2023年1月の記事

2023年1月31日

焦点を絞る

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カメラで写真を撮るとき必ず主役となる対象に焦点を絞ります。俳句も同じです。

雲一朶なき凍て空に月白し

原句:雲一朶なき冬青空に白き月

一朶の雲もないのだから青空はあたりまえだし、「冬青空」も字余り、正調に推敲することを怠ってはいけない。原句は大空の月を捉えてはいるがピン呆状態。「月白し」で月に焦点が決まる。

酒蔵の春灯洩るる高所窓

原句:酒蔵の春灯映すタンクかな

原句では、何のタンクがどこにあるのか、酒蔵との位置関係がどうなのか等が写生されていないので、具体的な景として見えてこない。酒蔵の高窓から春灯が洩れていると写生することで焦点が決まる。

銭湯へ通ふ道ゆき梅ふふむ

原句:銭湯へ近道小径梅ふふむ

「近道小径」ことばに凭れる悪い癖が出ている。現句だと行先は銭湯でなくても句意が通じる。通い慣れた銭湯への道すがら見慣れている屋敷の梅が、「あら!、そろそろ咲きそう」という驚きを平明なことばで写生してほしい。

2023年1月30日

今週の秀句

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毎日句会のみのる選は、毎週日曜日に前週一週間分の投句から選んでいます。一日一句よりはやや厳選という位置づけではありますが、はっきり言ってそれほどの違いはありません。選をする対象の句数が多いだけです。

翌日月曜日には、もう一度再選して「今週の秀句」を選び、選評を書いています。みのるの一番楽しいライフワークなのですが、秀句に触れ鑑賞にひたることは、詩囊を肥やすのにもうってつけなので、一日一句のメンバーにもぜひ見てほしいと思います。

 今週の秀句を見る

ひとこと に感想などを書いてくださると嬉しいです。

2023年1月29日

今日の添削から

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麗らかに高嶺は鳶を放ちけり

高空の鳶の輪、という設定は類句になりがちなので止めたほうがよい。作者が見たのは冬麗であったかも知れないが句意としては早春がふさわしい。芸術作品として仕上げるときには勇気をもって推敲したい。

号砲の遠しマラソン最後尾

市民マラソンの最後尾、スタートの号砲が聞こえにくい…という設定は分かるが、聞こえなければスタートが切れないので「気づかない=知らず」の意かも知れないが措辞として無理がある。原句「知らず」は主観になる。

夕日落つ窓に枯木の影法師

原句の「木々の影」は曖昧だし、「スリガラス」である必然性もなく、夕焼は春でも秋でも同じなので季語が動く。あれこれたくさん言いすぎると句に焦点がなくなり、ピンぼけの句になる。省略して焦点を絞ることで力強い句になる。

押しくらのごと裸木に雀どち

裸木は寒い冬を象徴する季語、原句の「弾みやまぬ雀」が主役なら早春の季語をあてたい。裸木なら寒さに耐えている様子として写生したい。実景がどうであっても仕上げる段階で季感に矛盾が生じないように推敲が必要。

風花の地に落つ刹那消えにけり

原句「つゆ」の措辞の是非はともかく、どの「一瞬」なのかが具体的に写生できていない。十分に時間をかけて観察し具体的に具体的にと自分自身に言い聞かせつつ写生する習慣を身につけたい。

きれぎれに水音つなぎて冬の渓

冬川は水量も少なくやせ細っているからという先入観が、「静けさに」という主観を生んでいる。何がどうなって静かなのかを具体的に捉えるのが写生。川や音だけでは実景が見えにくいので渓と推敲することで立体的な絵になる。

大根の肩がでてをるエコバッグ

似た句があったように思うが、エコバックが歪むだけでは白菜でもキャベツでも何でも良くなるので「大根」の季語が動く。大根が詠みたければその特徴をよく写生して捉えるようにしたい。

芽柳に触れもしめぐる蔵通り

芽柳が季語なので、「早緑」も「揺るる」も季語の説明。左脳で句を詠む癖が身につくとこうなりやすくスランプに陥る。絵画をスケッチするのと同じように、対象物と心を通わせ、具体的な写生を心がけたい。

鴉どち物見してをる大枯木

「杭の烏」は字余りになるし、低い位置の烏しか連想できないので「見遣る」という感じにならない。「暫く」の措辞も時間の経緯になる。写生俳句は瞬間を捉えるのが基本。直し過ぎだが「俳句は斯く詠むべし」を学び取ってほしい。

春耕の土喜んで笑むごとし

「耕し」は春の季語、「春を待つ」は冬、ベテランはことばの響きに敏感なので、一読「どっちやねん」といいたくなる。実景は冬であっても句意としては春と決めつけて単純化し、耕された土に五感を傾けてほしい。

陽を浴びて腰の曲がりし雪だるま

原句は、雪が解けて雪だるまの背丈が縮んだので、それまで見えなかった草が顔を出したよ…という句意であるが説明過ぎている。理屈や先入観を完全に封印し無為な心で、ひたすら素直に、且つ具体的に写生すること。

探梅の案内図になきけもの道

「行き着く処」は主観。厳しい評価をすると作意が見え見えである。語彙に頼んで格調高く詠もうとすると返って嫌味になり、気をつけないと悪癖にもなる。「平明なことばで写生」を肝に銘じて研鑽してほしい。

朝日さす庭の紅梅ふふみけり

原句「庭いっぱい」は、花が咲き満ちているよの意かと思うがそれなら「紅の梅」ではなく「梅の花」としたい。朝日が枝に絡んで梅の硬い蕾がほぐれ始めたよ…に添削したが、白梅、紅梅の必然性を詠むのは難しい。

の場合、添削の説明はしないのが原則、説明されると「なるほど」と上達したような気になりやすいが、知識として左脳に蓄えられるだけ。自分自身で悩んで気づいたことしか実作に有効な感覚としては身につかないからです。

2023年1月28日

添削は写生訓練の場

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WEB添削は、写生の訓練をお手伝いするために奉仕しています。

[ 投句のお約束 / 参加者への指針 ] を熟読していただいたうえでの投句だと信じますが、ときに写生俳句とはほど遠い 心象、理屈、虚構 の句が混じります。

意図的に投句されているとは思えないので、おそらく約束や指針を読むことなく「無料だから」という安易な動機で投句しておられるのかも知れません。

一日一句は、ウエブ上の公共広場ですから、ルール無視がまもられませんと秩序が乱れます。よき学びの場を維持するためには、参加者のご理解が不可欠ですので、ご協力よろしくお願いします。

もし目に余るときは、メールでイエローカードをお送りするようにしています。それでもご理解ご協力いただけないときは、残念ですが参加をお断りする場合もありますのでご承知ください。

2023年1月26日

意味不明の句

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みのるが小路紫峡師の特訓添削を受けていたころは、『何のことなるや!』という注釈でした。

作者自身はよく解っていて感動もしていてそれを詠んだつもり…なのですが、写生が曖昧で具体性に欠けるために読者にその感動を伝えられないのです。

霏々と雪今ひたすらに言葉欲し

「雪霏々と」という措辞を使った句が一時流行りました。格調ある雰囲気を出したいという意図は解りますが、安易に真似すると類想になります。ことばは借り物ではなく実感で得た自分のことばを使いたいです。

どちらにしても「今ひたすらに言葉欲し」というのは心象であり何が伝えたいのかがわからないです。

温もりしレシピも貰ふ柚子の嵩

料理レシピも添えてたくさん柚子を頂いたのだな…というところまでは解りますが、「温もりし」の措辞がよくわからないですね。柚子鍋みたいな料理レシピのことなのかも知れませんが、文意は、レシピそのものが温かかった…になります。もしそうならそこには詩情は見つかりません。

からっ風あらがいながらボール打つ

作者のなりわいが解っていて推察すればテニスボールのことかなと連想できますが、一読では無理です。俳句は誰にでも分かるように推敲しなければいけません。「テニス打つ」にすればわかりやすくなりますが、ちょっと大げさな感じもして採りませんでした。

雪道に靴跡一つ夫婦旅

「雪道」「夫婦旅」という設定は解りますが「靴跡一つ」が飛躍し過ぎでわかりません。

夫婦旅行のさなか、思わぬ深い新雪の道に遭遇したので、安全のためにまずご主人が先導してつけた足跡を後ろから奥様がなぞって歩いているので「足跡が一つ」だけなんだよ…という意味かも知れないですが、そのように連想させるには描写に無理があります。

文字制限のある俳句では、油断すると意味不明の句が生まれがちです。そのために省略して焦点を絞るという推敲作業がとても重要なのです。作りっぱなしで添削に頼む…のが常とう化してはいけません。

意味不明って何の事?

を納得いただくために例を揚げて説明しました。今後はこの種の説明はしませんのでご理解ください。

2023年1月25日

あしあとを記録する

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一日一句に限りませんが学びの足跡(投句控)を記録しておき、随時それを読み返して復習すると重複投句の予防になるし、学びの点でも効果的です。

具体的には次のような感じです。

【一日一句投句控:やまだみのる】

日付 俳句 みのる選 注釈 原句・備考
2002/9/25 犬ふぐり星のごとくに散らばりぬ 類想
2002/9/25 蘭亭の月に反りたる甍かな 季語動く 納得できない!
2002/9/30 白露のごとく灯ともる過疎の村 - 白露の灯のほつほつと過疎の村

私も紫峡師から返却されてきた添削用紙をファイリングしておいて数年ごとに見直していました。 同じ内容を読み返しているのに、その時どきによって印象が異なることがあり、自分自身が少しずつ変化していっているのだと気づかされた。

正直に記録しておいて随時復習するのが有効で、作りっぱなしに比べると遥かに上達が早くなる。無意識とはいえ同じ作品を再投句することは最も恥ずべき行為なので、そのためにも記録して管理することは大事です。

みのるの体験や共に切磋琢磨した句敵らの動向も思い出して独り Twetterしてみました。

  • 添削の注釈が納得できないときは正直に記録しておく。
  • ただし引きづらず、すぐに切り替えて新しい作品づくりを目指す。
  • 時を経て納得できる場合もあるし、そうでないときもある。
  • 不信感やわだかまりを引きずったままでは学びは成就しない。
  • 信じて決めたのなら指導者と心中するくらいの覚悟と忍耐が学びには必要。
  • ストレスを溜めたままずるずると学ぶのは時間の無駄。
  • どうしても相性が悪いと判断したら躊躇せず早々に学びをやめる。
  • 指導者は生徒を選べないが、学ぶ方は指導者を選ぶ権利があるから…
  • あちこち旅をしてはじめて故郷のよさに気づくこともある。
  • ただ辛抱が足りずに次々浮気して結社ジプシーにならないように要注意。
  • 回り道をして に戻って来られるのは大いに結構。
  • 去るものは追わず来るものは拒まず。

2023年1月24日

参加者への指針

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WEB添削の目的を正しく理解していただき、効果的に学んでいただくための指針をまとめました。

初学者が学ぶべき目標の第1ステップは、没句注釈(季語動く、報告など)にあるような課題の一つ一つについて自分でチェックできるようになることです。

一日一句は、そのお手伝いを使命として奉仕しています。未熟未完成の句を作者の代わりに仕上げるというようなカルチャーの有料添削とは全く世界が違うのです。

ここで学ばれる方は、頭で考えて句を作る、という悪癖を完全に封印していただくことが必須課題 であり且つ約束です。必ず、見て感動して詠まれた 写生句 を投句するようにしてください。

歳時記とにらめっこして作った句、他の人の真似をして詠んだ句はすぐに解ります。応援参加のベテラン組もまた然り、初心を思い出してこの大原則に立ち返らない限り何も変わりません。

何十年という句歴があるのにどうしても「吟行では句が詠めない」という人がいます。

辛抱強く対象物と対峙して心を通わせ、感動や驚きを発見して詠む

という基本訓練が克服できていないとどうしてもこうなります。本来楽しいはずの吟行が苦行になるのでは、本物の俳句のよろこびを知ることはできず単なることば遊びに終ることになります。

第2ステップへ

いつまでも添削に頼るのではなく自立して第2ステップを目指しましょう。一日一句は、毎日精勤に投句できる人なら半年で、ゆっくりな人でも一年で卒業です。

卒業資格ありと認めた方へは、 毎日句会 の会員登録に必要な認証コードをお知らせします。登録して選句の練習を始めましょう。

選句に必要なのは、俳句の真の価値観を見極める力 です。「鑑賞力、選句力」ともいいますが、この選句力というのが本当の意味での作者の実力になるのです。

指導者はその人の詠んだ作品ではなく、どんな句を選んでいるのかをみて上達度を評価します。まぐれで佳句が授かることはあっても、まぐれで的確な選ができるということはありえないからです。

選句力を論理や説明で理解するのは難しく、数多くの秀句を暗唱できるくらいまで繰り返し読んで、そのフィーリングを感覚として吸収するしか方法はありません。 秀句鑑賞青畝俳句研究 などの記事を読み返すのもまた有効です。

毎日句会・週間秀句 」もまた、俳句鑑賞法を学ぶための最適なテキストだと思いますので、必ず読むように心掛けてください。

継続してこれを続けているうちに、「な〜るほど!」と琴線に触れるときが必ずやってきます。そこが第2ステップの入口です。 そのときはぜひ、コメントや Feedbackで報告してください。みのるの労が報われます。

第2ステップの入口で立ち止まっていてはいけません。更に上へ、天辺を目指して切磋琢磨するのが真の俳句道です。この道に定年はないのです。

2023年1月23日

季語動く

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同じ17文字ながら、俳句が川柳と根本的に異なるのは、季節の移ろいのなかで生きとしいけるものの命の尊厳を写しとるということです。俳句における季語や季感の有無というのは、もっとも重要な要素でいわば俳句の生命線であるというとをまず覚えなければいけません。

最近の投句事例で見てみると、時節柄「初場所」という季語がよく使われていますね。

  • 初場所や初日ながらもすでに荒れ
  • 初場所や小兵力士のがぶり寄り
  • 初場所や光のごとく塩放ち
  • 初場所や力士の髷も艶めきて
  • 初場所や髷歪ませて勝ち名乗り

これらの作品は、春場所、夏場所等々に置き換えても句意が成立しますから、「初場所」という季感はどこにも存在しません。おそらく歳時記やネット上で著名人の詠んだ例句を参考にして作られたのだと思います。水原秋櫻子、鷹羽狩行などの句もヒットしますが、残念ながら大半は季語動く作品が多いです。

"初場所の初日天皇見えをらる"

あたりの句ならまだ頷けますね。厳しいようですが、季語動く作品は添削のしようがなく、 では「没」として扱わざるを得ません。

「季語が動くか否か」は、落ち着いて推敲すればすぐ解ると思います。投句前の必須のチェックポイントです。

2023年1月22日

没句注釈の解説

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みのる選のページから、添削日記と没句注釈の解説を閲覧できるようにしました。

季語動く
別の季語に変えても句意が成立する作品をいう。
報告
何に感動したのかが伝わってこない作品をいう。
説明
季語の説明をしただけで韻に欠ける作品をいう。
理屈
無理なことばや理屈で虚構を詠んだ作品をいう。
類想
平凡で既に多く詠まれている類想の作品をいう。
意味不明
独りよがりで何のことかわからない作品をいう。
無理
俗悪的な視点で詠まれ品格に欠ける作品をいう。

注釈を書くのは気が進まないのですが、「書かなければわからないし」という思いに押されて書いています。

それでもなお、投稿者には届きにくく、閲覧組のメンバーからは、「解りやすくて勉強になる」と好評で、何のための一日一句かと葛藤の日々が続いています。

もし注釈を書くことの是非や注釈が原因で悩みの種が増えているようなら、遠慮せずにコメントを寄せてください。参加者の声が聞こえなければ運営者としての労も虚しいです。

2023年1月20日

命を写生する

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添削の目的は、客観写生の訓練です。

主観を詠んだ句、理屈や観念で詠まれた句、歳時記を繰りながら頭で考えて作った虚構の句などは、添削の対象になりませんので全て没になります。

俳句における写生というのは対象物の命を写すことであり、そのためには十分に時間をかけ忍耐して自然や対象物と対峙する必要があります。そうすることでやがて、彼らから発信されるメッセージが心に響いてくるので、その感動を17文字を使って写します。この学びの基本姿勢を忠実に守って努力しなければ、添削で上達することは望めません。

こんな寒い季節に吟行なんてできない"

という声が聞こえてきそうですね。でも、縁側に取り込んだ鉢物や窓からの庭景色でも句は詠めます。

玻璃越しに差し込んでいた日差しがふと翳ったとき、厚い雲が切れて突然矢のような冬日が差し込んだとき、その瞬間瞬間に鉢物の花や葉物の表情が変わるはずです。窓から見える風景や空の雲もまたその時々に趣を変えるはずです。

照れば躁日翳れば鬱白障子

温かい日には、庭に出て屈んで土と対話してみましょう。手に触れることもまた大事です。よ〜く見ると黒ぼこを盛り上げてなにかの芽が出はじめているかもしれません。いろんな草木の冬芽の膨らみも日に日に変化しているでしょう。

芍薬の芽や黒ぼこを丶(ちゅ)と載せて

さらに目を凝らすと早々と動き出している小さな命と出会うかもしれませんね。

蟻穴を出て定まらぬ行方かな

蹲や池塘に張った薄氷が何やら珍しいものを虜にしていたりするかもしれません。朝は固く張りつめていたそれが、日が昇り暖かい日差しがさしはじめると解けて流離っていたりするのと出逢います。

薄氷の岸はなれゆく亭午かな

また日陰の庭隅を覆っていた雪が解けはじめて雪間を見せ始めると、「あ〜、すぐそこまで春が近づいているのだな〜」と心が動くでしょう。

最澄の一碑たちたる雪間かな

ただ漫然と眺めているだけでは、自然の変化や命を捉えることはできず、見たままの報告の句しか浮かびません。5分10分としっかり心を通わせて彼らからのメッセージを受け止めて写すという訓練が大切なのです。

こうした努力を重ねることで、今までは見えていなかった世界に目が開かれ、まるでパラダイスのような俳句の天地が見えてくるはずです。

信仰の目が開かれると世界観が変わる"

と言われますが、俳句もまた 究極は信仰 だと言えます。それが本物の俳句の魅力であり、やがて「俳句は人生の伴侶」だと言えるほどの存在にまで昇華されるのです。

もちろん 「言うは易し為すは難し」 かも知れません。でも少しずつでも日々心掛けて実践し、継続努力しなければ何もかわることはありません。

2023年1月18日

俳句のこころ

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何度投句しても思うような結果がでないのは、根本的な心構えが理解されず実践されていないからです。

一度はお読みいただいていると思いますが、もう一度下記のページを読み直してみてください。暗唱できるくらいに何度も繰り返し読んで頂いて、その理念に立って作句するように心掛けてほしいのです。

 俳句のこころ

このページは、「みのるの俳句バイブル」としてまとめたものです。ゴスペル俳句の無料添削は、この理念に沿って奉仕していますから、学んでくださるみなさんもまたこの理念に同意いただいていることが前提です。

でも俳句理念に絶対正解はありませんから、「よくわからない、納得できない、むしろ違和を感じる」という方がいらっしゃるかも知れませんね。そのような不満やストレスを感じながら で学ばれるのは無意味ですので、ご自身の理念と違和のない他の指導者を選んで学ばれる方がいいでしょう。

2023年1月17日

破調と句またがり

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"固く閉ざす小さき祠沈丁揺れ" (六七六)

"凍てる日雀啄む何かある" (四七五)

例句のように、正しく五七五で詠まれていない句を「破調」の句という。

伝統俳句の場合、正しく五七五(正調)に整えることが原則だからです。 あえて「破調」で詠むというテクニックもあるが、初心者が真似することではない。

推敲して正調に整えることは、基本中の基本であって決しておろそかにしてはいけません。自分自身の中で破調を許容してしまうと悪癖となって、むしろ "破調が心地よい" というような自由律への道に迷い込むからです。

"古壺新酒"

正調に整えること、季語を読み込むことなど古くから育まれてきた約束を守りつつ新しい命の句を詠むことに伝統俳句の魅力があるのです。

句またがり

"まず美脚でて外車よりサングラス"

例句のような、七五五、あるいは五五七というような形態をとるものを「句またがり」の句と呼びます。 句またがりは狙って作るものではないですが、きちんと17文字にまとまっているので「破調」ではなく、正調として扱っても問題ありません。

2023年1月16日

愛の目で見る

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阿波野青畝先生は『 俳句は存問 』であるとよく説かれました。

存問というのは、" 安否を問うこと。慰問すること。(「存」は見舞う意)" です。

つまり青畝師は、存問の心をもって自然に対しなさい。そして、作者のやさしさや愛が伝わってくるように詠みなさいと教えておられるのです。たとい命を持たない対象物であっても愛の目で観察しなければ決して人の心に響く俳句は生まれません。

"竹串のめった刺しなるおでん鍋"

揚句がなぜ没になったのかは、説明しなくてもわかりますね。確かに対象をよく見て写生されていますが、残酷な印象しか伝わってきません。

実景が見えるように写生する

ところで、このところ没句が多いのは、「より具体的に、より深く観察する」ことが欠けている句が多いからです。いくつか例を上げて説明しましょう。

"盆梅の老木なれど風格が"

老木風に仕立てるのが盆栽なので「老木なれど」の措辞は説明になります。「風格がある」と感じたのならそれを具体的表現できるまで更に時間をかけて深く観察しましょう。良し悪しは別として「盆梅の崖に見得きるごときかな」という風に景が見えてくるように写生することが大事です。

"じっとして作りものめく寒鴉"

じっとしているから作りもののようだ…というのは常識であり説明です。どのような場所でそうなっているのかを具体的に写生しないと実景が見えてきません。「石塔に作りものめく寒鴉」のように観察してほしいです。

"枯木山煙めきたる薄曇り"

作者の言わんとすることはわかりますが、「煙」「薄曇り」の措辞が曖昧なのでこれも実景が見えません。「枯木山狼煙めきたる雲たちぬ」という感じに捉えてほしいです。

"そよそよと底知れず湧く寒九水"

作者は写生したつもりかも知れませんが、揚句の場合、季語を説明しただけで全く実景が見えてきません。設定は違うかもしれませんが「湛えやまぬ宮の井に汲む寒九水」という感じに詠むべきです。

具体的に詠むには、感動を具象化できるまで忍耐して観察する必要があります。 こうしたノウハウを理屈で理解できてもすぐに実践できることではありません。根気よく吟行を繰り返して写生する訓練が必要なのです。

2023年1月14日

主観を隠す

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れいこさんという熱心なメンバーがいる。

"雪国の心の灯シクラメン れいこ"

『雪国の…』どんよりと曇った毎日、シクラメンの生命力や明るさは心を和ませてくれます。そんなつもりで作りましたが表現できません。アドバイス頂けると嬉しいです。

そんな彼女から悩みのコメントを頂いたので、今日はそのことについて記そうと思います。

れいこさんの作品の特徴として、どうしても主情が強く出過ぎるという傾向があります。感動は心であり、心の昂ぶりを伝えるのに主観が無ければ語れない。わたし自身も初学の頃に悩んだ課題である。

恩師である阿波野青畝先生もまた主情の作者で知られるが、その作風の根底は客観写生である。先生は手をさし出して次のように諭してくださいました。

主観と客観は物心一如である。この手が主観であり客観なのだ。しかも客観は手の甲、主観は手のひら、この手を握りしめれば、手のひらは内側に隠れて主観は見えなくなる。主観と客観は便宜上分けていっているのであって、別々のものではない。それを別々にしたら死んでしまう。実際に句を作るときは、主観を忘れて客観を良く働かせることが一番大事です。ともすると主観があらわに出て邪魔をします。

れいこさんの意を汲んでどうしても添削せよと望まれたら、

「シクラメン燃えたつ窓の外は深雪」という感じになるのかもしれない。

けれども「主観句は添削しない」というのが一日一句のルールなのでわかって欲しいのである。直喩したい主観を封印して写生の特訓に取り組むという覚悟を決めなければ、次のステップに進めないからです。

メールで返信しようかとも考えましたが、他の人にも伝えたい重要なことなので日記で返信しました。れいこさんごめんなさい。

2023年1月13日

季語動く

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他の季語に置き換えても意味が通じる作品は「季語動く」として没になります。

" 初場所や髷歪ませて勝ち名乗り ":春場所、夏場所でも同じですね。初場所の季語が動きます。

伝統俳句は、季語、季感が命ですので、季語の動く句は、俳句としての命がないということになります。

「季語動く」を量産するのは、正しく季感を捉えるという修練が足りないからで、" たまたま、見たのが初場所だったから " というのは理由になりません。歳時記などを通して覚えた季節感は、観念的なものなので本物とはいえません。

俳句で言うところの季節感というのは、感性や個性の一部なので理論や知識で覚えることは不可能なのです。吟行また吟行を繰り返し、ひたすら多作することで自然と育まれていくものなのです。

2023年1月11日

感じるための訓練

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季語を覚えること、ことばを覚えることも大事なことですが、没句を量産しないためにもっとも大事なのは「具体的に正しく感じる」訓練です。 ヒントは、毎日句会の 週間秀句 に隠されているので、何度も読み返して復習してください。

ごとく俳句から初めてみる

「〇〇みたい!」という純粋な幼子の感動に教えられることがありますね。感じる訓練のポイントはこの幼子のような感性なのです。ごとく俳句大いに結構です。まずここから練習し始めてみてください。

季節感を見つける

具体的に季節を感じるものを見つけましょう。そのときに重要なのは「常識や観念」の色眼鏡を外して見ることです。要するにあたりまえを捉えてもそれは感動ではないということです。

暑い夏に一服の涼を見つけ出すこと、寒い冬には「ぬくもり」を見つける。雪解の中にいち早く春を見出し、行く雲に秋の風情を感じるというように季節を敏感に感じ取るための感覚を養うことが大事なのです。常にこの意識をもって訓練することで今まで見えなかったものが見えるようになる、これが「詩人の目、俳句のこころ」なのです。

季語の本質で詠む

例えば、本来短いのが特徴の対象物のなかに長いものを見つけたようなとき、つまり通常ではない情景を発見するとあたかもそれを大手柄のように詠む人が居ます。はっきりいってこれは歪んだ感性です。

香りが本質であるものは、その香りを愛で、色鮮やかなものはそれを鑑賞するのが本来のあり方です。 ただこの場合も決して先入観で決めつけずに実際に観察して感じることで新しい発見があるのです。

さらに、秋だから秋薔薇、冬だから冬薔薇なのではなりません。同じ薔薇でも本質が違うのです。「冬薔薇が満開」というような馬鹿げたことはありえないということをしっかり認識しましょう。

2023年1月10日

90%没になる句

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以下の作句法は、悪癖になるだけでなく上達の妨げですのでしっかり封印しましょう。

心象句は添削対象外

具体的な写生をせず頭で考えて作る習慣がつくと結果として心象句になりがちです。 心象句を添削するとその段階で作者の句ではなくなります。添削の学びを目的とする一日一句は心象句を投句する場ではありません。

歳時記を睨みながら詠む

「実際に見て詠む」という約束を守らず、歳時記を繰りながら作っている人に限って「雪女郎」「嫁が君」などという曖昧な季語の誘惑に負けて墓穴に陥ります。いくら言葉巧みに詠んでも虚構はすぐ見破られます。

感動のないまま写生して詠む

「この句、何に感動したの?」と問われて具体的に正しく答えられますか? いくら忠実に写生されていても感動が伝えられなければただの報告です。常に自身に問いかけつつ句を詠みましょう。

2023年1月9日

添削日記について

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一日一句で学んでくださる皆さんとの距離をもっと縮めたいと考えて「添削日記」を書くことにしました。

私は、40年前に当時「俳句結社ひいらぎ」主宰であられた小路紫峡先生から無料添削での特訓を受けました。その期間はおおよそ5年、毎月200句以上のペースでしたから計算上は、一万句を遥かに超えています。

この間、先生からは一度も論理的な指導はなく、送り返されてくる添削用紙には、「無季」「季語動く」「報告」「説明」「何の事なるや」というショートコメントがついていて、それらは全て没句でした。20句投句しても全没というのは常のことで、ごくたまに1句か2句 添削されて○印がついていると飛び上がるほど嬉しかったものです。

この指導スタイルは、紫峡師独特だと思います。ときには投げ出してしまいたいような衝動も体験しましたが、「理屈で覚えるのではなく実体験で会得せよ」という先生の理念に黙して頑張ったことは正しかったと思います。音楽で言うところの「絶対音感」の訓練と同じ…と説明したほうがわかりやすいでしょうか?

わたし自身は、先生に教わったこの訓練スタイルがベストであると信じて疑わないのですが、結果として多くの挫折者を生むことにもなります。紫峡師のそれは、プロの作家を育てるための手法であって、それをそのまま に移植するのは到底無理だと気づきました。

一日一句のシステムは、一年間我慢して学んでくだされば、添削に頼らず自力で作句し推敲できるようなレベルにまで引き上げることを目的にしています。コロナ禍が続く中、私に遺された余生も残り少ないと思います。紫峡師へのご恩に報いるために、この「一日一句」の奉仕が最後の使命だと考えて日々精進していこうと思います。

添削日記に綴る内容は、紫峡師から直接お聞きした理論ではなく、1万句を超える添削の特訓を通して私自身が確信した薀蓄…だといえます。 それらを で学ばれる皆さんが先に知ることが上達への近道につながるとは決して思いません。ときにはむしろ悩みの種になることもありえます。

一読納得できることだけを実践され、よく理解できない…ことはいつまでも縛られずにすぐに忘れてください。

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