2020年12月

目次

除夜の灯は金の砂子を撒いてをり Feedback

阿波野青畝  

(じょやのひはきんのすなごをまいてをり)

昭和60年作、句集『除夜』の掉尾をかざる句である。『除夜』には、青畝師84歳から86歳まで三年間の作品が収められている。昭和58年6月、84歳の師は、右腎臓摘出の大手術を受けた。8月一旦退院したものの、11月再入院し、翌年の4月にようやく退院している。初めての9ヶ月にも亘る闘病生活は、高齢の青畝師にとって、危険なハードルであった。それだけにハードルを無事に克服した喜びは一入であったにちがいない。

句集名の『除夜』は「未来への夢をふくらませた私の存問として付けた」と「あとがき」に記しているが、この句の「金の砂子を撒い」たような金色燦然と照り輝く「除夜の灯」は、大病を克服して、生死の境を潜り抜けた青畝師が、みずから、来るべき米寿を祝い、みずから、旺盛な生命力を謳歌しているようにも感じるのである。「除夜の灯」の解釈については、当初この句をかつらぎ誌上で見た時、除夜詣での境内で焚かれる篝火の「除夜の火」の誤植ではないかと思った。でも句集に乗った句も「除夜の灯」であったので、そうでもないらしくいまだに定かではない。凡士解が正解かもしれない。

今年の3月から、阿波野青畝師の秀句鑑賞を続けてきた。取り上げた作品は時代的に古く、俳人阿波野青畝の作品という前提でなければ推し得ない要素も多かったと思う。難しすぎて作句の学びになったどうかともかく、みのる俳句の原点である阿波野青畝師の境涯や俳句の心、信念というようなものを知っていただくには、十分なワークではなかったかと思います。教材としては、1~3月分を残しますが、合評の活性化を願って昨年で終わりとし、新年からは南上加代子さんの作品を合評します。一年間のご協力いただいた皆様に、心よりお礼申し上げます。

合評
  • 除夜の寺で万灯篭を灯している、その明かりがまるで金砂をばらまいているようだ。あるいは摩耶山から神戸の大晦日の明かりが金箔の粉をまいたようだ。除夜ですから前者の様子でしょう。 (凡士)

犬老いて涙を垂らし年惜む Feedback

阿波野青畝  

(いぬおいてなみだをたらしとしをしむ)

冬蜂の死にどころなく歩きけり 鬼城
痩蛙まけるな一茶是に有    一茶

これらの句は、青畝師の句と共に庶民的で、弱者である動物に自己の感懐を託している点では共通している。鬼城の蜂の句には、弱者である自己の諦めきった心境を反映して、諦感が漂っている。一茶の蛙の句には、強いものに対する弱者の反抗的な負けじ魂が横溢している。この両者には弱者であるが故に諦めるか、弱者であるが故に負けまいとするかの違いがある。青畝師の老いた犬は衰弱の姿を曝しつつも行く年を惜しんでいるのである。老衰の犬までも、行く年を惜しむという人間味溢れる俳諧的詠嘆に巻き込んでいると言えよう。つまり弱者であるが故にますます俳味増して行くのである。老いという人間的欠落を逆手にとって、いよいよ芸術にのめりこんで行く、作者の強靭な俳句への執念を感じるのである。

もう少し深く連想すれば、下五の「年惜む」の前で、切れがあると思う。「涙を垂らして年惜しむ」ではないので、老犬が年を惜しんでいる…というような単純な写生ではない。年を惜しんでいるのは作者、その傍らに年老いた老犬が寄り添うように侍っているという構図も目に浮かぶのである。

合評
  • 犬猫を飼っていないのでペットも老いると涎以外に涙を流すことを知りませんでした。この句の老犬と涙は、ひょっとして長年飼っていたが老いたので手放したのではないか、収容所みたいなところに入れられて、主人を慕って恋ひて涙を流しているのではないかと読みました。ペットを飼う以上はしっかり看取るまでは飼い主の責任だとおもいます。 (凡士)
  • 和犬は目が釣り上がってキリッとしていますが、洋犬は目尻が下がって年寄りくさい顔つきです。老犬ともなると涙染みも出来て泣き顔みたいにみえます。まるでゆく年を惜しむようです。 (素秀)

年の瀬の灯ぺちやくちやの六区かな Feedback

阿波野青畝  

(としのせのひぺちやくちやのろつくかな)

昭和60年の作。「年の瀬」というと「もう年が終わってしまうという詠嘆・あわただしさ・切迫感」などを感ずるのが通例で、歳時記を見ても、ゆとりのある「年の瀬」の例句などは見つけることができない。とうころでこの句は、「六区」の「年の瀬」の夜である。「六区」は言うまでもなく、東京浅草の歓楽街の通称で、六区と聞けば、誰でもあの独特の雰囲気をすぐに思い出すことができる。それにしても何という楽しくゆとりのある年の瀬であろうか。「ぺちやくちやの」という口語の擬態語が、あっという間に、「六区」の「年の瀬の灯」に我々を溶け込ませてくれる」。これはまさにゆとりある楽しい現在の、若者の「年の瀬」である。86歳の青畝師が至芸が、旧来の「年の瀬」の概念を一挙に吹き飛ばして、若々しくまことに新鮮な「年の瀬」を現出しているのである。

合評
  • 浅草六区は歓楽街で興行の街、ぺちゃくちゃは漫才の事かなと思ってしまいます。年の瀬の街の灯りが掛け合い漫才のように見えたのでしょうか。 (素秀)
  • 浅草ロックは高度成長期以前までは最大の東京歓楽街、映画館、芝居小屋が立ち並んでいたようです。年の瀬の夕刻、まばゆい灯は点滅し、寄席、小屋の看板、映画の派手な看板を冷かしながら歩く人で溢れている様子をぺちゃくちゃと表現したのでしょうか。ちょうど年末のアメ横のような様子だったのかもしれません。 (凡士) -
  • 六区をググると浅草公園六区が出てきました。歓楽街で年の瀬の夜を仲間と語らって楽しんでいるのでしょう。 (豊実)

座について庭の万両憑きにけり Feedback

阿波野青畝  

(ざについてにはのまんりようつきにけり)

昭和5年作、句集『万両』所収。甲東園の仮寓に近い寺での作。自選自解に「万両といえば、私の生まれた家には丈高く育った万両がある。殊に母は万両を愛していたようである」とあるので、「万両」は、故郷への郷愁と分かちがたく結びついていることが分かる。自席に座って、寺の庭の赤い万両の実を見た作者は、その万両に、生家の庭に生えていた万両の思い出をダブらせて、憑かれたように凝視していたのであろう。

「座について」と音便を用いいた理由については、森田峠師の『「万両」全釈』に作者からの聞き書きとして、「その座のゆったりとした気分を表したいためと、後の『憑き』と畳語のようになるのを避けたかったと説明してくれた」とある。畳語とは、「同じ単語または語根を重ねて一語とした複合語」と辞書にあるが、難しいですね。「座についたから万両が目に憑いた」という説明調になることをいわれたのかもしれないが、意味が深すぎて私にもよくわからない。庭がよく見える席であるから、座の上席であろう。

合評
  • 南天でも千両でもない。葉の下に実をつける万両の奥ゆかしさに惹き付けられたのではないだろうか。句座かも知れない。 (うつぎ)
  • 客人として通された客間。こちらへどうぞと座り、ふと庭に目をやると赤く色使いた万両に目を奪われた。冬庭は、木は葉が落ち花も少なく寂しいものです。そんななか万両の赤がとても鮮やかだったのでしょう…「憑き」を用いたことで真っ赤な万両に一瞬で目を奪われたこと、「けり」と詠嘆したことで庭の奥行きや穏やかな時間を感じました。 (更紗)
  • 句座か茶席か宴会かわかりませんが、座敷について普通は床の軸か花に目がいくのですが、広縁越しの万両に引き付けられた。よほど赤い実が万々とたわわに実っていたのでしょう。「憑く」の解説があったので素直に鑑賞できました。(凡士)
  • 招かれての座ではないかと思います。憑くという字をわざわざ使うほどに、庭で見た万両がどうにも目に焼き付いて離れないようです。 (素秀)
  • 座とは句会あるい茶会のような場でしょうか?庭に一際目立つ万両の赤い実に魅せられたということと解釈しました。 (豊実) 「憑く」は物の怪がつくなどというときに用いられる字であるが、ここでは「不思議と目を引きつける」意に用いてある。

左頬を向くる勇なく息白し Feedback

阿波野青畝  

(ひだりほほをむくるゆうなくいきしろし)

昭和39年の作。青畝師の受洗は昭和22年、48歳の時である。亡妻秀と夭折した娘多美子の二人から入信をすすめられたという。したがって昭和22年作の「ミサの鐘すでに朝寝の巷より」を初めとして、以後、数多くのキリスト教に題材を求めた句を残している。しかし、その作句態度は信仰を内に蔵しつつも、写生の立場を離れるものではなかった。

この句が詠まれた頃は文語訳聖書の時代、マタイ伝五章三十九に「人もし汝の頬を打たば、他の頬をもこれに向けよ」とあるのに基づいている。青畝師はこの言葉に対し、正直に「左頬を向ける勇気がない」と告白した上で「息白し」と結んでいるのである。信仰のない人の「息白し」とは内容が全く異なるのである。自分の弱さを認めることが信仰との戦いとも言われるが、厳しい対決を経た上での「息白し」であるから、季語としての重みがいっそう加わっているものと言えよう。

合評
  • 聖書の言葉ですね。教徒の青畝でもそんな勇気はないと言っています。旧約聖書には「目には目を…」という言葉もありますが、普通の人間にはよほどのことがない限りどちらも無理でしょう。(凡士)
  • 右頬を打たれたら左頬を差し出せ、理不尽な暴力には非暴力で立ち向かえと言う事ですが、それには勇気が必要です。自分にはそんな勇気は無いなあ、と白いため息を吐いています。 (素秀)
  • 寒気の中、誰かか何かと真剣に向き合っていて顔をそらす勇気がなかったのでしょうか? (豊実)
  • 「左頬」は「さきょう」とも読めるが、「ひだりほほ」とあえて字余りに読んでみた。

青桐は柱のごとし畳替 Feedback

阿波野青畝  

(あおぎりははしらのごとしたたみがへ)

昭和12年の作。家の畳部屋が少なくなったので、畳数がぐっと減り、その上に何でも使い捨てが常識となってしまった現代では、「畳替」という季語もほとんど実感を失いつつある。「畳替」は新年を迎えるための一種の年用意で、年末に畳屋が入って、家中の畳を外し去り、新しい青々とした畳と入れ替えたり、あるいは庭で表だけを替える作業をすることである。

このような季語の背景から実景を連想してみる。この句は、寒空に威勢よく家を開け放って、畳屋が畳を庭に持ち出し、表替えの作業をしているところであろう。低く平らかな作業台の上に置かれた畳の向こうに、青桐が一本生えているのである。その青桐は枯木ではあるが青々とした真っ直ぐな太い幹で、「柱のごとし」という比喩がぴったりなのである。年末の忙しい雰囲気の中で、庭に出された畳と立ち木の関係を比喩をもって巧みに結びつけている。

合評
  • 青桐の幹の青さと替えたばかりの青畳、柱の如く垂直に立つ幹と平面の畳の縁の直線、何もかも清々しい。省略の見事さを感じます。 (うつぎ)
  • 取り合わせ句なのか畳替を青桐に例えたのかよくわかりませんでしたが、自分なりに次のように読みました。以前の日本家屋でしょうから二間続きの広縁付きの座敷の畳替えをした、青々とした畳もさることながら青緑色の畳縁はまるで青桐の柱のように思える、座敷から見える庭には青桐が植わっていたかもしれません。現代の家からは類想できない光景でしょう。 (凡士)
  • 畳替は年末に行われることが多く冬の季語となる。葉の落ちた青桐が剪定されて緑色の幹がまるで柱のように見える、畳替えの最中に部屋から青桐を見ているのかなと思いました。昔は畳替えも自宅で行ったでしょうし、青桐は自宅の庭木なのでしょう。(素秀)
  • なぜ木である青桐を「柱のごとく」と例えているのか気になりました。。青桐に馴染みがなかったので調べてみると、青桐は鳳凰の木とも言われ、庭木や街路樹などでは葉が覆い茂るため強い剪定をされるとありました。畳を替えている途中か、畳替えが終わったあとか…い草の香りとともに青桐の凛とした存在感、清々しさを作者は感じたのでしょうか。 (更紗)
  • 真新しい畳のい草の青さと青桐の幹のみどり色が対比してさわやかな感じがします。(豊実)

眠る山紺紙揉みたるごとくなる Feedback

阿波野青畝  

(ねむるやまこんしもみたるごとくなる)

昭和41年の作。自註に「那智妙法山へ案内された。見渡すところは熊野の山塊である。紺紙をくちゃくちゃに揉んでひろげた感じ。音一つせず眠った冬山だった」とある。「紺紙」は紺色に染めた和紙。うつぎ解のとおり、金泥や銀泥で写経するのに用いる「紺紙」である。冬の熊野の山塊を見て、それを比喩するのに「紺紙」を連想することは並の感覚では出てこないであろう。しかもその紺紙をくちゃくちゃに揉んでひろげた感じだというのだから、この比喩は一筋縄ではない凝りようである。素材が奇抜な上に、その素材をそのまま使うのではなく、加工してようやく比喩が完成しているのである。しかし、奇抜で複雑な過程を経た比喩ではあるが、その結果はきわめてすっきりしている。遥かに遠い冬山並みの比喩としてこれほど適切なものはまたとないと思われる。

合評
  • 金泥や銀泥で書かれる写経紙の紺ですね。また和紙だから揉んでも折り目も少しは戻っている。この句を頭において眠る山を見てみました。色、大小の起伏、凹凸、陰影、納得です (うつぎ)
  • 冬の山の静まりかえったさまを、紺紙揉みたるごとくと表現されていますが、私には詩心がないのかどうもピンときませんでした。部屋から見える山をみましたが、残照をうけ山は黒一色ですし、昼間は枯色です。山眠るは単純に雪を被った山をイメージしますので、紺紙に馴染めませんでした。 (凡士)
  • 冬山を「紺紙を揉みたるごとくなる」と表現されていて素晴らしいですね。「眠る山」「ごとくなる」と止めていることで余韻と空間が広がります。また「眠る」と「紺紙」で夜を連想し、冬山の静寂さと紙を揉むことでできる折り目が冬の木立を表しているようで、尖りがさらに寒さを出しているように思えました。 (更紗) -
  • 紺紙、紺色に染めて写経など使う紙。紺紙を揉んだらしわくちゃになると思いますが、冬の山もまさしくそうだなあと。 (素秀)

エアメール其も吊らるる聖誕樹 Feedback

阿波野青畝  

(エアメールそれもつらるるせいたんじゆ)

クリスマスツリーは綿の雪を冠り、七色の電飾が点滅して、ぶら下がっている銀紙の星やその他の飾り物を光らせる。その中に「エアメール」も見られるのである。「エアメール」は外国の友人から送られてきたクリスマスカードであろう。クリスマスツリーにエアメールを吊るす、そこには青春の香りがある。十代の青春が息づいていると言っても不思議に思うものはないだろう。青畝師89歳の作である。とても89歳の老人の作とは考えられない若さとロマチシズムが宿っている。

この句、「エアメール」で休止があり、「エアメールがきたよ、そのクリスマスカードも吊り下げられる聖誕樹だよ」と目の前にクリスマスカードが飾られつつあるように仕立ててあるところに学ぶべきポイントが隠されている。初句で切れているところに作者の思い入れが込められているのである。

合評
  • どなたか親しい方からのエアメールでしょうか。きっと手書きなのでしょうね飾られているオーナメントね中に送られてきたエアメールも吊るす。遠い外国にいるその方と一緒にクリスマスをお祝いするかのようです。「吊らるる」とのことで今吊られている状況が表れてます。シンプル言葉遣いでクリスマスのお祝いとエアメールを送ってくださった方との温かな関係性も見えてくるようです。 (更紗)
  • ツリーは教会なのか、エアメールは誰からのものなのか、想像が膨らみます。 (素秀)
  • クリスマスに大切な人からうれしいエアメールが届いた。聖樹に其のエアメールを吊り下げて飾った。 (豊実)
  • 聖誕樹はクリスマスツリーと読んで、外国からのクリスマスカードも吊り下げられている、外国のカードは結構おおきいですから、このツリーは自宅より教会かもしれません。我が家もクリスマスカード交換をしていましたが、カードの素晴らしさでは太刀打ちできないので手書きで作り年賀状も一緒に添えたりしていました。海外のXマスカードは素敵なオーナメントになりますね。 (凡士)
  • 生誕樹ではなく聖誕樹のタイプミスです。聖樹のことですね。ごめんなさい。

屑入の山羊は飽食慈善鍋 Feedback

阿波野青畝  

(くずいれのやぎはほうしよくじぜんなべ)

この屑入は、どぎつい性などを扱った、家庭に置いては良くない悪書を集めるためのもので、紙を食べる山羊の形をしているのである。折から、その山羊の屑入の傍らに、救世軍の社会鍋が吊られて、歳末助け合いの喜捨が道行く人に呼びかけられているが、応ずる人は少なく、鍋の中は寥々としていて、集められたどぎつい写真入りの悪書は、山羊の腹に一杯だ、というのである。この句、「山羊は」の「は」の使い方が絶妙である。「山羊」を取り立てて強調して、山羊(悪書)は満腹だということを示すと同時に、省略されている慈善鍋はからっぽだという意味をも含んでいるのである。社会風刺の気持ちをユーモラスに表現している。

合評
  • 慈善鍋の募金は全然集まらないのに白ポストはいっぱいになっている。屑入れと書いているのはまさに必要無い物だから。そんなものに金を使うなら慈善鍋の金を落としたらどうかと言っているように思います。前書きが無ければ、当時の白ポストの記憶が無い人には屑入れの山羊が挿絵だとはわからないでしょう。 (素秀)
  • ポルノのような有害図書であれ羊にとっては関係なし、次々入れられる本は羊への施し羊の慈善鍋なのですね。こうとれば飽食と慈善鍋の措辞が抜群です。どちらなんでしょう。難しい。(うつぎ)
  • こちらの句の鑑賞は難しかったです。「飽食」のひと言が的確ですね。白ポストには雑誌がどんどん入れられていく。対比して「慈善鍋」。駅前や人通りの多い場所や年末の募金活動とわかります。私も白ポストには雑誌がたくさん入れられていくのに、募金活動には素通りしていくそんな光景が浮かびました。(更紗)
  • 羊は飽食だけれど側の慈善鍋には募金がまだ少ないと解釈しました。(うつぎ)
  • 慈善鍋(白ポスト)に山羊のデザインが描かれていたのでしょうね。ポルノ雑誌のような有害図書を山羊が食べたかのような滑稽さがあります。 (豊実)
  • 懐かしいですね。昭和40~50年代、海外出張のお土産は洋酒、煙草、ポルノ雑誌の三点セットで、雑誌は職場はおろか社宅でも回し読みしていた。平成に入ると蔦屋などはポルノDVDコーナーがあった。たしかに今白ポストを見ることはないですね、しかしネット、スマホ時代になって隠し撮りやらなにやらむしろ悪質になってきている。テクノロジーの進化は常に暗の部分も進化させるという2面性をもっている。句はさすがですね、ヤギのポストとか悪書とかいわずに慈善鍋という季語をもちいて一片の詩に昇華している。私などせいぜい“小春日や赤のとなりに白ポスト”ぐらいです。 (凡士)
  • 昭和45年の作。「屑入の山羊」については、自註に「山羊は紙を食べるから屑入をデザインして悪書追放のPRである」とある。つまり昭和年代の白ポストのこと。

冬至翁ルーペに紐をつけにけり Feedback

阿波野青畝  

(とうじをうルーペにひもをつけにけり)

この句は、青畝師92歳の自画像である。「冬至翁」は「冬至さなかの老人」の意であり季語を擬人化したものではない。老人に冬は禁物で「冬至」と言えば、厳しさが迫るように思われるが、この「冬至翁」という造語には何か楽しげな響きがある。そして、「ルーペに紐をつけにけり」も、喜ばしいことをしているような感じである。 「かつらぎ」に発表された「青畝日記」を読むと、この頃の青畝師は、幼時からの耳の遠さに加えて、視力も落ち足も不自由で、日常生活は容易ではなかったようである。老人にとって、ものを読むのにルーペがいるようになり、そのルーペも物忘れがちで行方を探すことが多く紐をつけて常用するようになれば、精神的にも落ち込んでしまうのが普通である。しかし作者は日記に不自由をこぼしても、作品の上では、かく楽しげに句を仕立てるのである。92歳にして、俳味はますます豊かである。季語が冬至であるので着膨れていてルーペを探すにももどかしいので世話をやく家族が紐をつけてくれたのかもしれない。

合評
  • 翁は青畝師自身かと。冬至をきっかけにルーペに紐を付けた。失くさないためと身に着けておくためです。暮れるのが早い冬至だからこそ思いついたのでしょう。 (素秀)
  • 冬至翁とは冬至を擬人化したのか、作者を冬至翁と見立てたのか、中七座五から作者自身とおもわれる。ルーペに紐をつけ首からぶら下げ、本や新聞を見ときに使ったのだろう、作者晩年の作であろう。季語を擬人化することは厳禁とどこかの本で見たような気がするが、プロはOKなのでしょうか。 (凡士)
  • ルーペに紐をつけたことに「冬至」と「翁」を合わせることで、情景が浮かび上がりますね。一年で一番日が短い冬至にルーペに紐をつけることで、より手元をしっかり見たい、見ようとしている…そんな景が浮かびました。 (更紗)
  • 年老いて物を見るためにルーペが手放せなくなった。夜が最も長い日にこの翁は文字を読むというより何か花のつぼみでも見ているような気がしました。 (豊実)

句屑焚くあはれは菊を焚くよりも Feedback

阿波野青畝  

(くくずたくあはれはきくをたくよりも)

「菊を焚く」は「牡丹焚火」と違って、歳時記に独立の「菊焚く」という項目があるわけではなく、「枯菊」の項目に「枯菊焚く」という例句が含まれている。 この句「菊を焚くよりも」の後には「あはれなり」が省略されている。したがって、その省略の部分を含めると、形式的にも内容的にも和歌的な要素の強い句と言えるだろう。下村梅子氏の『鑑賞秀句百句選・阿波野青畝』によると、青畝師は大学ノートに月間の作品を清書し、かつらぎ庵で行われていた「白鳥会」という研究会に出し、さらに推敲して「かつらぎ」に発表しておられたという。そしてその用済みになったノートを「荼毘に付すんや」と言って焚かれたそうである。一句一句、精魂を込めて作ったものをノートと共に句屑として焚くあわれさは、枯菊を焚くあわれさに勝るとも劣るものではないのである。

合評
  • 句の走り書き、ボツにした句などを焚いたが、まだ花の色も残っている枯菊を焚いたときに感じる哀れさよりも、いっそうの不憫さを感じた、と読みました。 (凡士)
  • 菊を焚くと良い香りがします。その香りよりも句屑を焚く方が、しみじみ哀れだと感じているのかなと推測しました。句屑といってもきっと思い入れのある句やフレーズ、経験があったのではないか?自身の句集だったり大切なものもあったのではないか…と「菊」の花から想像しました。 (更紗)
  • 句屑焚くとは自分の書いた俳句の失敗作を書いた紙を燃やしているのでしょう。季語の菊が主役になっているのか、少し疑問に感じました。 (豊実)
  • 菊を焚く、が季語。枯れ菊を焼くと良い香りがします。句屑、ボツになった句帖か短冊を焼いても菊を焼いたようには良い香りもしないなあ。(素秀)

狐火やまこと顔にも一くさり Feedback

阿波野青畝  

(きつねびやまことがほにもひとくさり)

「狐火」は冬の夜、山野や墓地などに怪しげに燃える火のこと。古来、狐が口から吐く火だ、と言われているが、正体は物質が酸化腐敗していく過程で燐が発光する現象、もしくは静電気の放電現象と考えられている。幻想的な、民族的な季題である。この句の解釈につて、「狐火を眺めながら、ある男が知ったかぶりをして、狐火について一くさり話している場面」と取る説があるが、どうやらそうではないらしい。森田峠師は「狐火が出ているよ。まことらしい顔つきでまあ、一連なりにでているよ」という風に通訳している。青畝師の話も聞かれての鑑賞だと思うのでそうなのかもと思うが…。どちらにしても、「まこと顔にも」という表現には、今まで半信半疑であったものが、本物のようだと信じはじめる微妙な心理の揺れが内包されていて、「狐火」という幻想的な季語の味わいを一層深めていると言えよう。

合評
  • 真顔で熱く語れば語るほど誇張や嘘が混ざっているのではと見て楽しんでいる作者。 (うつぎ)
  • 一くさりが難しいですね。広辞苑で調べてみたら「謡い物語り物などのまとまった一部分。ひとこま。」とありました。狐火に取り合わせることでまこと顔で語った話のなかにも何かまこと顔ではない話があるのではないか?など、狐火の妖しさとまこと顔の対比が面白いなと感じました。(更紗)
  • 一くさりは並んでいると読むべきかと。まこと顔は本当の顔のように。本物の狐火ですよと並んでいる、なかなかホラーな雰囲気も感じられます。(素秀)
  • 狐火を見たという人がまことしやかな顔で一部始終を話していたという句、これでは青畝の句にしては今ひとつに思える。狐火という現象は動物、土葬のリンとか自然現象で実際に見られる怪火のようなので、昭和の初めごろに実際に見たのかもしれない。その怪火が、これが狐火ですよと一列になって発火していた、とも読める。当時であれば狐火を見た人もけっこういたのではないか。 (凡士)
  • 狐火を見たとまことしやかに話す人。ちょっと嘘っぽさが感じられます。 (豊実)

あをぞらに外套つるし古着市 Feedback

阿波野青畝  

(あをぞらにがいとうつるしふるぎいち)

昭和31年、東京浅草の露店市を見ての作なので、物のあふれた昨今の大師市のような雰囲気とは少し違うかと思われる。戦後十年を経た頃で、日本は敗戦の痛手からようやく立ち直ってきつつあったが、庶民の街の露店市などには、まだまだそこここに戦後の影も宿っているのであった。師走の雰囲気の中でうろつく作者の眼前には、安い値をつけた金鵄勲章の本物が冷やかし客の目にさらされ、もはや軍人の名誉も全く地に堕ちた時代をあらわにしていた。室内や店内にあるべきはずの外套、しかも古着の外套が、ここでは、青空のもとにたくさん吊るされ、弱い冬日を浴びているのである。この句では「あをぞら」と古着の「外套」の対比が、色彩的にも、情緒の上でもはっきりしていて、庶民の古着市の哀感をそそるのである。自解に「青空の真下で見ると、品物のあわれや庶民のにおいを強く覚えさせられるのであった」と青畝師自身も伸べている。

合評
  • 一番の売り物ながら外套が要らないようなあおぞらを想像しました。手放された外套の哀れを感じます。 (うつぎ)
  • 光景のよく見える句です。あをぞらにと平がなで表記されたことで「外套」が際立ちますね。古着市に売られているりっぱな外套。早く売れてほしい、高々と冬の青空につるしたのかもしれませんね。青空と外套の対比が素晴らしいなと思いました。 (更紗)
  • この外套は長年売れ残って吊るされており、誰か買ってくれーと言っているように思いました。 (豊実)
  • 古着が並ぶなかでも特に立派な外套が目に付いた。青空に吊るされているように目立っている。 (素秀)
  • 素直に句のとおりの景色と鑑賞しました。この古着市は冬なので世田谷のボロ市だろうと想像します、当時もごった返す人並みのなか、一番の売り物の外套を高く吊り下げてあるので、冬晴れの空に映えているのでしょう。 (凡士)

大山の火燵をぬけて下りけり Feedback

阿波野青畝  

(だいせんのこたつをぬけてくだりけり)

句を直訳で理解しようとするとどうしても浅く淡白な鑑賞になり、得てしてチンプンカンプンになる。一句の中で季語がどのように働いているかを見極め、そこから作者の思いに連想を広げていくことが大切である。

「大山」は伯耆富士のこと。鳥取県西部にある火山で、標高1700メートル、山上に大山寺がある霊山である。昭和9年、その大山寺の顕照坊山坊での作。この句「大山の火燵をぬけて」という表現上の飛躍に特色がある。「大山の」と真っ向から地名を取り上げた言い方は、青畝師の代表作である「葛城の山懐に寝釈迦かな」を思わせる。もちろん、「葛城の」は、作者の故郷としての思いを含むので、特別の感情がまつわりついているけれども、この「大山の」にも畏敬の念が込められている。「大山寺」は平安時代、比叡山や高野山に比肩するほどの大寺であり、その大山寺の上に鎮座する「大神山神社」の祭神は大国主命なのである。青畝師は後(昭和35年)に「はたた神夜半の大山現れたまふ」という句をも残している。この畏敬の念を感じ取ることができれば、季語の「火燵」のぬくもりもさぞかしと想像できるのである。

合評
  • 去りがたい気持ちが炬燵に表れているようです。一度炬燵入ると出るのが嫌になるように大山から下りたくないなあと。 (素秀)
  • 冬の大山登山でもないだろうから、どこか高台の温泉宿の窓から大山を眺めていたのか、時間が来たのでしぶしぶ火燵をでて里に下りてきたのだろうか。 (凡士)
  • 冬の大山の山小屋で火燵に入ってホッコリしていたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、いざ気合いを入れて山を下りよう! (豊実)

角巻のもたれあひつつ二人ゆく Feedback

阿波野青畝  

(かくまきのもたれあひつつふたりゆく)

昭和27年の作。「まんさくの花を探す旅」という前書きがある。自解に「まんさくの花を知り、みちのく風俗の角巻姿を見た私は、満ちたこころで平泉の中尊寺から足をかえした」とある。大阪や大和を見慣れた作者にとって、このみちのくの旅は、すべて新鮮で、東北の質朴な情緒を楽しく味わったようである。角巻は大型の四角な毛布を三角に二つ折りとして、マント風に羽織り、上半身をスッポリ包む女性の防寒用外出着である。自選自解に「姉妹か仲良しかわからない二人の女が肩をすりつつ歩いていく。もとより雪の上で足元がよいはずはない。言葉のやりとりも無遠慮に聞こえるようだけれど親密だ。すべて質素な東北民族に、この赤い暖色系の角巻は人目を惹かしめるものである」とある。雪原の上をもたれあいつつ行く赤い角巻、印象鮮明な句である。

合評
  • ひとつの角巻を被って雪道を行く「雪国」の島村と駒子を想像しました。 (凡士)
  • 角巻の後ろ姿でしょうか。重心が上になって不安定なうえ雪道でふらつくのかも知れません。おしゃべりをしながら時折体が近づくのも、もたれあうように見えます。 (素秀)
  • 足元の悪い雪道を寄り添って歩く二人の若い女性を思い浮かべました。 (豊実)
  • 角巻とは雪国の女性の防寒着とある。この二人は女性同士となるが、もたれあいつつ、ということは寄り添ってということでないので、多分いささか酒に酔ってもたれあいながら帰るか、二次会でも行くところではないか。しかし俳句的に読むと、ひとつの角巻を二人で被っている男女かもしれない、その様子をもたれあいつつと詠んだのではないかとも考える。だんだん後者の情景のようにおもえてきた。 (凡士)

ルノアルの女に毛糸編ませたし Feedback

阿波野青畝  

(ルノアルのをんなにけいとあませたし)

青畝師は、小学校の頃から絵にも長じていて、遠出の吟行には画帳を常に携えデッサンをしておられた。晩年にはそれらを纏めて、角川書店から『私の俳画集』として出版し好評であった。ルノアールは、フランスの印象派の画家。青畝師の好きな画家の一人である。風景画にも肖像画にも風俗画にも優れていたが、晩年に描いた色彩の豊かなゆったりとした豊満な裸婦は、暖かで幸福感に満ちていてルノアールの特色を示している。

この句は、戦後毛糸編みが流行し始めた頃のものであり、その後「毛糸編み」の句は女流の台頭とともに多く詠まれるようになるが、この句のように画中の女に毛糸を編ませるというような発想は類がない。暖かで幸福感に満ちていて、しかも官能的であって、如何にも作者らしく、「毛糸編み」の句として秀逸である。

合評
  • ルノアールの絵の柔らかさや暖かさには癒しがあると思います。その柔らかいルノアルの女にふわふわの毛糸を持たせて、さらに編み物をするときの手の動きー曲線、円の動き、丸み―をもたせることで、絵の女が実際の女性になる、そして作者は女性に恋をしている、という俳句だと思いました。女への賛美の句に思えました。おそらく、青畝師が絵をじっと見ているうちに女が編み始めたのだと思います。(なおこ)
  • ルノアールの絵画に柔らかく美しく描かれた女性に恋心を抱いたのかもしれない。季語である毛糸の柔らかさが浮き立つ。 (豊実)
  • なぜルノアールかなぜ毛糸かは、青畝はルノアールが好きで毛糸編むが季語だからで十分でしょう。そうすると問題は数あるルノアールの作品からどの女に毛糸を編ませたいかです。わたしは絶対にこの二人の女であると確信します。一人は数ある裸婦像のうち「長い髪の浴女」、甘美で官能的な女です、もう一人は「ダンヴェール嬢」透き通るような肌の髪の長い少女、いずれも代表作です。この句は知っていまして、俳句を始めたころ“北斎にゴホのひまわり描かせたし”などと真似て遊んでました。 (凡士)
  • 季語の毛糸編む、青畝師はルノアールの描く女性に毛糸のセーターかマフラーを編んで貰いたいと思ったのでしょう。絵画の俳句も多い青畝師ですが、ルノアールの柔らかい暖色の多い絵柄には確かに毛糸の手編みをする姿が似合うと思います。 (素秀)

開いた口ふさがらぬかに吸入す Feedback

阿波野青畝  

(あいたくちふさがらぬかにきゅうにゆうす)

句の鑑賞はまず季語の判別からということを忘れないでほしい。「吸入」とあるから「冬の季語の吸入器」であることは自明。 呆れかえることを「開いた口がふさがらない」というが、この句を読んだ人は、まさに開いた口がふさがらないのではなかろうか。そして吸入器に向かっている人の姿を思い出して、思わず笑ってしまうのである。「かに」というのは「かのように」の意味であるから、「開いた口がふさがらぬ」は、吸入をしている人の直喩であるが、このように言葉の持っている意味を逆手にとっての比喩はまことに奇想天外というべきである。

表現方法は奇想天外で、その姿はユーモラスであるが、句の内容は深刻である。風邪を引いて、その治療のために吸入するのは、当人にとって、のっぴきならぬことなので、そのためにユーモラスな格好を取らざるをえない事情を考えると、病人の悲しみが伝わってくる。「単に面白おかしさをだけを捉えるのではなく、愛が感じられるように詠む」と青畝師から諭されたことがある。 「俳句のこころ」として、ここが最も大切なポイントで、この句には言葉の魔術師といわれた青畝師の特色がよくでている。

合評
  • 吸入ですから、吸入器で薬品か蒸気を吸入したのでしょう。開いた口がふさがらぬは普通相手の言葉とか態度を見ての自分の気持ちを表すものですが、この句は自分の行為をまるで鏡で見ているかのように客観的に表現したものでしょう。 (凡士)
  • 喘息や風邪の時に喉から薬品を吸入する様子。口を開けて蒸気を吸い込むさまが我ながら可笑しいのでしょう、開いた口が塞がらないと面白がっています。 (素秀)
  • 人口呼吸器のようなものを想像してしまいました。 (豊実)

念力もぬけて水洟たらしけり Feedback

阿波野青畝  

(ねんりきもぬけてみずばなたらしけり)

芥川龍之介の「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」と共に有名な句。芥川の句には自嘲の匂いがあるが青畝師の句は自画像ではない。自選自解で養父母を描いたと言っている。自画像ではないが境涯的な味わいのまつわる句である。「念力」は広辞苑に「精神をこめた力」とあり、一つの仕事に打ち込んでいる時の張り詰めた精神力のことである。境涯俳人と言われる村上鬼城に「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」という有名な作があり、青畝師の句は、この鬼城の句を念頭においての作である。「念力」という言葉が境涯的な味わいをもたらしているのだが、両句の内容は全く対象的である。鬼城はのっぴきならぬ「死」を配し、青畝師は格好の悪いユーモラスな「水洟」を垂らさせている。ゆとりのない鬼城に対し、青畝師の句は俳味に溢れていると言えよう。

合評
  • 年老いて…とも読めます。鼻水を止める力も衰えて知らぬ間に鼻を垂らしてしまったよと。 (素秀)
  • 風邪を引いても、やらなければならない重要な仕事を気合いを入れてやり遂げたのでしょうか?気が抜けて、水洟がだらだらと止まらない。 (豊実)
  • 念力岩を通すという言葉がある。大事な仕事か何かを完遂するために、心に張りをもって集中していたのだが、それが終わった途端に風邪を引いてしまった。ごく普通の常識的な事柄を詠んでいるが、精神を緊張させている状態を念力という措辞をもってくるのがプロであろう。そういえば「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」という句も思い出した。 (凡士)

あるがまま生死わからぬ海鼠かな Feedback

阿波野青畝  

(あるがまませいしわからぬなまこかな)

この句は海鼠の句として、従来多かった形状の把握から一歩進んで、「生死わからぬ」というとらえ方をしている。初五の「あるがまま」は「生簀などにあるがままの状態」の意で、的確な写生であり、この「あるがまま」によって「生死わからぬ」という抽象的な把握が生き生きと読者に訴えてくるのである。ただ、青畝師の句としては珍しく、句の背後に無力感が漂っている。作者はこの句を作った昭和58年、84歳の高齢で、右腎臓摘出の大手術を受け、延べ9ヶ月の入院生活の後、翌年4月ようやく退院している。その生死を間をさまよった闘病生活の心境が、この句に反映していると思われる。この海鼠の「生死わからぬ」境に彷徨しながらも「あるがまま」という客観性、あるいは諦念を保持していう姿は、青畝師自身を思わせるものがある。

合評
  • 「憂きことを海月に語る海鼠かな 黒柳召波」 海鼠を海の底の哲学者のように見た句は多いようです。 (素秀)
  • 「逃げ去る日」の句、まるで素人の句のように読んで赤面しました。そしてこの句、青畝句なのでただ外見を詠んだだけでなく何か意味があるはずだと考え深読みをしました。ほとんど動かず、外形から他の生物からは海底の石と思わせ餌になることを免れ生きながらえてきた、ところが人間にも石か海底の残骸かのように思わせてきたが、ふとしたことから人間の口に入ることになってしまった。今しげしげ見ても、あるがままの生死も分からないものを人間はどうして食べるようになったのかなと改めて海鼠を観ている。たしか、海鼠が海月にぼやく句があったと記憶しますが、それに通ずるものがあるようにも感じます。 (凡士)
  • 冬の海の底で動かすじっとしている海鼠は、確かに生死もわかりません。それがあるがままの姿であると達観する目線を感じます。 (素秀)
  • 海鼠はボテッとして動かず何を考えて生きているのかわからないですね。一物仕立ての名句かと。 (豊実)

根木打大地あばたとなしにけり Feedback

阿波野青畝  

(ねつきうちだいちあばたとなしにけり)

自註・阿波野青畝集に「少年の冬の遊びの。尖を鋭く削った棒切れをとばして勝負をつけるのであった。何回もくり返すうちに傷だらけの地面に変わったのである」とある。現代は子どもたちの遊びもすっかり変化して、こういう素朴な遊びはほとんど姿を消してしまった。したがって、こういう句は郷愁の詩として我々の心を打つのである。自註の「勝負をつけるのであった」という表現にも幼少時代を懐かしむ心がにじみ出ている。ところで望郷の詩といえば、ただ甘く美しく仕上げるものが多いが、そういう望郷の中にも、ぴりりと辛味を利かせて、単なる甘えの詩にしないところに青畝師の特徴がある。この句では「あばた」という一語が辛味となって、郷愁にリアルな味を添えている。甘く美しい郷愁の詩に「あばた」という言葉を持ち込むことは、常人ではなし得ぬところである。

合評
  • 自分も釘でやりました。拾ってきた五寸釘を叩いて潰して刃先を研げば木や壁にも刺さります。壁を穴だらけにして見つかると怒られますが、まさしくあばたとなりにけりでした。 (素秀)
  • 私の子供の頃もまだ家の前に土の道があって、釘刺しはして遊んだ記憶があります。そんな子供のころの素朴な懐かしい情景を思い出しました。 (豊実)
  • 五寸釘を地面に打ち付けて遊んだ記憶はありますが、根木打は知りませんでした。太い木をつぎつぎ打ち付けるのですから地面は穴ぼこだらけになるので、あばたと見立てたのでしょう。現代は舗装されているので、公園の砂場ぐらいでしかできませんね。 (凡士)

朴といふ気ぜはしさうに枯れにけり Feedback

阿波野青畝  

(ほほといふきぜはしさうにかれにけり)

朴の木は雑木として自生のものが多い。葉が大きく背も高いのでたいへん目立つ木である。寒さに遭うと一本の葉が一挙に生気を失い、垂れ下がって、表は焦茶色に裏はいよいよ白く変色し、風のまにまにばらばらと落ちる。その枯れざまを「気ぜわしさうに」と表現したのはまことにぴったりである。「気ぜはし」というのは、朴の身になった作者の主観であるが、「さうに」と様態化して客観性を付与している。「朴といふ」という上五は、そこが句の断点になっていて、一種の切れ字の働きをなしている。「朴といふ」の下に「木が」という言葉が省略されている形ではなく、山を見ていて、目について「ああ朴だ、といった」、その感じを生かしたかったのではないかと思う。「ホオ」という詠嘆の言葉の感じをも裏に生かした表現であろう。

合評
  • 朴の木枯れる、日本でも最大の葉の大きさを持つら落葉樹です。落ち葉がたちまち土や道を隠していきます。落ち葉を踏んでいく人たちの足音もサクサクと気ぜわしく聞こえるのでしょう。 (素秀)
  • 朴落葉は楓や銀杏のようにひらひら舞い落ちるのではなく、巨大な葉なのでバサ、ドサと音を立てて落ちる。こんな葉が4,5枚も続けて落ちていくと確かに気忙しくと感じられる。句は落葉とは言わず枯れるとしているので、落ちた葉が銀色から白っぽく変色していく様子や反り返っていく様子も含めて気忙しくと詠んだのだろうか。ホウノ木は近辺では見ないが、昔飛騨古川の旅館の朝食で食べた朴葉味噌の香りと味が忘れられない。 (凡士)

河豚宿は此許よ此許よと灯りをり Feedback

阿波野青畝  

(ふぐやどはここよここよとともりをり)

この句の「此許よ此許よ」といふリフレインは、怪しげな魔窟か、あの世にでも呼び込まれそうな不思議な雰囲気を感じさせる。その理由のひとつは「河豚宿」という古風な表現が内包しているムードで、これを「河豚料理」とか「河豚の店」と上五を置き換えてみれば、その違いは明らかである。さらに古風なと言えば、「此許」という表記も記紀か万葉にでも出てきそうな古さが感じられる。そして、その根本的な原因は。「河豚」の持っている死に至る毒なのである。「河豚は食いたし、命は惜しし」という言葉があるように、河豚の美味に誘われて中毒死した話は、昔はしばしば新聞をにぎわせたものである。当今のように河豚が大衆化されていたわけではなく、食あたりの噂にのみ聞く「てっちり」の赤い灯、青い灯の看板の持つ怪しい雰囲気をこの句は、今でも十分味わわせてくれる。

合評
  • ふぐ提灯に灯が付いてゆらゆらと揺れているのかなと。 (素秀)
  • 下関でしょうか?河豚の料亭が並ぶ街角。夜になると、客を引き寄せようと、それぞれの店が風情のある提灯を灯す。 (豊実)
  • 句を鑑賞する場合時代背景がわからないと難しいこともある。この句も現代ではなく戦前あるいは戦後すぐ、河豚は食いたし毒怖しの頃で、提灯の灯が美味しい河豚はこちらですよと私を誘惑している、と読みました。 (凡士)

かづら橋冬将軍に隙だらけ Feedback

阿波野青畝  

(かづらばしふゆしようぐんにすきだらけ)

平家の落人伝説で有名な徳島の祖谷のかずら橋である。青畝日記に「祖谷のかずら橋を私が勇ましく渡ったのを一同が驚き、元気だと喜んでくれた」とある。その「かづら橋」もこんな方向から句に詠まれるとは思ってもいなかったことだろう。「怖い」「高い」「揺れる」等という言葉で「かづら橋」を捉えるのが通常の感覚というものである。ところが青畝師は、「隙きだらけ」と、まさにかずら橋の隙を突いた表現をしたのである。かずらで編んだ橋であるから「隙だらけ」であるのは真実ではあるが、全くユニークな新しい捉え方である。しかも、「冬将軍」という相手方をあげられてみると、その「隙だらけ」がまさにぴったりなのだから素晴らしい。単に冬としないで「冬将軍」といかめしく表現したところが、「隙」に対してぴったりなのである。

合評
  • かずら橋は雪よりも紅葉の頃がお勧めです。少し怖いイメージもありますが意外と谷は浅いし、橋そのものも短いので拍子抜けするかもわかりません。風が抜け放題のかずら橋を隙だらけと詠んだのでしょうか。 (素秀)
  • 写生句として鑑賞しました。かずら橋は床も桟だけで面がいっさいないので、ある意味隙間だらけ、雪もあまり積もらないでしょうし風も抜けていく、それを隙だらけとしたのでしょうか。雪のかずら橋は見たことがないのですが、風情があるでしょうね、渡りたいとはおもいませんが。 (凡士)
  • 将軍の風が吹き付ける中、つり橋の足元の隙間から下の渓谷が見えて、高所恐怖症には耐えらない状況。 (豊実)

臘八や雪をいそげる四方の山 Feedback

阿波野青畝  

(らふはちやゆきをいそげるよものやま)

「臘八」は十二月八日の臘八会のこと。釈迦が雪山で六年間苦行をして下山、菩提樹下で暁の明星を仰いで悟りを開いたという日であり、禅寺では法会が営まれる。12月は臘月ともいって、その八日であることから臘八会といい、釈迦成道の法会であるから成道会ともいう。山本杜城の『「春の鳶」研究』には「とある禅寺でもあろうか。お詣りしたところ、たまたま臘八会を修していたのである。厳粛な気持ちで眺めた四方の山々にうっすらと雪が積もって、いよいよ冬が本格化する。そういう天地宇宙の根本原理をまことに淡々と平明に叙した」と鑑賞している。釈迦が悟りを開いたという臘八会にお詣りした厳粛な気持ちと、四方の山々のうっすらと雪が積もって厳しい冬が思いやられる、という気分とが響き合って潔い感じの句である。

合評
  • 素秀さんの鑑賞に脱帽です。臘八を時期と解釈し、12月に入ったので雪もちらちらしてきている、という様子を「雪をいそげる」と、真似してみたい表現です。永平寺あたりで詠んだのかな。 (凡士)
  • 臘八、臘月の八日のこと。釈迦が悟りを開いた日といわれ、臘八接心の座禅修行や臘八会などがおこなわれる。この句ではそろそろ山には雪が降って来る頃として臘八を使っているのかなと思います。 (素秀)

猟の沼板の如くに轟けり Feedback

阿波野青畝  

(かりのぬまばんのごとくにとどろけり)

「板」は、「いた」ではなくて「ばん」と読ませることにあとで気づきました。鑑賞してくださったみなさんごめんなさい。「猟の沼」は「猟の行われる沼」の意味で、自選自解に「印旛沼あたりの風景に想像を走らせた」とある。水鳥の猟が解禁になったばかりの広々とした沼、猟師達は小舟に身を伏せて猟銃を構え飛鳥を待つ。散弾を込めた銃の射程距離は短い。鳥が低く、近く、射程距離に入るやいなや、銃声が轟くのである。「板の如くに」の「板」は「板木(ばんぎ)」のことで、「寺院などで集会の合図などに叩きならす板。江戸時代、火災の警報にも用いた」と広辞苑にある。高く大きな耳を聾する音である。この句、その銃声が突然耳をつんざいたのである。「猟の沼」で句は切れる。そこで広々としたニマを読者の眼前に彷彿させておいて、「バンの如くに」猟銃を轟かせる。「バン」は擬音語的役割も果たしていることを考えると、やはり青畝師は、「ことばの魔術師」である。

合評
  • 猟舟が沼を進んでいるのかなと思われます。水面は板のように動かない。そこに猟銃の発射音がタンと響くのではないでしょうか。 (素秀)
  • 水鳥かなにかの狩猟で、轟くですからやはり猟銃とおもいます。ただ沼で猟銃を撃ったら水面はさざ波が立つか揺らぐとおもますが、板の如く比喩の表現がわかりませんでした。 (凡士)
  • 鏡のような沼の水面に猟銃の音が反射して轟いた瞬間をみごとに描写していると思いました。 (豊実)

鷹真澄罪の杜国をおもひけり Feedback

阿波野青畝  

(たかますみつみのとこくをおもひけり)

芭蕉は貞享四年『笈の小文』の旅の途中、鳴海よりわざわざ25里の道を引き返して、渥美の保美に愛する弟子杜国を尋ねた。杜国は名古屋の米商、空米売買事件に関わって追放され、保美に謫居していた。芭蕉は深くこれに同情し、名古屋の越人に案内させて保美の里を訪れ、一里ほど先の伊良湖岬にも共に出かけたのである。「鷹一つ見つけてうれしいらご岬」はその折の吟、「鷹」には杜国の面影をもダブらせている。青畝師はこの句において、伊良湖の澄み切った空を飛びゆく鷹を見ながら、芭蕉がでし杜国を思いやった気持ちをしのび、さらに師の恩に感激したであろう杜国の心を思いやっているのである。「罪の」とわざわざ冠したのは、罪人としての杜国というとらえ方をしているのであろう。

合評
  • 青畝師が鷹をみて、ああ芭蕉はこのように鷹をみて杜国を想ったのだなあ!と芭蕉の句が浮かんだのだと読むのですか。句のバックグランドが分からないと鑑賞できませんね。 (凡士)
  • 澄んだ空に鷹が飛ぶさまを見ると杜国を思ってしまう。杜国は松尾芭蕉の弟子、罪を犯して流刑となります。芭蕉の句に、鷹一つ見付てうれし伊良湖崎、がありこの鷹は杜国の事と言われています。 (素秀)

宝冠のごとくに枯るる芒かな Feedback

阿波野青畝  

(ほうかんのごとくにかるるすすきかな)

枯薄について清少納言が「枕草子」の「草の花は」の中で、「秋のはてぞ、いと見どころなき」と言っているのをはじめとして、「ともかくもならでや雪の枯尾花 芭蕉」「狐火の燃えつくばかり枯尾花 蕪村」「化物の正体見たり枯尾花 也有」などから、「船頭小唄」(野口雨情)の「俺は河原の枯薄、同じお前も枯薄」に至るまで、日本の詩歌のほとんどが、悲しく淋しい哀れなものというイメージを持ち続けてきた。ところがこの句の枯薄は全くその従来のイメージを打ち破って、豪華絢爛たる「宝冠」の枯薄を現出したのである。青畝師自身も自註句集で「枯れた芒のさきの穂がふわりと呆けひろがると、更に小春日和だと何ともいえぬ豪華に見える。童話の王様が冠りそうで楽しい暖かさがある」と述べて、この宝冠は、日の当たった枯芒の比喩だと説明している。私ならどうしても「日当たれば宝冠となる枯芒」と添削してしまいそうだが、そこは鑑賞する側の連想に委ねて省略し、句全体に余裕をもたせている。

合評
  • 芒の群生している形が宝冠のように見えたのでしょうか。枯れた芒の黄金色はまさに宝冠かもしれません。 (素秀)
  • 例えば百済観音の宝冠をイメージしましたが、枯芒がそれと結びつかないので……それ以上には進めませんでした。 (凡士)
  • 枯れてもなお穂を立てて陽の光を浴びている芒が宝冠のように見えたということかなと思いましたが、それ以上に深い意味があるのでしょうか? (豊実)

女来て枯木に煙草こすり消す Feedback

阿波野青畝  

(をんなきてかれきにたばここすりけす)

この句の「女」については故山本杜城氏の「春の鳶研究」に詳しい。要約すると「戦後の放恣で頽廃的な傾向の、いわゆるアプレガールである。赤茶色に染めてモジャモジャにパーマネントをかけた髪、原色のスカーフ。手を通さずに肩だけ羽織っただけの同じように原色のオーバァ。毒々しいほどに塗りたくった唇。咥えた要モク」としている。枯木に咥えていた煙草をこすりつけて消すような女性は、青畝師としては全く新しいタイプの女性で、この句は凡士解のとおり、戦後の世相を色濃く反映しているのである。表現も口語調で、K音を多く使って軽薄頽廃のムードを助けている。そしてこのアプレ的な感じを「枯木」をもって受け止めているところに作者らしさがあって、晩年の「リクルート事件の袋掛けにけり」(平成元年作)にみられるような社会性俳句の萌芽がこの句にもあるといえよう。

合評
  • いかにも蓮っ葉な女の仕草に呆れてしまったのかも知れません。女の目には枯れ木は生き物として映っていないのでしょう。 (素秀)
  • 時代背景が分かりませんが、ひとつは戦後すぐの夜の女のしたたかさをイメージしました。 (凡士)
  • 煙草を吸う女性は昔は少なかったと思いますが、そんな中で、この女の太々しさを強く感じました。 (豊実)

逃げ去る日ぜひもなきこと炭を焼く Feedback

阿波野青畝  

(にげさるひぜひもなきことすみをやく)

炭焼も現代では稀な仕事となっているが、かつて山間の農民は農閑期の冬になると一人で山中に入って炭焼にかかったものである。まず臓器を伐採した谷に窯を築く。その炭竈の傍らに粗末な炭焼小屋を立てて、作業期間中はそこで寝泊まりする。ひと竈焼き上げるのに大体一週間は籠らなければならない。日当たりのよい昼間は仕事に集中して孤独を忘れられても、夕暮れ時は侘しい。夕闇の帳が下りてしまえばあたりは漆黒の闇である。もちろん電気が来ているはずはなく、ランプがわずかに薄暗い光を投げかけるだけである。作者はその孤独な淋しさを思いやっている。山中の夕暮れに冬の日の失せるのは早い。まさに日は逃げ去るのである。闇夜の孤独がそこに迫ってくるのを防ぐ術はないのだ。「ぜひもなきこと」には作者の思いやりの深さが十分に込められていて、この句の眼目となっているのである。

合評
  • 都会の女性が、農業と炭焼きの家に嫁いだが、耐えられなくなり逃げ出した。男はしかたがないことだと達観して、炭を焼く日々を続けている。あまりに表層的ですが。 (凡士)
  • 逃げ去る日とは何の日なんでしょうか。何かから逃げたのか。是非も無き、あれこれ言っても仕方がない炭を焼いているのだよ、からひょっとして空襲から逃げたのかなと思いました。 (素秀)

をかしさよ銃創吹けば鴨の陰 Feedback

阿波野青畝  

(をかしさよじゆうさうふけばかものほと)

「陰」は陰部の古語。自選自解に「尻といったのでは面白くない。陰というと色気があり、にたにたと笑うわけである。いままで俳句で陰部を詠んだ人がいない。川柳の末摘花(すえつむはな)のごとく下品なものにしてはならない。陰部を詠んでも気品がなくては成功しない」とある。森田峠師は、「銃創吹けば」は「銃創を探して毛を吹けば」の略、とあり、「古俳諧の滑稽味を現代に再生させた句と言えよう」と鑑賞している。「をかしさよ」は「滑稽だよ」の意であるが、「銃創吹けば」と併せ読むと、銃に打たれた鴨の哀れさが伝わってきて4、作者が単なる滑稽を感じているのではないことがわかる。「陰」を「ほと」と古語で4表現して醜悪さを避けた上に、「銃創吹けば」に作者の鴨に対する優しさが込められていると言えよう。

合評
  • 鉄砲で撃ち落とした鴨の銃の玉が鴨の陰部に食い込んでいた? をかしさを信じられないようなことに、と読みました。(凡士)
  • 撃ち落とした鴨の銃創かと思えば排泄口だったと。青畝師独特のユーモアでしょうか。 (素秀)

門川や冬菜洗へば用なささう Feedback

阿波野青畝  

(かどかわやふゆなあれへばようなささう)

季語は「冬菜洗ふ」であるが、それはこの句の現前の景ではない。しかし、この「冬菜洗へば」という中七の部分は、読者に、一人の農婦が眼前の農家から出てきて、門前の小川の洗い場に下りて冬菜を洗い、家に入ってしまう様を彷彿させる。想念上の人物とはいえ、一旦登場したものが、読みゆく過程において消滅するので、その寂寥感がより深まるのである。また、「用なささう」という口語表現は、「用無からん」などという文語表現に比べて発音、内容ともに力強さに欠け、無力感を伴って、冬の小川が涸れもせずに流れている淋しい感じを生かしている。結局、この句の実景としては、農家の前を冬も涸れない程度の小さい川が流れているだけなのであるが、その冬の小川の農家との関わりを含めた寂寥感が微妙な作者の言葉の斡旋によって、読者の胸に深く染み込んでくるのである。

合評
  • 門川、河川の固有名詞かと思いましたがこれはそうではなく、家の前を流れる小川、水路的なものを言うようです。冬場でもあるし野菜を洗うぐらいしか用が無いのだと思います。 (素秀)

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