明石城公園の菊花展である。一、二週間ほどで終わってしまうのだが、菊主たちは毎年この時期に合わせて丹精して菊を仕立てるのである。賞の札を誇らしげに真っ直ぐに大輪を掲げている見事な菊の前に対峙すると自ずから自分自身も威儀を正して背筋が伸びる思いがするのである。
阿波野青畝師が毎年避暑にに利用されていた六甲オリエンタルホテルである。残念ながら2006年に営業停止して閉鎖され、いまは安藤忠雄設計の「風の教会」のみを残して更地となり、2018年には、神戸市の不動産業者が土地を取得して再開発検討中と報じられたが、その後の動きはない。ロビーの大玻璃越しに六甲の樹海が開けているのだがちょうどチェックアウトのタイミングで濃い霧が発生して霧の海となった。
雑木山や荒々しい岩山とは違って、手入れよく植林された深吉野の杉山はとても端正な姿をしています。秋晴れの蒼天下、くっきりとその全容が美しく見えているのです。むべ解にあるように「杉の秋」に深い意味はなく、句意としては「天高し」です。
上高地へのバス旅行の句。格安ツアーだったのでかなり強行軍のスケジュール。夜間走行になると安全運転のために消灯を促される。窓に額をつけて遠く影法師のような日本アルプスの山襖を眺めているとその上を星が流れたのである。同じように眺めていた人がいるらしく車内のあちこちで歓声が上がった。
1995年1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災が発生し、私たちの大切なものを数多く奪っていきました。あの震災から 28年が過ぎようとしています。地震発生のあとも大きな余震がやってきてしばらくはパジャマを着て寝ることなどできない日々でした。「着膨れて夜半の余震に怯えけり みのる」
ようやく落ち着いた生活が戻ってきたのは秋口を過ぎてからでした。
パラボラは波長の短いマイクロ周波数帯の通信に使われるアンテナです。 マイクロ波は直進性があるので微弱でも高効率に通信できる反面、障害物に弱いので送受対の通信で使われる企業用のものは、高層ビル等の障害を避けて山の上とか高いアンテナ塔に設置されるのです。秋の雲は湧くというよりは高空をゆっくり粛々と進むイメージを詠むとらしくなります。「ゆく雲を貫く秋の燕かな 紫峡」
「秋」ではなくて「秋を聞く」が季語です。秋気、秋意、秋の声などの類になるでしょうか。古木、喬木が天蓋をなしている薄暗い谷の奈落道です。 一見無音のような静寂のなかに佇んでいると時折吹いてくる風の音や葉擦れの音、どことなく地虫の鳴くような雰囲気、間遠に聞こえてくるせせらぎの音などなど、さまざまな渓声が聞こえてきます。忍耐して一と処に佇み雑念を払拭して心静かに五感を働かせているとこの声なき声が聞こえてくるのです。頭で考え、理屈や観念で詠もうとするとこの声は聞こえてきません。
昨今はコンバインで刈入れするので稲架を見かけることも少なくなったが、家内の実家(広島)ではいまも稲架を組んで天日干ししている。コンバインで強引に収穫したものより遥かに美味しいので、10月になると私達夫婦も老骨に鞭打って応援にかけつけ2日がかりで稲刈りをする。日中はまだ残暑が厳しいので午前中と日の傾き始める3時以降が勝負。お日様が沈んでも残照をたのみに頑張る。ようやく区切りがついてほっと安堵したころには辺りはすっかり夕帷に包まれているのである。
神戸市にある舞子墓苑の森で見つけました。反政府的な檄文が書かれた木札が櫟の大樹に釘打ちつけられているのを見て少し怒りを覚えました。 主張の内容云々の問題ではなくて命ある樹木に釘うつという無神経さにです。正しいと思うことを主張することは悪いことではなく自由だと思うが、人や自然を傷つけることに痛みを感じないような行為は決して許さるものでないし、共感も得られないと思う。。
シトー会西宮の聖母修道院 での句。南上加代子さんらとよく訪ねました。北山緑化植物園の柏堂バス停から更に二つ先の鷲林寺で下車し、さらに15分ほど歩くとひっそりとたたずむ聖母修道院がある。紅葉の季節は特に美しく癒やされるスポットである。シスター手作りのクッキーなども販売されていて楽しい。大聖堂の脇にゲストルームがありミサも見学できる。一年ほど前に見学を問い合わせてみたがコロナ禍で無理だった。コロナも落ち着きつつあるので再度問い合わせてみようかと思う。
お庭で今からミサだというシスターと出会った。自分もプロテスタントのキリスト者だと伝えるとベール越しに優しく微笑まれた老女の顔が今も目に焼き付いている。
六甲森林植物園での句。草木の苗などを管理している園のバックヤードへの小径だったと思う。案内絵図には載っていない道に出会うとこの奥に何があるんだろうとついつい好奇心が湧いてくる。
布引滝で見た光景。滝飛沫に濡れ日に輝いている蔦紅葉はとても綺麗だった。蔦紅葉の写生句には「火の…」の形容が多かったので類句を避けたかった。
吟行日和といって誰もが吟行当日は晴れてほしいと願いますが、この日ばかりは「雨もまたよし」を実感した日でした。朝露を溜めた露草が朝日 を弾いて綺羅と輝くのを見て「これぞ露草」という印象はあったのですが、「滲む」という情景はまさに新発見でした。傘を傾けてそこにうずくまり、かれこれ30分は睨めっこしていました。
何となく物憂い気分を払拭するべくホームグラウンドの須磨裏公園へでかけた。心を無にして夕日を眺めているとふと聖書の一節が脳裏をよぎった。
「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
水平線に傾く大きな夕日がそう語りかけているように思えてリセットできたのである。
若い頃の元気がなくなって老いた自分のことを謙遜して老骨という。乗馬クラブのおじさんが自分の世話している老馬を指して「この馬もう老骨なんだけど食欲だけは旺盛でね」と教えてくれたのである。原句は「老骨と言われる馬も…」だったのですが、紫峡先生が「馬の…」に添削された。「焦点を絞れ」ということだと思う。
岩の下からか細い虫の音が聞こえたように思ったのでうずくまって耳を傾けました。残る命を懸命に訴えている様子に命の尊厳のようなものを感じた…ということであって、とくに観念的な主観を託して詠んだものではありません。
「鉾杉」をキーワードに WEB検索すると三重県の日本酒がヒットするようですね。揚句は吉野の仁生川上神社で詠んだものです。樹齢をほこる神苑の鉾杉には神々しさを感じます。
奈良県東吉野にある「 民宿天好園」は、青畝師、紫峡師、ひいらぎ誌友らとなんども訪ねた思い出深いとこころです。 でも一泊鍛錬会を実施しましたね。先代の宿主の本業は杣人でした。猪鍋を囲みながらいろんな武勇伝も聞きました。秋の日が傾き蜩の声が吉野の渓谷にこだまする中、険しい山中での作業を終えた杣たちが杉美林の奈落の道を戻ってくるのです。
水平に見えるから水平線というのだと思います。確かに波打ち際にたって眺めると水平にしか見えないのですが、ホームグラウンドの須磨鉢伏山頂からパノラマに見たそれは、わずかに凸面に撓んでいるように思えたのです。でも実際は目の錯覚でしょうね。
ところで過日、高齢者運転免許更新の事前講習で視野検査というのを受けました。両眼視力0.7以上というのは知っていました、視野が左右150度以上というチェックもあるようです。私は160度という結果で合格でした。
エッセイのページ に書いているので転載しておきます。
秋の野のさわやかさに誘われて大の字になって大空を仰ぐ。
留っているかに見えていた鰯雲がゆっくりと動いているのに気づくとき、大宇宙の全てを支配される神の存在といと小さき自分との対比をあらためて実感する。
空を翔ぶ鳥や野に咲く草花たちは、明日を思い煩うことの愚さを教えてくれる。
私たちが意識してもしなくても、大自然の摂理は全てみ手の中にあり、私たちもまた神さまの哀れみと恵みによって生かされているのである。
瀬戸内海の明石海峡は船銀座と言われるくらい貨物船、漁船、フェリーなどの多くの船が行き交います。それだ
お盆を過ぎる頃になると日本のはるか南の海上で発生・発達する台風がもたらす「うねり」が「土用波」となって寄せてきて流木を打ち上げます。珊瑚の島から流れついた椰子の実なども転がっています。人影もまばらとなり頬を撫でる風に、打ち返す波の音に秋の声を感じながら孤独な瞑想に浸っています。
椰子の実の歌は紫峡師の好きな歌で、宴席でみなで唄いました。
羅漢の表情には苦痛も笑みもなくたいがいはみな無表情かつ空虚である。しかし見る角度や日のあたりぐあいによっては生き生きとした表情に見えることもある。羅漢の顔が故人の誰彼となく似ているとよく言われるのは、羅漢のそうした表情が故人を偲ぶ心を誘発するからではないかと思う。秋意漂うなか西方に向いて佇む羅漢群にかつて肩を並べて共に秋を惜しんだ故人の姿が重なったのである。
小豆島寒霞渓の山頂で眼前に展開された風雲急の瞬間を切り取った。遠景だと鑑賞すると迫力に欠ける。山の天気は急変することが多く、よく晴れて眼下に景色が展けていたのに突然走るように霧が流れ出して忽ち霧の海となったのである。山小屋へ避難して暫く待機しているとまた嘘のように霧が晴れたが、むべ解にあるように高山ではそうは行かないと思う。
鑑賞はさまざまに別れたが、「この過疎の村もやがては消えていく運命なんだろう」という同情的、悲観的に鑑賞するのではなく、「過疎化と戦いながらも故郷を愛して頑張っておられる人たちがおられるのだ」というふうに鑑賞してほしいと私は思う。虚しさや悲しさを句に詠む場合でも希望につながるように詠みなさい…というのが青畝先生の教えだからである。
ホテルのロビーの大きなガラス窓である。台風のように叩きつけるような雨ではなく蕭条と降り続く秋霖である。玻璃にうちつけた雨滴のいくつががやがて合体して涙のように垂れていく…という情景、作品としては主観を隠した単なる客観写生であるが鑑賞する人それぞれに思い思いの秋意を連想させることができれば成功である。
子育ても終わり夫婦それぞれが思い思いに好きなことを愉しめる時代になった。経済成長に伴う生活の向上に加えて、掃除機、洗濯機、炊飯器、冷蔵庫等々さまざまな家電機器の発達によって加速度的に主婦の労働条件が改善されたことも大きいと思う。コロナ禍に生活が乱され、ロシヤによるウクライナ侵攻という不穏なニュースに心落ち着かないが、平和の尊さを実感する日々である。
敬愛する品女さんの作品に「七輪に全長のらぬ秋刀魚かな」という句がある。この句を見たときにおおよそ俳句には不向きだと思われる「全長」という措辞がなんとなく新鮮さを醸していることに感動し自分のもいつか「全長」の句を…と考えていた。暦年を経た神杉の巨木の株元の逞しさに感動し、そこから秋天へ鉾を立てている上杉の天辺へと移動する視線の動きを連想させるのに「全長」の措辞が効果的だと考えた。
芸術作品として推敲して仕上げるなら、「碧落に雲の遊べるお花畑」のほうがいいと思う。なぜなら花野の季語はやもすると平面的な視野になるので、その視線が碧落という高さまで移動するとしたらやや焦点がぼけるからである。眼前の中腹にお花畑が展けその遠景に山頂が見えさらに青空にあそぶ雲が見えるという方がより無理のない爽やかな秋の風景になるからである。実景としては小高い丘の上の花野を写生したのであるが、この句を詠んだ頃の私には「上手に嘘をつく」という勇気がなかった。
貧しく封建的な習慣が根強かった日本では、主人や子どもたちの世話をしその後家事の片付けを済ませた深夜にようやく湯船に浸るというのが主婦の生活ではなかったかと思う。自分自身は終い湯を使う機会は少なかったが仕事の関係でごくたまに家人が全て寝静まったあとに入るというケースがあった。バスタブから湯があふれるほどに全身が浸ると体中の疲労感が湯の中に滲み出ていくようなそんな浄土感がある。目をつぶると外の虫の楽が BGMのように耳に心地よいのである。子供時代によく夜なべをしていた母の苦労をふと思い出す瞬間でもある。
四季の移り変わりや折々の自然の美しさに感動して写生するのが伝統俳句である。初学のうちは実際に目に映るものしか見えない。しかしより深く観察する訓練を重ねているうちに見えないものが見えるようになってくる。それは不思議な大自然の摂理であったり、そこに生活する動植物たちの命である。理屈や観念でしか観察できないうちはそれが見えてこない。命の尊厳を写し取るのが本物の伝統俳句だと私は教えられた。つまりそれは信仰と同じなのではないかと私は思う。虚子語録にも「究極は信仰」というのがある。
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