あひる:霜柱を崩したのは、小さな子どもの長靴のような気がしました。子どもの頃、土を持ち上げる霜柱をシャリシャリと踏んで遊んでいました。この句の場合は癇癪をおこした子どもが、霜柱の上で地団駄を踏んでいるのでしょう。霜柱が潰れる時の足裏の感覚、そして音は小気味よいものです。ですから癇癪もいくらかおさまったことでしょう。崩された霜柱に小さな胸の内がありありと表れているようです。

えいいち:幾度も地を踏んで霜柱が崩れている様子を詠んだ句だと思います。靴が崩したということなので崩れた霜柱の周囲に幾度も踏みしめたような靴跡が残っている、ということだと思います。この靴跡を観察するとそれは子供のサイズであり寒さしのぎに地団駄を踏んでいたのか、寒くて登校をぐずって地団駄していたのか、悩むところですが霜柱と地団駄の靴跡が冬の朝の寒さを感じさせてくれます。

せいじ:霜柱が三冬の季語。寒さのせいか、悔しいことでもあったのか、地団駄を踏んだのは作者のようでもあるし、あるいは、子どものような第三者かもしれない。「地団駄の靴」という省略が巧みで、短い詩の中に、地団駄を踏んだ者が靴を履いていたという情報も入っている。一方、靴が主語となっているので、地団駄を踏んだら靴が勝手に霜柱を崩したとも読むことができ、仮にそうだとすると、靴への無邪気な責任転嫁がまた面白いと思った。

むべ:「霜柱」が三冬の季語。硬い靴底で地面を蹴ったところ、ザリザリと霜柱が崩れた音がして、持ち上がった地面も下がり、霜柱が姿を現しました。地団駄を踏んでいるのは作者ではなく作者の身近な人かもしれません。寒い冬の朝の光景を思わせます。