あひる:たまたま那智の滝がテレビに大映しされ、よく見るとまさに一刀彫のような荒々しい岩肌でした。作者の観察眼は岩を走るひびを見逃さず、また巖というけわしい雰囲気の字を用いて表現しています。滝の水ではなく後ろの巖を詠むことで、真っ直ぐに流れ落ちる水と飛沫と涼しさを立体的に感じさせていると思いました。

むべ:「滝」が三夏の季語。一刀彫で刻んだように、荒削りの自然の造形美を見せてくれる岩肌。そこを流れ落ちる水。「ひび走る」という措辞に視覚的な迫力、滝のスピード感や音などを感じます。また、「巌」という漢字は険しい高い場所のイメージで、世俗を寄せ付けない崇高さも感じました。

えいいち:夏の滝を見ている。険しい崖を真っ直ぐに砕け落ちる滝の主流は白く光る一刀に見え、その崖を一刀彫りしているかのようである。さらに主流の脇からは岩のでこぼこに添って細く水の筋が流れている。その筋は時に白くなり透明になりまるで一刀彫をしている岩にひびが入っていくように見えるではないか、そんな夏の涼しげでダイナミックな光景が目に浮かびます。

えいじ:「滝」は、三夏の季語です。滝が落ちてくる角張ったがけには、一刀彫のような荒彫りの痕跡があり、それは裂け目のように見える、というのが句意だと思います。ひょっとすると、滝の水は、その荒彫りされた裂け目に入り込んでいるのかもしれません。滝の流れと荒彫りされた崖の存在感が、読み手に大きく強く迫ってくる句だと思います。宜しくお願いいたします。

せいじ:滝が三夏の季語。一刀彫りとは、一本の小刀で素朴な荒削りを施す木彫りの一技法とのこと。小刀の粗い痕跡が作品に残っている。滝が流れ落ちる岩盤は、裂け目のない大きな一枚岩のように見えるが、よく見るとわずかにひび割れのような形跡があるのだろう。そのひび割れを、一刀彫りにたとえて、滝という刀が岩盤という素材を荒々しく削った痕跡だと見たのではないだろうか。よく思いついたものである。