30年前に青畝選特選に選ばれた作品です。先生から以下のような選評を戴きました。
現代は漫画流行する世の中になった。絵本とかテレビとかで既にありふれて見ているけれど、あたたかになった地面に描かれた漫画に作者はおどろいた。啓蟄とは時候を表すと共に地上へ出てくる虫類をも指すのであるから漫画の普及として面白い新しい作である。
情景がぴったりだったので Slackに投稿してくださったあひるさんの写真をお借りした。 地面ではなく「大地」にしたのは生命を育む「母なる大地」をイメージしたからである。 エッセイ にも書いています。
古語辞典で「べし」を調べる と実に豊富な意味をもっていますが、詩歌では、「…にちがいない。きっと…だろう。」の推量として使われるケースが多いと思います。句意としては、「小鳥たちは創造主である天の神様を賛美して囀っているに違いない…」のつもりですが。これはあくまで聖書的な解釈なので鑑賞は自由です。囀りは「求愛行動で雄だけのもの」という先入観で観察してしまうと俳句は生まれません。詩人としては「小鳥たちが喜んで唄っている」と感じたいですね。そうでなければ春告鳥(鶯)、春告魚(メバル、鰊)などの季語も死んでしまうからです。
「囀り」は、繁殖に関わる鳴き声のことで、これに対して仲間同士の合図の声、たとえば「ここにいるよ」という存在を知らせる声や危険を知らせる声のことを「地鳴き」と呼ぶそうです。囀りは私たち人間でいうと「相聞歌」のようなものかも知れないですね。
鳥たちは綺麗な声で唄うことで思いの丈を存分に伝えられ、且つ聞く人に安らぎや癒やしを与えられるのだから羨ましいな〜…神様はちょっと不公平だな〜…などとそんなことを考えなら囀りを浴びていたときにふと天から声が…「あなたには十七文字という小鳥たちよりもっと高性能な楽器を与えてあるでしょう!」と…(^o^)
兵庫県加西市にある北条五百羅漢を吟行したときの作。経年で風化した羅漢たちが西方に向いて堵列している様は壮観というより黄泉の世界に佇んでいるような錯覚を覚えた。石である羅漢に意思はないので自ら凭れあうということはありえないのだが地盤が緩んで傾いだままの一体が暮れかねる日に照らされたその面輪は在りし日の現し世を懐かしんで思いを馳せているように思えたのである。
かつて「草魂」と言う根性論がありました。そこに結びつくと憑きすぎの駄句になりさがってしまうのですが…。私が見たのは車前草だったと思います。若手特待生として紫峡師の特訓を受けていたころ不本意な外野席の声が聞こえてきました。一部の先輩諸氏には不公平な特別扱いに思えたのでしょう。
もうやめようかな…と弱気になったときに遭遇して励まされた一会です。「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。」新約聖書マタイ伝6章28節が浮かびました。
裏六甲の里山に六条八幡宮という鄙びた神社がありよく吟行に通った。神社なのに三重塔が残っていて神仏習合の時代を偲ばせてくれる。その塔の立つ裏山に巨大な杉が残っているのです。季語が「雪」だから「冬」だと決めつけず、句の雰囲気から「雪解(春)」の季感であることを汲みとってほしい。深雪の頃にも雪は落ちるが武者震いにはならない。日中一気に気温が上昇して残り雪をばさばさと振り落とした時、つまり雪解の季節にこうした場面に遭遇するのである。
30年ほど前「会社OA化」の波が押し寄せた頃、ついていけなくなったり組織の合理化によって多くの中高年が窓際族となった。退社時間になるとそそくさと支度をし逃げ隠れるように帰っていかねばならない。周囲の同僚達は見てみぬふりをしているのだけれど、なぜか視線を感じてしまう。夕方の5時が近づいてくるたびに憂鬱が募るのである。年度末のこの時期そろそろ人事異動になるかも…と。
年の離れた末っ子だった私は家族に甘やかされて我がままに育ったようです。勉強は嫌いでしたが歌を唄ったり絵を描いたりするのは楽しかったし、とりわけ小動物の観察が大好きだったように思います。中学生になるとラジオやアンプを自作し、その頃から理系に傾いていきました。将来の夢もそのときどきでころころと変わっていたようです。そんな体験談とともに「いろんなことに挑戦して夢が見つかるといいね」というようなことを話し合っていたように思います。
安産祈願で有名な中山寺吟行での作である。「梅日和」は広辞苑には載っていないが、寒くもなく、日差しもそれほど強くなく梅を観るのに丁度よい天候であるとの意。梅林で出会った幸せそうな母娘は頂いた岩田帯をだいじそうに胸に抱きながら梅を愛で笑顔が絶えなかった。
古語は少ない文字数で深みのある表現が出来るので短詩系の俳句ではよく使われる。「~な」は強い禁止で「~な・~てはいけない」、「な~そ」は弱い禁止で「~な・~ないでくれよ」という感じ。大人になって世俗にまみれると悔し涙しか出なくなる。卒業子たちの純朴な涙を見るとそれに気付かされる。人生の機微折々、初心に返り原点に戻ることは大切だと思うので、彼らにもそうであってほしいと願った。
日永の句はごまんとあるので冒険のつもりで「日永ビル」という造語を紫峡師にぶつけてみたら採ってくださった。青畝選にも入ったので嬉しかった。阪急神戸三宮駅を出て新開地へ向かう車窓から見えたセンター街の再開発ビルの窓である。今どきの近代的な建物とは違って1メートル角くらいのクラシックな窓が飛び飛びに続いていて一文字づつ張り紙がしてあるのです。「テ・ナ・ン・ト・募・集・中」と間延びした感じで読めたので「日永ビル」が生まれました。
この季節を迎えるとごく自然に蹲って啓蟄の穴を探したりするようになった。俳句を詠むようになるまでは考えられなかったことである。青畝師から「俳句は存問だよ」と教えられてからは命あるもの全てに対して愛の心と目で向き合えるようになった。俳句を通して人格の陶冶につながっているのだなと思う。
中山観音の大山門を潜ると本堂へ向かって石畳の参道がある。その傍らに水子地蔵がありいつ訪ねても可愛い鉢花で溢れている。遍路装束ではなかったが熱心に祈られている老婦人の姿を見て「遍路」にさせてもらった。人にはそれぞれやむにやまれずに意に反した後悔がある。月命日ごとにお参りされているのかも知れないが、何年経っても祈らずにはおれないのだと思う。
虚子先生に叱られそうな心象スレスレの句。サラリーマン現役の頃「アフター5」とか「花の金曜日」とかいうことばがあった。オフィスを出て駅に向かう途中、日脚が伸びた歓楽街に春宵の灯が見えると悪魔がささやくのである。紫峡先生の句に「春宵のこれからという人出かな」がある。ことばでは言い尽くせないこの心象は余生となった今でも懐かしい。
当時の俳人協会編「兵庫吟行案内」や角川の大歳時記にも掲載された懐かしい作品です。夏場は草一本もなく手入れされていますが、園丁の手が入らない早春の頃は髭のような草が萌えていましたので何も考えずにそのまま詠みました。まさに「授かった」一句です。永年変わらずに酒造りを支えてきた宮水の生命力と復活の命の証しである下萌の季語がうまく調和して受け入れられたのでしょう。
水温む…は、三春ではなく中春(3月)の季語だという認識を忘れると鑑賞が希薄になります。厳寒の受験期に吊るされたであろう祈願の絵馬は鈴なりのままですがお礼参りに訪れる人影はまばら…そのような回想をふまえて実感を詠んだ句です。一掬【いっきく】(両手で一回すくうこと)という熟語もよく使われます。
句意はみなさんの鑑賞のとおりです。この句も一人称シリーズの教材として選びました。沖のどか…なので作者は沖を望む波止から詠んだとも連想できます。「存問の汽笛聞こゆる沖のどか」では作者が主人公になってしまうので面白くありません。以後の説明は蛇足ですね。ことばの無駄を省くために、一人称で具体的に…を学びとっていただければ嬉しいです。
俳句は一人称で詠め…というセオリーがあります。鑑賞もまたその裏返し。妊婦自身の自画像として鑑賞すると全く違ってくるはずですね。みのるさんの句だから…という先入観で鑑賞する句意がぼやけます。文芸としての俳句には、小説の一ページを切り取ったように詠むという世界もあるのです。
余談ですがその昔、家内が漏らした一言を「春憂しと妻の私にいはれても」と詠んだところ、紫峡師の特選に選ばれてみなで大笑いしたことがありますが、師曰く "これも俳句" と。
昔の病棟の大部屋にはトイレがなく廊下を経由するしかない。常夜灯の部屋を出て減光された廊下にでるとその奥にナース詰所の灯りが眩しい。でも365日変わらない景なので春灯の季語が動くか否かが選の分かれ道…と思って投句したら紫峡選に入ったという句。いつも笑みを絶やさず快活に看護をしてくれる女性ナースたちの醸す明るさが春灯だと受け入れてくださったのだと思う。
小豆島での吟旅で島バスをチャーターして一巡りしたときの句。七浦は固有名詞ではなく七曲りなどの形容と同じ。浦々…でもいいが説明臭くなる。島バスに…島バスで…だと人が見えてしまうので、島バスの…とバスを一人称化することで邪魔者を消します。俳句では常套手法。
夢千代の里で知られる兵庫県湯村温泉での作。雪深い地域では中春くらいまで雪が残る。雪間、雪解はその中春を代表する季語。怪しい分かれ道があるので迷わないようにと手作りの矢印が立ててありそれを頼みにおぼつかない足取りで露天風呂へ。俳句をはじめたばかりの頃なので何も考えずにそのままを詠んだ句。
家内はどんな条件下でも五分で眠りにつける人、私はそれが出来ない人。子育てが終わってからは二人でよくドライブをした。ついさっきまで相槌を打っていたのに幸せな人だと思った。でも彼女の支えがあったからこそ今の自分があるということは紛れもない。感謝!
我が家の洗面所での写生句。「春立ちて」と前書きがほしい句です。昨日までと変わらず水は冷たいのですが、今朝はもう春なんだと思うと何となく眩しい春水を掬ってる…という実感を覚えるので不思議です。俳句をしていなければこんな感慨はひと欠片もなかったでしょうね。
昆陽池吟行の折、昆虫館へ向かう森の小径で出会った遠足子たちである。列が途切れがちになる最後尾へ幾度となくやさしく注意は促されていたのだけれど効なく、ついに先生の一喝が飛んだのである。昔ならどうということのない言動でもパワハラだなんだと大仰に騒がれる昨今、揚句のような一会にはもう出会えなくなった。
極めて初学時代、六甲森林植物園吟行での作。「あれ?いま確かにゴロ!と鳴ったよな」と思ったけれど続く気配なく、ひょっとしたら空耳だったのかも…と授かった一句。でもまだ、季語を文字としてしか認識できていなかった私は、「これって季語動くよなぁ〜」と。
歳時記を繰って調べてみると、「雨の降っていない曇天のどこか遠くで、低く、一つ二つ鳴る趣があり…」を見つけ、合点!…と膝を打ったのである。季語には本質というものがある のだということを認識させてくれた懐かしい作品なので残すことにした。
明石浦漁港のイカナゴ運搬船です。イカナゴは鮮度が命、網引船は外海で漁をつづけますが運搬船が網揚げの都度港へ戻って水揚げし、即糴にかけられます。そののち運搬船は、おこぼれ頂戴のカモメの群れを引き連れて再び全速力で漁場へ戻るのです。その景は実に壮観で播磨灘の早春の風物詩です。
一般に漁港の構造は沖に向かって一文字の防波堤があり、漁船はその脇の方から出で入りします。港内はスロー運転ですが波止内を出るや否や一気に舵を切ってフルスロットルで外海の漁場を目指すのです。真向く…には「正しい方向に向くこと」の意もあるようです。
私達夫婦の仲人さんが雪深い丹波の山裾の施設に入所されたと聞き、春を待って訪ねました。あれこれ繰言の聞き役を果たして辞しましたが心が曇りました。その帰路、鄙びた一末寺の門前に建つ「一隅を照らす…」の碑にであったのでした。刻まれた碑の文字に対峙していると何となく塞いでいた胸の内に光がさしたような不思議な平安を覚えたのを思い出します。
中山寺梅林観音池の菖蒲の芽です。池塘は、水際+径のことですが、水際は水に浸っている際、同じようで違うので使い分けるといいでしょう。複数の芽が競うように1センチほど水面から顔をだし、表面張力の水面を押し貫いたようにも見えたので「切先」を感じました。3月の吟行時なら似た状況に出会えるかも知れません。
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