最近、縦書き均等表示での自動句集作成プログラムが完成し、簡単な作業で美しい句集が出来るようになりました。
ただ、全ての作品を盛り込むとなると、いわゆる玉石混淆となり光り方が鈍くなりますので、通常は再選して秀句だけに絞り込みます。 そうすることで盛り込まれた一句一句はもちろんですが、まとめ上げられれた句集全体からも作者の人格や世界観が滲み出るのです。
句集作成時に句数を絞り込むのは印刷や製本の制約のためだけではありません。 できるだけ多くの作品の中から選りすぐって纏めるほどより作者の個性や人間性が反映されるからなのです。
句集のための再選を作者自身で行うか誰かに委ねるかによって醸し出されるものが若干異なります。 どちらがよい…というように決めつけられるものではないのでどちらでも構わないのですが、自選はとてもむずかしいです。
個性というのは自覚できるものではなく読者が評価するものだと思います。他人の目で見ると「思い入れ」というフイルターに邪魔されずに冷静な気持ちで作品と対峙できるからです
恩師の小路紫峡先生の第一句集は、虚子、青畝、年尾、風生選の4,500句の中から、約1,500句を自選され、そこから青畝先生が360句に絞られました。紫峡先生の句集はたくさん発刊されていますが、青畝師没後の句集はいづれも自選のみです。
晩年の作品こそが本当の自分の境地であると先生は言われました。けれどもぼくも含めて大半の弟子は、第一句集の『風の翼』が最も素晴らしいと信じています。先生ごめんなさい(^o^)
みのるの作品集も再編纂したいという気持はあるのですが、紫峡先生の再選を仰げなくなってしまった現状では、どうしてもその気にならないのです。
遠回りな言い方になりましたが再選作業について、みのるに負担をかけたくない…というお気遣いはまったく不要です。よろこんで協力します。それは GHを応援してくださったメンバーへの恩返しですし、関わらせていただいものはみのるの作品でもあるからです。
みのるが再選することで作者だけではなくてみのるの影も漂うようになります。『選は創作なり』と虚子先生が言われたように、どうしてもそうなるのです。もし、そのことさえ許容してくださるのなら、いつでもウエルカムです。
今週の毎日句会から添削した作品を取り上げてみます。
芽吹く山背に急峻の大伽藍 → 屹立し芽吹く裏山大伽藍
急峻がどちらにかかるのか曖昧
胸元に赤のコサージュ卒業す → コサージュの胸ふくらませ卒業す
希望に胸が膨らんでいる感じを写生したい
国分かつ高嶺を過り鳥返る → 国境なる嶺をさして鳥帰る
過る…は時間経過になるので瞬間写生に
貝寄風や潮目を分かつ青と藍 → 貝寄風や潮目が分かつ青と藍
色が潮目をつくるのではない
玄海の潮目育ちの若布刈る → 玄海の潮に育ちし若布刈る
潮目はいつも一定ではない
梅の丘仰ぐ至福や雨晴れて → 眼福と見し満開の丘の梅
至福は心象
梅の丘見下ろす指呼に甲山 → 梅の丘指呼にまどかな甲山
指呼しているので見下ろすは不要。具体的な形容を加えると固有名詞が動かない
手を繋ぐ卒園まじか母子どち → 母さんとおててつないで卒園す
卒園間近というのは曖昧。俳句は原則として瞬間写生に
目覚ましをかけぬ安堵の朝寝かな → 目覚ましをかけずともよき朝寝かな
安堵は説明
雨に濡れ黒く変りし花の幹 → 老木の幹黒々と花の雨
原句は、原因→結果の説明
百磴に大息つけば山笑ふ → 磴半ば一息つけば山笑ふ
不用意に大仰な言葉を使わない
百千鳥産土の杜ふくらます → 産土の杜の息吹や百千鳥
「ふくらます」の措辞に無理あり
園のどか砂場に数多土だんご → 子らのどか砂場に数多土だんご
子どもたちの姿も見えたほうが季語が活きる
ジョギングのペアのジャケット風光る → ジョギングすペアールックに風光る
ジャケットではなくて、駈け抜けるペアルックの人に風が光るのです
取り上げた作品の他にも添削された作品には必ず意味があるので、必ず復習しましょう。
碑(いしぶみ)を一太刀に切る梅の影 みのる
昨日は定例句会で中山寺を吟行しました。
なんとか雨はあがったのですが、一週間前のあたたかい梅日和とはうってかわってとても寒い一日でした。満開だた梅は雨に打たれてかなり散っていましたが、満開を連想できる程度には残っていてよかったです。
揚句は、一週間前に詠んだものなのですが、昨日とはあまりに条件が違いすぎたので句会当日には出句できませんでした。
梅林を見ての帰りに閻魔堂を覗くと真正面に閻魔大王がぎょろりと目をむいて睨んでおられました。 特別後ろめたいことはないつもりでしたが、なんとなく目をそらしてしまいました(^o^)
閻王と眼のあひてより彼岸寒 みのる
句会は、18名と久しぶりに盛会でとてもたのしかったです。句会のあと能勢のみなさんと9月に予定している「妙見の森」バーベキュー吟行の計画について打ち合わせしました。楽しい企画にしたいです。
今朝、明るい日差しに誘われてみのる庵の庭を存問していたら、落葉隠れに動くものが見える。よく観察してみたら蟻さんでした。 まさに、『啓蟄の候』ですね。
また、部屋の中からバードバスを観察していると、ヒタキ、スズメ、シジュウガラなどが次々と水浴びにやってきました。その様子を見ていると何だか元気になります。
さて、昨日撮ってきた中山寺の写真を貼っておきます。来週の吟行のヒントになれば嬉しいです。 いずれもクリックで拡大表示になります。
満開の中山梅林へ行ってきました。このアングルの写真が撮りたくてお天気と満開の重なるのを狙っていました。観音さまの指先に注目!光ってるでしょ(^o^)
白梅の構図でも撮ったのですが、やっぱり紅梅のほうが良かったです。
朝はまだ肌寒かったので、少し厚着していったら、あまりに天気が良すぎて疲れてしまいました。
週末のお天気の崩れしだいでどう変わるかはわからないですが、ちょうど満開になったばかりと言う感じでしたのでまあ一週間は大丈夫でしょう。来週火曜日、お天気が回復するといいですね。
昨日は、あいにくの雨でしたが、藤井寺から二駅さきの道明寺駅まで足を伸ばしました。
駅を降りて細い商店街の道を進むとまず右に道明寺天満宮の大きな楼門が見えてくる。 天満宮は、梅の名所として知名度が高く地元の人に道明寺への行き方を問うとたいていはこの天満宮を教えてくれます。
その天満宮から更に100mほどさきへ進むとお勧めの道明寺があります。 私の記憶が曖昧で、みなさんにきちんと説明できなかったので道明寺まで行かれなかった方があるやも知れず申し訳ないことをしました。
道明寺は、真言宗御室派の尼寺で、Wikipediaで検索すると以下のような記述がある。
※歴史
道明寺周辺は、菅原道真の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。
901年(延喜元年)、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。この故事は、後に人形浄瑠璃・歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』「道明寺」の場にも描かれている。道真の死後、寺名は道明寺と改められるが、これは道真の号である「道明」に由来する。
1575年(天正3年)には、兵火で天満宮を含む寺の大部分が焼失するが、後に再興。1872年(明治5年)の神仏分離により道明寺天満宮境内から現在地に移転した。
寺苑は、玉砂利が敷き詰められ綺麗に箒目がつけられていてとても清浄な雰囲気を醸しています。 石畳の小径を辿って奥へ進むと清楚なたたずまいの庫裏があります。
春雨や尼の庫裏訪ふ石畳 みのる
藤井寺周辺は、古墳がたくさんあることでも有名で、道明寺天満宮の近くの斜面から埴輪を造るためだったと思われる登り窯が発見されているそうです。昨日、天満宮の楼門のすぐ手前の斜面に復元されたものがあるのを見つけました。
下萌のなぞへに残る登り窯 みのる
もし来年も佐藤家のひな祭りが開催されるようなら、今度は一緒に行きましょう。
みなさん、佐藤家のひな祭りはいかがでしたか?
私はどうしてもやりくりがつかず、最終日の今日、ようやく佐藤家を訪ねることができました。
雨の最終日ということでお客さんも少なく佐藤さんともゆっくりおしゃべりできました。 84歳とお聞きしてびっくり。遊び心に人生を謳歌されている人はみんな若く見えるのかなと思いました。
今年で36回目だという佐藤家のひなまつり、何回も訪ねているのですがいつも新鮮な感じを得て楽しませていただきます。 開催中だけではなく、事前準備、後片付け、日頃の管理など殆どの作業はご自身でなさるとお聞きしてただただ感謝感激、頭が下がります。
所狭しと並ぶ数々のお雛様に圧倒されますね。気品ある古雛も素敵なのですが、私はなぜか豆雛に惹かれていつも小一時間そのコーナーで寛がせていただきます。写真もたくさん撮ってきたのでブログに載せました。
七福の神々そろふ豆雛 みのる
毎日句会に明石吟行で詠まれたと思われる作品が素敵に推敲され投稿されているのを拝見して嬉しくなりました。 わたしも昨日、人丸山で詠んだ作品を見直して推敲し、今朝近詠に発表しました。
わたしの場合、同行してくださったメンバーのみなさんが何処をどんなふうに見ておられるかに注意を払いながら広く浅く吟行しています。 できるだけ平等な選をしたいからです。
けれども地に足をつけないそのような観察姿勢からは表面的な写生句しか生まれません。 そこで、記憶の覚めない句会の翌日、翌々日に時間をかけて句帳に残ったメモを推敲して近詠に残すようにしているのです。
柿本神社では、金婚記念に建てられたと思われる碑が二つあるのを見つけました。作業着の後ろポケットにハサミをいれた中年女性が懸命に祈られている姿も印象的でした。また実際は見えない子午線をどうしたら見えるだろうかと試行錯誤していました。けれども当日はそのいづれも一句にまではならなかったのです。
おそらく参加された皆さまも、他にいろんなものを感じ取っておられるはずです。それを思い出して完成させる訓練をしてみてください。添削も大歓迎です。
吟行で句帳にメモした情報は、いわば原石です。それを玉石になるように磨きあげるのが推敲なのです。 同じ場所、同じ情景を吟行していても人ぞれぞれの視点があり、感じ方も違います。未完成だった作品が他の人の句にヒントを得て一句となる…ということも多々あるのです。それが吟行句会の恩恵なのです。
披講されている間も、自分の句が詠みあげられるかどうかにだけ集中するのではなく、他のメンバーの作品にも耳を傾けることはとても大切です。
吟行体験を重ねると、「この対象は句になりそう」という直感が養われていきます。ベテランになるとそうした感が働くので要所要所で時間を割いて効率よく吟行できるようになるのです。
吟行が苦手…というかたは、上手な人が何処で何に興味を持って観察しているかを不即不離の距離で観察するのもよい勉強になります。 ぼくは、いつも紫峡先生の動向をマークしていました(^o^)