あひる:少しひんやりとした秋の朝の風景を思いました。醜草という言葉は初めてでしたが、名のある草に対比させた印象的な表現です。秋の野のどんな草にも分け隔てなく露が降りて、朝の光を反射させているのでしょう。何気ない小さな存在を、愛情を持って眺めている作者が見えるようです。

むべ:「露」が三秋の季語。醜草とはいわゆる雑草でしょうか、名のある草と対照的に用いられていると思います。人間が良い草・悪い草と分類しているに過ぎず、すべての被造物に露がおりて、それが実に美しいのです。創造者である神への賛美をもって詠まれた句と受け取りました。

えいいち:「露」が秋の季語。この時期には昼夜の寒暖差で夜露が付きます。少し冷え込んだ朝方に其処ら中の草や葉の上に露の球がきらきらと光る美しい光景が目に浮かびます。そして句からは草や葉の姿形は違っていても露を上に乗せて光る美しさはどれも変わらないと言っているように感じます。

せいじ:露が三秋の季語。朝露が降りて草がびっしょりと濡れている。やがて消えていく露であるが、いまはどんな草の上にも露が降りている。醜草とは厳しい言い方であるが、そのような草にも目を注いでいるのである。