あひる:あめんぼ、雨と続く「あめ」という繰り返しがテンポを作っているようです。あめんぼからも、雨からも水輪が作り出されてテンポが目にも見えるようです。混乱すという措辞は率直で面白いと思いました。そのとおりだと!

むべ:「あめんぼ」が三夏の季語。この季語と雨、水輪という言葉はとても相性が良いと感じます。あめんぼが作った水輪に、雨滴が作った水輪が混ざって、ふだんはひっそりと静かな湖沼の水面が、賑々しく変化するさまをとらえています。通り雨のような、ふいの天候の急変が想像されました。

えいじ:「あめんぼ」は、三夏の季語です。池に浮かんで滑っているあめんぼを見ていたら、雨が降り出して、池に見えている波紋があめんぼのものか、雨によるものか、入り乱れてしまって訳が分からなくなりました、という句だと思います。雨は、ぽつりぽつりと降り出したので、あめんぼの水輪との区別がつかなくなったのでしょう。この句は、誰にでもすぐに暗唱できて良い句だと思います。

せいじ:あめんぼが三夏の季語。あめんぼの作る水輪がゆっくりと広がる穏やかな池に、雨が急に降ってきた。夕立かもしれない。雨の水輪は激しく広がるので、まさに混乱に陥ったという印象を受けたのであろう。水輪が入り乱れた状態を「混乱す」と表現したところが新鮮である。あめんぼ自身も右往左往したに違いない。

えいいち:アメンボが夏の季語。ストレートに鑑賞するとアメンボの泳ぐ足の水輪とそぼ降る雨の水輪が区別が付かないなあ、という雨の中のアメンボということになると思うのですが、私の子ども頃の経験ではアメンボは結構穏やかな日に眺めていました。そう考えていたら、とふっと情景が見えてきました。雨粒が落ちた瞬間とアメンボの浮いている時の足元の水面の凹みが同じように見えてきます。作者はアメンボの足が雨粒のように感じたのではないでしょうか。そうして作者はその一瞬の水面の形状の酷似に雨降りかと困惑したのではないかと思います。