合評会で勉強していると、表現テクニックもさることながら何よりも素直に、且つ具体的に感じることが大事なんだということを改めて教えられる。
何でもない平凡な情景であっても、心を無にして観察していると、ふと感動がわきあがってきて天啓のように一句が授かる。俳句というのはそういうものなんだと思う。俳句の目や心が養われていないとせっかくの出会いがあっても見過ごしてしまう。
今日の動画、「椰子の実」は紫峡先生がお好きな歌で、30年まえ、ひいらぎの記念大会で全員で合唱したのが懐かしい。
腰痛対策のために早朝ウオーキングを始めたのが6月からでした。
6時30分を過ぎると陽光が差し始めて暑くなるので5時に起床してお茶を飲み、簡単なストレッチをしてから団地のなかの平坦な道を選んで小一時間ほど早足で歩きます。このところはすっかり涼しくなってとても気持ちが良いです。
団地のはずれまで歩くと遥かに明石海峡を望む見晴らしのよい公園にでます。そこが早朝散歩組の会所になっているのです。
犬は犬同士、人は人同士、思い思いに存問を交換しています。平和であることの安らぎを実感する場所ですね。
広島の実家の周辺にはまだ稲田がたくさん広がっていて、ウオーキングしていると稲雀たちが驚いて一斉に翔びたちます。
その雀たちの様子を観察していると、ふと聖書の中に出てくる「一羽の雀」の話を思いだした。
「空の鳥を見よ、蒔かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ」(マタイ6:26) 「その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはありません」(ルカ12:6)
一羽の小さな雀の命さえも、神様は覚えて心にかけていて下さる…というのです。弱い私たちも誰かに覚えられ祈られていると思えば勇気が湧いてきて耐えることが出来ます。けれども残念ながら人はやがて忘れます。
でも聖書は、「人は忘れるが、神は忘れない」と教えています。
『どんな時にも決して忘れない』これが本物の愛なんですね。
昨日の合評会は台風の影響で強い風雨のなかでしたが、9名の参加で感謝でした。
二回目になる今回は、進行の時間配分も上手になって、13時スタートで25句の鑑賞を終えたのは15時頃。そのあとゆっくりと珈琲タイムを楽しんで15時30分ごろ散会しました。
鑑賞の学びは継続することで成果が実りますので、来月(9月)はお休みにして、10月から第2週の火曜日に固定して毎月開催にしたいと願っています。
場所は神戸文学館、時間は13時〜という設定で再開したいと思っていますが、皆様のご要望などありましたら談話室で教えて下さい。
昨夕、無事神戸に戻りました。
山陽道の左右にひろがる山々が遠くまで重畳と尾根を重ねあっている景は、まさしく「秋澄む」の感じでした。
今日は朝から生温い台風かぜ が吹いています。午後から神戸文学館での合評会に出席しますが、ちょっと心配ですね。
今朝の広島は少し雲がありますがまずまずのお天気です。
今日は午前中に品女さんを訪ねて、午後から神戸へ帰ります。
家内の実家の造りは農家仕様なので土間部分が多くあちこちに蟻地獄が見られます。昨日、物干し場の軒下に巨大なのを見つけました。地獄の主を存問しましたがよく見えませんでした(^^)
帰省中の実家から日記をアップしています。
今朝の広島は素晴らしい秋晴れになりました。いつものように早起きして朝散歩。
都会の街の朝散歩とは違って田舎のあぜ道を辿るウオーキングはとても清々しい。
空気が美味しい…というのは実感ですね。
歩きはじめて30分ほどたつと山の端から朝日が覗き始める。
稲田の面に朝日がひろがりはじめると一気に谷戸が明るくなる。
朝霧が山裾をつつむ嶺々の景はとても幻想的で目にやさしい。やっぱり田舎はいいなぁ〜(^_^)v
西日さすホームの端のエレベーター 明日香
新駅ではなくて古い駅に後付で設置されるエレバーターは何故かホーム端になることが多い。高齢者や身障者のための対策なのにと矛盾を感じるがやむを得ないのだろう。ホームの見通しが悪くならないようにシースルーになっていて強い西日にさらされている。それでも利用しないわけにはゆかないのである。
原発と原爆とは直接は無関係であるが、核の恐ろしさという点では共通している。戦後70年核戦争の悲惨さは今なお声高に語り継がれているのに、被災後まだ数年しか経過していない東北大震災での原発事故のニュースははや風化して軽率に再稼働が推し進められている。矛盾と虚しさが募るのである。
夕端居しながらおばあちゃんとお話している幼いお孫さんの姿が浮かぶ。”何で? どうして? それから?” と、幼子の好奇心は尽きることを知らない。幼子にもよく分かるようなやさしいことばを使って説明しないと、ことば自身がまた新しい疑問を生むのである。
爪弾きの意味は、嫌悪・軽蔑・非難などの気持ちを表すしぐさ…というのが一般的な使い方であるが、具体的には、人さし指や中指を親指の腹に当てて強くはじくことをいう。畑の西瓜を収穫するのにぽんぽんと指で弾きながらその音を確かめて穫りごろかどうかを判別するのである。
尿は、「しと」と読む。セミを捕えるのに失敗すると逃げざまに「尿」をかけられることが多い。俗に「仕返しにおしっこをかける」などと子供たちの喧嘩でいわれるのはここから来ているのかもしれない。経験した人にしか理解できないがその滑稽さに思わず苦笑するのである。また、「セミのおしっこ」はほとんど水で有害物質はほぼ含まれないそうだ。
今朝は一朶の雲も見当たらず、まさしく秋晴れとなった。
イヤホーンラジオを聞きながら日課の早朝散歩。戦争体験者の証しを特集していた。
特攻兵士のまま生き残った方の肉声の叫び(録音)には特に心を打たれた。その生涯を遺族の問安行脚についやされたという。運命のいたずらとは言え彼にとって生き残った人生はどんなにかつらかったことでしょう。ラジオを聞きながら平和な時代に生まれた自分をつくづく幸せだと思った。息子や娘、かわいい孫たちの時代のためにもと祈らずにはおれない。
写真はみのる庵のお庭のレモン。順調に太ってきているようだ (^^)
早朝ウオーキングをはじめて2ヶ月経ちました。
暑い時期は朝日が出るまでに家に帰り着かないと熱中症が心配なので、5時おきして小一時間歩きます。
鰯雲を染めて東雲明りがひろがりはじめるころ家に到着、シャワーを浴びてからモーニングをいただくのが日課です。
待望の雨が降って昨夜は久しぶりにエアコンなしで眠れました。
今朝のウォーキングもとても爽やかでした。
その朝のウォーキングの公園で数日前にコゲラを見たのですが、突然昨日お庭のバードバスに夫婦で水浴びにやって来ました。
キツツキの一種なのですがコゲラは都会の森にも生息する種類です。
今朝、お庭でシジミチョウを見つけました。
連日の猛暑にうんざりという気分でしたが、ようやく早朝は少しホッとできるようになりました。
ふと足元を見るとなにやらちらちらと舞ってはまたとまる物体を発見… 紛れなく立秋ですね。
なんだか幸せな気分を頂きました。 俳句は愉しい…(^^)
吟行とはなんぞや? と問われるとなかなかひと言では説明しにくく、また吟行体験のない人にそれを説いても理解を得るのは難しいかもしれません。要するに理屈ではないからです。
吟行を知るには経験が必要だと思います。
吟行に出かけてもなかなか句が詠めないからと諦めてしまう人が多いですが、苦しくても忍耐して吟行を重ねその極意を会得できたとき、あなたは本物の俳句ライフに出会うことが出来ます。
少し長いですが、虚子著の「俳句読本」に吟行について触れた箇所があるのでご紹介しましょう。
吟行というのは句を拾いながら山野を歩くことであります。 「行く行く沢畔に吟ず」といった昔の支那人もありますが、 この頃になって吟行ということは非常に盛んになって参りました。 写生ということが盛んになってきた自然の結果であり、 昭和時代の俳句界を特色づける一つの著しい行動であります。 吟行をすると自然が目の前に展開して、私達の想像もつかない珍しい景色を次から次からと見せてくれます。 私達の心は驚喜してわくわくして、一々それら自然の姿を眺め、 一本の草花でもその茎のなよなよと曲がっている容子、乏しい花のあわれな有様に心をとめます。 その吟行に出掛ける人の気持ちは、すでに出掛ける時から緊張しているのであります。 天然自然に接触して、その天然自然の何らかの新生命を把握して、 吾こそ立派な句を作ってみようと志して出掛けるのであります。 景色は、むろん好い景色に越したことはないのでありますが、 しかし悪い景色であった場合にもかならずしも失望することはないのであります。 どんな悪い景色でも、そういう心持を持って出掛けていった私達には、 自然がかならず何らかの新しい現れを以って迎えてくれるものです。 甚だしい時になると、私達自身の庭よりも、もう少し悪い景色にぶつかる場合があります。 けれども、私達の庭は朝夕見馴れているのでその風物が格別の刺激を与えない。 また与えることを予期してもいない。 しかしかく吟行に出ると、何らかの刺激を要求して山川草木に接するのであります。 山川草木は姿を正し、形を改めて私達に接する訳であります。 私達の心持はまたその物に集中して何らかの新生命をその物から獲得しなければ承知できない執着を以ってそれに対するのであります。 ですからたといその景色はいくら粗末な景色であっても、一本の痩せこけた菊なり、 また生気のない芒なりであっても何らかを私達に呟くようになるのであります。 そこにこの吟行にいって実際に写生をする、ということの本来の使命があるのであります。 のみならず、かつて私がある処で講演した時にいったことがありますように、 この二十人なり三十人なりの人が同時に同じ山野に散らばり、同じ景色の前に専心に句作しているというその態度を見ますと、 私はふと殿堂にはいって神の霊像の下に跪拝(きはい)している人の様子を連想するのであります。 別に神というものは吟行の人々の前にはないのでありますが、 ただ自然というものにきわめて忠実でありまして、その自然の姿を尊重し、微妙な消息を受け取ろうと願っている心持は、 あたかも神の前に跪拝している人々と同じような消息があると考えるのであります。 吟行は一人でも出来ますが、多くの人の同行する場合が多うございます。 一日のこともあり、半日のこともあり、僅々数時間のこともあります。 かくして得たる句は、茶店の一間か野寺かを借りて、そこで互選披講します。 吟行というものは「俳句は花鳥諷詠である」という主義の下に魂をうち込まれたところの一つの大きな現れであります。 俳句は花鳥諷詠に重きを置くものではないという考えの人々は、今でもこの吟行というものを軽蔑している傾きがあります。 それらの人々は私達の眼から見ると、悲しむべき迷路に立っているのもと思われますがしかし致し方がありません。 俳句は花鳥諷詠の文学なり、という事を強く意識することによって、 はじめてこの吟行というものの使命が明らかになってくるのであります。 吟行は春曇りの時、秋晴れの時、何時でもよろしいのであります。 炎暑の時分、酷寒の時分、何れもまた結構なのであります。 景色の絶佳なる所も好く、気色の悪い所も好く、また気候の如何なる時をも問わないのであります。 高浜虚子著「俳句読本」より
夏の洗濯物はふつう日の傾いた夕方にとり込むのであるが夕立が来そうだという予報。所要ででかけるので午後一番、灼熱の陽がさしているけれどもやむ無くとり込むことにした。からからに乾いた干し物に触れたとたん想像以上の熱さに驚いたのである。
広島市に流れる川は主に6つの川があり平和公園を挟んで本川と元安川がある。原爆が投下された日、被曝された多くの人々が水を求めてこれらの川辺にうち重なって倒れ伏していたという。その様は、さながら地獄絵図をみるようであったと思う。記念日のこの日、平和をとり戻した町川は嘘のような静けさでゆったりと流れている。式典に集う多くの人たちは、この平和が永遠につづくことを祈るのである。
若い頃に郷関を出て慌ただしい都会の生活に日々追われ、故郷の友人たちとも疎遠になっていた。長い年月を経てじつに久しぶりにふるさとの夏祭りに帰省することができた。幼なじみたちはみな老いて好々爺になっていたがすぐに打ち解け、あいたがいに不沙汰を詫びつつ若き日にタイムスリップして大いに盛り上がるのである。
大きな河の中洲で花火が打ち上げられているのであろう。対岸のあたりが一等地で芋の子を洗うように多くの人が詰めかけて川堤を埋めている。漆黒の闇が川面を包み始めるといよいよ打揚げ花火もクライマックスを迎える。大輪の花火が炸裂する瞬間だけ対岸に犇めく見物客のようすが映しだされる。人々はみな仰向いて一様に花火を見上げているのでその並んだ顔が少し滑稽に見えたのである。花火を説明せず人々の表情に焦点を持ってきたことで新鮮な句となった。
川端康成の小説「雪国」の冒頭の一節、『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』を連想させるフレーズである。このトンネルを抜けると懐かしい故郷の里山が展けていることはわかっているので自ずと気分が高揚してくる。ようやくトンネルを抜けるとほつほつと点る谷戸の灯が見えはじめる。そしてトンネルの中よりも暗いのではと思うような漆黒の空を仰ぐと満天の星が煌めいて帰省子の吾を歓迎してくれているかのような喜びに満たされるのである。
耳をつんざくような爆音とともに豪快な航空ショーが繰り広げられている。おりから鎬を削るかのようにたくさんの雲の峰が蒼天高く立ち上がりいよいよその興奮を盛り上げているのである。その雲の峰を貫くように長い飛行雲の尾を描きながら飛びさる戦闘機は、さながら雲の嶺々を従えているかのように思えたのである。
俳句は言葉あそびではなく立派な文芸作品であるとぼくは信じている。
桑原武夫が、短詩型文学を小説や戯曲に比してより質の落ちる遊戯的な「第二芸術」であるとした論は有名であるが。芸術であることを否定はしていないので、逆手にとれば芸術であることを認めたことになる。堂々と芸術であることを主張し、その精神を後世に伝えていくためにもわたしたちはその品位を疎かにしてはいけないと思うのです。
高浜虚子著「虚子俳話」の中で虚子の目指す俳句精神について触れた俳話があるので紹介しましょう。
俳句は品格を尚とぶ。文芸といはず一般の芸術品は品格を尚とぶ。 如何に結構が雄大であつても、如何に精巧極めたものであつても、 品位において欠くるところのものには十分の尊敬を払ふ事は出来ぬ。 俳句も亦た然り。 長い戯曲小説の類であると他の面においてその長所を発揮する余地が十分にある。 品位如何のみを以て論ずる事は出来ない。 然し俳句の如き短い文芸にあつてはその品位といふ事が大いなる権威を持つ。 私等が昔、月並俳句に接した時、先づ品格に欠けてをる事に眉をひそめたものである。 それは人の俗情に訴へる事の如何に多いかといふ事であつた。 人事を詠ずる事はややともすると月並俳句に陥り易い。 花鳥風月は俗情に遠い。 人事は俗情に近づき易い。 もつとも品位といふ事はその事のみを以て論ずべきではないが……。 品格ある俳句の多く世に出でん事を望む。 高浜虚子著 「虚子俳話」
「人の俗情に訴えた句は品格に欠けた作品になりやすい」と戒めています。心象や主観の克った詠嘆もまたこの類に属するとぼくは思います。
虚子の云う「花鳥風月」というのは自然写生のことです。
人事句が月並みに陥りやすいのは季語の選択が難しいからです。憑きすぎると陳腐になり、離れすぎると季語が動きます。その点、花鳥風月(自然写生)は四季の変化を詠むのでそのリスクが少ないと諭しているのです。GHで学ばれる方に、心象句や人事句を詠まず自然写生を…と繰り返しお勧めしているのもこの虚子俳話と同じ理念です 。
僕が師事した阿波野青畝先生は若い頃は抒情の句を志しておられました。高浜虚子の提唱する客観写生に不満を抱かれた青畝師は、そのあつい思いを虚子宛の手紙に託されたのです。
これに対して虚子は、「写生を修練することはあなたの芸術を大成するために大事なこと、他日成程と合点の行くときが来る」と返書で諭されました。
虚子の教えを信じて写生の修練に精進された青畝俳句は後に次のような評価を得ています。
人事句や心象の句を好まれる方は多いです。けれども写生の基礎が身につかないまま詠まれたそれは、たいてい一人よがりで陳腐な月並俳句になりやすいです。
青畝師はまたこんなふうにもおっしゃっています。
私の若いときは俳句で主観とか客観とかいうのがはやったんですわ。 だけど主観とか客観とか分けて言うのは間違いだと思うね。 私はよく手を出してね、この手が主観であり客観なんだといいます。 しかも客観は手の甲、主観はてのひら、この手を握りしめれば、手のひらは内側に隠れて主観は見えなくなる。 というように説明していますが、主観と客観は便宜上分けて言っているのであって、別々のものではないんです。 それを別々にしたら死んでしまいますよ。
つまり、客観写生の中から隠された作者の小主観が滲み出る…そういう写生術を訓練しなさい。とおっしゃっているんです。
客観写生を目指していると必ず、「報告」と「写生」とはどう違うのかという壁にぶつかるものです。うまく説明できませんが、写生しようとするまえにその情景に感動や驚きといった作者の主観があることが前提だということではないでしょうか。感動もなにもない情景を写生してもそれはただの報告ということになるでしょう。
句会では、兼題といって予め季語とかキーワードを決めておきそれで句を詠むというものもあります。これを題詠といいますが、どうしても頭で考えて句を作るという悪癖がつきやすいので、初学のうちはあまり深く関わらないほうがいいと思います。
高浜虚子の著「俳句読本」のなかに写生について書かれた箇所がありますので転載しておきます。
写生とは実際の景色を見て句作することであります。 秋雨の降っている日であれば、縁側か庭かないしは表へでて、 実際秋雨の降っておる中にたたずんだり歩いたりして、目に秋雨の降っておる容子を見、 耳に秋雨の降っておる音を聞き、それらの景色を十七字に纏めて見ます。 十七字にならぬ景色は打ちすてて、だんだんと新しい景色を尋ねて歩きます。 けれどもむやみに歩きまわるのは心が散ってよくありません。 一つの景色でもじっと見ているうちには、心が澄んできて、いわゆる心眼が明らかになって、 今まで気がつかなかったものが見えるようになってきます。 そうしてどうやら十七字に纏まりかけてくるものです。 またじっと見ておるうちには何らかの変化が自然のうちに起こってきます。 たとえば、一枚の木の葉が落ちるのでも自然の変化です。 題詠だと、かつて見た景色を回想するのですから、それは頭に強く印象したもの残っている筈です。 だから題詠で作るほうが選択された景色を詠ずることになっていい句が出来なければならぬという考えも起こります。 一面の真理でありまして、人により場合によって題詠の時にいい句ができることもあります。 けれどもまた、実景に接していますと、瞑想ではとても想像のつかぬ自然の姿が目に映ってまいるものであります。 高浜虚子著「俳句読本」より
この詩を読んで思わず笑ってしまいましたが、決してふざけた気持ちで書かれたものではありません。想像を絶する苦難との戦いの中からキリスト教信仰に出会い、生きる希望と生かされている喜びを見出された星野さんの賛歌なのです。
「雨にも負けず風にも負けず…そうゆうものに私はなりたい。」という宮沢賢治の詩は有名ですね。
清貧に生きる… ことはとても大切だと思いますが、結局人間はどんなに高い志を持って努力しても誘惑に負けてしまう。そうゆうものになれない… 弱い存在なのではないでしょうか。
星野さんのこの詩は、人が生きるとはどういうことかということを深く考えさせられます。そして次のようなメッセージを私たちに投げかけているとぼくは思うのです。
・自分自身の弱さを認めて神様のご計画に委ねる。 ・自分ではできないことも神様が助けて下さればどんなことでも出来る。 ・たとい人間的にはどん底にみえても、神とともに歩む人生は可能性のある人生であるから、肯定的、積極的人生を歩むことが出来る。
私は、私を強くして下さる方によって、どんなことでもできるのです。 (ピリピ章4章13節)
※こちらは本物の宮沢賢治の「雨ニモマケズ」です。
黙祷の一分間や蝉時雨 みのる
この書は、定年後にご縁のあった甲南学園で懇意にしてくださった図書館長が退職記念にと書いてくださったものである。
我が妻は被爆二世やヒロシマ忌 みのる
家内が広島出身ということもあって毎年この日は特に感慨深く迎えています。
人生の伴侶として俳句を楽しむためには吟行で詠むという習慣をつけることが最良の選択です。
気心の知れた数名の仲間と一緒に吟行するのが一番楽しいですが、二人吟行、一人吟行というスタイルもあります。
大切なことは、時間を決めて必ず小句会をすることです。限られた時間内で決められた句数を詠むというノルマを課すことになりますが、そうしないと緊張感のないお喋り吟行になり結局一句も物にできないということになりがちです。
少人数であれば特別な句会場を確保する必要もなく、四阿や喫茶店の隅でも十分です。二人吟行なら木陰のベンチで互いの句帳を見せ合うだけでもいいでしょう。3、4人の句会なら手際よくやれば30分かかりません。
ぺちゃくちゃお喋りしながら吟行するのは楽しいものですが集中できないので表面的な浅い写生になりがちです。基本的には単独行動で吟行するスタイルのほうがよいでしょう。エリアを決めておいて吟行し、1時間後に◎◎で集まりましょう…という風に決めて小句会します。このパターンを時間の許す範囲で繰り返すと良い訓練になります。
多人数では無理ですが少人数なら以下の様なプランを試すことができます。多作に慣れてきたら7句とか10句とかにします。考えたりひねったりしていると時間内に句が揃わないという条件下で訓練することが大事なのです。作品として仕上げる作業は家に帰ってから季語が適切かどうかなどを冷静にチェックし、ゆっくりと推敲すればいいのです。
10:00 現地集合 10:00~11:00 エリアAで吟行(5句以上無制限) 11:00~11:30 小句会 11:30~12:30 エリアBで吟行(5句以上無制限) 12:30~14:00 食事&小句会 14:00~15:00 エリアCで吟行(5句以上無制限) 15:00~16:00 小句会&コーヒーブレイク(反省会)
吟行時間を長くとって2回というプランもありです。でもその場合は7句以上無制限…というふうに条件を厳しくしましょう。ただ実際に体験してみると7句で2回より、5句で3回のほうが気分的に楽だということがわかると思います。
また、人数が6〜8名になるときは、AグループとBグループにわけて句会し、句会ごとにメンバーを入れ替えるというような工夫をしても愉しいです。句会の清記はそのまま「みのるの後日選」に送るといいです。
よい句を詠もうと構えると句数が確保できません。最初は報告になってもいいのでひねくらないで忠実に写生することを心がけます。これは考えて詠む…という悪癖を払拭するための訓練です。繰り返しこの訓練をしているうちに句数を確保することに対する不安を感じなくなり、吟行にさえいけば何とかなる…という感覚が自然に身についてきます。まずここを卒業してから次にステップアップすればいいのです。
一人吟行の場合は残念ながら句会はできません。でも、エリアと時間を決めて5句、次のエリアでまた5句という感じで吟行することはできます。まる一日吟行に時間をあてられるのなら30句は詠みたいです。そして家に帰ったらその日に詠んだ作品を家族に見せて感想を聞くとよいでしょう。ひとりよがりな作風に陥らないために自分の詠んだ句意が第三者に伝わるかどうかというチェックをすることが大事なのです。言うまでもなくすべての作品を無料添削に送りましょう。
吟旅の場合は遠隔地や史跡などを選んでもいいですが、日常の吟行は移動に時間のかからない近場をホームグラウンドにする方がいいです。但し造形物や史跡がメインなところではなくて四季の変化が感じられる自然公園などのほうがいいと思います。枚方の山田池公園、千里の万博公園、大阪の長居公園(植物園)といったあたりがお薦めです。ぼくは紫峡先生の添削指導を受けていた5年間、ほぼ毎週自宅から15分で行ける須磨浦公園へ通いました。
得てして目新しい場所を求めて吟行したくなるものです。確かにそのほうが詠みやすいという一面もあります。でも、同じ場所で繰り返し吟行することで四季の変化を敏感に感じとる感性が養われ、しっかり足元を見つめて対象物を観察するという吟行の基本姿勢が身につくのです。
脳天へ錐揉むごとく蝉しぐれ ぽんこ
森林公園などを散策するとまさにつんざくような蝉時雨に出会うことがある。高木の上から脳天めがけて襲い掛かるかと思うほどの激しいそれは、まさに錐揉むような感覚がしたのである。
鬼瓦強き西日を避けられず 宏虎
どこに置かれてある鬼瓦なのかは定かではないが、ふと見上げた屋根のそれではないかと思う。強い西日をまとも食らった鬼瓦の忿怒の表情に滑稽味を感じたのである。
船頭の棹さし唄ふ声涼し 豆狸
水郷めぐりかあるいは花嫁舟かもしれない。ゆっくりと棹をさしながら代々伝えられた船頭唄を口づさむその声は川風にのってより涼しさを感じさせるのである。
電柱の片陰さえもありがたき さつき
猛暑の白昼に出かけるのは避けたいのであるが、やむを得ない用事や営業マン等の場合はそうも言っておれない。僅かな電柱の片蔭に寄り添うようにして汗をふき水分を補給するのである。
栗の花匂ふ能勢路の峠かな ともえ
能勢は古くから栗の産地で、昔は大阪池田へは出さず、一旦亀岡に出て丹波の栗とともに京都へ出荷されていたという。シーズンには栗の花が咲き誇って里山の麓を埋め尽くし、谷戸を一望できる峠道までもその仄かな栗の花の香りが匂うのである。
最近、添削で学んでくださる方が増えてきました。とても嬉しいです。
ただ約束違反になっているケースが多いので改めて説明しておきましょう。GHが写生の修練にこだわっているのは、青畝先生の俳句の心を継承したいからです。添削で学ばれる方は、必ず青畝師の俳話をお読み下さい。
添削の約束(ルール)は、無料添削のページにも詳しく書いてあるのですが、知らず知らずのうちに意識が薄れるのかもしれませんね。ぜひもう一度読み返して下さい。