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南上加代子句集紹介

入り乱れながらそよげる牡丹かな 合評を投稿

南上加代子  

(いりみだれながらそよげるぼたんかな)

合評
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花吹雪孤独の我をつつみけり 合評を投稿

南上加代子  

(はなふぶきこどくのわれをつつみけり)

合評
  • 花吹雪に癒されているのか、逆に孤独感が増しているのかどちらにも取れそうです。ここはあえて孤独と書いていますし、花吹雪に癒されたと思いたいです。 (素秀)
  • 花吹雪が春の季語。孤独という抽象的な言葉が花吹雪という具体的なものによって現実味を帯びてくる。しかし、花吹雪に包まれて自分はもはや孤独ではない。ふと何か暖かいものに包み込まれているように感じたのだと思う。 (せいじ)
  • 桜が満開を過ぎ花吹雪の頃、連れ合いを無くした吾を包んだ。満開も綺麗だ良い物だ。良い物だ。 (宏虎)
  • 夫と死別して孤独の感傷に浸っている。花の命は短いので美しくもあり悲しくもあります。 (豊実)

つなぐ手を解きて拾ひぬ桜貝 合評を投稿

南上加代子  

(つなぐてをときてひらひぬさくらがひ)

桜貝は、春の貝拾いの季語の派生版として俳句ではよく使われる。恋にまつわる句もあるが普通に探してザクザクと見つかるものではないので見つけると縁起物ものとして重宝される。普通の小貝を一度漂白して着色し土産物として売られているものあるらしい。手をつないいでいたのを子供同士あるいは親子と見るかはたまた夫婦と見るかいろいろ情景が変わってくるが恋人同士と見るとロマンチックな句となる。小さい桜貝を見つけた瞬間の動作をとらえているところがうまいと思う。

合評
  • 親子かカップルかとなるとパッと浮かんだのは親子の方です。子供の方が桜貝を見つけた時に、手を振り解いて拾いそうです。 (素秀)
  • 桜貝が春の季語であるから、桜貝が沢山あることに主眼が置かれているような気がする。仲のよい二人が手を繋いで浜辺を散策していると、桜貝が沢山落ちているのに出くわした。あそこにもある、そこにもある、といった具合に、二人離れて桜貝をたくさん拾ったのではなかろうか。 (せいじ)
  • 恐らく母と子が海岸を散歩していて.ふと子が桜貝を見つけつなぐ手を離して拾った。と言う句で親子のなにげ無い一場面である。 (宏虎)
  • これはロマンチックな風景ですね。海岸を手をつないで散歩しているカップル。彼女が足下に桜貝を見つけて、その手を離して拾う。二人の会話が聞こえてきそうです。 (豊実)

雪片のとびつく蟹は脚を曲ぐ 合評を投稿

南上加代子  

(せつぺんのとびつくかにはあしをまぐ)

わかりやすい句だか表面的な鑑賞で終わってはいけない。雪が降っている状況なので市場やテントで売られているので素秀解の通り、漁港での水揚げ風景と見る。蟹は山陰の香住あたりも有名だが、「雪片の…」と詠まれると越前あたりのボタン雪の雰囲気かも知れない。特に着目したいのは「脚を曲ぐ」の措辞である。「雪片のとびつく蟹の動きをり」とは詠めても、「脚を曲ぐ」と写生するのは非凡なことなのである。これによってまだ動いている活きのよい蟹であることも分かる。且つ、「脚曲がる」という結果ではなく、いままさに動いている瞬間の「曲ぐ」なのである。誰にでも詠めそうな句であるが、平明さの中に多くの学ぶべきポイントが隠されている。

合評
  • これは港か船上での光景でしょうか。上がったばかりの蟹に雪が降って大きな結晶になっていく。蟹はゆっくり脚を振っているばかり。 (素秀)
  • 目に見える程大きな雪の結晶が蟹の甲羅に落ちてひっついた。蟹は寒さに震えるかのように脚を曲げて身を小さくした。 (豊実)
  • この蟹はずわい蟹で冬の季語ではないかと思う。トロ箱に脚を曲げて窮屈そうに入れられている蟹に、湿気のあるぼた雪のような雪片がくっつくように激しく降り注いでいる雪の港の情景を想像した。 (せいじ)

五人囃子いかなる楽を奏すらん 合評を投稿

南上加代子  

(ごにんばやしいかなるがくをそうすらん)

なんでもないことであるが、雛人形を眺めながらふとそう感じたことをそのまま十七文字にしたという句である。無心に対象物を観察し心を遊ばせることで見えないものが見え、聞こえない楽が聞こえるのだと教えられた。作者の心は人形の世界からいにしえの時代へとタイムスリップして想像をふくらませているのである。私達も幼い時代にはこのような好奇心を抱いたと思う。理屈や固定概念を捨てて句を詠むことの大切さを学びたい。

合評
  • 雛人形を見ながら色々な想像をしているようです。他の人形は黙って座っているでしょうから、唯一音を出すであろう五人囃子の奏でる曲を思うのは楽しそうです。 (素秀)
  • 五人囃子が春の季語。ひな壇に、地歌・笛・小鼓・大鼓・太鼓の五人囃子が並んでいるが、どのような楽を奏でるのか、確かに聞いたことがない。面白いことに気が付いたものである。 (せいじ)
  • お雛様で五人囃子は雛壇の上に飾ってある、お二人の結婚を祝うための演奏で左から、締太鼓、太鼓、小鼓、笛、謡の順だそうです。和やかな空気が流れ、謡の高砂か鶴亀を吟じておられるのでしょう。 (宏虎)
  • 「いかなる楽を奏すらん 」と言いながらも、既に頭の中には雅な五人囃子の様々な音楽が流れているのでしょう。 (豊実)

墨雛に侍べらかしむる有馬筆 合評を投稿

南上加代子  

(すみびなにはべらかしむるありまふで)

墨雛は普通内裏雛なのでその傍らに三人冠者に模して有馬筆人形も一緒に飾られていたのである。広島の品女さん宅にお招きを受けた時、床の間に青畝師からのプレゼントだという墨雛が飾られあったのを見たことがある。決して綺麗という感じのものではないが風流に遊ぶ俳人の心が伝わってきた。揚句は多分西宮の青畝邸かつらぎ庵を訪ねた時の作品かと思う。お正月には投扇興を飾ったりとか昔の遊びには殊に風情がある。新しさを追求することは良いことだけれど私達俳人は温故知新の心も大切にしたいと思う。

合評
  • 墨雛が有馬筆を侍らせている、作者の気持ちとしては墨雛の方を格上に見ているようです。ひな祭りの時期なので主役は墨雛だと言う事でしょう。 (素秀)
  • 有馬筆は室町時代から伝統があり、兵庫県から重要無形文化財に指定されてをリます。穂先を下に向けると軸の上部から人形が飛び出してくるからくり型。後は豊実さんと同じです。 (宏虎)
  • 墨雛が春の季語。「墨雛に似合ひの硯置きにけり」という句が前にあったが、この墨雛も観賞用のものであって、その高級な墨人形の周りに数本の有馬筆が侍女のように立てて置かれていたのではないかと思った。有馬筆は立てると軸尾から可愛い雛人形が出てくるとのことであるから、まさに侍女のように見えたことであろう。 (せいじ)
  • 有馬筆とは軸の上端から人形が飛び出すからくりがある筆ですね。墨雛の周りに有馬筆を侍べらかさせて、作者が人形遊びをして楽しんでいるように思いました。 (豊実)

聖夜待つ世界のワイン並びけり 合評を投稿

南上加代子  

(せいやまつせかいのワインならびけり)

宗教行事をモチーフとした俳句は、その内容が憑きすぎてもいけないし、逆に離れすぎると季語が動く。つかず離れずの微妙さを捉えることが成否の分かれ道となる。正しい宗教的見識なくして安易に詠むと陳腐極まりないものになりやすい。せいじ解にあるように聖書にはいろいろなシーンでワイン、ぶどう酒が登場する。また礼拝の中で行われる聖餐式では十字架で流されたキリストの血潮としてぶどう酒が配られる(実際はぶどうジュースであることが多い)。

揚句のシーンは、素秀解、豊実解のとおり、宗教的な意義とはやや異なるクリスマスパーティーの写生と思われるが、聖書は全世界の国々でベストセラーと言われるところから、「世界のワイン」という措辞が聖夜という季語に対してつかず離れずの関係を醸していると言えよう。

合評
  • レストランのワインセラーですね。誕生をワインも祝っているようです。 (素秀)
  • 聖夜が冬の季語。合評とは少し離れるかもしれませんが、礼拝におけてワインはイエス・キリストの生命ですから、世界中の人々がそれぞれの晩餐においてキリストの誕生を待ちわびているような気にさせられました。 (せいじ)
  • 高級レストランのワインセラーの情景かと思いました。聖夜のパーティーが楽しみです。 (豊実) - 2021/10/18(月)

一卓に積む贈物クリスマス 合評を投稿

南上加代子  

(いつたくにつむおくりものクリスマス)

「積む」という措辞から山なりになるほどの贈物だと思うので家族ではなくてそこそこの人数が集まるクリスマスパーティーであることが分かる。またそれは会場の中央に置かれた卓の上でみながそれを囲んでこれから始まる交換会のくじ引きを笑顔で待っている人々の顔も浮かんでくる。多くのことを説明しないでで省略し、きるだけ焦点を絞りこんだ写生術によってかえってその周辺の景や雰囲気をより具体的に連想させるという作風を学び取りたい。

合評
  • 教会でのクリスマス会でしょうか。みんなが持ち寄ったプレゼントがテーブルに集められています。これからくじ引きが始まるようです。 (素秀)
  • それぞれに当てたクリスマスプレゼントや、教会に当てた物もあろうかと想われますが、それらが一つのテーブルに積み上げられている。傍には着飾ったクリスチャンが談笑している。又は美味しいご馳走を食べている。 (宏虎)
  • クリスマスが冬の季語。家族のクリスマスプレゼントは普通ツリーの根元に置いておくものだが、これは子どもたちのためのクリスマスパーティーの模様であろう。大人や子どもが持ち寄ったプレゼントを一つのテーブルの上にどんどんと積み重ねていっている、現在進行形の句ではないかと思った。 (せいじ)
  • クリパでのプレゼント交換だろうと思いました。一つの机にみんなが持ち寄った番号付けされたプレゼントが山積みになっている。自分にはどれが当たるかなとワクワクしている。 (豊実)

灰皿を汚す女や年忘 合評を投稿

南上加代子  

(はいざらをよごすをんなやとしわすれ)

この句は女性目線での軽い嫌悪感というものを感じさせる作品だと思う。作者自身が描いている女性としての立ち居振る舞いとしてあるまじき行動をしている女性の姿を客観写生してあるだけの作品であるのにどことなく隠された作者の心象が伝わってくるのは熟達した省略の力であろう。企業のそれも顧客を招いての年忘れの宴の華として用意されたホステスの感じがする。

合評
  • 当時は煙草を吸う女性は少なかったのではないでしょうか?賑やかな忘年会で、女性が大胆に煙草を吸っている様子を想像しました。 (豊実)
  • 喫煙がはしたないなどと言われていた時代かも知れません。年忘れの今夜ばかりは遠慮なく煙を吐いているようです。 (素秀)
  • 年忘が冬の季語。忘年会は無礼講だから、日ごろは淑やかな女性たちも男性に伍して煙草を吸って灰皿がいっぱいになっているのであろう。「女」は作者自身とも他の女性たちともとれるが、嫌悪感を感じつつも、そうせざるを得ない心の闇をにおわせている。今年の垢はすべて落としてしまおう。年忘れなんだから。 (せいじ)

ナフキンは直立聖夜待つ卓に 合評を投稿

南上加代子  

(ナフキンはちよくりつせいやまつたくに)

せいじ解のとおり高級レストランでのクリスマスディナーでしょう。格調高い雰囲気が感じられます。これから始まろうとる宴の前の緊張感をうまく捉えた写生句だと思う。「直立」というやや堅苦しい措辞の斡旋によってこの句が活かされていることに気づきたい。

合評
  • 「ナフキンは直立」い言うだけで、真っ白で清潔なナフキンが綺麗に三角に折り畳まれているのが目に浮かびました。 (豊実)
  • クリスマスを控えて教会では準備に大わらわである。ナフキンは清潔に洗はれ、お客さんを待つテーブル立っている。銀のスプーンやお皿も並べてあろう。本番の聖夜はどんなご馳走が出るか楽しみだ。 (宏虎)
  • 聖夜が冬の季語。三角に折り畳んだ白いナフキンが白い皿の上に立てて置かれている。クリスマスディナーの始まる前のテーブルの様子から、特別な夜の楽しいひとときが予感させられる。 (せいじ)

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