由緒ある豪族の墓所で山深いところであったと思うが記憶から飛んでしまった。昨今のように墓地というようなものが存在しなかった数百年前の時代から綿々と続いたものであったと思う。経年のうちに管理も行き届かなくなったのか鬱蒼とした茂りであった。
西宮市満池谷墓地に阿波野青畝先生の十字墓があります。俳句結社「ひいらぎ」の記念大会があったとき、品女さんほか地方の同人は一泊されたので翌日皆で青畝先生のお墓まいりに詣でました。虚子門には名句を残された作家や指導者が数え切れませんが、「弟子を愛し、弟子を育てる」ことを一義として実践された点において青畝師の右に出る人はいないと思います。私は先生の生き様を通して、秀作を残すこともさりながらあとなる人を育てることのほうが遥かに奇特な奉仕であるということを教えられました。内村鑑三の著書「後世への最大遺物」にも、
何人にも遺し得る最大遺物――それは高尚なる生涯である
阪神淡路大震災の体験は30年近く経ったいまでも昨日のように蘇ります。震災前夜、夫の転勤で米国へ旅立つ家内の妹の準備を手伝うために大阪平野を訪ねて夜12時近くになってしまったので、今日は泊まって明日の早朝に移動すれば…と話していましたが、風邪で臥している長男が家に一人になるので泊まらずに帰りました。翌朝5時46分、震禍でま二つに折れた阪神高速道路を通過したのは、その数時間前ということになります。飛び起きた家内の枕元の横には重い硝子の花瓶が棚から転げ落ちていました。もし直撃していたらと思うとぞっとします。
六甲山にある山上ホテルの展望レストランからの窓景色ですが、鑑賞者の経験と連想によって様々な景になるかと思います。 漆黒の闇の沖遥かに仄かに水平線が見え、そこから弾きでたかのように大きな月が見えている景色を想像できるでしょうか。山上ホテルの窓に展けた樹海の様子はまさしくそれを彷彿させる景色でした。
凝り性の私はなにかに興味を持つと関連の書籍を次から次へむさぼり読むという習性があります。この読書癖は中学生くらいからだったと思います。とにかく手当たりしだいに乱読するなかで、納得できなかった内容は即記憶から消去し、琴線に触れた書は機会あるごとに何度も読み返すというような習慣が身についたように思います。俳句で言えば阿波野青畝先生の著書「俳句のこころ」がそれにあたります。
神戸へ引っ越ししてから釣りに興味を持ち始め昂じて八丈島の磯釣りにも出かけるくらいにのめり込んだ時期があります。船虫は集団で生息していますから、一匹見つければ周囲にたくさんの船虫を発見することができます。小さな沖磯の巖に地肌が見えないほどに張りついた船虫の集団が波をかぶると手品のように一瞬で姿を消すさまをよく目にしました。太平洋の波は内海とは比較ならないくらいに豪快で油断して岩の上に直接置いていた釣り道具一式を一瞬の波に攫われた恐ろしい経験もしました。荒磯で釣りをするときは波対策として太い鉄筋棒を巖の間に打ち込んでそれに荷物をくくりつけて置くのです。
散歩の通り道、よく手入れされた美しいお庭を塀越しにみて癒やされていたのですが、いつとはなく荒れはじめて最近は手入れも滞ている様子。ご近所の人に聞いてみるとバブル不況の影響で売れられるらしい。ふと「栄枯盛衰」のことばが頭をよぎった。
森林浴を季語として詠まれている俳句はまだ少なく、採用していない歳時記もあるようですが若葉を透けて降り注ぐ森の日差しはまさにグリンシャワーですね。
あめんぼは雨が降り出すと橋の下とか池へ迫り出している枝葉の陰などへ移動し雨の影響のない場所を選んで屯する習性があります。その様子はちょうど嵐を避けるために港に避難して犇めく船溜まりに似ています。あめんぼはときにジャンプしたりもするので彼らが遊んでいる様子はさながら水輪が散らばっているようにも見えます。その水輪が急に増えてきたなと思ったらそれは降り始めた通り雨のせいだったという訳です。一大事…とばかりに慌ただしく動き出したあめんぼの様子も連想できたらいいですね。
蜥蜴が喉袋を膨らませるのは体温調整のためらしいです。子供の頃から小動物が大好きで吟行のときに誰よりも早くそれらを見つけることができるのは私の特技です。そして彼らを観察する秘訣は、触ろうと近づいたり驚かせたりしないで造形物のように静止して目を凝らすことです。様々な個体を観察していると本能的な動きとは別に彼にもまた個性が存在していることに気づきます。
私の妻は被爆二世である。夏休みに帰省するたびに子どもたちと一緒に平和公園に通っては平和を祈念した。8月6日の式典はテレビで見るだけであったが、「黙祷!」という声のあとの一分間、被爆体験者にとって半世紀の様々な思いが走馬灯のように脳裏を駆け巡るのではないかと思う。公園の木々も暦年を経て大樹となり何万という蝉の声は、せいじ解の通りまさしく亡くなった人たちの魂の叫びなのである。
波出石品女さんと広島平和公園へ吟行したときの作。エッセイにも書いてあるのでリンクしておきます。
那智滝の荘厳さを詠んだ。
句意はむべ解のとおり、私たち夫婦の結婚記念日は4月16日、庭の薔薇はまだ蕾なので花舗に立ちよって赤い薔薇を買った。
布引滝での作。一刀彫といえば奈良や飛騨のそれが有名だが、アイヌの民芸として彫られた荒削りの熊の一刀彫が一番力強い感じがする。 鋭く直線的に切れ込んだ巖のひびを見ての連想である。
家内は膝に難があって一年のうちに何度かは整形で溜まった水を抜いたりヒアルロン酸を注射したりという治療を受ける。10年ほどまえに骨盤治療の先生を紹介してもらい週一の治療を約3ヶ月ほど続けたところ、驚くような回復をして普通に歩けるようになった。揚句はそれ以前の頃に詠んだもので、気分転換のリハビリを兼ねて六甲山へ一泊したときのもの。
兵庫県氷上郡青垣で行われた教会学校バイブルキャンプでのキャンプファイヤーの写生である。賛美やゲームを楽しんだあと牧師のメッセージを聞きグループごとに祈って終わる。約2時間ほどの時間炎を保つ必要があるのでかなり大きな薪を井桁に組んで火をつける。下の段から上の段へと燃え移るほどに大きな炎に成長し幻想的な状況を演出するようになっている。句意は皆さんの解釈の通るであるが魑魅魍魎という四字熟語を使うことで海や平地ではなく林間でのキャンプであることを暗示させているのである。
一陣の風や序破急の風ではなく、ほとんど無風に近い静寂のなかに広がっている真葛原を想像してほしい。当然ながら風の音も聞こえないし獣たちの気配もない。「一刷の」の措辞は、そうした情景を連想させる効果があるかと思い使ってみた。
箱根の山は天下の険…で有名ことばは「険」という字が使われるが意図的に「嶮」をあててみた。狙いが見え見えでやや憑きすぎ、とても秀句とは言えないが、初学時代に懸命に吟行して授かった作品なので残している。
青畝師の句碑開きで小豆島へ吟旅したときにバスで寒霞渓の山上へ行ったときの作。おおかたは舗装路なんだが頂上付近だけが地道になっていて大きく横揺れしながら折り返していくバスを面白いと思った。夜の句会でこの句を投句したら「登山」の句として新しい視点であると先生が褒めてくださった。擬人的叙法はぴったりはまると滑稽味が出るが極端だと陳腐になるので難しい。
「滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半」で有名な箕面の滝での作。箕面の滝を見るたびにどうしても夜半師のこの句が脳裏によぎるのでなかなか佳句は詠めないのであるが、30分間にらめっこして授かった句である。観念的に写生すると「落ちにけり」としか詠めないが、躍動する滝頭と落下する水の様子を見上げていたらあたかも青空がバケツをひっくり返しているようだと感じたのである。
よく手入れされ天鵞絨敷のような苔庭に打たれた水が珠のように弾けてまろび輝いている瑞々しい様子を写生しました。打ち水も涼しと同様に夏の季語なので季重なりだとしても違和はないけれど「打ち水」が主役になるのを嫌ったので「遣水」にした。庭に流れる水の飛沫が苔に飛び散って…と解釈しても間違いではないと思うが、それなら「遣水のしぶきて苔の上に結ぶ」という感じになるかと思う。後者はやや説明くさい。
今は亡き波出石品女さんのご主人が大きな牡蠣殻を鉢にして鷺草を育てておられました。帰省した折にぜひ青畝先生にも届けてほしいとおっしゃって言付かったことがあります。か細い花茎の先に先にそっくりな真白の花がつくのが可愛いです。たくさんの牡蠣殻鉢に花を上げた鷺草は実に見事で見入っていました。たまたま無風状態だったので戯れに手団扇で風を送るとちょっと反応してくれました。大好きな花ですが繊細で庭植で横着に育てるの難しいようです。
須磨離宮公園の大噴水のまわりには椅子テーブルが置かれ憩へるようになっています。特にバラのシーズンには数千本のバラの香と潮風とがないまぜになって異国情緒を醸します。噴水はタイマーの制御により序破急と立ちがり、フィナレーで一気に拭き上げた次の瞬間バサととまります。勢い良く立ち上がっているときは風にも負けずに立ち上がるのですが止まった瞬間に海からの強い風が吹き上げると天辺の穂が風にあおられてテーブル席にまで飛散するのです。いい気分で寛いでいても時々それに水をさすという意地悪な噴水です。
浮かんできたなと見る間もなくまたすぐに潜るので池に浮かんでいるカイツブリの頭数を数えるのは難しいです。辛抱づよく観察していると 何度か浮沈を繰り返したあとは息を整えるかのような小休止の間があることに気づきます。やがて群れの中の一ぴきが潜るとまるで連鎖反応のように次々と潜り出す様子は見ていておかしくまた楽しい時間です。吟行で句を詠む修練の一つとして「忍耐」があります。時間をかけて対象物と心を通わせることで見えてくる世界があるということに気づけば一人前の俳人になった証です。
昨今の花火セットは打ち上げものとかもあり日増しに豪華になっているが、私たちの子供の頃は線香花火とか地面を走り回るネズミ花火とかが主流であった。幼子たちは怖がったり緊張して花火を持つ手が揺れるのでいよいよこれからというときに佳境となった火玉を落としてしまうのである。何度も失敗するのを見ていたお母さんがそっとやさしく手を添えてくれたことをいまも覚えています。
社会人現役のころ接待で大阪の屋形船での船料理を体験した。"ネオン" という措辞を使うことで大都会の夜涼風景であることと、海ではなくて都会を流れる運河のような川であることが解ると思った。水面は強風で波立つほどではなく、かと言って鏡凪でもないということ。"水ゆれて" の措辞でその辺りの微妙な感じが伝わったら成功だと思う。昼間の喧騒とは違った夏の夜の都会の表情を詠みたかったのである。
ゴロゴロと遠雷が鳴りひびきほつほつと雨も降り出した。「だんだん近づいてくる」ような予感がしたかと思う間もなくいきなり閃光が走るやいなや矢のような雨がバケツをひっくり返したように変わったのである。
播磨灘の沖の水平線からぶ鉛のような梅雨空とは別に真黒な暗雲が湧き上がって、まるで押し寄せる怒涛のように近づいてきます。ただならぬ様相に不安が広がるのです。いま思えば東北大地震で太平洋の遥か沖から押し寄せる大津波の映像を思い出します。
雁行ということばは建築用語として使い慣れていたので紫峡選にぶつけてみたのでした。菖蒲池などでは単調ないっぽんみちではなくて変化をつけることで風情を醸しまします。湿原などの木道でも時々見かける形態だと思います。
王寺動物園のペンギン館で気をつけの姿勢で横列しているペンギンたちの姿がとても愛らしく涼しさを感じました。原句は「表敬並びして涼し」だったのですが青畝師の添削で「表敬並び涼しさよ」になりました。添削の意図についてはいまだに合点できていないのですが、ペンギンたちが意図して表敬並びするはずはなく、たまたまそんな感じだったので、そういう添削になったのかなと思います。
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