むべ:「秋」が三秋の季語。みなさんの講評にあるように、「秋を聞く」とは、秋声すなわち秋の気配を心に音や声として感ずることかなぁと思いました。羅漢像がたくさん並んでいるところで、表情豊かな羅漢像を鑑賞しているうちに、家族や知人友人に似ているような気がしてきました。少し物寂しいような、人恋しいような心持ちです。秋ってそういう季節ですよね。ところで、昔中国の西安で兵馬俑を見学したのは9月で秋でしたが、あまりに精巧で髭や皺まで再現されていることに興奮してしまい、秋声を聞きそびれたのでした。

あひる:歳時記には「秋の声」「秋の音」などの季語がありました。「秋を聞く」という措辞には、秋を感じる、それも能動的に感じようとする、というような雰囲気があります。もの言わぬ羅漢たちがいろんな表情をして、じっと耳を澄まし、秋を感じようとしているように見えたのでしょうか。

せいじ:秋を聞く=秋の声(三秋の季語)として鑑賞した。さまざまな顔をした五百羅漢像を見て、これは誰それさんに似ているなどと軽口をたたきながら、何人かで境内を散策している。そんな中、ふと聞こえてくる風の音や木々の音などに秋の気配を感じ取っているのであろう。「秋を聞く」にしみじみとした趣きがある。

えいいち:季語は秋です。秋を聞くという措辞を「秋をどう感じていますか」と問うていると解釈しました。参道沿いにある沢山の羅漢像は誰かや自分に似た顔が必ずあると言われていますが、今日のよき秋の日よりをこの羅漢像たちもそれぞれの表情をもってそれぞれ気持ちで感じているのだろうなぁ、と思います。