昨日の定例句会で字余りについて少しおしゃべりしましたが、もう少し整理しておきましょう。
作品を推敲する時、五七五の正調に整えることは基本中の基本です。このことに無頓着でいると、知らず知らずのうちに破調の句を詠んでも何も感じなくなり悪癖となります。
俳句は、十七文字という短い制約の中で詠むからこそ、ことばを選ぶことに真剣になり、それだけ奥が深いのです。
もっとも良くないのは中七の字余りです。上五、下五の字余りは、場合によっては許容されることもあります。上級者になると句の雰囲気を出すために意図的に字余りに詠む…というケースもありますが、中七を字余りに詠むことはまずありません。
上五や下五の字余りは、上手な披講子なら違和感なく聞こえるように詠むことができますが、中七の字余りの場合はどうしてもリズムよく披講できないからです。俳句は詩ですから、声を出して読んだときのリズムがもっとも大切なのです。
漫然と推敲するのではなく、無意識の内に次のようなチェックができるように習慣づけることも大事です。
これらのチェックポイントでもっとも難しいのは、1の「具体的に詠む」という点です。
そのためのとっておきの裏技について説明しましょう(^o^)
季語には、具体的にイメージできるもの(緑陰、ヨットなど)と感覚的なもの(秋思、新涼、涼しなど)とがあります。なので心象的な感興を詠みたいときは、具体的な季語を取り合わせることで絵になります。一方、感覚的な季語を詠みたいときには、具体的な写生と組み合わせることが重要なのです。
心象的な感興を詠みたい時に感覚的な季語を取り合わせると、読者には具体的なイメージが連想できませんから、結局 "わかるようでわからない" 句になるわけです。そうした傾向の句を好む人もありますが、なんでもありのことば遊びにすぎません。
上級者になると吟行しながら、一期一会の感興を先に捉えます。そしてその感興を読者に伝えるのに最もふさわしい季語はなにだろう…というような思考プロセスで句がまとまります。そうするためには季語の種類、本質がしっかり身についていることが必要です。
初心者や吟行が苦手といわれるかたは、まず具体的な季語を見つけて詠むようにすると無難な作品を授かることができます。難しい理論やテクニックを覚える必要はありません。吟行に励みながら沢山の季語と出会い触れあうことで、自然に上達していくのです。
先週末に施設の母を見舞うために家内の実家(広島)へ帰ってきました。
実家から徒歩5分ほどの距離に波出石品女さんがいらっしゃるので、神戸へ帰る日の朝、少しだけ訪ねて存問してきました。猛暑続きだったので品女さんの体調を案じていましたがすこぶるお元気だったので安心しました。
7月下旬に神戸の生田神社で行われた「紫峡先生を偲ぶ会」の様子などを聞かせていただきながら、愉しい時間を過ごしました。智壽子夫人が主宰となられてからは、ひいらぎの運営も何かと大変なようで、GHの働きを通してささやかでも何か応援することができたらと願っています。
9月の GH定例句会は、東光院萩の寺(阪急電車宝塚線 曽根駅より徒歩4分)を予定しています。
例年この時期に「萩まつり道了祭」という行事が催され、境内の萩がもっとも見頃となります。吟行日の前日となる9月19日は、ちょうど子規忌ですので 「子規忌へちま供養」という俳句イベントもあるそうです。
q子規が病苦の底で書き残した 絶筆三句 といわれる糸瓜の句は有名で、糸瓜忌の名はここに由来します。また子規自身が「獺祭書屋主人」と号したところから獺祭忌ともよばれています。川獺が自分のとった魚を並べておく習性から、「獺の祭り」という春の季語がありますが、いつも乱帙(らんちつ)な自身の机辺をみて獺祭書屋といったのでしょう。
子規忌を詠むためには、子規を知る必要があります。検索で見つけたサイトをリンクしておきます。
萩の寺吟行では、単に萩の風情や美しさを詠むだけではなく、タイムリーな子規忌にも思いを馳せて心を遊ばせると新鮮な作品が授かるでしょう。
須磨の月欠けて子規忌となりにけり みのる
残暑厳しい中でしたが、たくさんのメンバーが参加してくださって感謝でした。
みなさんよい俳句が詠めたでしょうか? 暑さにはあまり強くないぼくですが、満天さんに頂いた塩飴のお陰で元気に吟行できました。ハーバーが一望できる涼しいレストランで全員(12名)一緒に昼食を頂きました。句会がないのでみなさんリラックスして笑顔でした(^o^)
たまには、このような企画も愉しいですね。
屯していた三つの熱帯性低気圧が突然台風と化したり、台風が過ぎても大雨の被害などと落ち着かないですね。
日中はまた各地で最高気温を更新したりと残暑厳しく、毎年異常気象が当たり前のようになりました。地球はほんとうに狂ってしまったのしょうかね。
今週24日は、新西宮ヨットハーバーへの吟行ですね。しっかり熱中症対策をして臨みましょう。
クマゼミの大合唱がようやく間遠になってきたなと思っていたら、昨日、はじめて法師蝉の声を聞きました。
法師蝉が鳴き始めると子どもたちの夏休みも終わりに近づきますね。法師蝉の声に急かされるように宿題のラストスパートをしていた遠い日を思い出します。
ひかりさんが、24日に新西宮ヨットハーバーの吟行を計画してくださったので参加する予定です。
暑い日の吟行なので、あまりウロウロ移動しないで涼しい場所を見つけて腰を落ち着けて句を詠みましょう。この時期の吟行はとかく「暑さ」を詠みたくなるものですが、それらは得てして常識的な報告の句になりやすいです。僕の場合、暑い時期には「涼しさ」を感じる句材を探して詠むようにしています。
そこで切り札になるのは、「涼し」という季語です。「舘涼し」「波止涼し」「海涼し」「バス涼し」「船涼し」「風涼し」「空涼し」「卓涼し」「椅子涼し」等々、涼しさを感じたものならどんな句材とでも合体できます。見落としがちな何でもない感興を発見するのが作者の感性であり個性なのです。
夏だから「暑い」という常識的なアンテナを張って吟行していたのでは、それらを捉えることは難しいです。
24日といえば、季節は初秋です。
実際の体感はまだまた猛暑ですので、つい「残暑」「秋暑し」などと詠みたくなりますが、やもすれば類想句になりやすいです。知識や常識、観念等に縛られず如何に自由に心を遊ばせるかが大切です。「秋の海」「秋の潮」「初潮」「秋の浜」や「秋立つ」「新涼」など、幅広い季感でアンテナを張っておくと視点が広がるでしょう。
吟行が苦手だというタイプの人は、ヨットハーバーだから「ヨット」で詠まねば…と視野や感興の世界を制限してしまう傾向があります。足元の何でもないようなところにも句材は潜んでいます。また、あちこち目移りしていると貴重な一期一会を見逃してしまうので一箇所で時間をかけて集中しましょう。
どちらにしても自宅を出た第一歩から吟行モードにスイッチを入れておくことが大事です。
長寿だった我が家の冷蔵庫もついに寿命みたいなので、家内と二人で近くのヤマダ電機へでかけて新しいのを買ってきました。冷蔵室に入れていた缶ビールが凍結していたり、突然異音を発したりと、あまりの猛暑に狂ってしまったようです。
ふと、青畝先生のこの句を思いだしながら、20年間長生きしてくれた冷蔵庫を見送りました(^o^)
冷蔵庫は夏の季語なので挑戦してみてください。GHの検索で次の句が見つかりました。
覗かれて冷える間の無き冷蔵庫 ゆうこ
急告す即刻閉めよ冷蔵庫 初凪
あるはずの豆腐を探す冷蔵庫 よう子
昭和18年生れのぼくには、戦争体験の記憶は全くありません。母の背中におんぶされて戦火に逃げ惑う中、頭巾に火が着いて防火用水に頭からザブンと突っ込ま入れて難を逃れたという話をのちに母から聞きました。
戦後の貧困な生活は微かに覚えています。父が持ち帰った残業食の乾パンが私達子どものおやつでした。戦時中の非常食として作られたものでしたから、とても噛みくだくことはできず、飴玉をしゃぶるような食べ方でした。
周囲の全てが貧しい時代だったので、辛いとか哀しいという実感はありませんでしたが、好物を満腹するほど食べたいというような夢は見たように思います。
哀しい戦争の記憶も時代とともに風化し、いつまた戦争が始まるかも…という不安な世情となりました。地球上から戦争がなくなる日は永遠に来ないのでしょうかね。
暑中お見舞い申し上げます。
暑い日が続きますが毎日句会への投句は途切れることなく、皆さんのファイトに励ませれつつ暑に耐えています。
お盆の帰省でお忙しくしておられると思いますが、無理をしないでこの夏を乗り切りましょう。
今日は、家内と一緒に両親の墓参りにいってきました。
お墓は、大阪府高槻市の市営墓地に両親が生前に自分たちで建てたものです。
事故渋滞にまきこまれて着いたのはちょうど正午、気温37度、墓石は手ではさわれないほど灼けついていました。
昨年続けていた朝散歩がいつの間にか途切れてしまっていたので再開しました。
5時起床、お茶を飲み簡単なストレッチをしたあと、5時15分出発〜6時帰着の45分間です。6時を過ぎるとお日さまが顔を出し始めて一気に気温が上がりはじめます。
歩き始めて一週間ほどは、足が重い感じでしたが慣れてくると楽に歩けるようになり、不思議なんですが足腰の張りや肩こりも解消されます。歩くことって大事なんですね。
膝痛と戦っていた家内も骨盤整形医に通うようになってから随分回復し、短い距離なら歩けるようになりました。夜9時頃から15分ほどですが家内に付き合って近くの公園まで歩いています。
歩けることがこんなに幸せな気分になれるとは…といいながら(^o^)v
青畝先生の俳話は、GHのバイブルとして何度もこのホームページで紹介しています。自らの俳句姿勢がブレないように折に触れて読み返されることをお勧めします。
今日ご紹介する俳話「 観念に溺れるな」は、初心者というよりある程度俳句歴を積んだ方に自身の作風と照らしあわせてチェックして欲しいです。
俳句という天地では、こういう天地と、最初に観念で固定化してしまう。何度俳句にまとめてみても真実に触れてこない。
…(中略)…
つまり先入主観念なる色眼鏡をかけて、その色を透して対象を捉えようとしているのであるから、ほんとうに生き生きした対象が目にはいる道理がない。
これは、毎日のように何百句、ときには数千句を閲される結社の選者としての青畝師の心からの叫びだと思います。
初心者はしばしば言い回しの面白さにひっかかってしまう。真実とか、自然の底にあるいのちとかいう最も肝心なところに意をそそがねばはなはだつまらないことと思う。
毎日句会の互選高点句のなかにもしばしばこうした傾向の句が見られます。
ことばや言い回しの面白さに惹かれて選ぶのではなく、真の本物を見抜けるような選句力を目指したいですね。そのためにも秀句鑑賞の学びを頑張りましょう。