新人の皆さんが頑張って下さるお陰で秀句鑑賞(合評)が盛り上がって嬉しいです。たくさんの方が参加してくださるほど愉しく勉強にもなるのでぜひご協力ください。
どこから切り込めばいいのかがいまいちよくわからないから書き込みできない…
という方のために簡単な鑑賞のポイントを書いてみました。
俳句は季感が命ですので、鑑賞する前にまず一句の中の季語(季感)が何であるかを見極めましょう。特に上級者の作品の場合、必ずしも引用されている季語=季感ではない場合もあります。これをどう読みとるかが重要で且つ愉しいのです。
「あたゝか」は春の季語、「枯葎」は冬の季語です。この句をどう鑑賞するかは鑑賞者の感性に委ねられます。
子規は春の句として分類しているそうですが、みのるの好みとしては、もうそこまで春がやってきているよ…という春隣(冬の季語)の感じに鑑賞したほうが情があるように思うのです。もちろん、ふと雨の暖かさに気づき、そういえばもう春なんだな…という感慨に受けとることもできます。春の句だと読みとれば後者になりますね。
このように季感が定まることで具体的に鑑賞をまとめることができますね。俳句という文学においては如何に季感が大切かということを自覚することが重要です。いいかえれば、季感(季語)が動く作品は俳句とはいえないので没になるのです。
俳句鑑賞については、どちらかが正解で他方は間違いということはまずありません。
ただ、「あたゝか」が使われているから春だ…、いや枯葎のほうが主季語だから冬だ…というあんばいに言葉に支配されて文法的な俳論を展開するのは愚かだと思うのです。作品から伝わってくる作者の実感を共有するのが正しい鑑賞だといえます。
また句の解釈を直訳しただけでは鑑賞とはいえません。一句に秘められた作者の小主観を探って連想を広げてみましょう。絶対正解はありませんから、どう解釈しても構わないのです。どのように連想するかが鑑賞者の個性です。句会で自分の作意を超えた鑑賞で選者の好評を得て嬉しくなった経験はありますよね。だから俳句は愉しいのです。
少し脱線します。
今日、神戸文学館で有志が集まって、合評研究会をしました。その時の一句に、
という句がありました。
句意は明快です。「ふつうならそんな嵐の中は避けるはずなのにのっぴきならない重要な用件があって無理をおして訪ねてきた。」というのがおおかたの共通した解釈でした。
間違いではないでしょうが、それだと平凡だと思いませんか。
"もうすこし、ロマンチックに連想を働かせてみたらどうでしょう?"
メンバーの顔が一斉にほころびました(^o^)
俳句は、単なる報告文ではなくて文学(詩、短編小説)です。常識で鑑賞せず心を遊ばせて飛躍させてみることも大事ですね。これはひっくりかえせば作句にも同じことが言えるのです。天国の紫峡先生に聞いてみないと正解はわかりませんが、あながち外れてはいないと思いますよ。
そろそろまとめましょう。
・・・だと思う。・・・ではないだろうか? という曖昧な鑑賞はしないで自信をもって言い切るようにしましょう。ああかも知れないけど、ひょっとしたらこうかも知れない…という両天秤の鑑賞をするのもよくないです。
的外れを気にせず大胆な連想をしてみましょう。とは言いながら、あまりにも飛躍しすぎた連想を展開するのは少々無責任です。なぜそう感じたのかという具体的な根拠を見いだして鑑賞することが大切です。
このような疑問を持たれた方は多いでしょうね。ごめんなさい。
ふつうの句会では作者名はわかりませんが、毎日句会の場合はあらかじめ作者がわかっているので、作者の能力や個性に応じて多少ですが物差しが変わってしまうこともあります。
没となる句の半分は類想句です。もちろん意図的に類想の句を詠む人はいないでしょう。俳句という短詩系の文学では類想が生まれるのはしかたのないことです。
類想を詠まないようにするにはどうしたら良いでしょうか。頭で考えて句を作るとどうしても常識的な発想を超えられません。常識的発想で詠んだ句は、新しい発見がないので得てして類句になりやすいです。類句を避けるには新しい発見を見つけることです。そのために一期一会の出会いを求めて吟行するのです。
いたずらに漫然と歩きまわり、視界に入る表面的な部分だけの写生姿勢だと新しい発見とは出会えません。足元にも注意して、ここと思う所を見つけたら、そこで立ち止まり、時間をかけて観察する訓練をしましょう。吟行の時に他の人の動向を意識すると目移りして落ち着きません。マイペースを守って一箇所で頑張るという挑戦を始めてみてください。必ず何かが変わって見えてきます。
GHの吟行の場合、みのるは選者として、皆さんが歩かれるところは全部見ておかないといけないという自覚があるので結構ウロウロしています。なので、みのる動向はあまり参考にならないのでお手本にはしないでください(^o^)
みのる選をしていて、不用意な字余りや字足らずの句がときどき見受けられます。
上級者になると意図的に字余りにしたりして工夫するケースもなくはないですが、推敲不足と思われるそれは感心できません。 正調に整えることは基本中の基本、悪癖にならないよう自らに厳しく課しましょう。
また、作品の芸術性を高めるために上手にうそをつくことは許されますが、丸見えの嘘にならないよう注意しましょう。 本当は見えている情景なのに、うっかり「見えず、隠す」と言ってしまったりします。隠れて見えないはずのものが具体的に写生されているのはおかしいです。
無理やりひねくり回すのではなく出来るだけ素直に表現しましょう。 また、不要なことばを連ねると句が窮屈になります。できるだけ省略して瞬間即物写生に推敲することで力強さと余韻が生まれます。
添削されたみのる選と投句控え(原句)とを比べながら、その意図を復習してくださると嬉しいです。
オフラインの合評研究会では、小路紫峡先生の第一句集『風の翼』を学んでいますが、きょうから WEBの合評として先生の第二句集『四時随順』の学びを始めます。
この句集は、現在 amazonの中古販売で数冊在庫があるようなので、興味のある方はお求めください。
当面は、最初にみのるの鑑賞を掲げますので、随時感想を feedback してください。協力して下さる方が増えてきたら、皆さんの感想を先に書き込んでくださり、感想が出尽くした段階でみのるがまとめを書くというスタイルにしたいと願っています。
基本的には、一日一句の形で鑑賞していきます。ぜひご協力ください。
紫峡師から素十を学ぶようにといわれて「高野素十自選句集」が手元にある。
虚子は、素十の素朴な写生句を絶賛し、叙情こそが俳句とする秋桜子はこれに反発してホトトギスを離れた。そうした観点でいうと、青畝俳句はまさに両者のいいとこどり…という感じがします。
もともと青畝師も初学時代は叙情句に傾倒していたと仰っています。その後、《大成するために写生を学べ》 と諭されて虚子に学ばれ、後に融通無碍といわれる青畝俳句の世界を確立されたのです。
素十作品には、「これでも俳句なの?」と思うほど淡白な句も少なくありません。でも、虚子選というフィルターを通過した作品なので納得せざるを得ません。素十句集に編纂されている花菖蒲の句を鑑賞してみましょう。
花菖蒲ゆれかはし風去りにけり
花びらを走りし雨や花菖蒲
花びらを流るる雨や花菖蒲
花びらを打ちたる雨や花菖蒲
一句目は誰もが納得できる佳句です。
咲き満ちた菖蒲田に風が吹いてきて花が揺れ始めた。大きなはなびらがぺちゃくちゃおしゃべりをしているかのように見える様を、「ゆれかはし」と表現した。やがて風は去っていったが花はまだ少し揺れていてその余韻を残している。風を詠んで花菖蒲の本質を描き出した見事な作品といえる。
ところが、一句目の句に続いて、三点セットのように二〜四句目が連ねてある。三句とも同じ日、同じ場所での連作と思われるが、いづれも平凡な作品で、わざわざ自選句集に残すだけの価値があるのかどうか大いに疑問です。
この連作で素十が何を訴えたかったのかがぼくにはわかりませんが、雨の花菖蒲を写生するために、ひたすら佇んでじっと対峙している素十の姿だけはくっきりと浮かんで来ます。自らの作句姿勢を示すためにあえてこの三句を並べたのかもしれませんね。
磁石が鉄を吸ふ如く、自然は素十君の胸に飛び込んで来る。素十君は画然としてそれを描く、文字の無駄がなく、それでゐて筆意は確かである。句に光がある。これは人としての光であらう。
高浜虚子
紫峡先生からの最後の手紙に同封されていた資料の中に、俳句雑誌「俳壇」平成二年二月号掲載の記事のコピーがありました。淡路島在住の大星たかしさんが書かれた紫峡先生の人物像に触れた文章です。
著作権の問題もあるので全文を転載する事はできませんが、その一部を引用して、みのるの恩師である紫峡師がどのような作家であったかをみなさまにご紹介します。
小路紫峡は私にとってえにし浅からぬ作家である。 昭和三十二年秋、「かつらぎ」の吟行句会が淡路島で催されたおり、近くに住む同人に誘われて私も参加した。
島銀座の電柱に凭れて、何かをじっと見つめている人がいる。そのひたむきな姿が妙に私の心を打った。句会で《焼藷の壺にぴつたり蓋合はず》が目について、私はまた驚いた。なんとリアルな句であろうか。その作者が紫峡であった。
底にコークスを燻し、針金で吊るして藷を焼く大きな壺。その壺の口に、汚れた分厚い木の蓋がぴったりと合わない、と言うのだ。それだけのようであるが、この句から、時々蓋を開けては黒く焦げた軍手で藷の焼け具合を確かめる人の動きまでが目に浮かぶ。
対象をろくに見もしないで、頭や言葉で仕上げていた私に大きな衝撃を与えた一句であった。
その後私はかつらぎに入門し、紫峡は既に注目される実力派の一人であることを知った。
《洗面器金魚の紅がはじきあひ》 《新鮮な卵の上の蝿叩》 《卓をうち雨とびあがるビアホール》などの新鮮な句は、当時の「かつらぎ」で異彩を放っていた。
その頃の紫峡は、一点凝視、即物写生に励み、意識して《物の変化》を捉えようと心がけていた。《物の変化》は神の意思であり天の恵みであると、彼は考えていたのではないだろうか。
紫峡師の第一句集『風の翼』のタイトルは、旧約聖書の詩篇104篇からの引用です。そのあとがきには、「青春時代に神を賛美する詩として作句に志した。第一句集の名前は、聖書から選びたいという切なる希望がやうやくにして叶えられた。」とありました。ぼくが入門した頃は既に絶版、昨今のように通販が普及していなかったので、毎週のように大阪や神戸の古書店をジプシーして歩きまわりようやく『風の翼』を見つけて購入、昂ぶりを覚えながら一夜で一気に読破したのを昨日のように思い出します。
こうして紫峡は、概念や常識にとらわれない直感力を養うことに努めた。写生とはまさに感動であり発見であった。「頭で考えた句はその人の力以上にはならないが、発見には無限の可能性がある」そういって彼は後輩を指導した。教えることによって紫峡も伸びた。
GHでも何度か一泊鍛錬会を実施しましたね。紫峡師のお若いころのこのお話を聞いていたのでそれを真似したのです。時間との戦いである鍛錬会では、「考えて作る」「ひねる」 という作句法ではとうていついていけません。直感で詠むという感覚を会得するにはもっともよい方法だと思います。また、計画しましょう。
句碑除幕復活祭も遠からず
賛美歌に耳傾くる展墓かな
イエス手を翳すがごとき枯木かな
この除幕は、「かつらぎ」五十周年を記念して、昭和五十四年一月十四日、高山右近ゆかりの高槻カトリック教会に建立された青畝句碑だろう。句碑除幕の句としてはユニークだ。青畝もまたカトリックの信者であることは周知のとおりである。紫峡はは父と師から、人間の生き方と豊かな人間性を学んだ。三句目の比喩は印象鮮烈。独創的でありながら、同時に妥当性を備えている。
ひちりきの如き葉ずれや芦枯るる
櫛の歯のごとくに延びし干潟かな
日の落ちし冬山鉄のごと黒し
作者の鋭き閃きは、こうしたすぐれた直喩句を生む。 昭和十六年宇部中学校三年生の時、紫峡は本屋で「ホトトギス」を立ち読みして俳句に魅せられ、虚子に直接手紙を出す。そして虚子から水田のぶほに紹介してもらう。更にのぶほから高野素十の句を勉強するようにすすめられる。
素十忌の御膳亀田の米とこそ
亀田は新潟近郊のコシヒカリの産地で、中田みずほの「まはぎ」に協力した素十にはゆかりの農村。この句には、多感な青年時代私淑した素十への熱い思いがこもっている。
ある時期ぼくも紫峡師から、素十の句を勉強するようにと言われました。
ものの芽に素十の心通ひけり みのる
の句が、青畝選「かつらぎ一人一句」の特選になったとき、「みのるさんもこんな句が詠めるまでに成長した」と自分のことのように紫峡先生が喜んでくださいました。
「指導者たる者は人格の陶冶が何より大事」青畝から賜った言葉だという。作品にも指導にも必ず生き方や人間性が反映するものだ。 師の言葉を肝に銘じて精進を重ねる紫峡と、発展する「ひいらぎ」に、心からの拍手を送りたい。
こう結ばれて、大星たかしさんの記事は終わっている。この記事が掲載された平成二年は、ぼくが、「ひいらぎ」に入会して五年になる頃でした。この頃からひいらぎも全盛期を迎えるのです。
ぼくには、作家としての地位も実力もありません。選者、指導者としての資質のかけらもないものです。けれども、青畝先生や紫峡先生に教えていただいたことを後世の人たちに伝える伝道師としての役目は果たせるのではないかと考えて、このホームページを立ち上げました。それが両先生のご恩に報いることでもあると信じるからです。
日記に書いた「添削の学びと吟行術」の記事にたくさんの方がフィードバックをよせてくださって感謝です。ただ、頂いたご意見の中に、吟行が大事なことはわかったけれどなぜ写生なのか、またどういうふうに写生したらよいのかが、今ひとつわからないという声もありました。
そこで、前にも紹介した事がある、 中川広さんのページ に公開されている「子規の写生論」という記事が分かりやすいと思うので紹介します。簡略化するために多少原文をアレンジしている点はお許し下さい。
俳句でいう写生とは、自然の営みや対象物を自分の感覚で捉え、感性に触れたものを自分の言葉で写しとる行為、対象物との触れ合い、存問によって生まれる表現行為です。
正岡子規が最も嫌ったのは、知識や教養にもたれて、ひねったり、世俗な滑稽を手柄とする月並俳句です。これらはみな、頭で考えた観念句であり、暗喩や隠喩の働きによりかかった「ことば遊び」に過ぎません。
芸術性のある写生句は、一句の善し悪しが客観的に判断しやすく誰もが納得できます。けれども頭で考えた観念句は、客観的な評価が難しく、ほめようと思えばどうにでも言えるし、貶そうとすればどうにでもなります。選者の腹一つで句の優劣がつけられる世界に芸術的価値はありません。
ここまで断定してしまうと、「比喩俳句」(ごとく俳句)も月並みなの? という疑問が生じるでしょうね。でも、《実感で捉えた比喩は写生》です。頭で考えてとってつけたような比喩にならないようにだけ注意しましょう。
写生句以外のジャンルを全否定するつもりはありません。
叙情に富んだ主観や心象の句にも優れた作品はたくさんあるからです。でもそれらは直喩的なものではなく、練達した写生術の中から醸しだされるものであることを覚えて欲しいのです。みのるの師である青畝師も紫峡師も本来は叙情の作家です。でも、《大成するために写生術を勉強せよ》との虚子のことばを信じて切磋琢磨されたのです。
添削指導は、初級者と中級者とで方針が変わりますが、共通しているのは《客観写生の訓練》だということです。 誤解して、心象句や主観の強い作品を添削に書いてこられる方もありますが全て没に扱っています。 作者の代わりに句の体裁を整えるのが目的ではないからです。《添削は必ず吟行して客観写生した句》だけを投稿してください。
初心者は、自分で句を推敲してはいけません。良し悪しを判断する基礎が身についていないのに我流であれこれとひねくり回しても時間の無駄だし添削で学ぶ意味が無いからです。 心が動かされた情景を素直に客観的に写生をする…絵画で言うところのデッサンの修練です。とにかく多作に徹してまずは5千句詠む(最終目標は一万句)ことを目標にしてひたすら量産しましょう。
いくら量産して添削に出しても全没が続くと確かに落ち込みます。でもなぜこの句が没なの? と個々の作品に執着してはいけません。「まあ、そんなもんなんだ…」「選者はこの句の良さがわからないんだな…」という程度に軽く受け流しておけばいいのです。
百句〜二百句、千句〜二千句と添削の学びを続けていくうちに、写生することや多作することに対して苦しさを感じることがなくなり、小鳥たちがぺちゃくちゃと囀るような感覚で句が詠めるようになり、やがて、吟行に行かないと句が詠めない。行けばなんとかなる…という感覚に変わってきます。
そのことが実感できるようになれば初級は卒業です。
推敲の秘訣や表現のテクニックは理論としては存在しますし、多くの HOWTO本にも書かれています。けれどもそれらは多作の修練を繰り返していくうちに感覚として身につけたものでなくては実作には役立ちません。文法を覚えたからといって英会話ができないのと同じで、知識として覚えたものはかえって妨げになるのです。
句歴十年以上というベテランになると過去の吟行体験で溜めた記憶をひっぱり出して句を詠むというようなことも可能になります。でもそうした安易な作句を続けていると知らない間に感性が鈍り、類句や月並俳句に流れやすくやがてスランプに陥ります。ですから、たとい中級上級に到達しても《吟行し写生して詠み多作する》、という基本を忘れてはいけません。
写生の基礎がしっかりできてくると身辺句であっても心象に流れず、写生句として仕立てることができます。基礎の訓練をせずして習得できる世界ではないのです。
次は吟行術について説明しましょう。たとえ天才作家であっても10句詠んで10句とも秀句を揃えるというような芸当はできません。出句が10句であれば、20句、30句と詠んでその中からベストなものを10句に絞りこみます。一句ごとに作品を完成させようとすると吟行で多作ができません。心がおもむくままにどんどんメモして多作し、締め切りまえの小一時間で足し算したり引き算したり、あるいは推敲して必要句数に絞り整えるのです。
紫峡先生からは、ここと決めた箇所に一時間、出来れば二時間じっと辛抱して句を詠むようにと教えられました。 何度も訪ねた場所では句が詠みにくい…と誰かが言うと、「目に映る表面しか観察していないからだ」と諭されました。対照物と心が通いあうまで深く深く観察せよ…という意味だと思います。
気軽に通えるホームグラウンドを決めて、毎週、毎月のように通って句を詠みなさい…ともいわれました。ぼくの場合、マイカーで10分で行ける須磨浦公園がホームグラウンドでした。
冷たいベンチに一時間座っていて授かった感慨です。 とはいうものの、実践するのは難しいです。でも、自分にしか詠めない個性的な作風を確立したいと願うなら挑戦するしかありません。
難しい記事が続いているので、ちょっと息抜きしましょう。
今日は、母教会で申し込んでいた星野富弘さんの新しい詩画集がとどいたので貰ってきました。
《あの時から空が変わった》というタイトルで、星野さんの短い証しも載っています。
詩画集に挟まれていた栞(花ポピーの絵と詩)が素敵でした。ポピーは一日花なんですね。
今日は雨が降るかも知れなかった
大風かも知れなかった
自身ではコントロール出来ない生命の尊厳というものを考えさせる詩ですが、みなさんはこの詩から具体的にどのような情景を連想しましたか? 何を感じられましたか? 命の儚さでしょうか、それとも生かされている喜びでしょうか? 星野さんは何を伝えたくてこの詩を綴られたのでしょうか?
なんでもない一篇の詩ですが、読む人によってそれぞれ違う感慨があり、読む人の連想次第で無限にその世界が広がります。 これが、詩のもつ生命であり不思議な魅力ですよね。
絶対正解があるわけではありません。どこまで連想し何を感じられるかがあなたの鑑賞力です。
つまり、詩というものは感じとる心が養われていてこそ、その存在価値があると思うのです。 俳句もまた然り、単なる報告や説明ではなく、作者のメッセージが内包されていなくては詩とはいえません。鑑賞力を超えた句を詠むことはできませんから、十七文字に託された作者の思いをどう感じとるかという鑑賞力の訓練がもっとも重要なのです。
紫峡先生からの最後の手紙に、俳誌かつらぎや俳句雑誌に掲載された古い記事のコピーが何枚か同封されていました。
これらもまた、先生からの遺言のような気がするので、GHの皆さんにも公開しようと思います。今日ご紹介するのは、昭和40年かつらぎ6月号に掲載された岩崎照子さんの記事で、写生の訓練がいかに大事かということを実感させてくれる文章です。
俳句を作り始めた頃私は吟行というものが嫌いであった。しかし見知らぬ風景に接したり、珍しい行事を見たりすることは大好きであったから吟行には度々ついていった。
そうゆう興味で行くから作句にはあまり熱が入らず、締め切り間際に数を揃えて出句するようなことが多かった。 従って写生ということもまるでできなかった。長い時間同じものを見つめていることなど焦れったくてとてもできないことだった。 素晴らしい風景に出会って感激しているのに、心のなか全部を俳句等というものに占領されてはたまるものかと思っていた。美を味わい楽しむ心と作句する心とは別にしておきたいと思った。そう思いながら吟行について行った。
そう思ったからと言って、偶然の動機からとはいえ作句し始めたのであるから勿論俳句は嫌いというわけではなかった。 ただ自分の生活と全く切り離して俳句というものを考えていた。そういう吟行をしていたから雑詠投句にも吟行句はなるべく敬遠して、身辺句を多く出していた。 吟行の時、先生選に入選しても雑詠に投句すると没になることが多く、喫茶店でおしゃべりの合間に作った句や、机上で作った句のほうが入選率はよかった。 そしてますます吟行は嫌いであった。
そんな頃、ある会のリーダーである人(注 : 紫峡師のこと)から目で捉えて作句する訓練をしなさいと言われた。 そのグループの人たちが毎週必ず句を作りに出かけること、また一日に二十句、三十句と作る人のあること等をきかされた。 そんな話を聞かされるとなんとなく反発心がわき、そんなに毎週毎週吟行し、苦しんで作っても当月集に出る数は大して違いは無いではないの、と思った。 そしてそんなにガツガツしてまで俳句作りしたくない、とも言った。
しかし、そうして俳句のために真剣に苦しむということを知らず、ただ趣味として漫然と句を作っていた私には、一句を生み出したときの大きな感動もなく、それ以上の発展も進歩もありようがなかった。 極端に言うならば、ただ言葉を組んだり解したりしながらまとめると言うお遊びをしているのに過ぎなかった。 成績もさして悪くもなければよくもならない。いわばぬるま湯につかっているような状態なのであった。何か物足りない!何かが欠けている!ようやく私は自分でそう思うようになった。 吟行に行っても、身辺を詠っても何か上滑りしているような感じ、的確に表現できないもどかしさ。 そうしたことが、写生という基礎の勉強が全くできていないことによるということがやっと分かり始めた。
このもたもたした状態から抜け出すために、言われたように目で物を捉えて作る訓練をして何処にいても見たままを句帳に記してゆく、 という勉強をしている中に、以前には同じように見て、感じていたのだが、そんなありのままのことが俳句ではないように思って句帳に書かなかったのだと言うことに気付いた。 俳句と言う物を規制の概念で考えていたために、俳句らしい俳句を作ることに一生懸命で、素直に写生ができなかったのである。 写生の方法がわからずどうしたら良いのか手も足も出ないような気持ちの時に手をとるようにして教えてくださった先輩の方のご親切は何にもまして本当に嬉しいことであった。
それ以来、 一にも写生、二にも写生と心がけていると、今度は見なければ絶対に作れなくなってしまった。 しかし今はそれで良いと思っている。的確なデッサンの上に素晴らしいさまざまな絵画が完成されるように、真の物の姿を更に深く極め、私の心に触れて独自の創作がなされるならば素晴らしいと思う。 その独自なものこそ芸術と呼ばれるのにふさわしいものであると思う。
ともあれ写生の勉強をすることによって、自己の魂を燃焼させると言うことの素晴らしさを知ったことが本当に嬉しい。 苦しまずに作句して当月集に出た三句と、真剣に努力して作句して出た三句とは自分のみが知る差である。 先輩の方々のお言葉に迷ったり反発したりしながら随分回り道をして体得したことであるけれども、 それは道に迷い、後戻りしては目的の場所を探し当てたときのようにすっかり自分のものとして納得できたので、迷ったことは決して無駄ではなかったと思っている。 《人生は努力する限り迷うものだ》 とはゲーテの言葉であったと思うが、迷いの時期を経て得たものこそ真に自分のものに出来るのではないだろうか。
これから先も幾多の迷いの壁にぶつかりつつ、《実感から俳句を生み出していくように》という青畝先生のお言葉通り、生活に密着した作句を続けたいと願っている。
(かつらぎ 昭和40年6月号より転載)
俳句入門 HOWTO本の多くは、「これはいけない、あれはいけない、こうしなければならない…」風のものが多い。とかくこうした理論から入って行くとだんだん句を詠むのが苦しくなる。一句得たり…と思いついても、そこからあれこれと知識のフィルターにかけて体裁を考えなければ完成しないからだと思う。
俳句 HOWTO本の原点ともいえる、 正岡子規著「俳諧大要」には、そんな小難しいことは一つも書かれていない。現代語で書かれていないのでとっつきにくいかもしれないけれど、是非一読して欲しいです。
たまたま WEB検索で「俳諧大要(意訳)」というページを見つけたので、これをベースにして一緒に勉強していきましょう。まずは、「第五 修学第一期」からの抜粋です。 さらっと通読してから改めてゆっくりと深読みしてみてください。きっと何枚か鱗が落ちると思います(^o^)
二ヶ月前の四月九日に、みのるの恩師である小路紫峡先生(俳誌ひいらぎ主宰)が帰天されました。心から哀悼の祈りをお捧げします。
先生のご愛を一杯いただきながら、結社を離れてしまった不肖の弟子のぼくですので、入院中の先生をお見舞いすることは願っても叶わないことでした。 悔いても詮なきこと、いまはただ祈ることしかできません。
今年の二月一日付でいただいた紫峡先生からの最後のお手紙に、詩友紹介への感謝と「ペンネームでもいいのであなたも投句なさい」という温かいお言葉が記されていました。もとよりそんな勇気はありませんでしたが、改めて紫峡先生の寛大さを覚えて胸が熱くなりました。
先生の遺言となったそのお手紙を繰り返し読みながら、新約聖書ルカの福音書15章に登場する放蕩息子の姿が浮かび自分と重なりました。神さまの全き愛を伝えるために、イエス・キリストが語られた喩え話です。 自分が継ぐべき財産を先取りして家を飛び出し、放蕩三昧のあげくに浮浪者然にまで落ちぶれて家に帰ってきた息子を大喜びで父が迎えるというお話です。
GHはこれまで、いかなる結社とも関わりをもたないと決めて運営してきました。無用なトラブルを避けたかったからです。それゆえに GHを卒業して結社に入会される場合は、GHとの掛け持ちをしないことと、GHと関わりのあったことは決して他言しないようにとお願いしてきました。
GHとの関わりが原因で結社内で不利な扱いを受けたり、進むべき方向に迷いが生じたりすることを危惧したからです。ところが、いつの間にかそのことが紫峡先生のお耳にはいったようで、お気遣いの手紙をくださったのです。そのお便りの末尾には次のようなお言葉が記されています。
私は今年の十二月二十四日の誕生日にて満九十歳となります。後世のための作家育成の最後となります。貴方にこのようなお便りを書きますことも神様のみちびきと考えております。
このお言葉からは、九十歳の誕生日を機に智壽子夫人にひいらぎ主宰を禅譲されるおつもりであったことが伺えると同時に、「みのるさん、あなたも後世の人たちのためにしっかり奉仕しなさいよ」という先生からの遺言にも思えるのです。
かつて紫峡先生は、「ひらぎはかつらぎの二軍道場」 だといわれました。優秀な作家を育てて青畝師が主宰であられた「かつらぎ」へ送り出すことを使命としておられ、みのるにも期待をかけてくださいました。その御恩を忘れないためにも、先生が注いでくださった情熱をぼくも継承したいと考えて GHを立ち上げたのです。
今後も、紫峡先生のご遺志を受け継ぎ「俳句二軍道場」として、GHの運営を続けていけたらと願っています。
共有日記のページを新しくしました。
投稿時に削除キーをセットしておくことで記事の修正と削除ができます。
アップできる画像はファイルの容量が1 MBまで制限されます。スマホなら多分そのままでも大丈夫ですが、デジカメで撮ったものは、幅で1,000ピクセル以下になるようにリサイズしないと「容量オーバー」で蹴られます。
ミニ吟行日記の感じで、吟行地でスマホで撮った写真とともにアップしてください。お庭や近くの公園などで見つけた野草などを紹介ていただくのも嬉しいです。
使い方の注意点として、できるだけ日記風(つぶやき)の投稿内容にして、原則、個人同士のやりとりはなるべく避けます。つぶやきは共有日記へ、コメントがほしい発信は談話室へという具合に住み分けして使いましょう。
以前の共有日記に投稿してくださった記事は、みのるが転記したので、修正、削除はできません。
積極的にアップして盛り上げて(もりあがって)くださいね。
6月21日の定例句会は、甲子園球場横の網引公園(あじさい)を予定していましたが、句会場へ移動するための利便性がややわるいので、尼崎市の農業公園に変更したいと思います。既に下見をされた方がいらっしゃたらお許し下さい。
入園料は無料、紫陽花が見ごろ、花菖蒲がギリギリという感じかと思います。お天気ならお弁当持参で…
※行き方 JR宝塚線の「猪名寺」駅東側から阪神バス利用「田能西」下車徒歩2分 210円 阪急神戸線の「園田」駅北側から阪神バス利用「田能西」下車徒歩2分 210円 猪名寺駅からは徒歩で18分程度です。 猪名寺駅からタクシー利用で900円程度、阪急園田からだと1,600円くらいです。 ・能勢、宝塚からは JR宝塚線「猪名寺」からバス利用(所要8分) ・大阪、神戸からは阪急三国駅からバス利用(所要10分)できるようです。 ・いずれも阪神バス20系統、1時間に2本しかないので時間に注意 ※バス時刻表 阪神バス JR猪名寺発 東園田(20)方面 8 15 41 9 13* 36* 10 11* 34* 阪神バス 阪急園田(北)発 JR猪名寺(20)方面 8 20 48 9 14* 50* →みのるは、9:14に乗る予定です。 10 9* 46* 阪神バス 田能西発 東園田(20)方面 11 11* 38* 12 11* 38* →帰りは、12:11に乗る予定です。 *印は、ひまわりバス
イベント情報の掲示板が使いにくいのでリニューアルしました。
以前使っていたものをベースに改造したものですので、使い勝手は慣れておられると思います。セキュリティーも向上させました。
ロボットスパムからのアクセスを防止するために、新規投稿とコメント返信を書く場合のみ、暗号キーとして四桁の数字(西暦)を入れなければなりませんが、一度記事を書くとどの環境から投稿したかという情報を自動取得して記録します。そしてその同じ条件からのアクセスであれば自由に編集、削除ができます。
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