、晩秋の季語です。しゃがんだり、屈むのではなく、「歌膝」をついて落ちた木の実を拾っているのです。地面は枯れた落ち葉で敷きつめられているのでしょうか。膝をつきながら大地との共生と季節の変化を感じ取っているのだと思います。宜しくお願いいたします。