あひる:晩夏、九州の高原にある広々とした蓮畑に行った日を思い出しました。中に真っ直ぐ歩板が設えてあり、それ以外は蓮で埋め尽くされていました。「立錐の余地」という措辞で、真っ直ぐな蓮の茎、続いて大きく上を向いた葉、艶やかな花、涼やかな風を連想しました。
えいいち:蓮の池が晩夏の季語。季語・諺・切れ字で作られた句ですが、池一杯に立ち並ぶ緑の葉と薄桃色の花の見事で美しい光景が目に浮かびます。作者は池を見た瞬間に「立錐の余地もなし!」と閃いたのではないかと思いました。
せいじ:蓮池が晩夏の季語。池の水が見えないほどに蓮が密集して葉を広げ花を咲かせている蓮池の様子が目に浮かぶ。俳句という短い詩においては、立錐の余地なしのような的確な言葉の選択が大切であることがよくわかる。
むべ:「蓮の池」が晩夏「蓮」の子季語。蓮の個体ではなく、蓮池全体を眺めたやや遠景の句です。「立錐の余地もない」ほど蓮の花や葉で池面が覆われ、その見事な景色が下五「なかりけり」によく表れています。夏という季節を思いきり咲いている蓮たちに、作者は圧倒されたのではないでしょうか。