2021年6月

目次

ジーパンを申しあはせて旅涼し Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ジーパンをまうしあはせてたびすずし)

合評
  • 投稿いただいた記事は編集してここに転記されます。

達筆を見れば芳名録涼し Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(たつぴつをみればほうめいろくすずし)

合評
  • 芳名録でまず浮かぶのは葬儀の記帳でしょうか。かなり字の上手い人でも普段のようには書けないものです。そんな中すらすらと達筆で書かれた名前を見るといかにも涼しげに映るのかも知れません。 (素秀)
  • 最近は筆ペンやサインペンで書くことの多い芳名録であるが、弘法筆を選ばず、達筆な人は道具の良し悪しにかかわらず達筆である。見事な文字を見てとても爽やかなよい気持ちになったのではなかろうか。能書家である作者だからこその感がしないでもないが、ひょっとしたら、この筆の跡は師のものだったのかもしれない。 (せいじ)
  • 披露宴の受付の場面かと。涼しさを感じさせるとはどれ程の達筆なんでしょうね?達筆に涼しさを感じた感性が豊かだと思います。 (豊実)

表装を急がれてをる夏書かな Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(へいさうをいそがれてをるげがきかな)

合評
  • 掛軸の表装を依頼していたのだが肝心の夏書がまだ仕上がっていないと言ったところかと思います。焦りもあるし気持ちを引き締めてもいる、かなでしょうか。 (素秀)
  • 夏書を掛軸にして書道展か何かに出展するのだろうか。表装してもらう時間も考えて早めに書いておかなければならないのだが、夏書そのものがまだできていないよ~といった趣きであろうか。 (せいじ)
  • 表装をする程に見事な夏書ができたのだろうと思いました。表装ができあがって床の間に飾るのが待ち遠しいのでしょう。 (豊実)

ガードレールぷつりと切れて登山道 Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ガードレールぷつりときれてとざんみち)

合評
  • 峠道のガードレールがプツンと切れているところがあり、そこから山へ踏み入る道がある。ここが登山道の入り口だと標べがあったのかも知れません。作者が登山をするかどうか判りませんが、山への細い道を歩く山男の背中を見たのかも知れません。 (素秀)
  • 「ぷつりと切れて」がリアルであり、そこに、一片の心細さと、しかしまさにこれからが登山なんだという緊張感、高揚感がうまく表されている。 (せいじ)
  • ガードレールがなくなった先に細い道が続いている。さあ、これから本格的な山道にはいっていく。登山の楽しさが始まる。 (豊実)

鏡凪流れ若布もなかりけり Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(かがみなぎながれわかめもなかりけり)

平明に詠んであり句意は明快であるが、写生によって普段は潮流の早い瀬戸の海で若布漁を生業としている地方であることを見事に暗示している。若布は、一年生の海藻なので、冬から春にかけて最も大きくなり、夏場にはほとんど目にすることはありません。鳴門若布が有名で激しい潮流が生む歯ごたえの良さが特徴で全国ブランドとして知られています。春の大潮時などには潮流でちぎられた若布が波に漂う。若布は三春の季語として扱われるがこの句は繁茂期を過ぎて夏近しの季感がある。

余談ですが、むかし神戸に引っ越してきたころに職場の釣キチ連中と終日波止釣に熱中した時期があります。大潮のときにはごうごうと汐が流れ飛ぶように仕掛けが流されて釣りになりません。やがて汐の流れがピタッと止まると嘘のような一枚鏡の海になる。まさに嵐の跡の静けさの感があります。素秀解にある瀬戸の夕凪の幻想的な景色はとても詩的です。汐が止まると魚の動きもなくなりパタッと釣れなくなる。汐の動きが止まる寸前と止まった汐がやがて動き出す時合がもっとも魚が釣れます。これを釣用語では潮時といいます。 辞書では、「1. 潮の満ち引きが起こる時刻。2.物事をするのに、一番よいおり。チャンス」とありますが、「終わりの時・引き際」といった意味で捉えている人の方が多いかも知れませんが、本来は最適期という意味なんです。ことばは愉しいですね

合評
  • 鏡のような凪と聞くとイメージするのは瀬戸の夕凪です。若布もありますが、夏を感じてしまいます。 (素秀)
  • 潮流の速い鳴門海峡や関門海峡は若布の漁場として名高いが、潮流の向きが変わるとき、海が鏡のように静かになる。海が凪ぐと千切れた若布が流れることもない。潮の流れが止まり、それと同時に時の流れも止まってしまったかのようである。 (せいじ)
  • 凪で海面が鏡のようになっていて、若布が波に揺れることもない。一時の休息感があるが、静かに海は生きている。 (豊実)

人妻となりし汝が手にさくら貝 Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ひとづまとなりしながてにさくらがひ)

俳句では春の潮干狩の関連季語として貝類を詠む。桜色の光沢をもつ美しい二枚貝であるが、薄くて華奢なのでふつう見られるのは海辺に打ち上げられた貝殻の破片で見るからに桜の花びらに似てロマンチックな叙情をつのらせるので古くから古歌にも詠まれてきた。幸せを呼ぶ貝といわれていて、二枚の合せ貝は恋愛成就のアイテムとして用いいられる。「汝が手」なので作者ではなく新婚の友人を訪ねたときの作品であろう。独身時代のデートの海辺で見つけた桜貝を見せながらエピソード(惚気話?)を聞かさせれているのかも知れない。幸せそうな様子をちょと羨ましく眺めている作者も見えてくる。

合評
  • さくら貝を無邪気に探していた子が今はもう人妻に。感慨深いものでもあるなぁ。 (素秀)
  • 初々しい新妻の手にさくら貝が乗っている。さくら貝の光沢のある美しい桜色がやさしい雰囲気を感じさせる。 (豊実)
  • 初めて里帰りをした娘と春の浜辺を散策している情景が想像される。「人妻」という世俗的な言葉遣いと「さくら貝」という乙女チックな物の取り合わせにはっとさせられたが、「さくら貝」が「汝が手」にあることによって、いま幸せであることが伝わってくる。 (せいじ)

雛並ぶベビーベッドのすぐそばに Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ひなならぶベビーベッドのすぐそばに)

既に誕生した赤ちゃんがねかされているベビーベッドなのか、生まれる前に早々と準備されているものなのかによって鑑賞はかわってくる。昨今は生まれる前から赤ちゃんの性別がわかるので女の子だと判っていて早々とお雛様が飾られているという情景もありうるが、ここは素直に知人の女児誕生のお祝いに訪れたときの作品ではないかと思う。「すぐそばに」の措辞から団地サイズの雛壇のような感じがするので、マンション住まいの新婚さんの部屋を連想する。多分赤ちゃんはまだ目もよく見えていないくらいの嬰児ではないかと思うけれど、おじいちゃんおばあちゃんからのプレゼントなのかも知れない。生れたばかりの赤ちゃんが周囲の人たちに幸せを撒き散らしている感じです。

合評
  • 雛人形を飾るなら座敷になるのでしょうが、狭いアパートでは赤ちゃんのすぐ隣に雛段を飾るしかなかったのでしょう。赤ちゃんの近くに雛人形があるのも悪くはないと思っているようです。 (素秀)
  • 赤ちゃんを圧倒しそうなぐらいの大きな雛壇を想像しました。小さなベビーベッドと大きな雛壇の対比がおもしろいように思いました。 (豊実)
  • ベビーベッドのすぐそばに雛人形を飾ったのか、あるいは、飾ってある雛人形のすぐそばにベビーベッドを移動したのかは別にして、今、ベビーベッドのすぐそばに雛人形が並んでいる。「すぐそばに」がいい。嬰児がいつも眺めることが出来るようにとの親心が感じられて清々しい。 (せいじ)

尻餅のまますべりゆくスキーかな Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(しりもちのまますべりゆくスキーかな)

スキーもスケートも初めは体重移動やバランス間隔がつかめないので下半身の動きに対して上半身がついていけないので尻餅をつく。はじめてスキーを習い始めた頃を思いだします。誰もが体験しているだけに共感しますね。

合評
  • スキー初心者にありがちな状況ですね。「すべりゆく」なのでかなり長い距離を滑ったように思います。悲鳴が聞こえてきそうです。 (豊実)
  • 尻餅をついて立ち上がりも出来ないし、止まりもできない。まるで喜劇映画のシーンのようでおかしくて仕方がない。 (素秀)
  • 初心者はボーゲンの形でへっぴり腰で滑るから、スピードが出て怖くなると尻餅をついてこけることが多い。かなりの傾斜なのだろう、尻餅をついたまま滑っていく姿が、本人には申し訳ないがとても愉快である。 (せいじ)

河豚の皮ぼろぎれめきてありにけり Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ふぐのかはぼろぎれめきてありにけり)

ぼろぎれのような皮に焦点を集めて詠まれたことにより、大皿に盛られたふぐ刺しの全体像まで連想が働きます。ボタン模様に盛り付けられた透き通るようなふく刺しが見えてきます。美味しそうな大皿を眼前にして如何に詠むかと構えるとき、あれもこれも言いたくなるのを我慢して焦点を絞り、他は省略するというテクニックを学ばされる。「ぼろぎれめく」という比喩もいい得て妙である。

合評
  • 皮引きされたフグの皮はまるでボロギレのようだが、これが食べると美味いのだから何事も見た目ではないものだ、と。 (素秀)
  • 河豚の皮は、河豚刺しの大皿の隅に盛っている湯引きして刻んだものしか見たことがないが、ぼろ切れのようだとはよく言ったものである。確かにそのように見えるから面白い。コリコリした食感があって、もみじおろしを加えたぽん酢につけて食べるととても美味しい。 (せいじ)

ウエファースの家こはれざる聖菓かな Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ウエファースのいえこはれざるせいかかな)

ウエファースの家をあえて壊さないようにしているのか、壊そうとしても壊れないのか、「壊れざる」の措辞をどう捉えるかが難しいですね。「壊さざる」ではないので、みなさんの合評とは違う後者で鑑賞してみる。ケーキを切り分けるとき、ケーキにはスッとナイフが入るのだけれどウエファースの家はナイフの刃を拒むように逃げて壊れないということかなと…。でも、ちょっと無理のある鑑賞のような気もします。家を壊すことができずに最後まで残ってしまった…と解するほうが自然ですね。

合評
  • 買ってきたクリスマスケーキを切り分けるとき、飾りの形を残すようにした。ケーキは食べてしまったのだが、飾りは崩してしまうのが惜しくてまだそのままなのである。 (素秀)
  • クリスマスケーキの飾りのウエハスの家が壊されず残っている。教会の仲間のパーティーでウエハスの家を壊すのに遠慮があるのかも。 (豊実)
  • ウエハースと板チョコなどでできたお菓子の家をクリスマスケーキとして子どもたちと一緒に手作りしたのではないだろうか。壊して食べるのがもったいないぐらいの出来栄えなので、いつまでも壊れないままなのであろう。 (せいじ)

土産屋の機織つてゐる夜長かな Feedback

南上加代子  

(みやげやのはたおつてゐるよながかな)

日本の機織り文化は、雪国で栄えている。麻織物の原料となる苧麻の栽培に適していたこと、湿度が高いので糸を紡いだり撚ったり織ったりするときに糸が切れにくいことのほか、半年豪雪に閉ざされる冬の間でも家でできる生業として最適であったからであろう。化学繊維の普及でこうした文化が廃れていくのは残念である。揚句もそうした雪国の観光地で詠まれたものではないかと思う。雪国の秋は紅葉も美しいので土産屋としての観光収入も多いと思うが、雪で閉ざされる頃にはほとんど無収入になるのでは思う。生計のための兼業なのか店で売るためのものかはわからないが、地元に人たちの慎ましくも健気な生活ぶりに心打たれているのである。

合評
  • 旅先の夜、散歩してるのだろうか。閉まっている土産屋から機織りの音がする。店先に並べる土産を織っているのかもしれない。静かな秋の夜に響く機織りが非日常で心地よい。 (更紗)
  • 紬なのか絣なのか機織りの夜なべをしている土産物屋。営業時間には実演や体験などもやっていそうです。 (素秀)
  • 夜が長く感じられる秋は旅行のシーズンでもあるから、土産物屋にとっては書き入れ時である。商品を作るのに忙しい。夜遅く散歩をしていると、土産物屋から機織りの音が聞こえてくる。なるほど、そうかと思わせられたのであろう。 (せいじ)
  • 土産屋が営業終了後、店の奥の方で機織りしている音が聞こえてくる。織っているのは商品にする生地だろうか?秋の夜長の空気を感じる。 (豊実)

城壁を血ぬりしごとく蔦紅葉 Feedback

南上加代子  

(じようへきをちぬりしごとくすたもみぢ)

合評
  • 圧倒されるほど強いお句だなと感じました。「血塗りしごとく」が効いています。「血塗りし」の「し」は強調でしょうか。そして「ごとく」と直喩に続きます。的確な表現によって、赤々しい蔦紅葉が城壁に絡まっている景が浮かび上がります。戦によって流された血と絡まる蔦に時代の流れを感じました。 (更紗)
  • 血ぬりという言葉が、その城にある血生臭い歴史を感じさせます。そのような赤い蔦であることよ。 (豊実)
  • その昔は争いもあったであろう城壁を今は蔦が覆っている。その蔦も紅く色づいて血のようにも思える。 (素秀)
  • 血のように赤い蔦紅葉が城壁を覆っている。戦で流された血を思い出させるかのように。 (せいじ)

ハイビスカス籬としたる兵舎かな Feedback

南上加代子  

(ハイビスカスまがきとしたるへいしやかな)

ハイビスカスと兵舎と詠まれると沖縄という連想になりますね。ネットで調べると奄美大島&加計呂麻島がヒットしました。加計呂麻島といえば、「諸鈍シバヤ」。「諸鈍シバヤ」は、源平の戦いに敗れて落ちのびて来た平資盛一行が、土地の人々と交流を深めるために伝えたのが始まりと伝承されています。加計呂麻島の西の「実久」には、源為朝の子「実久三次郎」が実久三次郎神社に祀られており、この実久集落には兵舎跡などの戦争遺跡も多く残っているようです。 俳句では、何かにとり囲まれている状態を、「・・・籬としたる」「・・・砦としたる」「・・・玉垣なせる」等々の表現がよく使われます。砦と兵舎では憑きすぎになるのと、ハイビスカスは低木なので籬になったと思う。無理やりこじつければ、ハイビスカスの赤は灼熱と戦火のイメージ、次々と咲き継ぐ一日花であることから生命の尊厳を連想させるが、そこまでの作意はなくごく自然に詠まれた写生句と思う。

合評
  • 米軍基地か自衛隊基地だとしてもイメージは沖縄です。ハイビスカスと沖縄の太陽がカマボコ兵舎を隔離しているようです。 (素秀)
  • 兵舎がハイビスカスに取り囲まれている。沖縄の米軍基地だろうか。夏の日差しがまぶしい。ハイビスカスは仏桑花とも言われる。平和を祈る気持ちをハイビスカスに託しているように思われる。 (せいじ)

芭蕉林七面鳥を放ちけり Feedback

南上加代子  

(ばせうりんしちめんちようをはなちけり)

芭蕉林に七面鳥が放し飼いされているという状況と思うが、芭蕉林、七面鳥で検索してみてもヒットせず、場所の断定が難しいので鑑賞しづらい句ですね。ネパールあたりでは、家庭の庭で放し飼いしているという史料もヒットしましたが日本では見当たらず、ひょっとすると海外吟かもと思います。普通なら採れないような句ですが青畝師もご存知な情景故に旅の記念の句として残されたのかなと思いました。…でもちょっと難しいですね。

合評
  • 芭蕉は秋の季語。大きな葉が少しの風でも簡単に割れてしまいあわれを誘う。七面鳥は異国の鳥、葉陰を闊歩するさまに異国情緒を感じたのではないでしょうか。 (素秀)
  • 熊本の水前寺公園に江津湖芭蕉林という自生の芭蕉林があるらしい。「縦横に水の流れや芭蕉林」という虚子の句碑もあり、作者はそこを訪れたのではないだろうか。七面鳥農法というものがあるらしいが、それはともかく、この芭蕉林では意図的に七面鳥を放し飼いにしているのだろう。作者は芭蕉林を徘徊する多くの七面鳥に蕉門の十哲を連想し、芭蕉林が七面鳥を放ったかのように表現したのではないだろうか。 (せいじ)
  • 解き放たれて走り回る七面鳥が芭蕉の大きな葉を揺らしている。芭蕉の大きな葉の迫力を感じる。 (豊実)

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