2014年7月
目次
どんな昆虫でもそうですが繁殖期には凶暴になり、鈴虫の場合、餌が足りていても共食いします。飼育密度といって一つの鑑賞容器にどのくらいの数の固体を入れるとよいのかというルーツもあるようです。さて揚句も観賞用の鈴虫です。毎日涼しい楽を愉しませてくれているのだがちょっと数が減ってきたようだ。強いものだけが生き残るという自然界の宿命に克って今夜も健気に雌を求めて啼いているのである。
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4 年来鈴虫が孵化し今年も貰い手もなく二つのケースに超過密状態で大きくなりつつある。一斉に鳴き始めると家を揺るがす程であるが数も減ると当然雌も減っているわけで一途な声は哀れを誘う。「昂ぶりぬ」が巧いですね。 (うつぎ)
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大昔子供と鈴虫を飼ったことを思い出します。最後はメスがオスを食べ栄養源にして産卵するのだとか。目の当たりにしたときはショックでしたが、骨まで愛されたオスはいいなと思いましたよ。掲句の鈴虫も最後の力を絞っているのでしょう。(よし女)
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子供が小さい時に二三年飼った事があります、多い時は喧しい程で盆過ぎになると次第に減っています。数がへっても大きな声で鳴いていたやうです。昂ぶりぬがきいていますね。(あさこ)
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以前松尾山麓の年中鳴かせる鈴虫寺(華厳寺)に行ったこと思い出しました。鈴虫の音色を聴きながら住職の説法を聞きました。このお寺は年中部屋の温度を適度に保って飼っているようです。鈴虫は少ない数の方がソプラノの透き通った音色に合ってますね。もうすぐ聴けますね。(満天)
ふつう黒は暑苦しい感じがするのであるが涼しそうな白の屯の中の黒一点がより涼しく感じたということだと思う。では具体的にそのシーンを連想してみたい。直感的に涼しいと感じる黒は羅と考えるのが順当であろう。では、白衣と黒衣とが共存するシチュエーションはというと弔事ではなさそうである。慶事であれば女性はともかく男性ならダークスーツを着用することはある。しかし羅ということになれば慶事に招かれた高僧ではないだろうかと考えた。古刹での青畝師の句碑開き式典の様子かも知れない。
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夏服ではなく夏衣であるから黒の和服を想像しました。絽か紗の襟の白、下着の透けている白が黒のメリハリとなり如何にも涼しげである。白っぽい服の中の黒ととるべきだろうが単に黒の和服姿として鑑賞しました。(うつぎ)
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この句の鑑賞は難しいです。一人歩きをしようにも体験に乏しく、慶事の白い洋服の中の黒レースのドレスをまとった女性迄で連想はストップします。古刹での青畝師の句碑開き式典の様子との解説で一気に景色が広がりました。(よし女)
平気で蛇を素手で掴む腕白漢が居る。調子に乗ると手にした蛇をこれみよがしに振り回して周囲の女性が怖がるのを喜ぶ。手を嫌ひけり・・は、手だけではなくて、そうした悪趣味な人格をも嫌悪しているのである。旧約聖書創世記には、エバが蛇にそそのかされてアダムを騙し、神の約束を破るくだりがある。エバが蛇のせいにして言い訳をしたために神の怒りに触れ、罰として、女の裔末はみな産みの苦しみに耐えなければならないと言われたのである。蛇と女性とが敵対関係になったのは、そこに原点がある・・・というのはぼくの勝手な推測です(^_^)
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蛇捕りの二人連れに出くわしたことがあった。蝮などを商うつもりであろうが、蛇そのものを見るより気持悪かったことを思い出した。この句は全く同感である。(うつぎ)
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蛇は苦手ですねぇ。にょろりがちょろりみえても飛び上がります。その蛇を素手で掴むとは・・・そのような場面でも凝視して句になるのですね。(よし女)
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小学校に入ったばかりのころ、男の子からこの生き物を投げつけられた恐怖を未だにひきずっています。今ならこの品女さんの句をあのいじめっ子に叫んでやるのに! (さつき)
「虚子百句」は、虚子の孫である稲畑汀子(ホトトギス主宰)が描いた虚子句の鑑賞書で、高濱虚子の作句精神を知る教養書として、また実作の手引きとして愛読されている。「俳句研究」に連載された記事であるが、単行本化されたものが古書として流通している。夏の暑い時期には句を詠もうという意欲も沈滞するものであるが、愛読書である虚子百句を読み返すことでまた頑張ろうという意欲を得たのである。夏に限らず句作が不調におちいることは誰にでもあるが、たいていは詩情が狂ってしまっていることが多い。そんなときは、愛読書や選集などを読み返すことで軌道修正することが出来る。
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虚子百句は未だ縁なく手にしたことがありません。近近図書館に行って探してみることにしましょう。(よし女)
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虚子百句はたまたま手本に有りました。もう一度読み直してわたしも頑張って見ます。(あさこ)
病人でなくとも強い西日をまともに浴びることは耐えがたいが、揚句の場合、西日を避けるために場所を変えたり移動したりできない入院病棟の窓際のベッドはないだろうか。勿論カーテンとかブラインドなども備えられているのだけれど、西日の威力はそれらの防護手段をもってしてもなお耐えられないほど強力なのである。今日ほど質のよい空調設備もなかった時代の病棟を連想すると、暑さと西日のダブルパンチはまさに地獄なのであろう。患者の洩らしたひとことが一句になったのであるが作者にも共感する気持ちがあるのである。
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暑さと西日に病人は猶ぐったりする。気遣う作者にとっても耐え難い。何度か同じような体験をした。病人にとって西日の地獄は決して大袈裟な表現ではない。身につまされる句である。(うつぎ)
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身体を自由に動かせない病人にとって西日の当る病室は まさに地獄の暑さです。カーテンをひくけど病院のカーテンは薄いですから顔にでも西日が当たるとたまりませんね。私にもこんな経験をしたこと思い出しました。(よし子)
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この一句本当に身にしみます。昨年のちょうど今日主人が無理矢理退院したことを思い出しました。今年も暑く暑く、取りあえず夏が終るまで何とか頑張って生き延びねばと思う気温です。病気と西日のダブルパンチこそ病人にとっては地獄と言えるでしょうね。 (よし女)
食べごろに熟した桃は確かに揚句の通り。でもナイフを使わずに指先だけで綺麗にむくにはちょっとこつが要るのである。短気で不器用な人は一気にむこうとして途中で千切れてしまう。落ち着いてゆっくりと均一な力加減でむくのが秘訣、糊付けされた封筒を破らずにゆっくりと開けるあの要領である。器用さに自信のない作者はあまりにみごとに綺麗にむき上がった桃を見て驚いている。自慢ではないがぼくはこういうの得意である(^_^)
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「早く食べたい」という顔をした子どもたちのまえで、母親である作者がナイフを使わずに桃を剥いている場面を想像しました。一枚一枚剥かれていく桃を見つめている子どもたちの表情も浮かびます。(さつき)
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よく熟れた桃は指でむき易く、それがつるんと剥けるととても嬉しくなります。固い所に引っかかって皮が破れると仕方なくナイフの出番ですね。(よし女)
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ももの美味しさには触れていないのですが、つるんと皮が剥けて口に入れると冷たく甘い桃が目の前に浮かんでくるような句です。(よし子)
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爪あとをつけずするりと剥けた桃は一段と美味しそうに見えます。(ひかり)
塗香(ずこう)とは仏様の御前に上がる際、自らの心と身体を清めるために使われるものです。「」具体的な使い方(作法)」のページをリンクしておきます。大きなお寺ではお堂に上がるときに塗香が準備されていることもある。心を無にして教えられるままに神妙に塗香していると、自然と心が落ち着くのを覚えて、ふと我に返ると汗ばんでいたのがすっかり治まっているのに気付いた。季語は汗だが、安居寺の雰囲気もある。
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塗香と言う熟語を初めて知りました。具体的なページもリンクしていただき有難うございます。香木から作るとか、優しい香りがするでしょう。作法どうりにしていたら汗が引いていた、暑さを忘れていた。一心不乱だったのですね。(よし女)
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以前京都のお寺で写経道場のお部屋を垣間見たことがあります。整然と机が並べられ入口には塗香の用意がしてありました。先ず塗香をして心を清め息を整えて席に着くようでした。「汗のひきにけり」にその時のすがすがしい気持を思い出しました。 (菜々)
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仏様に参る前に塗香の作法があるのを知りませんでした。心を無にしているだけでわずかの時間に自然と汗もひくというのです。とてもいいことですね。(ひかり)
園の要に設置された大噴水である。噴水はコンピュータで制御演出されて、演舞のさまに序破急と変化して水を噴き上げる。最初は周辺の小さい噴水が侍者の如くに低く水を噴き上げ、やがて中央部の主役が噴き上がり始める。そしていよいよ最後のクライマックスには大円柱となって空高く立ち上がるのである。揚句はその瞬間をとらえて写生したのであるが、それによって急となるまでの序破の様子やクライマックスのあと、ピタッと休止して静寂に戻ったあとの余韻などにも連想が働く。やもすると序破急の全てを詠もうとしがちであるが、瞬間写生することで前後は連想に委ねるのがうまい詠み方である。
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噴水の序破急の演舞、クライマックスの大円柱と、句も然る事ながら解説が素敵ですね。先の高校生たちが占領していた大噴水でしょうか。一度見たいものです。(よし女)
分かりやすい句ですね。いつもなら空いているのだけれど、昼間のいっとき修学旅行中の高校生達が集団で大噴水を取り囲んでいて近づけないのである。集合合図がかかるまでの時間調整かも知れない。となれば広島の平和公園あたりの写生ではないかと想像する。有名な公園にはどこにも噴水はあるのでとくに場所を限定する必要はない。
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大噴水を占領するほど大多数の高校生が連想できます。(よし女 f)
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大噴水の白、制服の白、眩しいばかりである。両方の漲る力に触発されての句である。(うつぎ)
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真っ直ぐ垂直に上がる噴水の力、高校生たちの真っ直ぐな若い力、なるほど捉えどころがすばらしいと感心しました。(よし子)
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これは間違いなく修学旅行ですね、涼を求めて噴水に集まっているさまがよくわかります。(あさこ)
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若さあふれる男子高校生が噴水の前で戯れている大噴水の音もかき消す勢い。猛暑も吹っ飛ばす楽しい句ですね。(満天)
谷崎潤一郎の小説「細雪」の舞台として知られる芦屋は、山の手に豪邸の建ち並ぶ高級住宅街があることでも有名である。この界隈の上流社会に生活する家庭の主婦を芦屋夫人とも呼ぶ。作者が芦屋住まいなのではなく、何らかの関わりがあって素敵な豪邸に招かれたのだと思う。高台のこの住宅は、海から山へ吹き抜ける風がよく通うので夏でも涼しく、風鈴の奏でる心地よい調べに心を遊ばせながら、こんなところに住めたらいいけれど自分には到底叶わないことだと羨望しているのである。
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かなり前になりますが芦屋界隈を歩いてみたく、旅行を計画したことがあります。実現しませんでしたが・・・海から山へ吹きぬける風に風鈴がよく鳴っていて「いいお住まいですね」の声が聞こえるようです。 (よし女)
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風鈴と芦屋の措辞が響きあい高台にある緑に囲まれた大邸宅の落ち着いた佇まいを想像さす。下町の喧噪の中とここ芦屋とでは風鈴の音さえ違って聞こえる。良い暮しだなあ、羨ましい。「住まいかな」に作者の気持が感じられる(うつぎ)
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山からそして海から通う豊かな風の恵みを表現するのに、「芦屋住まひ」がとてもうまく使われています。緑に囲まれたお屋敷の縁側に吊るされた風鈴は客間に涼しげな音を届けていることでしょう。(ひかり)
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以前、ゴスペルの吟行で芦屋の豪邸を横目にしながら歩いたこと思い出しました。狭いところでは風鈴の音も人によって迷惑に聴こえる場合もあると思いますが大邸宅であれば近所に聴こえる事もなし固有名詞の芦屋がぴったりですね。(満天)
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風鈴は我が家にも吊るしてをりますが何時もは全然鳴りません。風が有るとき涼しい音が聞こえます、寂があっていいものですね。(あさこ)
夏負けに陥ると食欲も減退し、一気に体力が衰弱する。高齢者の場合は特に深刻でひどくなると何も受け付けなくなるので、ついには点滴注射で栄養を補うようなことにもなる。その為にこの季節の家庭の主婦は、栄養価が高くかつ食が進むようにと日々いろいろと考えて献立に工夫を凝らせるのである。「暑に負けてならぬ」の措辞には、暑さに負けてはいられないという作者自身の決意も窺える。
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ご本人か家族の中に疲れ気味の方がおられるのでしょうか。鶏胸肉のイミダペプチド(疲労除去成分)が最近よくいわれますね。暑さに負けない、スタミナレシピは肉、野菜を上手に取りましょうと。夏の料理は手早くしないと自分が疲れます。私が今年 1 番にしたのが夏の七色ピクルス作り、自家産のもの殆どがその材料になります。ゴーヤ、南瓜のうらなり、青トマト、にんじん、セロリなど何でも使います。食欲増進剤にはスパイスをふんだんに使います。食事はとても大切です。(よし女)
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どうしても夏場は食欲が減退気味!しかし家族や自分の健康のためできる所は手抜きしながらも頑張る。暑に負けてならぬの措辞が強い意志を表しています。(ぽんこ)
風が書物のページを繰ったり、秋草を靡かせたり、落葉や紅葉を散らしたり、髪の毛を乱したりと等々、風(原因)とその結果を詠んだ句は多く、得てして類想になりやすいが、裁屑というのは珍しい。型紙にあわせて印をつけたあと、ざくざくと裁っている。大まかな裁ち作業が終わるまでは、裁屑は机辺に散らかったままなので窓から通ってくる涼風に持ち上げられたり翻ったりするのである。裁っているのは、薄地で涼しげな色のワンピースの生地ではないだろうか。なんとなくうきうきした気分があり鼻歌も聞こえてきそう。初夏の雰囲気を感じる作品である。
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大まかな裁断を終えるまでの風は布や型紙がずれて困るので、裁断を終えてから優しい風を入れたのでしょう。その一段落の安堵感や次の作業の手順、出来上がりへの期待感などが「風涼し」の措辞に感じられます。(よし女)
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裁断する時に結構大小の裁屑が出る。開け放つ窓から涼しい風が抜けると部屋の隅に吹かれた屑が寄せられます。裁屑のかたづけはまたあとでと気にとめず集中して裁縫の成果を愉しんでいる。充実した時間なのでしょう。(ひかり)
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お気に入りの柄で完成をイメージしながら布を裁っている。心はルンルンだ。裁屑をあおる風も心地いい。日常の中の幸せが感じられる。(うつぎ)
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少し大きめの裁屑は羽のように、細い裁屑はくるくるとねじれてリボンのように風に吹かれ吹かれていつの間にか何処かに失せてしまった。作者はそれを楽しんでいるよう。「吹き飛ばす」でなく「持ち去っている」に風の涼しさと柔らかい花柄の生地を想像しました。(菜々)
彼の意にしたがひがたき端居かな Feedback
端居というからにはある程度近しい間柄であると思うけれど、仕事関係の手順の打合せのような気もする。上司である彼は相手の意見を求めるでもなく一方的に指示するばかり。命令とあらば従うほかはないが、年長者である作者の意見やアドバイスを聞こうともしない傲慢さにちょっとうんざり。やむなく表向きは従う姿勢を繕っているのであるが心の中では決して納得していないのである。先入観で鑑賞するのはよくないが、若いドクターとベテランナースとが病院裏のベンチで担当する患者への対処法について相談している姿を連想してしまった。
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句が勝手に一人歩きをしました。若いカップルを想像します。結婚式に関してのもろもろの行事の中で「それだけは従えないわ」と甘えている彼女。女性リードのよき家庭ができるでしょうか? (よし女)
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作者はきっと一人になりたかったのだろう。それを横からうるさく話しかけられ、「黙って過ごせないものか」と内心うんざりしていたのでしょう。 (さつき)
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端居だから最初は話が合っていたのかもしれない。途中から彼の考えに承服しかねることが出てきたのだと想像する。でもその場では反論せず、納得のいかない気持を句に昇華させたことはさすがです。(うつぎ)
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暑くて忙しかった一日がやっと終わり端居してほっとしている時なのに彼からいろいろ指図されてうんざりしているのでしょう。でもノーとは言えない。したがいがたきは心の中なのでしょうね。彼とはどういゆう関係のひとなのでしょうか、気になります。(よし子)
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納得していないのに反論しないで黙って聞いているのは恋人関係だからかなと思いました。喧嘩にならないように我慢している。こんな涼しい気持ちのいい場所でくつろいでいるのになぜ考えがかみ合わないのか。端居かなに強い意志を感じます。(ひかり)
この句がなぜ四季選集に選ばれたのかと思うくらいシンプルな作品ですね。ふつう何か小さいものを抓むときは親指と人差し指の二本ですが、確かに草引きの時は中指も添えて三本になります。二本指で強引に引くと根が残って千切れることがあるので、三本指をぐっと土に押し込むようにして根の部分を掴みます。そして一気に引き抜くのではなくて、千切れないようにゆっくりじわーっと引くのです。草引きを日課にしている人には確かにその感じが共感できる句ですね。
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草を引くのに 3 本の指を使っているなど考えもしませんでした。手鉤を持ってきてがしがし削ってしまいます。時に手で引いても気ばかり走って指の本数までは・・・感性を磨くとはこう言うことなのですね。(よし女)
最近の園芸種ひまわりは品種改良されて随分小型のものが出回っているが、向日葵本来の野趣は揚句のような雰囲気のものだと思う。見下ろされると言うことは、見上げるくらいに大きいと言うことになる。「汝等と」の措辞が面白いのであってそれに続くキーワードがいろいろと想像されるが、概して戒めの言葉が多い。聖書にも神の預言として「汝ら・・・」の言葉は数多く、「汝らは地の塩なり」「汝ら幸福なり喜び喜べ」に代表される山上の垂訓は有名である。うち仰いで観察していると何かを諭すかのように向日葵の方から語り掛けてきた、対象物と作者の心とが通い合った一瞬の写生である。
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句またがりの変調は何回も読まないとリズムに乗れません。で、繰り返し声を出して読んでみました。ラリルレロのラ行音がリズムを助けているように思いました。(よし女)
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向日葵に出会って汝等の措辞にやはり聖書のことばを連想されたのではないでしょうか。先日いつも通る菜園に今年は初めて屋根まで届く大きな向日葵と出会いびっくりして自転車を止めて暫く眺めていました。自然物である向日葵に対して遜った気持ちで句を詠む姿勢を見習いたいです。 (満天)
昼寝から覚めた直後は、しばらく意識が希薄になりとんちんかんな言動をとることがある。幼子や高齢者になるほどその傾向があるように思うが、主婦業である家人の場合も、特に疲れが溜まっていてしっかりと深い眠りに落ちたあとなどには、夕方まで眠ってしまい覚めたときに朝だと勘違いして大慌てするときがある。揚句の場合は、方向音痴になってしまったという。夢の続きで錯覚が生じたのであろう。
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このような経験は誰もが持っていて大いに頷ける一句です。それが俳句になるすごさを学びました。(よし女)
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上五、中七、反対に廊下を歩むとは一体何のことだろうと思わせ、下五の昼寝覚で読者は納得。私の寝覚めもこんな風にと考え合わす楽しさがあります。 (うつぎ)
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これはうまい句ですね。一読して景が浮かんできます。そしてくすっと笑ってしまいました。こういうこと自分にもあるあるなあと・・(よし子)
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最近同じようなことを経験しました。昼寝はぐっすりねてはだめですね。寝ぼけてここはどこだったかとしばらく居場所が分からなくなります。反対に歩む廊下・・と表現されたのが面白く、具体的に表現することの大切さを学びました。(ひかり)
交通事故でもおきたのであろうか、救護の人たちが炎天下を右往左往しつつ懸命に処置にあたっている。それが仕事だとはいえあまりにも過酷で走り寄って日傘でも差し掛けてあげたいと同情しているのである。句意は明快であるのだが、炎天にのみ・・の「のみ」の解釈に悩んだ。揚句の背景は事故現場で複数の被害者に対応している数名の救護班のようすと思える。怪我をしたひとは応急処置を受けたのち街路樹などの片陰に寝かせられて救急車の到着を待っているのだが、救護班にはそのような小休する余裕もなく慌ただしく炎天を行き来しているのである。
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これは難しい句だと思いました。一読大きな交通事故が浮かびましたがテレビ画面で見たことしか想像できません。暑い暑い日の大通りの事故だったのでしょうか。救護班の大変さを思うばかりです。(よし女)
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何時も思うのですが夏に完全武装で猛暑の中救護に当たっておられる姿は仕事とはいえ頭が下がります。健康管理をどのようにされているのかなと思います。中七に作者の救護者への同情心を感じました。 (満天)
熱いもの食べても梅雨の寒さかな Feedback
梅雨時に、北方の高気圧から冷たい風が吹き込んできて気温が下がることがある。六月とは思えない寒さで火が欲しくなったりする。特に東北地方のそれはしばしば農作物の作柄を悪くし、いわゆる冷夏、冷害ともいわれる。「梅雨寒」というのは比較的新しい季語であるが、巧みにアレンジされている。身体の芯から冷える感じがするので熱々の料理を用意して食べたのであるが、それでもなお底冷えするような寒さなのである。うっかりすると「梅雨の寒きかな」としがちであるが、「梅雨の寒さかな」と詠んだところがうまい。前者は理屈っぽく聞こえるからである。
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毎年梅雨の間に必ず一日はセーターを着たいようなな寒い日がある。飾らない言葉で感じたままを句にされ好感が持てる。子規の母親の言葉そのままの「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」を思い出しました。(うつぎ)
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梅雨寒」とは言い得て妙な季語だと毎年この季節になると思います。暑い日の翌日は冬に逆戻り。つい先日もそんな日でギョーザを熱々のスープでいただきました。冬物がいつまでもかたずかない日が続きます。(よし女)
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何か気になる心配事でもあって食べ終わったら余計に寒さを感じられたのではないかしら・・(満天)
都会のうだるような蒸し暑さを知っている作者は、緑豊かで夏も涼しい田舎に嫁いでその快適な暮らしにすっかり馴染んでしまった。懐かしい知己との再会や行事参加のために時々は大阪へ行く機会があるのであるが、とりわけこの暑い時期は体力的にも負担になるので出来れば避けたいのである。けれども今回はどうしても出かけなくてはならない用件があり、やむなくその暑さともたたかわなければならないと覚悟したのである。
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行かねばならぬ用事って何だろう? しかもこの暑いなかを・・などといろいろと詮索をしてしまいますね。大阪は常夏の国よりも暑い日があります。(よし子)
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どうしても行かねばならないがこの暑さはこたえる。でもそんなことは言っておれない。「行かねばならぬ暑さかな」には覚悟の前のちょっと引いた気持ちも含まれている。(うつぎ)
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のっぴきならない事で出かけねばならない。暑いなーと空をみあげる。この句「大阪」の固有名詞が効いていると思いました。(よし女)
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「行かねばならぬ」でこの上ない暑さを感じます。真っ白なブラウスなど着て、よし、この暑さになぞ負けないぞと出かけられたかも。私も丹波から嫁いで来た頃はなんと大阪は暑いのだろうと思ったものです。 (菜々)
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ひと昔前までは大阪が全国で最も暑い所でした。いかねばならぬという措辞に覚悟のほどが感じられます。(ぽんこ)
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良き事であれば暑さなど気にならないはずですが中七に重大さを感じます。こんな時にも句が詠めるんですね。(満天)
本物の鉄砲ならば敵の心臓を狙って打つのだが、キャッキャと騒いで遊ぶ幼子の水鉄砲はどこに命中しても嬉しい。標的となっている作者もまた、嬉しそうに笑顔でそれを全身で受け止めては子供達を満足させているのである。日向水のプールで遊んでいるお孫さんたちと水鉄砲の標的となっている大人達(若い両親、あるいはおじいちゃんおばあちゃん)という微笑ましいシーンが見えてくる。
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楽しい一句ですね。「全身が水鉄砲の的なり」に続く「し」の強調によって、作者が上から下までぐっしょり濡れている情景が浮かびます。(よし女)
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お孫さんたちから全身がずぶ濡れになるほど水鉄砲の攻撃を受けてゐるおばあちゃん。打つ方も打たれる方も楽しそう。暑さを忘れる夏の一ト日です。(よし子)
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孫とお風呂で遊べばどこを狙い撃ちされても楽しい幸せな瞬時です。(ぽんこ)
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とても楽しそうですね。そういえば昔こういうことがあったことを思い出しました。全身が水鉄砲の的、まさにその通りです。(ひかり)
秋芳洞のような洞窟か廃坑跡での吟行かと思う。洞窟の中はとても涼しいのだけれどどことなく薄気味悪い雰囲気があるので背後から滴りの不意打ちを食らって思わず悲鳴が出た。再びの被害を避けるべく恐る恐る注意深く進んでいく様子も連想できる。恐怖かなの措辞が的確で且つ滑稽味もある。出そうで出ないことばだと思う。
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山道にあるような小さなトンネルが浮かびました。薄暗く何が潜んでいるか怖くてたまらないけれど、そこを通らなければ目的地には行けない。滴りの不意打ちに鳥肌が立った様子が「恐怖」という言葉に込められていると感じました。(さつき)
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うなじ打つと言えば雪解雫を思いだします。溶け始めた氷柱の下をサッと潜るのですがタイミング悪くマフラーの隙間から入ってくるんです。トラウマ?とまではいかないまでも滴りでこんなこと思い出すのはやはりかなりの恐怖感を感じているということなんですね。(こすもす)
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洞窟か廃坑跡を不気味な霊気を感じながら怖々進んでいたのだろう。いきなり冷たい物がうなじを強く打った。滴りであるが何の仕業?恐怖の措辞が作者の心情や情景を余すことなく語っている。瞬間写生のお手本にしたいと思います。(うつぎ)
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うす気味悪い洞窟は廃坑跡なのでしょう。恐怖の措辞が一句の中で占める割合は大きな価値がありますね。このような言葉が使えることに驚きを感じます。(よし女)
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打ちたるの措辞でかなり大きなしずくだったことがわかります。体を屈めうす暗い洞窟は涼しいどころか滴りの音も大きく異様な雰囲気であったでしょうが・・・恐怖とは少しオーバーな感じもします。(満天)
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私も洞窟の中の滴りと思います。突然にうなじから背中の方にまで入ってきたのでしょう。その瞬間は毒虫か何かが入ったと思いキャーツと叫んだことでしょう。誰だってそうなれば恐怖です。それが滴りとわかり大笑い。面白い場面ですね。(よし子)
草引きに集中していて思わず長時間かがんでいたことに気づき、ちょっと腰を伸ばそうと立ち上がった瞬間に目が回ってふらついたのである。あれっ? と、一瞬不安が過ぎったが、しばらくじっとしているとやがて治まったので、やれやれもう大丈夫と安心してまた草引きの続きを始めたのである。だれもが体験していることであるが一句に詠まれると、してやられたという感がある。炎天下ではないと思うが夏のこの時期の草取りは夢中になると危険、侮ってはいけない。
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今日中にここまでは草を引いておこうという作者の強い意志を感じます。私も立暗みを起こしますが、加齢現象の一つでもあるようです。ご無理をされませんようにお気を付けくださいと申し上げたいす。(よし女)
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作者は看護士さん、時々おこる立暗みにも慣れこの程度なら大丈夫と判断されたのだろう。夏の草引きは引いても引いても勢いよくてきりがなく、もう少しもう少しとつい頑張ってしまう。ちょっとした出来事も逃さず句にされる作者にいつも感心させられます。(うつぎ)
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今日こそと思いながら一日延ばしにしてしまう草引き。先日 30 分しただけでずいぶんスッキリしました。そのくらいでは勿論立ち眩みはしませんでした。ずっとしたを向いて随分真面目に草取りされたのでしょうね。(こすもす)
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以前度々眩暈の経験のある私には作者が又すぐ草を引かれてるのにはびっくり自分に気合を入れ作業を続ける。性格がよく出ていますね。(満天)
とぐろ巻く笊の十六ささげかな Feedback
十六ささげは、つる性の種類で地域によっては「長ささげ」「三尺ささげ」「ふろう豆」とも呼ばれる。主に若い莢を食用にするそうだ。一把ではなくおそらく数把が笊の上に盛ってあるすがたが、あたかもとぐろを巻いているかのように見えた。ゆであげた蕎麦や素麺が笊に盛られてあるのも同じような姿になるが、ささげの色が緑なのとその太さとでよりリアルに思えたのである。
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句意がよくわかり面白いですね。十六ささげは岐阜県のブランド食材とか。こちらではお目にかかった記憶がありません。栄養学的に女性におすすめの野菜とか。来年元気だったら種を蒔いて育ててみましょう。(よし女)
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今はトレイにラップですが一昔前の八百屋さんに並んでいるささげを想像しました。何回も読んでみると調べがいいですね。新鮮で美味しそうです。(うつぎ)
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「とぐろ巻く」楽しい表現ですね。長いから笊に盛るとこんなふうになってしまいます。茹でてお箸で取り出すとき、今度は長〜く垂れます。で、なんとなく敬遠していますがとても美味しいそうですね。一度買ってみようかな。(菜々)
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笊一杯にとぐろ巻いたように盛ってあるささげは 豊作だったのでしょう。裏の畑から採ってきたばかりの新鮮な野菜は夏の料理の逸品です。(よし子)
句意は明白、仏道へ献身した僧と俗にいきる作者とが向き合って話している。団扇の風を送ってふざけているのではなく、話す方聞く方お互いに相手のことを思いやる優しい心が無意識のうちにそのような所作になっていることに気づいたのである。「僧と俗」という表現はやもすれば月並みになりやすいが、揚句の場合は、上五中七に焦点があるため気にならないのかも知れない。 ゆったりと時間が流れている雰囲気があるのでいそがしくおちつかない盆僧ではなく、お寺か或いは自宅での供養の法事ではないかと思う。
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僧が団扇の風を送るとはよほど親しい方か、お寺のお役を持っておられるのかもしれません。送りあふ団扇の風までは俗世間でよく見かける景が想像できますが、僧と俗の下五の意外性で句の景色が変わりますね。(よし女)
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上五の送りあふでかなり長いおつきあいの月命日での会話。一か月分のお話をお坊さんに聞いていただきアドバイスを受ける。和やかなひとときのようですね。(満天)
男性としては降参という内容であるが、何となく実感や姿が連想できるところが面白く不思議な句だ。打ち屈んで髪を洗うときに膝小僧に乳房が押へつけられるような姿勢を想像したが、洗面台であることも考えられる。ゆがむほどの豊胸でない女性には嫉妬心のわく作品かも知れない・・・などと関係の無いことまで連想してしまうのは男の鑑賞。さて GH の女流のみなさんは如何ですか。
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一読洗面台での洗髪かなと思いました。お風呂ではリラックスして髪が洗えますが洗面台では湯を散らさないようにとか、頭を湯口に近づけるようにとかするので、その窮屈さがゆがむの措辞になったのだと思います。(よし女)
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浮世絵美人「洗い髪」を思い出しました。胸の豊かな長い髪の美人の入浴シーンの一コマが切り取られたのでしょう。(かず)
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女の人が自分の髪を洗ってゐる姿。色っぽいといふより必然的になる姿勢なのですが、俳句に詠むと思わぬよい句になりますね。(よし子)
わたしの句出て来い出て来い書を曝す Feedback
思わず微笑んでしまう愉しい作品である。曝書裡に一冊の合同句集をみつけた。熱心に学んでいた若き作家時代のものかも知れない。ともに切磋琢磨した仲間の作品とともに懐かしい自分の作品も並んでいる。おそらく敬愛する故阿波野青畝先生選のかつらぎ四季選集ではないかと思う。品女さんは仕事や家庭の中でも随分と重荷を背負ってこられた。けれども明るく、前向きで子供のような純真な気持ちを持ちづけて頑張ってこられた。そうでなければ揚句のような作品は詠めないし授からない。俳句を詠むこと、俳句を通して得られたよき人間関係が私を支えてくれたと自らも述懐されている。私達も人生の伴侶と言えるような俳句ライフを目指したいものだ。
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どんな句だったのだろう、とわくわくしながら句集を繰っている姿がリフレインによって伝わってきます。何の衒いもない言葉で詠まれ心打たれます。(うつぎ)
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本は重たいし曝すことは重労働ですが、歌うようなリフレインによって作業も一句も楽しいものになっていますね。(よし女)
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品女さんのこういう明るい句は好きです。曝す書の中に句集や俳誌がたくさんあるのでしょうね。曝しつつつい懐かしく見てしまう。自分の句も全部覚えておくことは無理なので、こんな句も詠んでいたという発見の楽しさが伝わってきます。(ひかり)
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作者は多忙な日々でも書物の虫干しをきちっとされてる。そして出て来いのリフレインで鼻歌でも歌いながら楽しんで回想句を探しておられるのでしょう。(満天)
慌ただしく移動して働く修行僧の様子を働き蜂にたとえた。写生された揚句のキャンバスには働き蜂は存在しないので、季感の有無からいうと微妙な作品であるが青畝師はよしとされた。おそらく禅寺が最も多忙なのは安居のころであるので、この句のなかにその雰囲気があるからではないだろうか。作者名は失念したが、「車内吊り広告紅葉盛りかな」の句も雰囲気として旬が感じられるゆえ入選句となった記憶がある。季感の有無について学ぶにはよい例句だと思ったのでとりあげた。
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禅宗の教えは解りませんが、旧暦でも新暦でもお盆時期のお寺さんはおいそがしいです。特に禅宗はそうなのでしょう。それを働き蜂にたとえられたので単純に春の句なのかなと思いました。(よし女)
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よく働いておられる禅僧を見ての驚きを句になさった。残念ながら私はそこまでの情景は見たことがありませんが、お寺の行事に参加されてのことと思います。(ひかり)
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禅宗には只管という教えがある。禅僧の毎日の作務にいそしんでいる姿を見て働き蜂に重ね合せた。そのひたすら振りに心を打たれたのである。 (うつぎ)
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