あひる:扇が夏の季語。何があったのか、動揺を隠そうと平静を装う人が居ます。扇子を閉じたり開いたり、はたまた取り落としたりしている人、それを、作者は観察しているのではないでしょうか。自分が動揺していては、こんな客観写生はできないかと。説明の句になりそうな情景が、全く説明の句ではない、読み手の想像を掻き立てる作品ですね。
せいじ:扇が三夏の季語。扇子だと思うが、思いがけずにこんな使い方をしてしまいましたよ、しかも失敗しましたよと、照れ隠しっぽくもどこか自慢気な気分を詠んでいる。咄嗟の目的外使用を諧謔的に捉えた面白い俳句である。
むべ:「扇」が三夏の季語。想像を搔き立てられる面白い句ですね。慌ただしく扇いでいる様子から、扇の主の動揺ぶりを描いているのですが、この句が一人称かはたまた二人称・三人称かで、味わい方もずいぶん違ってくると思うのです。一人称でしたら……自身を客観視したユーモアある一句。二人称でしたら、対話の中で作者が発した言葉に想定外の慌てぶり、あらら……という意外性が前面に出てきます。三人称でしたら、囲碁や将棋の対局中の出来事を目撃しての句かなと思います。いずれにせよ、観察眼が鍛えられます。
えいいち:「扇」が夏の季語。何かに動揺しそれを密かに隠し冷静を保とうと、それほど暑くもないのに顔の前でバタバタと扇子を仰ぐ光景が浮かびました。「扇使ひ」という措辞で作者は将棋の対局を観戦しているのではないかと思います。棋士の扇子の動きをよく観察して棋士の気持ちを察しているのだと感じました。