みのる:必ず季語を確認してその本質の意から逸れないように鑑賞しましょう。新樹は若葉におおわれる初夏の木立のこと。新樹光は新樹の反射によって周囲がみずみずしく見えること又はそのように思える感じを言います。公園とかにあるブロンズの裸婦像を連想しました。裸婦像は年中そこにあるでしょうから揚句の場合季語が動かないような鑑賞が必要ですね。私は新樹光をはねて瑞々しく輝く裸婦像に新生の命の源である健康的な母体(母胎)を感じたのではないかなと鑑賞してみました。

康子:若葉を通る優しい光が裸婦像を包みこみ、ふっくらしたとした姿がその光をはね返している。「太めなる」の表現で具体的に裸婦像の姿が浮かびます。私は母子像を想像しました。新樹光の季語のイメージにより森の中に生き生きした裸婦像が立っている様子が伝わってきます。

えいいち:私は結構単純な人間で自分勝手にイメージを膨らませてしまう性格です、ということで・・・私の想像ですが新樹光というのはまだ若い木々の折り重なる葉がそよ風に揺れて日の光を優しくキラキラと輝かせている様子だと思っています。そんな光が瞬いている森の中にブロンズの裸婦像がありそこに揺れ動く新樹光が仄かに当たり本当に裸婦がそこにいるような光景を思い起こしました。そんな生き生きとした裸婦像を見て作者は「あら貴方、少しふっくらしてるわね!」と笑みを浮かべながら言葉をかけたのかな、と思ってしまいました。私にはとても生命を感じる句でありました。

よし女:若葉の萌え出た樹木の下に立つ裸婦像が少し太目だというのである。八頭身が言われるようになって久しいが、それが現代的美人の標準とされ多くの女性が細目のスタイルに憧れた。が目の前の像は少し太目なのである。それはそれで健康的で美しいと作者は諾っているのであろう。

澄子:公園の一角若葉の樹々を背景に立つ裸婦像をイメージしました。若葉の纏う瑞々しい光そのもので若葉の輪郭が曖昧に膨張してみえるように白っぽい裸婦像もまた五月の明るい日射しを浴びて「少し太め」と感じられたのではないでしょうか。緑と白の対比、柔らかな若葉や捉えどころのない光と固い塊、そんな取り合わせも絵になるようです。

むべ:「新樹光」の季語から、裸婦像の周囲に日光に輝く木々の緑が想像できます。また、裸婦像そのものも日光をよく反射しているイメージを持ちました。屋外にある像でしょうから、大理石製かブロンズ製か。大理石のほうが眩しさをより感じられますね。ヨーロッパの裸婦像を見ていると、制作年代によりますが、けっこうふくよかな方が多い気がします。美しい曲線、丸みを帯びたフォルム。春から初夏への日差しと、豊穣や平和を感じさせる裸婦像の取り合わせに希望を感じました。