吟行のスタイルには二種類あると思います。
数人でお喋りしながらのほうがヒントが得やすいので句が授かりやすい…というタイプと、一人で静かに吟行するほうが集中できるというタイプです。どちらも一理あるので一方が良くてど他方が間違いということではありません。
皆と一緒に行動しつつ、ときには少し離れて一人になる…というような柔軟なスタイルが一番いいと思います。 同じコース、同じ場所を吟行していても感動する場所、感興を覚えるシーンは人それぞれです。見たもの全てを詠もうと欲張らず、本当に心が動いた場所で立ち止まることが大事です。
具体的に理解していただけるように、昨日のみのるの吟行記をまとめてみました。
最初の二句(能勢電車…、鷺の嘴…)は、妙見口へ移動する電車の窓から写生したものです。ぼくの場合、この移動中の観察をとても大切にしています。朝いちで感覚もさえていますし、集中しやすく、思いがけない句材に巡り会えるチャンスがあります。
次の二句(狗尾草、枯蟷螂)は、公民館うらの旧道を歩いたときに出会った句材です。猪垣に絡んだ零余子、畔川ほとりの露草、考鬮寺のお庭の大銀杏、寺畑の花野等々、道すがらの句材は沢山ありましたが、最も感動した狗尾草と枯蟷螂の観察に時間をさきました。
次の三句(千草の畦…、孤高の鳶…、雑木がくれ…)は、吉川神社へ向かう道中の感動を詠みました。ジグザグに辿った近道の畦道伝いがとても愉快だと感じましたし、同行の菜々さんが教えてくださった蒼天の鳶にとても感動したからです。短い参磴の奥に木隠れの吉川神社が見えたときも何とも言えない秋の風情を感じました。
最後の二句(豊頬の栗、虚栗)は、帰路の山道で思いがけず出会った落栗を観察して詠みました。吟行前から能勢の栗との出会いを密かに期待していたので、まさに天啓の一会でした(^o^)
畑や田んぼに電柵が張られていて猪や鹿の被害に困っておられるとの地元のおじさんのお話にも驚きました。そのほか点在する廃屋やたわわに実をつけた畑の中の柿の古木、道の辺の曼珠沙華、セピアの刈田、穭田などにも心が動きましたが、十分に時間をとることができず消化不良に終わりました。
大切なことは、団体行動であっても、「ここだ!」と感じたときは、しっかり立ち止まって時間をさき、集中して心を遊ばせることです。
小動物を見つける秘訣は、「何かいないかな…」と手近なところにも動体視力のアンテナを張っておくことです。漫然と遠目に眺めているだけでは彼らとの出会いを見過ごしてしまいます。
また、能勢だから能勢を詠む…というような先入観にとらわれることもマイナスで、かえって句作の妨げになるので注意しましょう。
まとまりのない吟行記ですが、みなさまのヒントになれば嬉しいです。
一穢なき蒼天の秋晴に恵まれてほんとうに素敵な一日でしたね。能勢メンバーのみなさまが万端の準備と心尽くしのお世話をしてくださったお陰です。ほんとうにありがとうございました。ともえさんの栗まんじゅうも美味しくいただけて幸せでした。
今日の吟行での一番の一期一会は、小田一面の猫じゃらしと枯蟷螂との出会いでした。懐かしい吉川神社への畦道にはまだ彼岸花が残っていて嬉しかったです。
感動を句会までの短時間で十七文字にするのは、とても難しいことですが、あとからでも記憶と感動がホットのうちにできるだけたくさん句にまとめるようにしてください。そして出来れば添削に送ってください。一緒に吟行した句は添削しやすいので受ける方もするほうも勉強になるからです。
小田うずむ狗尾草の朝日影 みのる
枯蟷螂睨むまなこはエメラルド みのる
過日、五色塚古墳を吟行した帰りに垂水駅近くにある遊女塚に立ち寄りました。「垂水の沖で舟から落ち溺死した遊女の供養塔である」などの伝説があるようですが詳しくはわかりません。大きくてとても立派な供養塔でした。
http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/a2c67c676c9004ef5d0a5a4f9bf98dce
八千草を籬としたる遊女塚 みのる
今日は素晴らしい秋晴れ、友人の句会に誘われて垂水の五色塚古墳を吟行しました。
明日明後日と雨予報ですが、金曜日の能勢吟行は、お天気になるという予報楽しみです。
墳丘の蒼天たかく鳥渡る みのる
しあわせの村の芝生広場で車前草の群落を見つけました。
歳時記によると車前草の花は、"初夏に花茎に白い小花を穂状につける" とありますが、大ぶりのものや、やや小ぶりの種類などいろいろあるようです。
六甲山牧場のバス停にもかわいいのが咲いていましたね。 踏まれても踏まれても立ちなおる『草根精神』という言葉がありますが、まさに車前草にピッタリです。
尻餅に克ちておほばこ起ちなほる みのる
青空文庫で正岡子規著「俳人蕪村」を読みました。少し読みづらいですがとても興味深い内容です。
この中で子規は、俳人蕪村を礼賛し「俳諧を論ずるうえで芭蕉が別格的存在であることは認めるが、やや過大評価ではないだろうか。俳人蕪村は、決して芭蕉に劣るものではなく、むしろ匹敵する。」と言っています。
冒頭に書かれている「緒言」を抜粋してみましょう。
芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべき者たること論を俟たず。この点において何人か能よくこれに凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多き処において、雄渾なる処において、高雅なる処において、俳句界中第一流の人たるを得。この俳句はその創業の功より得たる名誉を加へて無上の賞讃を博したれども、余より見ればその賞讃は俳句の価値に対して過分の賞讃たるを認めざるを得ず。
--中略--
蕪村の名は一般に知られざりしに非ず、されど一般に知られたるは俳人としての蕪村に非ず、画家としての蕪村なり。・・・その没後今日に至るまでは画名かへつて俳名を圧したること疑ふべからざる事実なり。余らの俳句を学ぶや類題集中蕪村の句の散在せるを見てややその非凡なるを認めこれを尊敬すること深し。・・・余はここにおいて卑見を述べ、蕪村が芭蕉に匹敵する所の果して何処いずくにあるかを弁ぜんと欲す。
一方、われらが青畝師は、句集「正編・青畝風土記」に次のような文章を記しておられます。
芭蕉のことばを借りて月日は旅人である。
六十何年の私の俳歴を顧みたときの実感もそうである。 あわただしいがまさにそうである。
人は生命をもっている。心−主観−を忘れるなよと浜人は叱った。 大成するには写生の修練が要ると、私の指針を修正させた壮年の虚子先生は、更にこわい人だった。 紙魚が匂う古本から猿蓑を漁った。芭蕉を知りたいためだが読めぬ字がゴロゴロしていた。 それよりも蕪村は分り易かった。絵を見るように具体的である。
作法は蕪村流に精神は芭蕉追及、写生を旨とする花鳥諷詠は虚子である。 そうと決めたのがわが生涯となった。
子規の蕪村論を理解した上で青畝師の文章を読むと、俄然蕪村を研究したくなりますね。
昨日もまたしあわせの村へいきました。久しぶりの大秋晴れ。保育園児のお散歩グループや車椅子訓練中の介護士のたまご、広芝を駈ける部活の女学生等々たくさんの人たちで賑わっていました。
毎日のように同じ場所に出向き、同じところを吟行していても日々一期一会の出会いがあるので俳句は愉しいです。
先生とおててつないで花野道 みのる
昨日もしあわせの村を散策、すっかり秋らしくなりました。日本庭園もそこはかとなく色づきはじめています。そんな中、老幹の足元から芽吹いた短い若枝が綺麗に紅葉していたので写真に撮ってきました。
爽やかやシルバー園丁無報酬 みのる
昨日、9月19日は正岡子規の忌日でした。子規居士との縁を宝としている東光院萩の寺では、毎年この日に「子規忌へちま供養」が行われます。
子規忌はまた、獺祭忌、糸瓜忌とも詠まれます。獺祭忌は、自らを《獺祭書屋主人》と号したことから、糸瓜忌(へちま忌)は、絶筆の「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」など三句に糸瓜が詠み込まれていることからです。
30年前のみのるの初学時代、毎週のように須磨浦公園へ通っては俳句を詠み、紫峡先生に添削稿を送って特訓を受けていました。その結果、須磨浦公園のどこに何があり、どの季節に訪ねたらどんな状況かということは、今でもすぐに連想できます。須磨はみのる俳句の故郷なのです。
上の写真は、須磨浦公園内にある子規虚子師弟句碑です。子規のことも虚子のこともまったく無知であったぼくは、この句を理解するためにそれぞれの年譜を調べたり、人物記や著書を読み漁って猛勉強しました。
その当時、若輩でまだ熱かったぼくは、生意気にも子規、虚子の志を受け継ぐのだと心に決めて、こんな句を詠んでいます。
春風裡高虚子の碑に対しけり みのる
"春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子" を意識しての作品であることは見え見えでしたが、句会で千原草之先生が絶賛してくださり大喜びしたのが良い思い出です。
師弟句碑の子規の句は、当時結核療養のために入院していた須磨保養院に東京から虚子が訪ねてきたときに詠まれた挨拶句です。また虚子の句、「人を思ひて」は、「子規を思ひて」の意であり、「月を思ひて」は、須磨に子規を見舞ったおりに一緒に仰いだ月のことでしょう。
こんな風に鑑賞していくと、どちらの句もとても深いですね。
暁や白帆過ぎ行く蚊張の外 子規
この句も須磨療養中に詠まれた作品で須磨寺に句碑が残っています。病院のベッドに臥しながら朝漁に出帆していく漁師舟をぼんやりと眺めている子規の生活ぶりが偲ばれますね。
絶筆三句もそうですが、子規の作品には悲惨な境涯をストレートに詠んだものはありません。どんな苦しい状況にあっても独特の俳諧的滑稽味を醸しだして、鑑賞する人に救いを与えます。
「苦しいこと、悲しいこと、悔しいことなどの感情を句に詠む時でも、絶望感や挫折感で終わるのではなく、愛が、希望が、救いが感じられるように詠みなさい」
と私達を諭してくださった青畝先生のお言葉もまたこれに通じると思います。
34歳という若さで逝った子規の生き様や考え方は、40歳であった当時のぼくにとってとても鮮烈な印象で、その後の俳句ライフにも大きな影響を受けました。みのるの先生は、阿波野青畝師と小路紫峡師ですが、その教えの原点は子規にあると今も信じています。
須磨の月虧けて子規忌となりにけり みのる
今日は9月度の定例句会、爽やかな秋晴れのもと西宮緑化植物園組と東光院萩の寺組とに別れて吟行しました。
つくばひの水面に立ちし秋の風 せいじ
歩を止む吾を虜とす群蜻蛉 菜 々
天辺は萌黄の風や竹の春 たか子
句会のときにもお話しましたが、これらの佳句を授かるためには一処に立ち止まらなければいけません。歩きながら句を詠むスタイルでは、表面的なことしか捉えられないからです。
彼岸花延命橋の橋袂 よう子
豪勢な精進料理子規祀る うつぎ
"萩の寺吟行だから萩を詠まねば" と固定観念に縛られていると、感性にフィルターがかかって萩以外のものが見えなくなります。むしろ萩が見えないフィルターをかけるくらいの意気込みをもち、幅広い視点で心を遊ばせることが大切です。
"これという句材を見つけたら、そこに立ち止まって多作する。"
今日の緑化植物園では、思いがけずたくさんの斑猫に出会いました。斑猫で一句詠めたらそれで良しとしてすぐに移動する…というのではあまりにもったいないです。よい句材とめぐり逢えたときは、そこに立ち止って我慢して多作する習慣を身に着けましょう。
来月も北山緑化植物園を吟行する予定ですが、紅葉の北山山荘のお庭が公開されていると思います。このお庭で頑張って5~10句詠んでみましょう。
飛石をひとつとばしに道をしへ みのる
不即不離心得てをりみちをしへ みのる
台風一過、爽やかな朝となりました。
昨夜は、10:00頃に台風の目に入ったようで、それまでの激しい風雨が嘘のように鎮まりました。台風の目を体感したのは二度目、1961年9月の第二室戸台風以来です。当時は18歳でしたから、半世紀ぶりですね。
鉢物や飛びそうなものはみな家の中にとりこみ、転けそうなものはあらかじめ横にして固定したりと対策していたので大過なく一安心です。明日の吟行は良いお天気が期待できそうです。
庭のものみな大事なし台風過 みのる
懸案であった下記の課題を解決するためにプログラムを修正しました。
- ※文字数を8文字以上且つ20文字以下に制限
- 入力ミス対策として制限を超えた場合は、エラー表示となります。
- ※二重投稿の禁止
- 1句目と同じ作品が投稿された場合は、エラー表示となります。
- ※行末のスペースを強制的に削除
- コピー&ペーストで投稿されると行末に意図しないスペースが入ることがありシステムに支障します。今回システムが強制的にそれを削除するようにしました。
これらの制限は本来は不必要なのですが、操作ミス等による誤入力が多々ありシステムに障害が出ることがありましたので今回対応させました。
上記以外のミス、たとえば入力途中で投稿ボタンを押してしまうようなケースですが、この場合は編集機能を使って修正してください。
投句ミスをそのまま放置されているケースも多いです。投句後は必ず画面を見て正しく投稿されていることを確認してください。
最近、娘の運転練習を兼ねて一週間に二度ほどしあわせの村を訪ねています。日本庭園を小一時間散歩して帰るという短い時間ですが、庭園内で若い介護士と施設に入院中の老人が試歩されているのによく出会います。介護士の方がいろいろと笑顔で話しかけながら世話をしておられる姿に見ているほうも心が和みます。
この間、四阿でお近づきになったペアと、俳句のことなどもお話できました。
亀鳴くと池塘によせし車椅子 みのる
今日もしあわせの村の写真です。
激しい風雨の翌日に訪ねたら、おびただしい落ち葉が打ち敷いていていました。 このところ毎日のように訪ねていたので、一夜にして激変した秋寂ぶ景に驚きました。
荒涼と打ち敷く森の秋落葉 みのる
今日の未明から朝にかけてものすごい勢いで雨が降りました。どうやら今日は全国的な傾向のようで各地での被害が心配ですね。
さて、今日も「しあわせの村日本庭園」の写真を貼っておきます。
秋風のさざなみ池を席巻す みのる
今日は、9.11。
あの恐ろしいアメリカ同時多発テロ事件(2001.09.11)から16年が経つのですね。
あの日を境に、アメリカの政治や社会をめぐる環境が根本から変わったように思います。今後も続くであろうテロリズムとの戦い、北朝鮮問題等々、重大な課題は後をたたないけれど、過激なトランプ政権の挙動はとても心配です。
さて、今日もしあわせの村へ行ってきました。娘の運転練習のお付き合いです。
今日の写真は、池に突き出した大きな四阿です。夕方だったので貸し切りでした。お庭の左側に見えているのは百日紅です。あと一ヶ月もすれば、この四阿からの景も一変するでしょうね。
広島の波出石品女さんと一日一句をメール交換しています。
下校子の歓声奇声穴まどひ 品女
素敵な句でしょ。
摩耶山上で行われる俳句大会のご案内です。
旧天上寺跡も気になるのでもう一度挑戦してみますか?
開催時間 |
10:00より受付開始 受付・出句はともに正午が締め切り 13:00より大会開始、16:00頃終了 |
---|---|
開催場所 | 神戸市立自然の家 |
料金 | 1500円(昼食代を含む) |
講師 | 「ホトトギス」名誉主宰の稲畑 汀子先生ほか、多くの俳人の先生方 |
事前申し込み | 不要 |
主催者・問い合わせ先 |
【主催】 摩耶山観光文化協会 【問い合わせ先】 協会事務局:摩耶山天上寺 TEL 078-861-2684 神戸市立自然の家 TEL 078-891-0001 (大会当日のみ) |
URL | http://www.mayasan-tenjoji.jp/ |
昨日、しあわせの村の日本庭園で撮ってきたもう一枚の写真。説明板はなかったので実際に使われるのかどうかは不明だけれど、庭園の池に漕ぎ出してお月見をするという設定なのかもしれませんね。
GH創設初期に応援してくださったメンバー志乃さんの名句を思い出しました。
月の出にもやい解かれし小舟かな 志乃
今日は、神戸しあわせの村の日本庭園を訪ねました。
雨降りでしたがとても静かな佇まいで、小一時間ほどボ〜としてました。
蕭条と石庭をうつ秋の雨 みのる
毎日新聞の朝刊に坪内稔典さんの『季語刻々』という連載記事が載っている。
今朝は、阿波野青畝先生の標題の句がとりあげられていました。
朝夕がどかとよろしき残暑かな 阿波野青畝
かつて残暑見舞いのはがきをやりとりしたが、今は暑中見舞いも残暑見舞いもあまり来ない。私も出さない。これがいいことか悪いことか。ところで、今日の句は、残暑にはいいこともあるよ、と言っている。朝夕の涼しさが格別だというのである。この俳人、93歳まで生きたが、「年を取ると得でっせ」が口癖だった。<坪内稔典>
当該記事は、インターネットでも読むことが出来るので、興味のあるひとはぜひ見てください。
他愛のない話題ですが、略字を練習中です。
文字を書くことが苦手なので、句会の選句でスピーディーに書き取るために略字を覚えようと思いつきました。書が得意な方は、草書や行書でスラスラ書けるかと思うのですが、こちらの方は即席の老いの手習いでは無理だと考えたのです。
句会での予選抜き取りの場合は、本人だけが解読できればいいので、暗号のような略字でもいいのですが、自分が書いた略字を判別できないというのも恥ずかしいので認知度の高いものを使うほうが無難ですね。
取り急ぎ、次のようなのを練習中です(^o^)
解読できますか? 答えはこれです。↓
前、家、神、門、可、様、事、卒、質、州、風、個、歴、 働、傘、職、食、機、層、衛、森、喜、応、劇、間、雪、 来、師、問、長、島、阻、止、正、国、図、曜、走、薬、
ここ十数年間、句会のときだけ万年筆を使っています。忘れ物癖があるため現役時代は、使い捨てタイプのボールペンしか使ったことがありませんでしたが、この万年筆は、定年記念のプレゼントとして頂いたものなので、いまも大切に使い続けています。
ところが過日、句会から帰って家で使おうとしたらあるはずの筆入れの中に見つかりません。焦りました。どこかで落としたのかなと半分諦めていたら、外出先のスマホに娘からラインが入り家で見つかったとのこと。
どうやら句会から戻ってリュックの中の小物を出して整理しているときにうっかり床に落としたのに気づかなかったようで、掃除機をかけてたらピアノの足元に隠れてたよ…と笑われました。一度は諦めかけていたものなので再会できたときは、なんだかとてもうれしかったです。
失せ物を見つけし気分返り花 みのる
PS:三原のあさこさんのお庭にマンサクの花が咲いたとのこと。多分返り花でしょうね。
みのる庵も昼は法師蝉が啼き、朝夕には虫の声が聞こえるようになりました。まだまだ残暑は残るようですが朝夕はすっかりすごしやすくなりした。
先週末に腰痛に見舞われましたが、なんとか大事に至らずに回復しました。娘に付き合ってプールにいき調子に乗りすぎたのが原因のようです。今日は、午後も教会の奉仕でしたが、朝一でみのる選を済ませていたので、もう一度見直して発表しました。
暑いこの時期は、なかなか吟行に出にくいのでどうしても考えて想を練るというスタイルになりがちですが、その場合でも基本的には、情景が具体的に見えてくるように詠むことが大切です。
"互選では抜けているのにみのる選に入らなかった。"
という作品については、そのあたりをチェックしてみてください。
目瞑れば耳にひろがる虫の闇 みのる
昨日は、落穂句会でいつもの市ノ池公園を吟行しました。少し早くついたので公園の隣りにある鹿島神社の駐車場に車を止めて、参道を散策しました。ちょうど朔日参りの日だったので思ったより人出も多い感じでしたが古い神苑はとても趣があり楽しく吟行できました。
参道には数軒の茶屋があり、どの店も柏餅を蒸して売っていました。伝統ある名物だそうです。そのうちの1軒に老夫婦で頑張っておられる店があり、奇遇にもご主人がわかばさんの古い句友だということがわかり、そのお店で柏餅をいただきました。ご縁というのは不思議ですね。
当日詠んだ作品を近詠に発表しました。今年はすでに二百句近く詠んだ計算になります。頑張りました(^o^)v
風紋の駈けめぐりをる稲田かな みのる