2021年5月
目次
(ならうちわごしよくのなかのあかをとる)
奈良団扇の見識はなかったが、揚句を調べてみて理解できた。奈良団扇の歴史は古く、春日大社の神官によって 1,300 年前に日本で初めて作られた「禰宜うちわ」を基として考案されたもので、その特徴は、透し彫りによって作られる華やかで美しい見た目はもちろんのこと、骨組みが一般的な団扇の倍以上の骨数があるため、よくしなり良い風をおこすといわれる。色の基本は、白色・茶色・水色・黄色・赤色の五色。この五色は陰陽五行の色だそうです。赤は衣服に色移りする場合があるため、普通は白、黄、茶、水色から選ぶとのことですが、そのような説明を聞かされた作者はあえてその赤を選んだのでしょう。
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奈良団扇はよく知らなかったので調べてみました。華奢な印象の実用より装飾っぽいかなと思いました。作者も壁にでも飾るつもりなのかと思われます。 (素秀)
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奈良団扇を見たことはないが、ネットで調べると、赤、白、黄、茶、水色の五色の和紙に奈良らしい透かし彫りが施された団扇で、五色は陰陽五行から来ているとのことである。朱夏というように夏の色は赤であるから、団扇を使う夏は当然赤と言わんばかりに赤を選んだのではないだろうか。 (せいじ)
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赤を選んだというだけのことですが、選ぶまでにかなり悩んだのでしょう。奈良団扇という伝統工芸の美しさと気品を感じます。 (豊実)
(きれさうにひもやせしままあきすだれ)
残暑の頃の西日は殊さら厳しいので、風雨にさらされて心もとないくらいになった簾がまだ外されていないのである。具体的な写生によって、「今年の夏の暑さは例年になく厳しかったなあ…」という夏疲れの気分も漂わせている。
- 合評
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秋とは言えまだ西日もあるし、簾をしまうかどうか迷っているように思えます。よくよく見ると使い込んだ簾は紐も切れそうでもある。悩ましいがもうすこしという心持ちでしょうか。 (素秀)
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秋になっても簾が吊されたままで、しかも紐が切れそうなぐらい痩せている。人気のない寂しさを感じる。 (豊実)
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夏を過ぎて秋になってもまだ軒下にぶら下がっている簾を見ると何となくやるせない寂しさを感じるものだが、見たままを描写した「切れさう」「痩せしまま」が、そのような気分までをも言い表しているように思う。言葉の使い方が勉強になる。 (せいじ)
(つゆのはかもんていちうとほられあり)
「露の墓」を「梅雨の墓」とミスタイプしていたのに気づかず大変失礼しました。ごめんなさい。「露」は秋の季語であるが、俳句では「露の○○」というような心象的な使われ方をすることが多い。儚い秋の風情を代弁してくれる。揚句の場合、苔むし風化していて彫られた文字もよく読めない感じの墓碑を連想させる。せいじ解にあるように江戸時代に作られたとする筆子塚は有名で、台座に大きく「筆子中」と刻まれていることからこう呼ばれるようになったという。師匠の辞世、追悼文、造立者の筆子名を列挙したものもある。墓というよりは師を悼む慰霊碑のような存在ではないかと思う。「師の恩忘れじ」の教訓は、日本古来の美徳な風習だと思うが時代とともに希薄になりつつあるのは寂しい。
- 合評
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墓参りにきたら門弟中とある墓がある。事情はよくわからないが雨に濡れた墓に風情を感じたようです。 (素秀)
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筆子塚というものがあるらしい。庶民である門弟たちがお金を出し合って建立したもので「筆子中」とか「門弟中」の文字が台座に刻まれているとのことである。お墓を濡らす梅雨の雨は、門弟たちの亡き師に対する敬慕と感謝の涙でもあろうか。「門弟中」の文字に着目したところが素晴らしい。 (せいじ)
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優秀な弟子が師匠より先に亡くなってしまった。師匠が弟子に対する愛を墓石に彫った。梅雨の雨が悲しみを誘います。 (豊実)
(ふえなればつきのむささびあらはれし)
高野山吟行での句ではないかと思う。私も一度誘っていただいたことがあるが加代子さんは高野山によく出かけられていたようだ。高野豆腐の句なども詠まれているので、冬の句として鑑賞して良いと思う。むささびは6月と12月が繁殖期だそうで行動的になるその時期によく見かけるので冬の季語になったと思う。「笙」という字をあしらって神楽笛を暗示させているとことが巧みと思う。古木の杉や槇などが屹立する神苑で秀枝から洩る月光にむささびが飛んだのが見えたのであろう。関連はないとおもうが、あたかも笙の音に誘われてむささびが現れたように詠まれているところが面白い。実際は驚いて飛び出したのかも知れない。
- 合評
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鑑賞を追加させていただきたい。冬の季語であるむささびがでてくるので、この月はやはり冬の月と見るのが自然であろう。むささびが棲息している場所や笙という雅な楽器のことを考えると、たとえば、平家の落人伝説があるような山村の湯立神事のようなものが想像される。凛とした孤高の冬の月の下で行われている神事での一瞬の出来事を捉えたのではないだろうか。 (せいじ)
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むささびは冬の季語だがその季節感がよく理解できないので、ここはあえて名月の句として鑑賞してみた。笙は雅楽の楽器なので、名月に絡む有名な神社の神事か、神宮観月会のような雅な観月会が想像される。玄妙な笙の音が鳴り始めるや否や、それが合図ででもあるかのように突如むささびが現れてそのシルエットが名月に映し出された。「月のむささび」とあるから、むささびが月から直接出現したかのように感じたのではないだろうか。まるで、かぐや姫を迎えに来た月からの使者のように。 (せいじ)
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むささびは冬の季語、この月は冬の月として鑑賞するべきです。むささびは夜行性で月の空が良く似合います。笛の音と月とむささび、なかなかの雰囲気です。 (素秀)
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鎮守の森に月が浮かんでいる。神事が行われ笙が森に鳴り響く。むささびの飛翔が月に照らされる。 (豊実)
(したたるをうけとめおてのくぼをもる)
省略が効きすぎていて難しいですが、「お手」という敬語を使っていることから連想すると素秀解がほぼ正解かと私も思います。となるとこの滴りは一年を通して存在すると思うので厳密には季感が弱くなりますが、「滴り=涼しさ」という捉え方になるので夏の句として鑑賞することになります。洞窟の中だとするとひんやりとした感じもあります。
- 合評
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洞窟に座す地蔵尊か観音像か磨崖仏かもわかりません。滴りに濡れる仏のお手に水が溜まっては漏れ落ちていく。神聖な雰囲気です。 (素秀)
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「お手」とあり「漏る」とあるから、三歳ぐらいの女の子を想像する。大人がしているのを見て「私も、私も」と言って片手で滴りを受け止めたものの、手の窪が小さいものだから、清水が漏れ落ちて飲むことが出来なかったのだろう。女の子の可愛い仕草が目に浮かぶ。 (せいじ)
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お手のくぼで受け止めた滴りの水。そして、その水がまたお手のくぼからこぼれ落ちる。水が生きていることを感じる。「お」が女性らしく優しい。 (豊実)
(もえてゐるせんこううつるいずみかな)
神仏の宿る霊験あらたかな泉としてその水辺に小さな祠がまつられているのでしょう。日が差し込む明るい状況ではこのような雰囲気にはならないと思うので素秀解にあるような洞窟か、せいじ解にあるような下闇の雰囲気を感じます。「燃えている線香」の措辞をどう連想するかちょっと悩みました。線香の火なので蝋燭のような炎ではないのですが揺れ動くさまがあたかも炎のように見えたのかなと。季語の「泉」を詠んだ作品としてはやや異色です。
- 合評
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鬱蒼とした森の中にある小さな奥の院、そばにはこんこんと湧き出る泉があってまことに涼やかである。仏前に供えられた線香が小暗い森の中で燃えているように見え、それが泉にも映って幻想的な雰囲気を醸し出している。炎の出ていない線香が「燃えてゐる」とはなかなか言えない表現だがそこに実感がこもっている。 (せいじ)
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社の横の泉か、泉のそばに墓があるのか、あるいは地下の泉かも判りません。線香の火の揺らぎを映す泉はなんとも涼し気です。 (素秀)
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洞窟の泉を想像しました。ご自分で仏像に供えられた線香が鏡面のような水面に映ったのだと思います。心静まる空間ですね。 (豊実)
(かじようがきしてかくんありたかむしろ)
季語を説明しないで季語の本質を活かすという点で素晴らしい作品だと思う。「箇条書して家訓あり」という具体的な写生によて、床の間か欄間に掲げられた扁額が思い起こされ、合評にあるようにそれが似合う雰囲気の座敷の全容が見えるように連想が膨らんでいきます。省略の大切さと具体的にという客観写生のお手本そのものです。
- 合評
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招かれた家の座敷にたかむしろが敷かれていたのかと思います。涼しげで瀟洒ではあるが、家訓の額が掛かっていて堅苦しく思ったのかも知れません。 (素秀)
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「たかむしろ」によって夏座敷が具象化されている。座敷にたかむしろが敷かれ、床の間には家訓が条幅にして掛けられているのであろう。家訓が数箇条にわたって書かれていることに着目したところが素晴らしいと思った。凛とした家風が感じらる夏座敷である。 (せいじ)
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格式高いお宅にお邪魔したのではないでしょうか?たかむしろを敷いた床、壁の家訓。気品と風格のある和室ですね。 (豊実)
(このごろはおてほんなしのげがきしぬ)
書を趣味とし子どもたちにも教えたりもしている作者は、なんどもなんども夏書の経験を積んでいて諳んじた経文をくぐもりつつお手本無しで書けてしまうくらいに上達したのです。経文だけではなくお手本の一字一字の筆跡までもが脳裏に刻まれているのでしょう。生前の加代子さんからは毎年自筆の賀状が届いていました。晩年になって認知がでるようになり施設に入所されてからも賀状はいただいていたのですが、徐々にその筆跡が怪しくなっていきました。家内の母も書を趣味としていましたが同じような状況でした。書は訓練によって手が覚えていると思っていたのですが、すべて脳が支配しているのだという理屈を合点したのを思い出します。
- 合評
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手慣れてきてお手本がいらなくなったのでしょう。お手本無しでも満足できる出来に本人も嬉しそうです。 (素秀)
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始めは気合いを入れてお手本通りにきっちりと写経していたが、暑くもなり、ちょっと疲れて気が緩んでしまったのかと思いました。(豊実)
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安居の夏書を長年習いとしてきたので、今では経文も覚え、宙で書くことができるようになった。今年もお手本を見ずに夏書をしましたよと語る作者に、円熟した信仰者の姿を見ることができる。 (せいじ)
(おおひがたえきのほーむにせまりけり)
ロケーションとしては、素秀解のような感じでしょうね。物理的に干潟が近づいたり遠のいたりするはずはないのですが、あっという間に沖へ沖へと広がっていく大干潟を眼前に眺めていると遠近法による錯覚で動かないはずの干潟がぐんぐん近づいてくるような迫力を覚えたのです。瞬間写生風に叙してあるが多少時間経過の要素を含んでいるように思える。
- 合評
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海沿いの駅でホームの目の前に干潟が広がっている光景が見えます。夕日が良く似合いそうです。 (素秀)
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駅のホームに降り立った瞬間、果てしなく広がる大干潟が目に飛び込んでできた。迫り来るような何かを感じ、畏怖の念に打たれたのではないだろうか。 (せいじ)
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満潮で波が迫ってくることはあっても、干潟が迫ってくることはあり得ないが、あたかも干潟が迫ってくるような錯覚を感じる。 (豊実)
(うみのははしらぬじゆうさんもうでかな)
鑑賞に先立ち、季語「十三詣で」の意義を認識することが大事です。「十三詣り」は、旧暦 3 月 13 日、現在は 4 月 13 日に数え年 13 歳に成長した子どもを連れて虚空蔵菩薩にお詣りをし、おとなになるのに必要な知恵を授けてもらい、厄祓いする行事です。従って、このシーンには、子供とその保護者の二人の姿が見えています。第三者を写生したようにも鑑賞できるし、あるいは作者がその保護者であったのかも知れませんが、「産みの母知らぬ」という個人情報まで知っているということは、極めて近しい関係にあると思われる。みなさんの合評どおり、子供の身の上についていろいろなケースを想像させるし、保護者との関係も考えると一冊の小説が書けそうです。このあたりが俳句の醍醐味でもあります。
- 合評
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生き別れか死に別れか判りませんが、母の無い子の十三詣を感慨深く句にしています。昔なら元服の歳、一人前になったものだと。 (素秀)
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事情は分からぬが本当の母を知らぬ、13歳になったお下げの女の子が、中学1年生の体で、京都のお寺で将来の夢が叶いますように、一生懸命御願いをしている姿を、いじらしく思って詠まれた作品と解釈致しました。この子の上に幸福が! (宏虎)
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なぜか少年ではなく少女を想像する。事情をよく知っている少女と一緒に十三詣に出かけたのではないだろうか。十三歳になりましたよと、見たことのない産みの母に報告しているようで切ないが、これからの人生が恵まれますようにと祈る少女の前向きな姿勢を見て、少女を応援したいような気持になっているのではないかと思う。 (せいじ)
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産みの母を知らないという事情がある。思春期を迎えた子供が真っ直ぐに育ってほしい。 (豊実)
(たけのこのつらぬくならめごごうあん)
五合庵は、良寛が40代後半からから約20年生活したと言われている草庵で、かやぶき屋根の極めて簡素な造りであり、現在の建物は大正時代に再建されたものだそうです。竹林の中に建てられたとのことで、床下から伸びてきた筍のために床板を外した等々の筍にまつわる諸説がある。現在の写真を見る限りでは、竹林の中という雰囲気は全く感じられないが、事前にそのような情報を勉強していた作者は、ひょっとしたら…というような茶目っ気心で五合庵を訪ねたのである。「ならめ」は「ならむ」の未然形、「…であるのだろう。…なのだろう。」の意である。季語としての「筍」は、ちょうどその時期に五合庵を訪ねたということになる。
- 合評
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つらぬくならめ、は貫いていないと読んだら良いのでしょうか。逸話通りなら竹の成長を助けるために床板を剥いでいるのでしょうが、そんなこともなく安心したのかがっかりしたのか。 (素秀)
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良寛さんゆかりの五合庵を訪ねたときの句であろう。庵の周りでは筍が伸び始めている。有名な逸話通りなら、筍が伸び先を邪魔されないように床板がはがされて屋根まで貫くようになっているのだろうけれども、さて如何にと、五合庵をのぞき込んでいるような感じがする。 (せいじ)
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筍が五合庵の床板を突き破ってしまうのを心配している。五合庵には良寛と筍の逸話があるようです。 (豊実)
(ごぜにあるおうじゅほうしようあたたかし)
瞽女とは、三味線を奏で語り物などを唄いながら、各地を門付けして歩く「盲目の女旅芸人」のことです。幼い頃から親方と呼ばれる師匠に預けられ、瞽女として生きてゆくために厳しく芸を仕込まれました。また、黄綬褒賞は、多年にわたり仕事に励んできた、人々の模範たるべき人に対して授与される栄典。黄綬褒賞の受賞者の多くは実業家であったが、戦後四半世紀を経て、瞽女として生き抜いてこられた人たちの生き様にもスポットがあたる時代になったことに温かい感興を覚えたのであろう。戦争未亡人として厳しい時代を耐えて頑張ってきた作者であるがゆえに、私達が感じる思いを超える熱いものがあったのではないかと思う。
- 合評
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門付け芸人の瞽女に伝統芸能と同様の褒章があった事に作者の胸も熱くなったのかも知れません。おそらく新聞報道で勲章を胸に下げた写真を見たのでしょう。 (素秀)
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ネットを調べてみると、昭和 48 年に杉本キクイさんが、昭和 54 年に小林ハルさんが、瞽女唄の伝承者として黄綬褒賞を受けている。褒章を首にかけた瞽女の写真に、辛い人生を生き抜いてきた瞽女が世間に認められ報われた瞬間を見る思いがして、心が動かされたのであろう。本当に心が暖かくなることよ。 (せいじ)
(やんでゐるつまににがつのながきこと)
みなさんの合評のとおり、「二月」という季語が絶妙ですね。一般人の生活の中では、「二月は逃げる」と言われるように感覚的にも短いのですが、病んでいる本人はいうまでもなく、案じ祈りつつ看病している家族にとっても一日一日がとても長く感じるのである。「いまは苦しく辛いだろうけど、暖かい時期が来ればまた元気になるよ」と医者から言われていて、日めくりカレンダーを繰りつつひたすら快復の日を待ち望んでいるのである。介護するほうは病んでいる当人以上に心身ともに大変なことは私も体験上よくわかるが、「病んでゐる夫に」という言い方に深い夫婦愛を感じるのである。
- 合評
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読んでいて胸が痛くなりました。「病んで『ゐる』」現在進行形ですね。「夫『に』」とありますのでご主人の病状は刻々と進んでいるのかもしれません。二月は一年で一番短く寒さの厳しい時期です。季語「二月」が動きません。 (更紗)
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二月は28日と短いが病身には寒さとともに長く感じられる。早く暖かい日が来て回復してほしい。 (豊実)
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病気の夫が苦しんでいる様子をみるにつけ、日数の少ない二月が本当に長く感じられることよ。二月は一年のうちでもっとも寒い時期であるから、早く暖かくなってほしいという気持ちと相まって、夫の病気が早くよくなってほしいという妻の切なる願いが痛いほどよくわかる。 (せいじ)
(やきいもをわるときゆげのもつれけり)
物理学的に分析してみましょう(^^)
普通焼き芋を食べるとき、両の手で二つに折りますね。その瞬間に割かれた断面から「ワッ!」と湯気が吹き出すのですが、二つに割っているので左右それぞれに断面がありますから、それぞれから隣り合って湯気が立ちます。その二つの湯気がもつれあうようにみえた瞬間を写生したのではないかと思う。頭で考えたのではなく実景をみての写生であることは明白、力強い作品になっています。美味しそうな栗色の焼き芋の断面まで連想できます。
- 合評
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熱々の焼き芋をいかにも美味しそうに表現しています。湯気といっしょに立ち上る美味しそうな香りも感じられます。 (素秀)
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焼芋を割るときの嬉しそうな顔が目に浮かぶ。湯気が辺りの冷気を乱したのか、湯気に自分の息がかかったのか、原因はともかく湯気がもつれたのであろう。その瞬間を作者はみのがさない。 (せいじ)
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湯気がもつれるというのがいいですね。いかにもホクホクで美味しそうです。 (豊実)
コーチうけつつも転べるスキーかな Feedback
(コーチうけつつもころべるスキーかな)
ゲレンデでコーチングをうけている初心者コースを連想します。傾斜地で普通に立っているためには、体重を山側へかけて橇のエッジ少し立てるなどちょっとしたコツがいるのだけれど、初心者にとってはそれすらままならないので、コーチの説明をききながらも身体の安定を保てずに足元が滑って転んでしまうのである。だれかひとりが転ぶど不安が連鎖して次々転ぶ人が出てきたりする。合評にあるように楽しそうなスキー場の風景が連想できます。
- 合評
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教えてもらったとしても転ぶのがスキーだと言っているようです。転ぶのも楽しんでいるようです。 (素秀)
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私もスキーを始めたばかりの時は良く転びました。転びすぎてスキーが嫌いになる人もいますが、この句の場合はスキーを楽しんでいるように感じます。 (豊実)
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作者自身のことでもあろうが、ゲレンデでスキーを習っている人たちが目に浮かぶ。たいていはゼッケンをつけている。なかなかうまく滑ることができないが、コーチの指導が下手だからではない。何度も転んでコツをつかむ。さあ、希望をもって頑張ろう。 (せいじ)
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今日から昭和50年の作品になります。
みたてあふ互ひのジャケツやゝ派手に Feedback
(みたてあふたがひのジャケツやゝはでに)
女性の鑑賞を期待して待っていたのですが残念です。ファッションに関しては選ぶ人の好みと客観的に似合うかどうかとは異なると思うのです。派手めなものを自分で選ぶのは勇気がいるので、大抵は年齢相応に無難な選択をしがちですが、本当に似合っているかうどうかというのは他人のほうがよく見えるものです。ジャケツ売り場で互いに商品をあてがいながら、「あなたにはこのくらいのほうがよく似合うよ」と友達同士で背中を押し合って楽しくショッピングしている感じがよくわかる作品です。
「ジャケツ」は、薄地の夏用もあるのですが、俳句ではカーデガンやセッター同様に冬の季語として分類されています。ファッションの世界は俳句と似ていて季節を先取りします。季語がジャケツだから冬の句と決めつけるのは早計で、実際の時期は晩秋、これから冬を迎えようとする冬物セールの売り場点景ではないかと思う。売り場の活気も感じられる。季感抜きで鑑賞すると川柳になります。「俳句鑑賞は季感チェックから」を忘れないようにしましょう。
- 合評
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ジャケットを選びあったら自分が選ぶより少し派手目の物になった。夫婦かなと思います。お互い少し派手な物を着て貰いたいと思ったようです。 (素秀)
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やや派手なジャケットということは、おそらく旅行用のジャケットを買いに出かけて見立て合ったのではないかと思う。夫婦か、女性同士か、母と娘か、組合せはいろいろと考えられるが、男性同士というのはなさそうである。 (せいじ)
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洋服屋で二人でジャケット選びを楽しんでいる。会話が弾む勢いでお互いにちょっと派手なものに挑戦しようかと。夫婦というより、女性同士かなと思いました。 (豊実)
(かざみどりふぶきにきえてまたみえて)
みなさんの合評、屋内組と屋外組とに分かれましたが、鑑賞としてはどちらも正解だと思います。風見鶏といえば、神戸北野の異人館通りにある風見鶏の館が有名なので六甲颪で吹雪いている景も連想できますが、場所は限定しなくても良いと思います。激しく吹き付ける風と雪にキリキリ舞いして喘いでいる風見鶏の様子が見えてきます。熱心な加代子さんのことなので、そんな悪条件のなかでもビニール合羽をきて吟行していたかも知れないですが、落ち着いた句の雰囲気からは、吹雪で吟行に行けないのでホテルの窓から外の景色を写生したという連想もできます。
- 合評
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私も神戸の異人館の光景が浮かびました。「また見えて」とあるので、吹雪に見え隠れの繰り返しなのでしょうか。「消えて」「また見えて」の措辞に、吹雪の坂道を一歩一歩踏み締めて登っている様子が伺えました。 (更紗)
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屋内から隣家の風見鶏を見ているように思えます。窓から見える風見鶏で吹雪の強弱を計っているのかと。風見鶏が見えなくなるほどの吹雪では外出も控えて家に籠るしかないのでしょう。 (素秀)
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神戸北野異人館の風見鶏の家を想像する。吹雪の坂道から上を見上げると、尖塔の上の風見鶏が、強くなったり弱くなったりする吹雪によって見えたり見えなくなったりしている。ここはカップルをよく見かける観光スポットであるが、「消えてまた見えて」と名前さながら何か思わせぶりな風見鶏に、恋の駆け引きのようなものを感じるのは行き過ぎだろうか。 (せいじ)
(もちつきにくわはるゆなのちからもち)
湯女に関しては、下記のページの記事が参考になります。
有馬温泉の湯女
一般的な湯女とは、釜炊き、湯加減の調整、番台業務の三つの役を助けたことに由来する「三助」の前進で、どちらかと云うと女郎のようなイメージだったようですが、有馬温泉の湯女は全く違った存在であったそうで、棒をもった湯女が、出るのが遅い客がいると、戸口を叩いて急かしていたそうで、「有馬ゆでもつ、湯は湯女でもつ」といわれるほどの存在であったとか。現在では、もう見られないと思うのですがこの句の生れた頃はまだ現役だったのかも知れません。
更紗解にあるように、遊女風のイメージなら、やや違和感がありますが、逞しくて力強い「有馬湯女」の写生なら納得できます。男まさりで頼りになる存在なのでしょう。
- 合評
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とても素朴な疑問なのですが、「湯女」はこの句の詠まれた時期にもいらっしゃったのでしょうか…「湯女」を調べたところ、江戸時代の頃の「湯女」が出てきて、この御句の湯女のイメージが違いすぎて、鑑賞に迷いがでてしまいました。御句…餅つきをしている所に湯女も加わってみたら、なんと力もちだったんですね(笑)。おめでたいお正月に男衆に加わって餅つきをする湯女が何とも意外性があって面白いですね。 (更紗)
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餅つきと力もち、韻を踏んで湯女の威勢の良さも楽しそうです。 (素秀)
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年末の有馬温泉、湯女も加わって正月用の餅を搗いているのだろう。観光用のイベントかもしれない。湯女が搗くたびに「よっ、力もち!」の掛け声が上がる。年末の温泉街の賑わいが実感される。「湯女の力もち」が楽しい。 (せいじ)
(ゆきしろきとわだのまちのくらさかな)
- 合評
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雪に覆われた十和田の町の静けさを感じました。雪の白さと暗さを詠まれているのは、雪が何十センチも積もり、厚みにより影ができていることの写生に感じました。十和田の方々の忍耐強さを感じます。 (なおこ)
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「十和田の町」の固有名詞が効いています。長い冬の時期、雪に覆われる土地だからこその実感なのかもしれません。雪の白さと雪に覆われている暗さ。対比が見事です。平明な言葉からいろいろ想像させられる一句ですね。 (更紗)
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5 月のはじめ十和田市に住む知人からはがきが届いた。かの地ではいま田植えの準備が始まりトラクターの音が早朝より鳴り響いているとのことであった。その十和田の町は冬は雪ですっぽりと覆われている。どんよりと曇った町は人影もまばらで仄暗いが、純白の雪の明るさのために、それが一層暗く感じられるというのであろう。 (せいじ)
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現在の十和田市の人口は約6万人だそうです。昔の青森の内陸には荒野が広がっていたのでしょう。雪の白さが町の内面の暗さを強調しています。 (豊実)
(みずのすみきるさんばしのすきまかな)
季語は「水澄む」秋、桟橋の踏板の隙間を捉えたところが非凡ですね。空気も澄んでいてお天気もよかっかのでしょう。素秀解にあるように湖にしろ海にしろ
お天気の良いときには、全反射という現象が生じて水面は鏡のようになりますが、桟橋とか吊橋とかを渡るときは、視線が直下の隙間にいくので透明度がよくわかります。桟橋は比較的浅瀬に設けられるので水底まで透けて見えているのでしょう。誰もが一度は体験していそうな情景ですが、こうして一句にされてみると、「やられたな〜」という感じです。
- 合評
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岸辺からでは反射もあって気付かなかった水の透明度が桟橋の上からだと驚くほどである。少し乾いた秋の空気も感じられてこれは湖ではないかなと思います。 (素秀)
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旅先の海や湖での景かなと思いました。桟橋から船に足を運ぶその瞬間、ふと足元を見たら波面がなんとも透き通っていて底が見えるくらい澄んでいたのでしょう。桟橋の隙間に着目されてすばらしいなと。一読して景が広がりました。清々しい句ですね。 (更紗)
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秋の旅行で大きな湖を遊覧したときの句ではないかと想像した。湖水の上にかかる桟橋には多くの隙間があるが、その隙間から至近距離で見える湖水の何と澄み切っていることか。大気ばかりでなく水も清らかに透き通っているよい季節であることよ。 (せいじ)
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木製桟橋の張り板の隙間から見える水面が日陰になっていることが、澄みきった水をより感じさせたのだと思います。誰かを見送った後かもしれません。 (豊実)
(みのむしのこままはりしぬかをだしぬ)
蓑虫の習性を調べてみました。普段は蓑をしっかり枝に結わえて中で眠っているので風で回転することはなさそう。食事などで移動する時、蓑を破って枝から切り離し、糸でぶら下がりながら移動するようです。作者はその様子をじっと観察していたのでしょう。「独楽回りせる貌出しぬ」の措辞はどことなくぎこちなく、更紗解の通り普通なら、「独楽回りして貌出しぬ」とするところだが、おそらく青畝師の添削ではないかと思う。独楽回りしたのちに一と呼吸おいて「あ〜、目が回るよ〜」と蓑虫が貌をだしたという印象になっている。蓑の中で目が回ってしまい、思わず貌を出したかのように滑稽に表現されているのが面白いと思う。
- 合評
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興味深い御句です。蓑虫が風に揺れて独楽のようにくるくる回って、驚いて顔を出した…とのことでしょうか?ひとつ気になったのが「独楽まわりせる」の「せる」です。これは「独楽まわりしている(しながら)」と読み解いていいのでしょうか?「貌出しぬ」と続くので「独楽まわり「して」と繋いでしてしまいそうですが、「せる」としたことが効いています。くるくる独楽まわりしながら、ひょんと蓑虫が顔を出したその瞬間を描いたのかなと感じました。 (更紗)
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糸にぶら下がった蓑虫が顔を出したままぐるぐると回っている滑稽さを詠んだのだと思います。 (豊実)
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蓑虫がくるくる回るほど強い秋風は、わずかに肌寒さも感じられます。思わず顔を出して確認しているようです。 (素秀)
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枝からぶら下がった蓑虫が秋の風にあおられて独楽が回るように回っている。じっと見ていると幼虫が簔から顔を出した。その瞬間を見ることができたことに感動したのだと思う。 (せいじ)
(せいかはることをつげんとはかまいり)
平明で分かりやすい句ですが、加代子さんの境涯をご存知の青畝師の心には深く感動を与えた作品だと思います。加代子さんは、戦争未亡人としてさまざまな仕事をされながら一人で生き抜いてこられました。いろいろ苦しい場面もあったと思いますが、俳句を支えとして耐えてこられたと聞きます。この墓参り、ご両親だとすれば平凡ですが、戦死されたご主人だとするとどうでしょうか。俄然、句の重みは変わってきますね。
事前の情報がなければそこまで鑑賞することは難しいですが、常識的な概念だけで推測するのではなく、包み隠された深い部分に連想を飛躍させることもときには必要です。でも、あまりに穿ちすぎることもまた戒めなければいけないので難しいですね。
- 合評
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結婚を承諾し夫の姓になることを、報告するために久しぶりに墓参りをされた、報告の為の俳句だと思います。(宏虎)
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再婚の報告に墓参した、複雑な胸中でしょうが気持ちを伝えることで自分の決意も新たにしたのかと思われます。 (素秀)
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お盆に帰省して墓前に婚約の報告をしたのであろう。結婚して夫の姓を名乗ることになる女性の気持ちは想像するしかないが、喜びの中に一抹の寂しさがあるのかなあとも思う。 (せいじ)
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本当は、(おそらく)父が生きている間に結婚を祝ってほしかったけど・・・。娘としてけじめの墓参りでしょうね。 (豊実)
(すずのこのりんといちまいはをかざす)
篠の子は、すず竹の細長い筍のこと、珍しい季題ですね。「すずの子は竹の一すんぼうしかな」という句がありますが、そんな感じなのでしょう。写真をみると素秀解のとおり、細い筍の先っぽから葉を出して伸びてくるようですね。小さいながらもしっかりと若葉をかざして自己主張している様子を頼もしく、また微笑ましく感じたのであろう。これもまた想像だけでは詠めない句、吟行による一期一会の作なのだと思う。
- 合評
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少し伸びた篠の子の先に青い葉が見えてくる、勢いよく伸びるぞと宣言しているように感じます。 (素秀)
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すず竹の子の先端から葉が一枚伸びている。旗手が校旗をかざすときのように、きりりとひきしまった感じがするのであろう。「凛と」に涼しさを感じる。 (せいじ)
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篠の子とは細い竹の筍なんですね。細いながらも成長する力強さを一枚の葉に感じたのではないかと思います。 (豊実)
(おおひがたバレーボールのしごにんら)
現代では「ビーチバレー」としてオリンピック種目にもあるほど普及していますが、この句の詠まれた昭和49年当時としては目新しい風景であったのかもしれないですね。最近は、「ビーチバレー」「ビーチボール」を夏の季題として詠まれた例句もあるようですが、揚句の場合は、「大干潟」が春の潮干狩りの季語として働いています。豊実解のように貝掘りに飽きた若者のグループかもしれないですね。
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大きな干潟で磯遊びや貝掘りをする人達の他にバレーボールをする人は目立っていたのでしょう。乾いた砂浜があったとも言えて干潟の大きさが想像できます。 (素秀)
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大きな干潟でバレーボールをしている四五人のグループ、円陣を組んでパス回しをしているのであろう。勝手な想像だが、卒業式を終えた高校生の男女の仲良しグループが、春の浜辺に集まって別れを惜しんでいるのかと。広大な干潟と前途洋洋な若人とが相まって希望を感じさせる。 (せいじ)
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潮干狩りに飽きてバレーボールをしているのでしょうか?ボールが転がった先に蟹がいそうです。 (豊実)
(かわくよりはやとんでをるわかめかな)
漁師が春に採った和布を砂浜などの風通しの良いところで襤褸を干すように吊るしてある光景である。私が俳句を始めたころは須磨や塩屋の海岸でも見ることができた懐かしい風景である。素秀解にある「灰干しわかめ」は、鳴門わかめとして有名で脱水機にかけたあと灰まぶし機で火山灰をまぶしたのちに天日干しをするという。揚句からは、まだ十分に乾ききっていない若布が強い春の浜風に煽られて躍っている様子が連想できる。採れたばかりの若布は干されながら雫をこぼしていたり干場の周辺では風に乗って磯の香りがプンプンした。また干された長い若布の先っぽが砂に触れていたりと句材は豊富であったが、塩屋あたりの浜はみな加工工場になってしまった。
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灰干しの光景かと。乾いてくると灰がまず飛びます。若布が飛んでいるようにも見えます。 (素秀)
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刈り取ったわかめは適当な大きさに切り、広げて天日干しにするらしい。吊るしたり、網か板の上に置いて乾かすのだが、乾く前に風で飛ばされるものもあるのだろう。春の波止場の匂いがしてくる。 (せいじ)
日にあたる波にぐにやぐにや和布刈竿 Feedback
(ひにあたるなみにぐにやぐにやめかりざお)
和布刈は、棒の先につけた釜で切り取る方法と先が三叉に分かれた長い竿で引っ掛けて採る方法とがあるようだ。この句の場合は、箱メガネで海中の様子をみながら長い竿を巧みに操るさまを詠んだものと思われる。和布刈船に同舟しての句なのか観光船からすぐそばその様子を見学したのであろう。「日にあたる波」の鑑賞が難しいが、ゆるやかに波打つ海面に日があって海中の竿の様子が透けて見えているのではないかと想像してみる。海中に見える竿は光の回折現象で歪んで見えるが波打っているのでさらにぐにゃぐにゃに見えたということではないだろうか。どこが良いのかと問われると困るが、想像では作りえない写生句であることは間違いない。
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竿で引き揚げた若布が波といっしょに揺れる様子。思いがけない長さと日に当たって煌めく美しさです。 (素秀)
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めかり竿には竿の先端に鎌がついており、それでわかめを刈り取るのだが、船上の作者は、海中から引き上げられ波に揉まれて朝日を浴びている巨大で異様なわかめを見て、きっと驚いたのだと思う。春まだ浅き海の情景も目に浮かぶ。 (せいじ)
(くろリボンむすぶえにかべさむきかな)
俳句鑑賞は、単に直訳的に句を分析して良しとするのではなく、そこに隠された作者の思いを探りだす努力をしなければ、鑑賞力の向上にはつながらない。揚句の場合、高貴な人の合同葬儀または慰霊祭で黒リボンを結ばれた大きな遺影が壁面に掲げられているのをうち仰いでの感興ではないかと思う。凭れた壁がひんやりとして寒かったとか、部屋が寒いとかの体感的な寒さではなく、亡くなられた方への深い追慕の感情が遺影の掲げれられた壁に寒々しさを覚えたのである。「壁寒し」として少主観を詠み込んだテクニックは、季語の本質を借りて感傷を託すという巧みさを学ばされる。
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黒いリボンの画は遺影かと思います。リボンの掛かったままとはまだ 49 日も終わっていないのかと。家の祭壇にとりあえず置いたものの寒さはつのるばかりなのでしょう。 (素秀)
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著名な方が亡くなったのであろう。その方の肖像画に追悼の黒リボンが結ばれている。冬のお別れ会の会場は寒いが、今は亡きこの方の肖像画を見ると寒さがことさらに募る。「壁」は作者自身でもあろうか。 (せいじ)
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亡くなった方の肖像画に黒リボンがかかっているのかなと思いました。 (豊実)
フレームにハイビスカスの今日の花 Feedback
(フレームにハイビスカスのけふのはな)
外は寒いけれど、フレーム(温室)の中では南国の花が咲きほこっている。ハイビスカスも季語ではあるが、揚句の場合は、冬のフレームが主季語であることはいうまでもない。けれどもなぜ「ハイビスカスの今日の花」なのかを推察しなければ鑑賞にならない。揚句を一読して「ピン」とこなかったら、まず検索して調べてほしい。うつぎ解にあるように「ハイビスカス」は一日花、朝顔と同じように朝に咲いた花は夕べには萎れてしまうのである。つぎつぎと花を揚げるのでその性質に気づかない人も居るが、作者はよく知っていて、色鮮やかに咲いているハイビスカスを眺めながら一日花の儚い命を慈しんでいるのである。平明に詠んであるが、ここにも作者の少主観が隠されていてとても深い作品だと思う。
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フレームの中では夏のハイビィスカスが咲いていることに感動したのでしょう。元来一日花なので今日の花と強調し毎日咲き継いでいることも分かります。季語はフレームで冬ととりました。 (うつぎ)
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冬のひと日、植物園かどこかのフレーム(温室)に入って植物を鑑賞していたら、咲き立てとおぼしきハイビスカスの花を発見した。咲き立ての花の美しさもさることながら冬に見ることができたことにも感激したのであろう。今日の花といういい方が勉強になる。 (せいじ)
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植物園の温室に入ると「今日の花」というのが置いてある、それが今日はハイビスカスだったのだと思いました。 (なおこ)
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フレームは冬、ハイビスカスは夏の季語です。温室栽培のハイビスカスだと考えるとフレームが主季語かと思います。次々と開くハイビスカスの今日の花の写生かと。 (素秀)
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「今日の」で誰かに頂いたのかと思いました。嬉しくて、普段使ってなかった特別のフレームに飾ったのでしょう。 (豊実)
(そかいせしひをなつかしむたにしかな)
現代は田螺が繁殖しすぎると被害が出るので嫌われるが、戦時中は食糧難で蝗や田螺も貴重なタンパク源であった。また田螺は、水槽の掃除屋さんとしてメダカ水槽などに数匹いれておくと水の汚れを食べて分解し透明にしてくれるそうだ。そんな田螺なので決して美味ではない。私たちの世代では話しに聞く程度だが実体験をした作者にとって忘れがたい戦時中の思い出である。いまや飽食の時代、吟行の田んぼで田螺を見つけてそんな時代もあったことよと懐かしんでいるのである。
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母親の里が海岸沿いで巻貝を拾っては茹でて食べてたのを思い出しました。今となっては食べる事も無い巻貝、ブキ貝とかブキさんなどと呼んでいました。作者にとっての田螺もそうなんだなと実感できます。 (素秀)
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戦争で疎開していたころ、田螺も貴重な食材だったのかと思います。 (豊実)
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田螺を見ると、疎開していた日々のさまざまな出来事が思い出される。田螺取りをした楽しい思い出とともにつらく悲しい出来事もあったが、それも今は懐かしい。 (せいじ)
(しようごくをかたりつつゆくふたへんろ)
一服茶屋などで同席になり、そのあとお喋りしながら歩いている二人の遍路の姿が見えてくる。それぞれの故郷を紹介したり何気ない会話のうちに、やがて心打ち解けて、互いの心情や遍路の旅の目的などプライベートな話題へと展開するのである。ひょっとするとたまたま同郷の人同士であった故に話が弾んでいるのかもしれない。旅は道ずれといわれる、遍路の旅の一期一会を連想させてくれる素敵な作品である。
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二人の遍路のニタ、良く使われますが、自分も知らないままに使っています。ニタが付く地名や人名もあるようです。これは二股からの言葉なのでしょうか。二だけでふたと読ませるのは無理があるので振り仮名的にタを付けたのかな、とも思いました。 (素秀)
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たまたま行き会ったお遍路さん二人が、次の霊場までの道のりを身の上話をしながら歩いているのであろう。初めて会った者同士が同行としてすぐに打ち解けている様子が「生国を語りつつ」によく表れている。 (せいじ)
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行きずりの人とお互いの故郷の話をしながらお遍路しているのでしょうか?「二タ」の意味がわかりませんでした。 (豊実)
(かんばつにかぼそきあしをかりにけり)
季語の「芦刈」は、晩秋の頃水辺で蘆(あし)・葦(よし)を刈ることをいう。腰までの長靴を履いていても、濡れてしまうので体を乾かしたり温めるために焚火をします。その火が「蘆火」である。刈った蘆、葦は、葭簀などの材料として売り生計の足しにするのであるが、旱魃などで蘆の成長が悪ければたちまち収入に影響が出るのである。売り物にならないようなやせ細った芦も来年の収穫につなげるためには刈らないわけにはいかないのである。大自然に抗うことはできない人間の弱さを思うが、そのような状況下であっても忍耐して黙々と芦を刈る素朴な人々の姿が見えてくる。
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旱魃のために芦が青々と茂らないので刈ってしまったというのであろう。今年の夏の暑さがうらめしい。「か細き」に残念な思いがよく出ていると思う。 (せいじ)
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旱魃と芦刈るの季重なりですがこれは芦刈るが主季語になるのかと思います。 (素秀)
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旱魃で食べ物の収穫がなく、唯一、細く伸びた芦を刈り取ってはみたものの何の足しにもならない辛さを感じました。 (豊実)
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