2023年4月

目次

ケビン出て灘の西日をまともにす ひとこと

やまだみのる  

(ケビンでてなだのにしびをまともにす)

句碑開きイベントのために結社の仲間と一緒に大型のフェリーで小豆島へ吟旅したときの作。2等船室での袋回しにも飽きたので甲板に出てみると大きな夕日が水平線へ傾いているのが見えました。サンセットが見られたらいいだろうなと思いながら手庇にながめる西日はまだまだ目潰しのように洋上に煌いていました。

合評

地団太や蝿一匹に嬲られて ひとこと

やまだみのる  

(ぢだんだやはえいつぴきになぶられて)

蝿たたきをもって奮闘する魚屋のおじさんの様子を写生しました。懐かしい昭和の風景です。

合評

蟻の列右往左往や山雨急 ひとこと

やまだみのる  

(ありのれつうわうさわうやさんうきふ)

参道で見かける山蟻は身体も大きく動きも俊敏です。山蟻は、整然と列をなすという感じはあまり見かけないのですが、突然降り出してみるみる洪水のように走り出す雨水にパニックになって四散する蟻の様子をみて一句授かりました。5分も立たないうちに雨はやみ、木もれ日の落ちる道にはちらほらと蟻さんがでてきました。慌てて走り去ったときと対象的にやれやれ…という動きに見えました。

合評

寧かれと供花を挿したる登山道 ひとこと

やまだみのる  

(やすかれとくげをさしたるとざんみち)

本格的な登山道ではなく六甲山の登山路です。六甲全山縦走というイベントがあります。明け方に須磨を出発して連山を縦走し最終的に宝塚に市街へ下山してくるというロングルートです。難しいコースではないのですが、夕方近くになって道に迷ったあげくにあせって怪我をしたりというトラブルが重なると六甲山といえども致命傷になる場合があります。山は決して侮ってはいけないです。

合評

端居して一と雨ほしき夕べかな ひとこと

やまだみのる  

(はしゐしてひとあめほしきゆふべかな)

端居は、家の端近くにすわっていることをいいますが、俳句では、夏の暑さを避けて風通しのいい縁先や縁台などにいることを意味します。夕端居という表現で使われことが多いです。夕立が来てざっと雨を落としてくれれば涼風が通ってとても涼しくて快適になるのにという願望を句にしたもので、何となく夕立がやってきそうな気配はあるのですがまだ来ていないという状況です。

合評

蟇の声夕闇池を包みけり ひとこと

やまだみのる  

(ひきのこえゆうやみいけをつつみけり)

ネット検索で調べてみると厳密にはひき蛙と牛蛙との鳴き声は違うようですが、俳句で蟇と詠む場合は牛蛙を指す場合が多いです。鳴き声がまさに牛そのものです。夕帳に包まれた隠沼にひびく牛蛙の鳴き声は地獄のうめき声も斯くやと思うほどなんとも不気味です。

合評

孑孑の動きはエアロビクスかな ひとこと

やまだみのる  

(ぼうふらのうごきはエアロビクスかな)

エアロビクス体操教室の練習風景を玻璃越しに見たことがある。テレビ体操とは違って大勢の生徒さんがポーズを取りながら先生の指導を受けている様子とよく似ていると思った。

合評

フェリーの灯はや外海となり涼し ひとこと

やまだみのる  

(フェリーのひはやそとうみとなりすずし)

明石タコフェリーのあった時代の作。赤灯台と白灯台が灯る明石港を出た船はゆっくりと転舵して舳先を岩屋港へ向ける。そこまでのプロセスは極めてゆっくりなのだが、そのあと一気にエンジンを全開しスピードをあげて沖に向かう。この一連の動作の清涼感をいまはもう味わうことができないのは悲しい。

合評

柳絮とぶ水上バスは青天井 ひとこと

やまだみのる  

(りうじよとぶすいじやうバスはあをてんじやう)

東京にもあると思うが揚句は大阪の水上バスで「水都号アクア mini」という屋根のない小型のもの。中之島あたりには柳の木も多く柳絮を見る機会も多い。柳絮は、春の季語とされているが間違って夏の作品に入っていた。むべ解にあるように水面は綺羅の春光を弾いていてそれが柳絮をより美しく見せていた。「風光る」の趣もある。

合評

鎌振れば蟷螂指揮者めきにけり ひとこと

やまだみのる  

(かまふればたうらうしきしやめきにけり)

小動物を句に詠む秘訣は、理屈や観念を捨てて幼子のような好奇心で観察することである。「おとうさん!このカマキリさん指揮棒を振っているんみたいに鎌をあげてるね!」「うん、そうだね」という感じである。

合評

牡丹百雨気におびたる憂ひかな ひとこと

やまだみのる  

(ぼたんひやくうきにおびたるうれひかな)

長谷寺での作。有名な青畝氏の「牡丹百二百三百門ひとつ」が頭を離れないので牡丹の句はいつも苦吟する。この場合の「百」も正確な数字としてではなく「たくさん」の意で使っている。

合評

立ち仰ぐ嶮磴百段青あらし ひとこと

やまだみのる  

(たちあふぐけんとうひやくだんあをあらし)

甲山大師(神呪寺)での作。句意はみなさんの鑑賞のとおりである。七曲り、九十九折、などと同じようにこの場合の「険磴百段」の意も正確に百段あるということではなくて「今から登るにはそれなりの覚悟がいる」くらいの規模の険磴が眼前にあるという意味である。別な表現としては「磴また磴や」などと詠まれることもある。こうした言葉の斡旋は亡くなられた菜々さんが上手だった。

合評

バス涼しスカイラインをまつしぐら ひとこと

やまだみのる  

(バスすずしスカイラインをまつしぐら)

スカイラインというのは空を背にして山や建造物の連なりで見える輪郭の線のことを言うのであるが、揚句の場合は、山岳地帯などに設けられた、観光周遊を主たる目的とした道路の名称「○○スカイライン道」を詠んだものである。バスで吟旅したときの名神高速だったと思う。

合評

水輪蹴る推進力や水馬 ひとこと

やまだみのる  

(みなわけるすいしんりよくやみづすまし)

神戸市立森林公園にある長谷池での作。子供の頃から昆虫や小動物を観察するのが大好きだった。吟行のときも誰よりも先に彼らを見つけるのが私の特技?でもある。あめんぼの足は表面張力で踏ん張っているのでその辺りは少し凹んで水輪になっている。F1カーのようにすいすいと進むあめんぼうの様子を観察していると一見摺り足のように見えるのだけれど実際は水面を蹴って素早くジャンプして前進しているのに気づく。

合評

噴水の乱れて鳩を翔たせけり ひとこと

やまだみのる  

(ふんすいのみだれてはとをたたせけり)

須磨離宮公園での作。バラ園の最南端に大きな噴水がある。背景には須磨の海は展けていて手前にある白亜のレストハウスから全景を眺める大噴水が水平線を貫いているように見える。噴水の周りはテラス広場になっていて入園者の食べこぼした菓子屑を目当てに沢山の鳩が集まってくる。時折海から拭き上げてくる風によって噴水の穂先が乱れると鳩たちは大慌てで翔び立って逃げる。涼しげな点景である。

合評

移り気の虻落ち着かず花ポピー ひとこと

やまだみのる  

(うつりぎのあぶおちつかずはなポピー)

公園の花壇に園芸種の大型で色違いのポピーがたくさん植えられて、それぞれが自己主張するように風に揺れています。虻たちが品定めをするかのようにジプシーしている様子から得た一句です。でもそう見えたの大輪のポピーが風で大揺れするためにうまく的を絞れなかったり落ち着いて密を吸えなという状況だったのかもしれませんね。

合評

読みすすむ聖書日課や薔薇の雨 ひとこと

やまだみのる  

(よみすすむせいしよにつくわやばらのあめ)

我が家の庭に沢山バラを植えていた頃の作。経験があればわかると思いますがバラの庭を美しく保つためには毎日の管理が大変です。つぎつぎと蕾が膨らみ開花しますが、咲き終わったものや雨などで傷んだものは花柄を剪りとります。アブラムシなどの害虫やうどんこ病などの予防のためにも毎日の目配りが必要です。4月〜5月が繁忙期ですが流石に雨の日は手入れはお休み、まさに晴耕雨読というところです。

合評

鳩時計月下美人に鳴きにけり ひとこと

やまだみのる  

(はとどけいげつかびじんになきにけり)

家内の実家(広島)には古い鳩時計があった。帰省の折にたまたま今夜辺りに開きそうだと言うので外に置いてあった大きな鉢を部屋内に取り込み、お風呂から上がってパジャマ姿のまま侍るように月下美人の鉢をとり囲んだのである。緊張と衆目のなか微動だにしなかった花が震えだし、ゆっくりゆっくりと開き始める。いまが佳境!と思われるタイミングで鳩時計が12時を鳴いたのである。

合評

ひた走るドミノ倒しの音涼し ひとこと

やまだみのる  

(ひたはしるドミノだふしのおとすずし)

「ギネスに挑戦!」というような企画で大規模なドミノ倒しのイベントをテレビでライブ放送していた。ナイアガラの滝を模したものとかの大仕掛けが要所に設けられ、そこではバラバラと大音響で一斉に大量のドミノが倒れる。しかし仕掛けと仕掛けの間は一筋の小川が流れるようにドミノが走っていくのである。物理的な動きなのだがあたかも命あるもののように感じた。ドミノ倒しに季節は無関係だと思うが納涼イベントとして行われていたのでその音に涼しさを覚えたのである。

合評

雷鳴に度肝抜かるる厠かな ひとこと

やまだみのる  

(らいめいにどぎもぬかるるかわやはな)

ピカッと光ってしばらくしてゴロゴロと雷鳴が響く。光速と音速との時間差からどのあたりで発生しているのかが予測できる…などと理屈をいいながらトイレへ。かなりの数秒があったのでまだまだ遠いなと侮っていたら、突然真後ろへ落ちたのかと思うような大轟音に超絶驚いたという訳である。何事も油断は禁物…を改めて実体験した。

合評

バラ剪りしときの手傷と覚えけり ひとこと

やまだみのる  

(バラきりしときのてきずとおぼえけり)

家内がバラ好きなので、その昔我が家をバラ屋敷にしようということでたくさんのバラを庭に植えた時期があり、庭のバラを剪っては玄関に、食卓にと飾っていた。その瞬間にはまったく気づかなかったのだが、10時のお茶でも入れましょう…というタイミングになって何気に手首の辺りがチクチク痛むので見てみると2センチひどの軽い蚯蚓腫れができていた。棘にやられないように注意していたつもりだったがやっぱり…と合点したのである。

合評

大玻璃に一太刀くれし雷火かな ひとこと

やまだみのる  

(おほはりにひとたちくれしらいかかな)

今はもうなくなったが六甲オリエンタルホテルの展望レストランでの作。毎年8月には青畝師が一週間ほど避暑で泊まられるのが恒例であった。眼下に大樹海が広がる絶景であったが突然かき曇った雷雲は大夕立となり大玻璃も裂けよとばかり雷光が怒ったのである。漫画で描かれるのと同じように屈折した稲光をリアルタイムで見たのは初めてであった。やがて10分ほどたつと嘘のようにまた青空が広がった。

合評

ブランデーグラスはレンズ水中花 ひとこと

やまだみのる  

(ブランデーグラスはレンズすいちゆうか)

現役の頃は、下戸の私も仕事上のお付き合いで二次会のスナックへ行くことも少なくなかった。そこは三宮にあるゲイバーであったがウイスキーボトルの並ぶ棚に何気なく飾られていたそれは見る角度によって見え方が変化するのに気づいた。俳句に親しまなければ眼中にもなかった景だと思う。

合評

杉の秀の雫と落つる蛍あり ひとこと

やまだみのる  

(すぎのほのしづくとおつるほたるあり)

東吉野での作。吟旅で訪れた天好園の庭で「大空の虚ろよぎりし蛍かな 青畝」の句碑をみたとき、蛍は水辺の草むらで光るものだと思いこんでいた私には信じ難い情景だった。しかしその夜案内された杉美林の蛍は確かに大空高く舞っていたのである。青畝師の句を肯いながら影法師のような多すぎをうち仰いでいると一筋の蛍火スーッと渓へ落ちていったのである。まさに一期一会、この句はひいらぎのそうそうたる幹部同人も混じる翌日の句会で紫峡選特選を得た思い出の作品である。

合評

子燕の嘴は喇叭のごとひらく ひとこと

やまだみのる  

(こつばめのはしはらつぱのごとひらく)

30年ほどまえ、一度だけ我が家の玄関庇に燕が営巣したことがある。毎日毎日、朝な夕なと観察し楽しかったけれど、あるとき蛇が近づいてきて大騒ぎとなり、大慌てで箒で追っ払ったがその翌年からは来なくなってしまった。親鳥がすに帰ってくると一列に並んで顔より大きく嘴をひらいて餌をねだる様子は、ファンファーレのラッパが並んでいるようだった。

合評

朴咲くと青天井を指さしぬ ひとこと

やまだみのる  

(ほほさくとあをてんじやうをゆびさしぬ)

朴の花は普通広葉の上に咲くので木の下からうち仰いでも見えない。山道のような高いところから谷を見下ろしたときに木隠れに見える…という感じである。揚句は六甲森林植物園の高木の森での作。朴の木をうち仰いでいると一陣の風が吹いて広葉が揺れたタイイングでちらっと純白の宝珠が見えた。同行の家内に大声で指差したけれど二度と見えることはなかった。

合評

四阿は落書だらけ春愁ふ ひとこと

やまだみのる  

(あづまやはらくがきだらけはるうれふ)

30年ほどまえのことである。当時は囲いの腰の部分が土壁塗りの四阿が多かった。そこへ釘のようなもので心無い落書きをする輩がいるらしい。お弁当をいただこうと立ち寄ったのだが、こころ落ち着いて一服することもできず早々に他へ写った。

合評

夕蛙田ごとのエール交はしそむ ひとこと

やまだみのる  

(ゆうかわずたごとのエールかはしそむ)

全ての田に水が行きわたり全てが代田になるとどの区画とはなく蛙が鳴きはじめる。やがてそれは徐々に拡大して大合唱になるのだが、よく聞いていると区画ごとに微妙なズレがあり、互いにエールを交換しているようだ。遠蛙の鳴き声と近場のそれとで時間差が生じるのでそのように聞こるのかもしれない。

合評

山笑ふ大吊り橋の揺れに揺れ ひとこと

やまだみのる  

(やまわらふおおつりばしのゆれにゆれ)

十津川村の吊橋。高所恐怖症の自分には、二、三歩が限界でとても渡れなかった。

合評

律川の調べや花の遊歩道 ひとこと

やまだみのる  

(りつせんのしらべやはなのゆうほみち)

三千院を訪ねるべく早朝に家を出てマイカーを飛ばした。当時の名神高速道は日常的に地獄のような渋滞で有名だったからである。おかげで8時前にはついたのですが残念ながら開門前、人影のない静かな律川のほとりを散歩して開門までの時間を過ごした。ハプニングを通して思いがけない一期一会と出会えるのも俳句ライフの醍醐味である。

合評

過去記事一覧

2024年|01020304|05|06|07|08|09|10|11|12|
2023年|01|0203040506070809101112
2022年|010203040506|07|08|09|10|11|12|
2021年|010203040506070809101112
2020年|03040506070809101112
2016年|060708|09
2015年|0708
2014年|030405060708

感想やお問合せはお気軽にどうぞ。

Feedback Twitter