むべ:「冬日」が三冬の季語。作者はおそらく動物好きで、中でも猫にはとても愛着があるように思います。(たまという茶虎猫を小学生の頃飼っていたそうです。)この句では、冬日が広がるさまが、まるで猫の瞳孔が開くようだというたとえが新鮮です。寒い季節に日光で暖かい場所があるととてもうれしくなります。猫の瞳孔の開くスピードがわからないのですが、じわじわと開いていくのだとすれば、暖かい場所の面積も、太陽の高度によってじわじわと広がっていくのかもしれませんね。

せいじ:冬日が三冬の季語。冬の日の表情はさまざまであって、曇った薄日のときはほの白く濁って見えるが、晴れたときには目に痛いほどまぶしく見える。したがってこの句は、曇っていた空が急に晴れて冬日が広がり、町中の見えるものすべてがきらきらと光り輝いていますよ、という意味であろう。猫を愛しいつもよく猫を観察している作者は、この景色の変化を、明るさによって大きさが変わる猫の目の動きに似ていると感じたのではないだろうか。

えいいち:猫の瞳は日光に敏感に反応して細くなったり太くなったりします。光量の調整ではあるのですが弱々しい日差しの冬の日にあたかも日の温もりを欲するかのように猫の目が変化していると作者感じたのでしょう。猫の目という一見無縁に思えるもので冬日という季節感を詩的に表現しているところが素晴らしいと思います。

あひる:冬日が三冬の季語。冬の日差しの広がりを、猫の目と感じたところがユニークで、この句の魅力となっていると思います。猫の目の瞳孔は縦長で、目に入る光の量によってじわりと広がったり、閉じたりします。ふと気が付くと、冬の日差しがじわりと広がって、庭か縁側にいた作者をやさしく包んでいたのでしょう。そばに愛猫が居たかもしれません。