2021年5月

目次

蓑虫の独楽回りせる貌出しぬ Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(みのむしのこままはりしぬかをだしぬ)

合評
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姓替ることを告げんと墓参 Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(せいかはることをつげんとはかまいり)

平明で分かりやすい句ですが、加代子さんの境涯をご存知の青畝師の心には深く感動を与えた作品だと思います。加代子さんは、戦争未亡人としてさまざまな仕事をされながら一人で生き抜いてこられました。いろいろ苦しい場面もあったと思いますが、俳句を支えとして耐えてこられたと聞きます。この墓参り、ご両親だとすれば平凡ですが、戦士されたご主人だとするとどうでしょうか。俄然、句の重みは変わってきますね。事前の情報がなければそこまで鑑賞することは難しいですが、常識的な概念だけで推測するのではなく、包み隠された深い部分に連想を飛躍させることも大切である。とはいってもあまりに穿ちすぎることもまた戒めなければいけないので難しいですね。

合評
  • 再婚の報告に墓参した、複雑な胸中でしょうが気持ちを伝えることで自分の決意も新たにしたのかと思われます。 (素秀)
  • お盆に帰省して墓前に婚約の報告をしたのであろう。結婚して夫の姓を名乗ることになる女性の気持ちは想像するしかないが、喜びの中に一抹の寂しさがあるのかなあとも思う。 (せいじ)
  • 本当は、(おそらく)父が生きている間に結婚を祝ってほしかったけど・・・。娘としてけじめの墓参りでしょうね。 (豊実)

篠の子の凛と一枚葉をかざす Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(すずのこのりんといちまいはをかざす)

篠の子は、すず竹の細長い筍のこと、珍しい季題ですね。「すずの子は竹の一すんぼうしかな」という句がありますが、そんな感じなのでしょう。写真をみると素秀解のとおり、細い筍の先っぽから葉を出して伸びてくるようですね。小さいながらもしっかりと若葉をかざして自己主張している様子を頼もしく、また微笑ましく感じたのであろう。これもまた想像だけでは詠めない句、吟行による一期一会の作なのだと思う。

合評
  • 少し伸びた篠の子の先に青い葉が見えてくる、勢いよく伸びるぞと宣言しているように感じます。 (素秀)
  • すず竹の子の先端から葉が一枚伸びている。旗手が校旗をかざすときのように、きりりとひきしまった感じがするのであろう。「凛と」に涼しさを感じる。 (せいじ)
  • 篠の子とは細い竹の筍なんですね。細いながらも成長する力強さを一枚の葉に感じたのではないかと思います。 (豊実)

大干潟バレーボールの四五人ら Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(おおひがたバレーボールのしごにんら)

現代では「ビーチバレー」としてオリンピック種目にもあるほど普及していますが、この句の詠まれた昭和49年当時としては目新しい風景であったのかもしれないですね。最近は、「ビーチバレー」「ビーチボール」を夏の季題として詠まれた例句もあるようですが、揚句の場合は、「大干潟」が春の潮干狩りの季語として働いています。豊実解のように貝掘りに飽きた若者のグループかもしれないですね。

合評
  • 大きな干潟で磯遊びや貝掘りをする人達の他にバレーボールをする人は目立っていたのでしょう。乾いた砂浜があったとも言えて干潟の大きさが想像できます。 (素秀)
  • 大きな干潟でバレーボールをしている四五人のグループ、円陣を組んでパス回しをしているのであろう。勝手な想像だが、卒業式を終えた高校生の男女の仲良しグループが、春の浜辺に集まって別れを惜しんでいるのかと。広大な干潟と前途洋洋な若人とが相まって希望を感じさせる。 (せいじ)
  • 潮干狩りに飽きてバレーボールをしているのでしょうか?ボールが転がった先に蟹がいそうです。 (豊実)

乾くよりはやとんでをる若布かな Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(かわくよりはやとんでをるわかめかな)

漁師が春に採った和布を砂浜などの風通しの良いところで襤褸を干すように吊るしてある光景である。私が俳句を始めたころは須磨や塩屋の海岸でも見ることができた懐かしい風景である。素秀解にある「灰干しわかめ」は、鳴門わかめとして有名で脱水機にかけたあと灰まぶし機で火山灰をまぶしたのちに天日干しをするという。揚句からは、まだ十分に乾ききっていない若布が強い春の浜風に煽られて躍っている様子が連想できる。採れたばかりの若布は干されながら雫をこぼしていたり干場の周辺では風に乗って磯の香りがプンプンした。また干された長い若布の先っぽが砂に触れていたりと句材は豊富であったが、塩屋あたりの浜はみな加工工場になってしまった。

合評
  • 灰干しの光景かと。乾いてくると灰がまず飛びます。若布が飛んでいるようにも見えます。 (素秀)
  • 刈り取ったわかめは適当な大きさに切り、広げて天日干しにするらしい。吊るしたり、網か板の上に置いて乾かすのだが、乾く前に風で飛ばされるものもあるのだろう。春の波止場の匂いがしてくる。 (せいじ)

日にあたる波にぐにやぐにや和布刈竿 Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(ひにあたるなみにぐにやぐにやめかりざお)

和布刈は、棒の先につけた釜で切り取る方法と先が三叉に分かれた長い竿で引っ掛けて採る方法とがあるようだ。この句の場合は、箱メガネで海中の様子をみながら長い竿を巧みに操るさまを詠んだものと思われる。和布刈船に同舟しての句なのか観光船からすぐそばその様子を見学したのであろう。「日にあたる波」の鑑賞が難しいが、ゆるやかに波打つ海面に日があって海中の竿の様子が透けて見えているのではないかと想像してみる。海中に見える竿は光の回折現象で歪んで見えるが波打っているのでさらにぐにゃぐにゃに見えたということではないだろうか。どこが良いのかと問われると困るが、想像では作りえない写生句であることは間違いない。

合評
  • 竿で引き揚げた若布が波といっしょに揺れる様子。思いがけない長さと日に当たって煌めく美しさです。 (素秀)
  • めかり竿には竿の先端に鎌がついており、それでわかめを刈り取るのだが、船上の作者は、海中から引き上げられ波に揉まれて朝日を浴びている巨大で異様なわかめを見て、きっと驚いたのだと思う。春まだ浅き海の情景も目に浮かぶ。  (せいじ)

黒リボン結ぶ画に壁寒きかな Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(くろリボンむすぶえにかべさむきかな)

俳句鑑賞は、単に直訳的に句を分析して良しとするのではなく、そこに隠された作者の思いを探りだす努力をしなければ、鑑賞力の向上にはつながらない。揚句の場合、高貴な人の合同葬儀または慰霊祭で黒リボンを結ばれた大きな遺影が壁面に掲げられているのをうち仰いでの感興ではないかと思う。凭れた壁がひんやりとして寒かったとか、部屋が寒いとかの体感的な寒さではなく、亡くなられた方への深い追慕の感情が遺影の掲げれられた壁に寒々しさを覚えたのである。「壁寒し」として少主観を詠み込んだテクニックは、季語の本質を借りて感傷を託すという巧みさを学ばされる。

合評
  • 黒いリボンの画は遺影かと思います。リボンの掛かったままとはまだ49日も終わっていないのかと。家の祭壇にとりあえず置いたものの寒さはつのるばかりなのでしょう。 (素秀)
  • 著名な方が亡くなったのであろう。その方の肖像画に追悼の黒リボンが結ばれている。冬のお別れ会の会場は寒いが、今は亡きこの方の肖像画を見ると寒さがことさらに募る。「壁」は作者自身でもあろうか。 (せいじ)
  • 亡くなった方の肖像画に黒リボンがかかっているのかなと思いました。 (豊実)

フレームにハイビスカスの今日の花 Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(フレームにハイビスカスのけふのはな)

外は寒いけれど、フレーム(温室)の中では南国の花が咲きほこっている。ハイビスカスも季語ではあるが、揚句の場合は、冬のフレームが主季語であることはいうまでもない。けれどもなぜ「ハイビスカスの今日の花」なのかを推察しなければ鑑賞にならない。揚句を一読して「ピン」とこなかったら、まず検索して調べてほしい。うつぎ解にあるように「ハイビスカス」は一日花、朝顔と同じように朝に咲いた花は夕べには萎れてしまうのである。つぎつぎと花を揚げるのでその性質に気づかない人も居るが、作者はよく知っていて、色鮮やかに咲いているハイビスカスを眺めながら一日花の儚い命を慈しんでいるのである。平明に詠んであるが、ここにも作者の少主観が隠されていてとても深い作品だと思う。

合評
  • フレームの中では夏のハイビィスカスが咲いていることに感動したのでしょう。元来一日花なので今日の花と強調し毎日咲き継いでいることも分かります。季語はフレームで冬ととりました。 (うつぎ)
  • 冬のひと日、植物園かどこかのフレーム(温室)に入って植物を鑑賞していたら、咲き立てとおぼしきハイビスカスの花を発見した。咲き立ての花の美しさもさることながら冬に見ることができたことにも感激したのであろう。今日の花といういい方が勉強になる。 (せいじ)
  • 植物園の温室に入ると「今日の花」というのが置いてある、それが今日はハイビスカスだったのだと思いました。 (なおこ)
  • フレームは冬、ハイビスカスは夏の季語です。温室栽培のハイビスカスだと考えるとフレームが主季語かと思います。次々と開くハイビスカスの今日の花の写生かと。 (素秀)
  • 「今日の」で誰かに頂いたのかと思いました。嬉しくて、普段使ってなかった特別のフレームに飾ったのでしょう。 (豊実)

疎開せし日をなつかしむ田螺かな Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(そかいせしひをなつかしむたにしかな)

現代は田螺が繁殖しすぎると被害が出るので嫌われるが、戦時中は食糧難で蝗や田螺も貴重なタンパク源であった。また田螺は、水槽の掃除屋さんとしてメダカ水槽などに数匹いれておくと水の汚れを食べて分解し透明にしてくれるそうだ。そんな田螺なので決して美味ではない。私たちの世代では話しに聞く程度だが実体験をした作者にとって忘れがたい戦時中の思い出である。いまや飽食の時代、吟行の田んぼで田螺を見つけてそんな時代もあったことよと懐かしんでいるのである。

合評
  • 母親の里が海岸沿いで巻貝を拾っては茹でて食べてたのを思い出しました。今となっては食べる事も無い巻貝、ブキ貝とかブキさんなどと呼んでいました。作者にとっての田螺もそうなんだなと実感できます。 (素秀)
  • 戦争で疎開していたころ、田螺も貴重な食材だったのかと思います。 (豊実)
  • 田螺を見ると、疎開していた日々のさまざまな出来事が思い出される。田螺取りをした楽しい思い出とともにつらく悲しい出来事もあったが、それも今は懐かしい。 (せいじ)

生国を語りつつゆく二タ遍路 Feedback 合評を投稿

南上加代子  

(しようごくをかたりつつゆくふたへんろ)

一服茶屋などで同席になり、そのあとお喋りしながら歩いている二人の遍路の姿が見えてくる。それぞれの故郷を紹介したり何気ない会話のうちに、やがて心打ち解けて、互いの心情や遍路の旅の目的などプライベートな話題へと展開するのである。ひょっとするとたまたま同郷の人同士であった故に話が弾んでいるのかもしれない。旅は道ずれといわれる、遍路の旅の一期一会を連想させてくれる素敵な作品である。

合評
  • 二人の遍路のニタ、良く使われますが、自分も知らないままに使っています。ニタが付く地名や人名もあるようです。これは二股からの言葉なのでしょうか。二だけでふたと読ませるのは無理があるので振り仮名的にタを付けたのかな、とも思いました。 (素秀)
  • たまたま行き会ったお遍路さん二人が、次の霊場までの道のりを身の上話をしながら歩いているのであろう。初めて会った者同士が同行としてすぐに打ち解けている様子が「生国を語りつつ」によく表れている。 (せいじ)
  • 行きずりの人とお互いの故郷の話をしながらお遍路しているのでしょうか?「二タ」の意味がわかりませんでした。 (豊実)

旱魃にか細き芦を刈りにけり Feedback

南上加代子  

(かんばつにかぼそきあしをかりにけり)

季語の「芦刈」は、晩秋の頃水辺で蘆(あし)・葦(よし)を刈ることをいう。腰までの長靴を履いていても、濡れてしまうので体を乾かしたり温めるために焚火をします。その火が「蘆火」である。刈った蘆、葦は、葭簀などの材料として売り生計の足しにするのであるが、旱魃などで蘆の成長が悪ければたちまち収入に影響が出るのである。売り物にならないようなやせ細った芦も来年の収穫につなげるためには刈らないわけにはいかないのである。大自然に抗うことはできない人間の弱さを思うが、そのような状況下であっても忍耐して黙々と芦を刈る素朴な人々の姿が見えてくる。

合評
  • 旱魃のために芦が青々と茂らないので刈ってしまったというのであろう。今年の夏の暑さがうらめしい。「か細き」に残念な思いがよく出ていると思う。 (せいじ)
  • 旱魃と芦刈るの季重なりですがこれは芦刈るが主季語になるのかと思います。 (素秀)
  • 旱魃で食べ物の収穫がなく、唯一、細く伸びた芦を刈り取ってはみたものの何の足しにもならない辛さを感じました。 (豊実)

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