むべ:「末枯」が晩秋の季語。枯れはじめの葉先がなんとも侘しい雰囲気で、そこにノラちゃんがいるとますます哀れなイメージがあります。野良猫はたしかに媚びないですよね。警戒心があって目つきもピリッとしています。元飼い猫であろうという解説でなるほどと腑に落ちました。秋が深まる里山でのひと時の邂逅だったでしょうか。

えいじ:「末枯」は、晩秋の季語です。秋も深まり草木も色づき枯れようとしている。いつもの散歩道を歩いていると、野良猫が鳴きながら足許にすり寄ってくる。猫は、まだ人間の恐ろしさを知らない子猫だと思います。冬も間近に迫るなか、猫は生きる糧を求めているのでしょう。猫の「媚び」をどのように受け止めたら良いのか。詠み手の苦悩をも感じます。宜しくお願いいたします。

あひる:晩秋の一日、ふと散歩に出た末枯れの野原で一匹の猫に出合った様子が思い浮かびます。猫は作者が優しい人だと見抜いたのでしょう。媚びてくるのですから、人に愛された経験があるのかもしれません。これから少しずつ寒くなってくる晩秋の野で、一人と一匹の心のふれあいが可愛らしいような、切ないような気がします。

せいじ:末枯が晩秋の季語。晩秋になると草や木は枝先や葉先から枯れはじめる。先は枯れてもまだ大部分は緑の色を失っていない。末枯はこのような自然の微妙な変化をとらえた季語であり、秋の終わりのわびしさ、寂寥感をよく表している。そのような環境下に野良猫がいる。飼い主がいない(捨てられたのかもしれない)というだけでも憐れに思うが、飼い主でもないのに人恋しさのあまり自分に媚びてくれば、浅ましさを通り越して憐れさが増し、寂寥感がさらに募るのである。媚びざるを得ない猫の心模様が末枯の季語にマッチしている。

えいいち:末枯が晩秋の季語。末枯れた木立の草むらに哀れな野良猫がいてこちらに寄ってくる、そんな光景を詠んだ句だと思います。作者は猫をじっと見つめ猫もまた作者を見つめ、怯えながらもそっと近寄ってきて餌を乞うかのような猫なで声でみゃあと鳴いている情景が目に浮かびます。季語と野良猫が重なり猫の哀れで侘しい姿を想像させますが「われに媚びにけり」の措辞で作者の猫を慈しむ気持ちを感じます。