あひる:「風意地悪」は以前添削して頂いた句で初めて知りました。その時は「風意地悪きな粉飛ばされ草だんご」でした。客観写生を目指しながらも、対象物に明るく温かい眼差しを持って、こんな表現が出来るのかと学びました。噴水の水で濡れたにもかかわらず、これは洗礼だとユーモアでまとめています。

せいじ:噴水が三夏の季語。風が吹いて噴水の水しぶきがかかった。それを、風に意志があるかのように、風の意地悪としたところが面白い。風はしばしば神の霊、神の息とされるから、神の茶目っ気を感じたのかもしれない。

むべ:「噴水」が三夏の季語。上五でえ?なに?と興味をそそられました。風を擬人化し意地悪とは?そして中七から下五にかけて一気に疑問が解ける構造になっています。急に風が吹いて、気を抜いていたら吹き上げた噴水が作者の方へ飛んできたことがわかります。アクシデントを受洗に譬えているのはキリスト者の作者ならではでしょう。ところで、洗礼スタイルは宗派・教派によりさまざまで、全身浴槽みたいなところへ入る浸礼、頭部にかぶる灌(水)礼、授洗者が手で頭部に水をつける滴礼などがあります。ここでは、作者はおそらくしたたかに濡れてしまったような気がします……