えいじ:「秋を聞く」は、秋の季語です。おそらく、三秋の季語だと思います。この句の「橋半ば」という言葉は、実感としてよくわかります。家の近くの運河には小さな橋が架けられいています。構造上、橋の真ん中あたりが一番高くて、少しだけ見晴らしがよいです。しかも、運河とか川には障害物もないので風がよく流れます。「橋半ば」は、運河や川のベストポジションだと思います。そこに立てば、秋の気配を間違いなく感じることができると思います。宜しくお願いいたします。

あひる:船舶の移動のために作られた水路を運河と言い、人工的に作られた部分だけでなく、自然の河川を利用することもあるようです。日本にもたくさんの運河があり、私の行動範囲の中では琵琶湖疏水や高瀬川、道頓堀も運河のようです。人の生活と切り離せない運河、そこに秋を探している吟行子がいます。思えばいつか吟行のお仲間と京の橋の途中で季節を探しました。橋の真中あたりに来ると、吟行子は立ち止まりたくなるのですね。

むべ:「秋を聞く」が三秋の季語。作者は運河にかかった橋を渡っているところです。半分ほど来たところでふと立ち止まり、運河のかすかな水音や運河沿いに植わった色づいた木々、いろいろな秋を感じているのだと思います。上五の「橋半ば」がいいなと思いました。渡り終わってしまうと聞こえなくなってしまう秋もありそうで……

えいいち:秋を聞くが季語。運河にかかる橋のまん中あたりで運河から秋の気配を感じた、という句だと思うのですが私自身運河というものを眺めたことがないのでパッとイメージがわかなかったのですが運河と言えば水の都ベニスでしょうか。よく観光写真で見る運河に架かった太鼓橋の真ん中で水辺のゴンドラを見ている、そんな風景を想像しました。

せいじ:秋を聞くが三秋の季語。運河といえば都会を連想するが、自然の少ない無機的な都会にも確実に秋は来るのであり、実際、運河にかかる橋を渡っていると、橋半ばにしてはっきりと秋の声が聞こえてくるのである。