むべ:「秋思」が三秋の季語。流木が座れるほどの大きなものとするならば、場所は海でしょうか。秋の浜を散歩していたら、ベンチにぴったりの流木を見つけ、ひと休み。打ち寄せる波の音や、風の音、もしかしたら海鳥の声など聞きながら、作者の心に去来するのはどのようなことでしょうか……静かですが印象的な一句です。

あひる:秋思が秋の季語。暑い夏を何とかやり過ごしてやっと秋になると、不思議なようにもの寂しい思いになります。流木はベンチとして座るのですから、白っぽく乾燥しているかもしれません。何処から流れ着いたのか、誰も知らない流木のこれまでのいきさつ。作者はそんな流木に座って、とりとめもなく、心ゆくまで、もの寂しさを味わっているようです。

えいいち:「秋思」が秋の季語です。はじめ私は「あきおもうかな」と読んでしまい秋が季語だと思ったのですが「秋思」という熟語が季語だと知りました。そうすると流木がありそれをベンチとして座る、この情景が秋思なんだと作者は詠んでいるのかと思いました。流木は何処からともなく流れ着き枯れ果てているようにさえ想像し得て、その上に腰を下ろしたところでじんわりと侘しさ寂しさが心に湧いてくるような気がします。

せいじ:秋思が三秋の季語。海浜であろうか、河原であろうか、たまたま座るのに手ごろな流木があったので、そこに座り、しばし物思いにふけっているのである。秋のころの物思いは、春のそれとは違って、寂しさが一層深くなり、思索的になるとのことであるが、このとき作者は何を思っていたのだろうか。「流木」から自然災害を連想するが、戦争のことかもしれないし、人生についてなのかもしれない。