あひる:しらつゆが秋の季語。「はくろ」と読むと春分、秋分などのように二十四節気の中の一つの時候の言葉となるのですね。勉强になりました。日本全国あちこちに限界集落のあるこの頃です。若者のほとんど居ない過疎の村は、もうすぐ露と消えてしまいそうな寂しさがあります。しらつゆの降りる秋なら尚のことそのように感じるでしょう。けれども「灯ともる」という中七の措辞に私は力強さを感じました。たとえ白露のごとく消えるとしても、そこにはその村を愛し、その村で生き抜こうとする人の生活があるのです。
むべ:「白露」が三秋「露」の子季語。露は風のない夜に発生するものですから、作者は秋の夜にどこか高台から小さな村落の灯りを眺めているのでしょうか。白露が朝になればはかなく消えてしまうように、限界集落となればいつかこの村も消滅してしまうのではないだろうか…そんななんとも言えない寂しさやはかなさを感じました。なお、はくろは仲秋の「時候」に分類され、しらつゆは「天文」に分類されるそうです。
せいじ:「はくろ」ではなく「しらつゆ」なので、露(白露)が三秋の季語ではないかと思う。「過疎の村」にともる灯火の何と美しいことよ。白く光って見える露のようだ。この灯火が消えると村も消えてなくなってしまうかのように思われることよ。露(白露)には美しさと儚さの両方の趣があるので、これは的確な比喩だと思う。
えいじ:白露は、仲秋の季語です。夜明け前の住む人の少なくなった村の情景を白露に託して詠んだ句です。白露のようにはかない村のともしびではあっても、人の暮らしは今もそこにあって、儚さのなかにも慈しみを感じる句だと思います。宜しくお願いいたします。
えいいち:「白露」が仲秋の季語。白露のごとく・・の措辞から夕刻に小高い場所から過疎化してしまった村を見下すと豊かな緑の中に点在する民家の灯がともりそれが草間に光る露のように見える、という情景が思い浮かびます。過疎という言葉から寂しさも感じるのですが句全体からは周りの自然と共存した質素で清らかな人の暮らしと幸を感じます。