えいじ:私の歳時記には「誤って、灯下親し、と書かれることがある」とあり、鑑賞することを躊躇しました。ただ、辞書によれば、「灯火」は「ともしび」そのものをさし、「灯下」は「ともしびの下」とありました。いまどき、火を明かりに使うこともありませんので、「灯下親しむ」を三秋の季語として解しました。主人公とその妻は灯下にあって、日頃の趣味を楽しんでおられるのです。たぶん、お部屋も別々ではないかと思います。ただ、お互いに時間を共有しながら、不即不離の夫婦関係をさりげなく、ユーモラスに詠んだ句だと思います。宜しくお願いいたします。
せいじ:灯火親しむが三秋の季語。秋の夜長を二人で仲良く過ごしているのだが、していること、あるいは、読んでいる本が違うんですよと、最後に落ちがついているところが面白く、思わずニヤッとしてしまった。楽しい俳句である。
あひる:灯下親しが秋の季語。だんだんと涼しく夜が長くなると、ついつい夜更かしをしてしまいます。夫も妻もそれぞれ好きなことをしているうちに、会話も途絶えてしまったようです。ふと、会話がなくても満たされていることに気付きます。趣味は別、人格も別、それでもしみじみと信頼関係があり、静かな秋の灯がそんな二人を包み込んでいます。
えいいち:「灯火親しむ」が秋の季語。現代は電気照明なので火は不要になったので下に置き換えたのだと思います。ご夫婦で秋の夜長は居間の電灯の下で旦那様はネットサーフィン、奥様は手芸でもされているのでしょうか。夕食後のしっとりとした寛ぎのひと時の情景が浮かびます。
むべ:「灯下親し」が三秋の季語。秋の夜長にリビングで過ごすご夫婦の姿が目に浮かびました。同じ部屋にいるのですが、おのおのしていることは違います。しかし、お互いの存在を温かく感じながら一緒にいるのです。静かな時間の流れとくつろいだ雰囲気の中で、作者はしみじみと幸せを感じているのではないでしょうか。長年連れ添っていないと詠めない一句と感じました。