えいじ:「真葛原」は、三秋の季語です。葛の葉に覆われた野原を秋風がぬぐうように吹いて、ある部分だけ低くなった、まさに、凹んでいる情景を詠まれたのだと思います。「凹みぬ」を「くぼみぬ」ではなくて、「へこみぬ」と読むところに軽いユーモアもあって、作者が見た情景をよく表していると感じました。宜しくお願いいたします。

えいいち:群生する葛の葉の上をさぁっと風が吹いてゆくその時、葛の葉がぐんと凹み沈んだ、この瞬間に姿の無い風が目に見えたように感じます。肌で感じる風、目に見える風と立体的な一瞬の自然の光景が浮かびます。また植物に明るい人ならさらに風に乗った葛の匂いまでも感じられるかもしれない、そう思うと自然の生命を益々感じます。

せいじ:真葛原が三秋の季語。真葛原は葛の大きな葉っぱが重なり合ってシーツのように一面に広がっているので、ひとかたまりの風が吹きつけると風のあたったところがシーツが凹むように凹む。この情景を表現するのはなかなか難しいが、「一刷の風に凹みぬ」はなるほどと思わせるうまい表現である。

あひる:近くの淀の河川敷も、秋には木も草も葛に覆い尽くされて真葛原になります。風は広々とした真葛原に一様に吹くのではなく、局所的な吹き方をするのでしょう。一部分が凹んだところを見逃さず句に読み込んでいます。じっと、長い時間見ていてこそ出合った風景かと思いました。

むべ:「真葛原」が三秋の「葛」の子季語。この季語を使うことによって、遠景でとらえた一面の葛の原を想像できます。「一刷の風」とこの句でも助数詞が目を引きます。一刷の意味は軽くぬぐうことだそうです。風の通り道にそって葛の葉が凹んだように見え、その瞬間をとらえた一句だと思います。まるで、万葉の代にタイムスリップしたかのようです。