少しづつですがコロナ感染者数が減少傾向になってホッとしています。でもまだ油断できないみたいですね。 も少しづつながら新しいメンバーが増し加えられてずいぶん活気が出来きました。感謝です。私も負けないように頑張っています。
私がワーク過多にならないかと心配してくださる声もあるのですが、日課の散歩を欠かさず朝夕二回家内と二人でラジオ体操に励んでいます。またライフワークとしての作句づくりや添削もマイペースで楽しくさせていただいています。日曜日の礼拝はコロナ自粛中なのでライブ配信で守っています。
メンバーの皆さんがお元気なのかどうかが気になります。特に新しく ライフを踏みだされたみなさんが、どのように感じておられるのかも知りたいです。ぜひみなさんの消息を談話室に書いてください。
互いに存問しあうことでまた元気が出ると思います。
今日の写真は須磨観光ホテルの臘梅。今年はみのる庵の臘梅もたくさん咲いています。蕾が大豆サイズに膨らんだ頃に鵯がやってきてついばんでしまうので、今年は鳥威しを取り付けた処大成功でした。不要の CD-ROMのメディアを枝に吊るすだけなのですが、CDの鏡面が風にくるくる回りながら日を刎ねるのでそれを恐れて近づかないみたいです。
大寒の臘梅にじっと佇んでいると、須磨浦公園で出会った紫峡師の立ち姿が浮かんできて初心にかえるのである。思うところがあって結社を離れた本心を生前の先生に正直にお伝えできなかったことが悔やまれるが、いまの の活動をご覧になって天国の先生はよしとしてくださるだろうか。
今から三十年ほどまえ四六時中俳句脳だったころの話である。
週末の朝、いつものように須磨浦公園へ吟行に出かけた。その日は温かい玉日和で須磨の海は眩しい日差しを弾きながら穏やかに縮緬波を畳んでいた。そろそろ観光ホテルの庭の蝋梅が咲いているころだと足を運ぶと既に先客があった。その人はじっと蝋梅と対峙して微動だに身じろがない。
それが恩師の紫峡先生だとすぐに気づいたけれど真剣な眼差しに近寄りがたいものを直感したので声をかけずにそっとその場を離れた。その時に見た先生のお姿はいまも瞼の裏に鮮烈に焼きついている。
毎日、毎週、兼題の各句会の清記印刷に縦書きを選択できるようにしました。
お使いのプラウザ(Microsoft Edge,Chrome,Firefox)やプリンターによって変わるので、最適な表示サイズになるように印刷倍率で調整してください。
の選句は、選句画面を見ながらでもできますが、清記を印刷して時間をかけて選ぶのが正しい姿勢です。義務的な気持ちで安易に選句するのと印刷して正しく選ぶのとでは、身につく度合いに違いが出てきます。
正しい選句の習慣を身につける方法は、選句数の3倍くらいを予選したのちに絞り込むという手順を踏みます。毎日句会の場合2句選ですから、まず6句くらいを目途に○印をつけて予選します。予選が済んだら小休止して最終的に2句に絞ります。予選した○印を囲むように○印をいれて◎印になるようにするわけです。
印刷環境がない場合は、専用の大学ノートを用意しておいてそのノートに予選した句を書き写します。これは、オフラインで句会をするときも同じです。予選した資料は保存しておいて後から選者の選とどのくらい合致しているかをチェックしたりして復習に使います。添削されている部分などを朱書きで書き添えたりしておくとより効果的です。
今日の写真は、私の好きなベルナール・ビュッフェの絵です。シンプルで縦方向に伸びる直線的なタッチが好きです。今日の日記タイトルが縦書清記なのでふとビュッフェが浮かびました(^o^)
好きな花は?と問われると、勿忘草(ワスレナグサ)と答える。
花言葉は「私を忘れないで」とあるけれど、温かい春の日差しのなかにこの花が瑠璃をこぼしているのを眺めていると、私にはどうしても青畝師や紫峡師の温顔が思い出されるのである。
一年草なので、毎年早春に苗を買ってきて庭に植えるのだけれど、昨年は、頂いた種を撒いてみた。今朝、久しぶりに温かい冬日が差していたので庭に降りて見てみると二つ葉がたくさん顔を出していた。咲いてくれたら嬉しいな…
聖書に放蕩息子の喩え話がある(新約聖書ルカの福音書15章)
紫峡先生から溢れるほどの愛を注いでいただいたのに自分のわがままで結社を離脱した私はまさに放蕩息子そのものである。戻ってくるようにと何度もお勧めをいただきながら逡巡としているうちに、先生は天国に凱旋された。
草田男の「降る雪や・・・」を真似て「人日」の句を毎日句会に投句しました。他愛のない愚作ですが、7人もの方から共感を得られたことが嬉しかったので日記に書きたくなりました。
写真は那須高原にある昭和レトロ館内の一コーナー、青畝師の句は昭和64年1月7日「人日」の日に昭和天皇が崩御された時に詠まれた作品です。2003年の合評でこの句を鑑賞しています。
青畝先生にとって、昭和の終わりは殊更にショックだったようで、掲句と同じ時期に発表された次の作品からもそれが窺えます。
慟哭や七草粥の箸措きて 青畝
昭和天皇崩御と前書きがなければ、意味の通じない句ですが、先生にとってはまさに、「慟哭」そのものであったと思われます。太平洋戦争における天皇の悩み、苦しみ、悲しみを思い測るとき、青畝師自身の気持ちの中にも同世代を生きた天皇と同化した思いがあったのでしょう。それはまさに一つの時代が終わったという感じ。昭和天皇への深い哀悼の気持ちと同時に時の移ろいの重みを感じます。
顧みて当時と32年経た今とでは昭和への感慨も少し違うように思います。
この年齢まで生かされてきたことを思うと「昭和も遠くなりにけり」というところでしょうか。
人日や昭和の御代も語りぐさ みのる
日記に貼った写真をみなさんが喜んでくださるので、私も嬉しいです。
コロナ禍の日々の憂さを少しでも和んでいただけたらと、毎日癒やし系の写真を探しています。 可愛い仔猫の写真を見つけて眺めていたら幼い頃の記憶が蘇ってきたのでエッセイブログに書きました。
昭和25年、私が小学1年生のころ「たま」と名づけた茶トラ猫を飼っていた。両親に姉二人兄一人と末っ子の私の6人家族、戦後の貧しい生活の中で兵隊経験のある厳格な父がなぜ仔猫を飼うことを許してくれたのかはよく覚えていない。
犬とは違って猫は人になつかないというけれど、「たま」は特別で幼い私によくなついた。日中は家で縫物の内職をしていた母の側にいて、学校から走って帰ってくる私の足音が聞こえると玄関に跳び下りて土間に鎮座し「ニャオー」と出迎えてくれる。私が家にいるときは片時も離れず、トイレに行くときまでついてくるし、夜は布団に潜りこんできて一緒に寝るという従順ぶりで120%の信頼を寄せてくれたのである。
富士見書房に阿波野青畝著『俳句のよろこび』という俳話集がある。その中に「俳句の信念」という一文があります。私がくどくどと書いている、 の理念より、遥かにわかりやすいので、その触りの部分をご紹介します。
たとえば自由律の、
雪積もる 夜のランプ 放哉
でも、
あすは元日の爪でもきらう 山頭火
でも、これを口でうたえば対象が目に見え情感が伝わる。つまり日本語が日本語として自然だからである。
しかし伝統としての俳句は、季語と定形が約束であるから上掲の句は詩として価値を認めるが俳句ではないということだ。俳句でなくとも新しい名目の詩を生かすことは不名誉ではないと思う。芸術の自由な園にはいろいろの詩のジャンルが生まれることは我々を楽しくするであろう。
しかし伝統を守りそれを新しく育てようとする者はあくまでも約束を守らねばならぬ。真に約束の意義に徹すれば、約束は自由を束縛しないのである。節度をもつ美しい表現は約束なる枠があるからだ。そこには表現の自由という魅力をわれわれは発見する。
俗に、苦あれば後に楽ありという。何もかもが自由であることは無上の楽しみではないことの実感は、約束の枠に苦心してそれをマスターしえた人たちに湧いてくるだろう。
(中略)
俳句はまことに短小の詩型で、複雑な事態を取り入れがたい。それは叫びに似た簡潔な要素だけを受けいれ、千万言に匹敵する強靭な力を見せることができる。ところが今日の複雑な世態にある人の心は収集がつかない。簡潔な俳句になじみきれなくて、むりにぎしぎしとつめこむか、あるいは奇形の、たとえばアバンギャルドが現れたりする。そういう現象に向かって、私など理解しようがない。そうなってゆく気持ちが分からなぬことはないのだが、俳句というユニフォームがほころびたら着てでられなくなるのである。
(後略)
まだまだあとに続くのですが、ここまで読まれてどう感じられましたか? 私は、"そうそう、それが言いたかったのよ!"
と、思わず膝を打ちました。
とうとう今日から日曜日の礼拝も WEB配信で守ることになりました。仕方がないですね。
最近、毎日句会や毎週句会でもコロナ禍を詠まれた俳句が目立ちます。
コロナ禍を詠むことは決して悪いことではありません。今だからこそ詠めることも多いし、後世のためにもコロナと向きあって詠むべきだと思います。けれども安易に対処していると作句や選句のリズムを壊してしまうこともあるので注意が必要です。
共通して言えることは、「コロナ禍」が前提で鑑賞しないと、意味の通じない作品が多いということです。原則的には、「コロナ禍」の文字を入れて詠むようにしましょう。選ぶ方も、なんとなく「コロナ禍のことを詠んでいる」のだろう、と連想で補って選んでいるのではないでしょうか。
「籠り」「自粛」「疫禍」などのキーワードだけでコロナ禍として通用するのは今だけです。「マスク」もそうですね。決して「マスク=コロナ禍」ではありません。「マスク」は、冬の季語ですから、「コロナ対策のマスク」とは区別して詠まなければ、季節感が無茶苦茶になってしまいます。せっかく互選で高点を得られているのに、みのる選では没にせざるを得ない句が多いのは残念です。
次に最も大事なことですが、決してマイナス思考の句を詠まないということです。確かに、辛さ、苦しさ、虚しさ、悔しさ等々を詠むケースが多いと思いますが、どこかで希望や勇気、励ましにつながるように詠みましょう。「コロナに負けるな!」の気概で詠むことが大事だと思います。
「詩」というのは、読む人(共感してくれる人)を慰め、勇気づけるためにある文芸だと思うのです。憤りや悲しさのはけ口として詩を綴っても、読む人にはますますストレスが増すばかりではないでしょうか。
私はそう思います。
年度作品の選句ご苦労さまでした。私も今朝ようやく終わりました。集中力がいるので確かに疲れます。
選句締切は10日(日)です。未投票の方は頑張ってください。
メールアドレスとパスワードの入力が大変でしたね。自分でやってみて初めて気づきました。私は、メールアドレスを「めあど」、パスワードを「ぱす」という具合に単語登録しました。もう少し早くお知らせすべきでした。ごめんなさい。
私の場合は、各作者1句づつ選ばせていただきました。
今回の選句ルールでは、必ずしも「高得点句=秀句」にはなりません。
粒ぞろいの句を並べた作者は、どうしても票が散りますし、逆に1、2句だけ目立つ句がある作者は、その句に票が集中するので思わぬ高点になることもあるからです。なので、得点数で序列をつけることはやめました。
自作品に対する作者自身の思い入れとメンバーに選ばれた結果との違いなどを分析すると、自分の個性や進むべき方向が具体的に見えてくると思います。 誰がどの句を選んでくれているか…というのも興味深いですね。
互選結果は作者ごとにクリックして見る形ですが、別途一覧で見られるフォームに編集して保存できるように考えてみます。
新しい参加者の方も増えているので、ゴスペル俳句の立ち位置についてわかりやすく書いてみようと思う。
文芸全般に言えることだが、俳句の場合は殊に絶対的な価値評価の基準というものがない。大方は、所属するグループの指導者が、自身の理念という物差しで評価するものなので、高評価を得た作品であっても、選者が変われば没になるというような極端もある。
歌人の島田修二という人が、「俳句人生の素晴らしさ」という小文の中で閉鎖的な俳壇の現実に触れている。
俳句ブームと言われる現象も、開かれた俳壇の中で百花が咲き競っているというのではなく、結社に立てこもった宗匠たちがひたすら門下の頭数を増やそうとする現れに過ぎないのではないか。
自らの結社の中だけでしか通用しないような、特殊な排他性を持つ俳壇にあって・・・・・・
この一文は、結社中心の現在の俳壇の問題点を鋭く指摘していると思う。
私が結社を離れたのは、そうした体質に嫌気がさした…といえば聞こえはいいが、そうではない。阪神淡路大震災の復興で猛烈に仕事が忙しくなり、俳句どころではなくなったからである。
仕事が一段落したとき、長老から結社へ戻ることを強く勧められたが、俳句を諦めて結社を離れた自分が、もう一度俳句と向き合うことを赦されるのなら、もっと違う使命があるのではと考えるようになった。
小路紫峡師の報いを求めない猛特訓で育てられ、短いながらも阿波野青畝師の謦咳に触れた私は、どうしてもその恩返しをしたいと強く願ったからである。結社という束縛の中に身を置いては、自由に活動はできないと考えたのである。
誤解してほしくないが、「結社」の存在を否定しているのではない。競争が激しくお付き合いのためにお金もかかるけれど、上達したいと強く願うなら、結社で鍛えられたほうが断然早く、作家としての地位も築ける。
道を極めようとすれば誰でも上昇志向になるから、「結社で自分の力を試してみたい」という流れになるのは当然で、その志はむしろ応援したい。その入り口へ橋渡しすることもまた、私の使命だと思うからである。
「結社にありがちな差別感、排他感を廃絶し、居心地よく楽しく俳句を学べる場にしたい」というのが、コンセプトではあるが、カルチャーではないので、情実をはさんだり迎合するつもりはない。そのための「無料」なのであって、慈善事業ではない。
まわりくどい説明になったかもしれないが、これが「超結社」としての の立ち位置である。
バラエティー番組「プレバト」のおかげで最近は随分入会希望者が増えた。会員が増えていくに従って、どうしてもその運用が結社化していくことを戒めねばならないと思っている。
参加無料であるがゆえに会員の出で入りも激しく定着率も低い。そうした悪条件であっても確固たる伝統俳句の理念を守り、超結社としての道を探りつつ、あくまでも本物の俳句道を伝えるために奉仕したいと祈っている。
みのるの日記に掲げている年間聖句について祈っていたのですが、今年は、「いつも喜んでいなさい」という新約聖書の箇所が示されました。教会の礼拝では、テサロニケ人へ手紙第一 5章16節から18節までをひと括りとしてメッセージされる有名な箇所です。
コロナ禍の中で、「いつも喜んで」いるわけには行かないのが現実ですが、トンネルには必ず出口があると信じて祈り、
「コロナに負けるな!」
と励ましあって耐えていくために、この聖句を選びました。 を運用していく中でも、さまざま戦いがあるわけですが、この一年、この聖句を覚えて頑張ろうという私自身の鎧甲でもあるのです。
皆さんにキリスト教を押し付けるつもりはなく、信仰的にどうのこうのという意味ではなくて、苦しい状況下にあって絶望感で生活するのではなく、必ず道は開けると信じ、いま生かされていることを喜んで生活することで、希望が見えてくるということではないでしょうか。
家内が所属している、 全国友の会 とのご縁でつながりがあり、私の敬愛している 広瀬薫牧師 の楽しいメッセージがありますので、皆様にご紹介しておきます。興味がある方は読んでみてください。肩の力が抜けますよ(^o^)
今年もよろしくお願いいたします。