あひる:法師蝉が鳴くと、夏が終わったことに気が付きます。その上、リズムにシテとワキがあることにも気付いたようです。こうして蝉の鳴き声にもシテとワキ、鈴虫の輪唱、また雨や風の序破急、最近知ったのはヘリコプターの太鼓打ち、豊かな音の表現があるのだなあと思いました。

えいいち:「法師蝉」が初秋の季語。「シテとワキ」は主役と脇役という事で鳴き方の変化、「自づから」というのは自分自身でという意味に捉えました。蝉の名が「法師」ということから能狂言の用語を用いて鳴き声の多彩さを詠ったのだと思います。夏も終わりに近づいた頃、ツクツクボオシが鳴き始め変わって行く鳴き声を聞きながら鳴き止まぬうちに速く探そうと必死に木々を見上げた子供の頃の懐かしい蝉捕りを思い出しました。

むべ:「法師蝉」が三秋の季語。『ホトトギス季寄せ』第三版では「秋の蝉」と並んで三秋の扱いでしたが、初秋と三秋の両方があるようです。さて、シテとワキとは能の主役と相手役の演者を指す言葉。シテに向き合い、シテの演技を引き出す重要な役割を担うのがワキだそうです。とすれば、おそらく一匹(ワキ)が鳴き、呼応するようにもう一匹(シテ)が大きく目立って鳴いて…という状況ではないでしょうか。誰が配役をしたわけでもないのに、自然と役割をまっとうしていることに、作者は感じ入っているのではないでしょうか。私たちもまた、天から与えられた役割を担っていきたいと思います。

せいじ:法師蝉が初秋の季語。法師蝉を聞くとやっと秋が来たなあという感慨を催すが、その鳴き声は一つの完結した楽曲のようであって、能や狂言のシテとワキのように、何匹もの蝉が「自づから」役割を分担しているかのようである。「自づから」に摂理が感じられる。