あひる:夏、木陰の縁台で将棋をさしている二人、それを取り巻く数人の人が目に浮かびます。一人が王手をさし、皆が「ああっ」とざわめきます。王手をさした人、さされた人、それを面白おかしく見ている人、三者三様の心の動きや表情が、木漏れ日の揺れる「緑蔭」という季語によく合っているように思いました。

えいじ:「緑陰」は、三夏の季語です。歳時記には、緑が茂った木立の陰とあります。夏とは思えぬ涼しさと木漏れ日のなかで縁台将棋が行われていて、今、王手がさされ、勝負に決着(けり)がつきました、という句だと思います。「棋士」というからには、自称手練れ同士の熱き戦いであった、との雰囲気も伝わってきます。宜しくお願いいたします。

えいいち:季語は緑陰の夏。「緑陰の棋士は」と詠むことでその時の天気、場所、時間、周囲の状況が一体となってパッと想像できます。「緑陰の棋士」という精悍な響きと「さしにけり」という詠嘆がこの日の対局の臨場感を増していると思います。

せいじ:緑陰が三夏の季語。王手とあるから囲碁ではなく将棋とわかる。縁台将棋の棋士はその辺の年寄りであろう。タイガースの帽子が似合いそうだ。「王手をさしにけり」に臨場感があり、緑陰に「王手!」という大きな声が響きわたっているようだ。

むべ:「緑陰(蔭)」が三夏の季語。「緑陰の棋士」という措辞だけで、下町の庭先や路地に置かれた縁台、そこに座る二人が睨んでいる将棋盤などが、一気に絵として立ち上がってきました。そして「王手をさしにけり」という詠嘆で、勝負あったとわかります。作者はギャラリーのひとりだったのか、緑陰の棋士その人だったのか、あるいは、対局相手だったのか……また、緑陰の棋士が少年で対局相手がおじいちゃんだったなら……などと想像が膨らみます。緑陰でくつろぐ人々の夏のひと日が愛おしい一句。