魁の一樹に和む探梅行
老遍路賓頭盧尊者撫でまはし
画架たてて万緑の嶺に対しけり
犇めきて万華鏡めく錦鯉
段丘を埋む五彩の濃紫陽花
禅寺の鏡びかりす廊涼し
産土神の鵯騒がしき木の実どき
径曲げて秋草つづる茶庭かな
思慮顔に寒の釣師ら不言
かくれんぼさながら潜る鳰をかし
枯山の馬の背を越ゆ雲の影
落合の波猛々し紅葉川
琴坂の紅葉遅しと虚子偲ぶ
山門の挿頭となりて薄紅葉
天網のごと枝展ぐ大枯木
中島の要の松の色変へず
眼福や池の錦繍パノラマに
子供らの駈けて枯芝まみれかな
浦晴れて波の子もなし鯔の飛ぶ
匕首のごとくに光り鯔跳ねる
浦凪ぎて小春日珠と揉みにけり
ただ無為に沖を見てゐる秋思かな
大風車秋思のごとく止まりけり
浜菊のみな海を向く日和かな
秋濤に溺るるごとき礁かな
交錯すテトラポットの秋日影
玉の日の沖へしりぞく秋の浜
いま下りてきしと秋嶺指されけり
偕老と笑ひとばして蓮根掘る
雲居模すてふ石庭の苔涼し
萩叢を踏んまへ立ちし大鳥居
天狗岩ぬつと顔だす紅葉山
力石抱擁したる小春かな
鉢ならべ迎賓館へ菊の道
水庭の径はさながら石蕗ロード
盆菊の百景競ふ握舎かな
パノラマに翠黛展べて秋澄める
秋嶺を越えゆく雲の遅速かな
入れ代はり立ち代はりして道をしへ
足弱の一歩一歩に道をしへ
風倒木逆立ちて湖澄めりけり
吊橋に山峡の秋聞きにけり
四阿は丸太造りやお花畑
澄む水にでんぐりがへる亀をかし
岩に噴く秋水吾を洗礼す
山路いまみつば躑躅の切通し
庭滝の奏づに佇ちて春惜しむ
高枝をこぼれては啼く四十雀
蘭亭の簷牙に触るる竹の秋
あらぬ辺に出し筍の頭撫づ
若楓瑞々しき日こぼしけり
曲水の庭へ散華す桜かな
碧潭の山湖を包む新樹光
園百花春闌と謳ひけり
眼福や落花打ち敷く大通り
花下微笑せる彼女らは青畝門
白杖の汝と腕組み青き踏む
青畝師を偲びて花下に集ひけり
池鏡落花浄土といひつべし
湖翠へと風の誘ふ落花かな
踏み惑ふ池塘の落花畳かな
春舘百寿の梅といふ大画
白無垢の玉しづく否しだれ桃
泥地獄ほじくり返し蓮を植う
両足のバランス大事蓮を植う
狼藉のごとき足あと蓮植うる
ぬき足しさし足しては蓮植うる
ロボットの歩むに似たり蓮を植う
大股に歩むは危険蓮を植う
蓮植うるたたらを踏めば万事休
風倒木水漬きて苔の花浄土
春愁や閻王と目のあひてより
われよりも若しと思ふ寝釈迦かな
まどろみの如くに涅槃したまへり
虎も威をうち捨てて哭く涅槃変
裾の辺に異な虫の這ふ涅槃絵図
読経いま寝釈迦覚めよと堂に満つ
涅槃変魑魅魍魎も紛るべし
燭ゆれて寝釈迦身じろぐかと見たり
朱の堂の要に金の寝釈迦かな
膝行し大涅槃図に侍りけり
早朝のお堂にはまだ誰も人影なく堂守の所化僧が一人だけでしたのでちょっとお喋りしました。今日は俳句の仲間と一緒に涅槃図を拝観させていただくことをお話すると、絵解きの事が書かれた資料をプレゼントして下さいました。
それを読んでとても興味深かったので、ぜひ皆さんにも読んでいただこうと考えてコピーを作成しました。PDF ファイルになっていますので、印刷してお読みください。
自らの旅(人生)の終わりまで精一杯生きよ、という釈迦の教えやその生涯は、キリスト教のイエス・キリストのそれとよく似ていると感じました。 ただ、死後の世界観が永遠の命が約束されているキリスト教に比べて、死んだらおしまいだとする仏教の無常観はちょっと虚しいと思いました。
涅槃会はお寺によって3月15日に行われるところもあるようですが、中山寺では毎年2月15日に行われます。 ぼくの涅槃、寝釈迦の作品はみなこの中山寺で詠んだものばかりですが、ちょうどよい機会だと思ってまとめてみました。
五大洋描くなぞへのいぬふぐり
いぬふぐりみんな私を見てをりぬ
照れば躁翳れば寡黙いぬふぐり
遠足の子らに句帳を覗かるる
玉の日に髻解けし牡丹の芽
啓蟄の蟻さんかしらこんにちは
啓蟄や水底に吹く泡はなに
蒼天へ賛美してをる芽吹き山
ここもまた猪の狼藉春山路
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