エッセイ集 Vol.2 / やまだみのる

黙祷


【蝉時雨(せみしぐれ)・夏・昆虫】

黙祷の一分間や蝉時雨

わたしの妻は被爆二世である。

帰省ついでに、ときどき平和公園を訪れて鎮魂碑を巡る。 半世紀を経て美しい緑の楽園となった公園には、観光客や修学旅行生たちが屯している。 当時の想像を絶する悲惨さは、原爆ドームや記念館の資料でしか計り知ることは出来ないけれど、 決して忘れてはならないと思う。そして、後世の子供たちにも伝えて行かねばならないと…

猛暑の8月6日、今年も広島原爆記念の日がやってきた。 過ちは繰り返さないと、平和宣言のたびに誓いながら、なお核実験を繰り返す人間の愚かさ、弱さを思う。

神はいつまで許されるのだろうか…

黙祷 異な草 不即不離 啓蟄 秋灯下 大秋晴 端居 緑陰 冬芽 炉埃 おでん酒


異な草


【草引(くさひき)・夏・人事】   

異な草と抜きて吾妹に叱らるる

夕べの激しい雨が嘘のように晴れた。

目を覚ますと妻は庭の草引きに余念がない。「手伝って!」と促されて渋々庭へ出る。 蒔かず肥料もやらないのにどうして草はこんなに元気がいいのだろう・・・ などと余計なことを考えていると突然悲鳴が上がった。 どうやら抜いてはいけないものまで引いてしまったらしい。

「ごめ・ん・・・」

悪戯をして母親に叱られた腕白少年のように意気消沈。妻はしばらくご機嫌斜めだった。 わたしの落胆ぶりが母性をくすぐったのか、ややあって「ご苦労様!」と好物のお饅頭がでた。

二人でお茶をすすりながら園芸図鑑でお勉強。「ふむふむ・・」

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不即不離


【道をしへ(みちをしへ)・夏・昆虫】   

不即不離心得てをり道をしへ

人間関係はガラス細工のように脆い。

ちょっとした誤解や行違いで直ぐに壊れる。特に信頼していた人に裏切られたとき、どうしようもないほど哀しくなる。傷心を慰めようと山道を散策していると斑猫に出会った。

近ずくと「合点!」とばかりに数メートル先へジャンプしては振り向く。

繰り返されるその動作は人付き合いの極意を教えてくれているようで、じっと見ているうちに何だか拘りが消えてきて塞いだ気持ちが和んできた。

人の口から出ることばは、ときに凶器となって人を傷つけることもある。

野の花や小動物はことばは持たないしお喋りもしないけれど、その健気な営みを通して私たちに慰めと知恵を与えてくれるのだ。天地万物を創造された神様はすごいと思う。

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啓蟄の大地


【啓蟄(けいちつ)・春・時候】   

啓蟄の大地漫画の描かれけり

昨今は漫画隆盛の時代となった。

私達はタンクローやノラクロに夢を馳せた世代である。今ならドラエモンやアンパンマンであろうか。新しいキャラクターが次から次へと現れる。

あたたかい陽射しに誘われて近くの公園まで足を伸ばすとベンチに先客があった。お孫さんとおじいちゃんのようだ。幼子は何やら一生懸命地面に漫画を描いて説明しているのだけれど、おじいちゃんはニコニコ笑っているだけで通じないらしい。

この平和がいつまでも続くことを祈るばかりである。

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秋灯下


【灯火親し(とうかしたし)・秋・生活】   

妻と吾の灯火親しむ趣味は別

ようやく朝夕が涼しくなり、たそがれ時になるとほっとする。

テレビの紀行番組を家内と二人でよく見る。旅行好きな彼女は、いままでに訪ねた場所が紹介されると思い出話をしながら今度は二人で行きましょうと必ず言う。出不精なわたしが生返事をすると機嫌が悪くなる。

そのうちに彼女は書斎代わりの食卓の上で何やら書き物をはじめた。私も隣の自分の部屋に移動して頼まれていた原稿を書き始める。子育て時代を卒業してからは、それぞれ自由に過ごせる時間を尊重しあうようになった。

1982年夫婦揃って受洗、クリスチャンになって一緒に祈ることが日課になった。信じている神様は同じだが趣味や体験はもちろん違う。自分たちが授かった賜物を活かして、神様のお役に立つことが出来ればこれ以上の幸せはないと思う。

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大秋晴


【秋晴(あきばれ)・秋・時候】   

大秋晴水平線の撓みけり

今朝の須磨浦は、波の子もなく洋々とした景を展けている。

底抜けに澄んだ青空が広がり一点の穢れもない。海はまたその色を映して深い深い藍を湛えている。紛れもなく大秋晴。工業化でスモッグが立ちこめる瀬戸内では、一年を通じてはっきりと水平線を認められる日は滅多にない。だが、この日は実に180度のパノラマで見渡せるのだ。

水平だから水平線と呼ぶのは当たり前だが、錯覚で左右の視界の限界では撓んで見えることに気づいた。俳句は理屈ではなく心の目で写生する。

この一句を授かって先生に誉められたとき、一つの壁を越えられたような気がして嬉しかった。

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端居


【端居(はしい)・夏・生活】   

端居して一雨ほしき夕べかな

結婚して、子供が産まれて、そしてマイホームを建てた。

高度成長期であったから不安はなかったけれど、教育費や住宅ローンの返済のために働いているようなもの。悪戯に忙しい日々を重ねるだけの人生で満足なんだろうか、黄昏どきになると何となく心が落ち着かず、虚しさが募ってくる。

自分の存在価値は一体何なの? 老後はどうなるの? 死後の世界は…… 次々と不安が襲ってきて気持ちが塞ぐ。

夕端居しながら、そんなふうに悩んだ若かりし頃を回想していた。

星野富弘さんのことをテレビで知って家族で教会へ集うようになった。聖書の神様を信じるようになってからは生かされている自分を実感しながら、明日への希望を持って夕日を眺めることが出来るようになった。

ふと我に返るとテレビは琵琶湖の水位低下を警告している。

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緑陰の棋士


【緑陰(りょくいん)・夏・植物】   

緑蔭の棋士は王手をさしにけり

遊歩道のあちこちに「非核宣言都市」と書かれた白い標が立っている。

爆心地であった広島の平和公園は緑が生い茂り、市民の憩いのオアシスとなっている。被災者の冥福を祈って植樹された一樹一樹も、いまは大樹となって、よき緑蔭をつくっている。

その下では茣蓙を敷き、あるいはベンチで老人たちが囲碁や将棋に興じて余念がない。旅行者たちがまたそれを覗き込んで外野席も賑やかだ。

このような平和を得るために半世紀という気の遠くなるような長い時間が必要だった。でも、この平和が壊れて修羅場と化すのは一瞬である。

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冬芽


【冬芽(ふゆめ)・冬・植物】   

玻璃窓をノックしてをる冬芽かな

粗大ゴミにはなりたくない。

と思いつつ、家内が掃除を始めると何となく居心地が悪くなる。

自宅から車で10分ほどの距離に須磨浦公園がある。家に篭っていたのでは俳句が出来ないと、勇んで吟行に出たものの、冷たい海風が容赦なく吹き付け、結局1時間と持たずに異人館風の観光ホテルへエスケープ。

あつあつの甘酒をすすりながら一息ついた。窓の外には桜木立があるが、今はすっかり裸木となって、その梢越しに須磨の海が展けている。白い三角波が風に立ち騒ぎ、万の白兎が跳んでいるようだ。

ふと気づくと、桜の枝が海風に揺れてこつこつとガラス窓を叩いている。時折雲間から洩れる陽射しに、たくさんの冬芽がほのかな紅色に輝いて美しい。健気なその情景に生命の尊厳を覚えていた。

「ただいま!」元気をもらって無事帰宅すると、

「お帰り!」と妻の声。なんだかほっとした。

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炉の埃


【炉(ろ)・冬・人事】   

炉の埃天井遊泳して落ちず

真っ白な仙人髭をたずさえたあるじは卆寿だという。

ダム建設で水底となる旧家が移築され千年家史跡として公開されている。煤光りする大きな梁、両手で一抱えしても足りないほどの大黒柱、 その柱についている刀傷には謂れがあるという。

広い板畳の部屋の真ん中には泰然と大炉があって、いにしえの生活ぶりを偲ばせてくれる。

先祖代代の系図や古文書なども広げて縷々説明を受ける。確かな口調だった。屋敷裏に回ると、土壁には心ない落書きが無数にあった。見学者の悪戯だそうで、若者たちのマナーの悪さを嘆かう翁の表情が印象に残った。

数年が経って再び訪ねたが、老翁の姿はなかった。

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おでん酒


【おでん(おでん)・冬・人事】   

おでん酒企業戦士の彼悼む

突然の訃報に思わず神様を疑った。

俳句仲間で親友だった彼は銀行勤めで一歳年下。企業の泥戦の中で毒されているぼくに比べて、真面目で誠実な彼の性格は一服の清涼剤のような存在であった。バブル景気がはじけてから仕事が大変になったらしくほとんど会えなくなり、やがて不良債権処理のために故郷の四国へ転勤になったという情報が入ったのも人伝えであった。

安否が気になりながらも音信のない日々が続いていたが、突然俳句結社の事務所から急逝の連絡が入って仰愕、幻でも見ているような気持ちで車を飛ばし、彼の実家を弔問した。

故人の思い出を語りながら、お父さんは自分の背中の傷跡を見せてくださった。戦禍の名残だそうだ。腰に挿していた軍刀のつばに流れ弾が当って助かったことや、二度、三度と九死に一生を得た体験を話して下さった。

平和なこの時代にどうして息子が…。逆縁の運命を呪われて絶句された。

わたしはお父さんを慰めてあげる言葉が見つからなかった。

黙祷 異な草 不即不離 啓蟄 秋灯下 大秋晴 端居 緑陰 冬芽 炉埃 おでん酒

一篇の詩が癒やしを与え明日への力に変えてくれる。そのような作品づくりでありたいと願っています。

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