いよいよ来週は第一回の勉強会が始まります。僕も昔を思い出しながら予習に励んでいます。なんだかワクワクしますね(^^)
ひかりさんのお世話で神戸文学館のサロンが無料で利用できることになりました。申し分ない環境で皆さんと一緒に勉強会が出来ますことほんとうに嬉しいです。
いまのところ吟行句会の開催されない1月、2月、7月、8月に実施する予定なのですが、もし可能であれば毎月開催にしたいと願っています。残念ながら日時を固定して会場を確保することは難しいので、どちらにしても変則日程になると思います。
参加したくても参加できないという方も多いと思うので勉強会の様子は、できれば記事にして公開したいと思っていますが、うまくゆくかどうかは未知数です。
みなさんが積極的に秀句研究に参加してくださるようになって GHも活気が出て来ました。嬉しいですね。
小気味良く切れ味鋭い鑑賞文を書くのは意外と難しいですよね。でも文章も訓練を重ねると上手になるそうですので楽しみながら続けましょう。
俳句鑑賞の基本は、直訳だけに終わらず連想を広げて意訳するという事がポイントです。つまり客観写生に包み隠された作者の小主観を感じとることが大事なのです。いよいよ勉強会もはじまるので具体的な俳句鑑賞の心がけについて説明しましょう。
最も重要なのは揚句のなかで詠まれている季語について必ず考察し、句の構成の中で季語がどう働いているのかについて言及しましょう。季語を深く考察することでその本質を学ぶことができます。季題や季感を無視した感想は俳句鑑賞とはいえません。
連想を広げて鑑賞するのはよいことですが決して原句の季節、季感から逸脱してはいけません。 季感が動くような鑑賞は間違った解釈になります。具体的に説明しますと例えば夏の句の鑑賞で、"暑い夏でも寒い冬でも云々…" というような表現をすると季感が動いてしまいますね。"どんなに暑い夏でも…" というふうに句の季感から逸れないように鑑賞しましょう。
連想を広げてゆくと一篇の小説にまで発展するようなそんな句もあります。これが俳句の楽しさであり奥の深さの所以ですが、未熟なうちはややもするとひとりよがりになりやすく、かえって陳腐になるのであまり飛躍しすぎた連想は控えたほうがいいでしょう。せっかく瞬間を写生した佳句なのに時間をひきのばして間延びした連想を展開するというのは言わずもがなです。
他にも注意すべきポイントはあると思いますが、上記の基本的なことだけ覚えておけば十分です。正しい鑑賞術が身についてくると選句、作句のレベルが一気に向上します。他の方の鑑賞文を読むだけでも良い勉強にはなりますが、自分で鑑賞文を書かなければ身には付きません。ぜひ勇気を出して秀句研究に参加してください。
今朝は随分久しぶりに青空が広がり一斉にクマゼミが啼きだしました。近畿の梅雨明けはまだみたいですがどちらにしても近そうです。
一週間ほど前からブルーベリーの収穫が始まりました。例年5kgほど穫れます。みのる庵のブルーベリーは完熟一歩手間で収穫します。完熟までまつと鳥さんが先に食べてしまうからです。わが家ではブルーベリーソースにしてヨーグルトのトッピングにしたり、パンに塗ったりして食べます。完熟手前で収穫すると適度に酸味が残っているのでソースを作るには好都合なのです。
冷やして生食するには完熟が一番美味しいです。孫の亮君(3歳)はブルーベリーが大好きで、週末お泊まりにきたときに20粒ほどお皿に入れてもらって幸せそうな顔をして食べています。
句を構成する字配りについて推敲することは表現上のテクニックといえます。漢字とひらがなの使い分けはどちらでもいいように思われがちですがあながちそうではないのです。
どちらかというと漢字は自己主張が強く、ひらがなはその逆だと思いませんか。その特性をうまく利用すると強調したい主役に漢字をあてて、ひらがなには脇役を分担させるというふうな字配りをすることでより深みのある表現になります。脇役の役目は自らは決して目立たず、主役を活かすために不可欠な存在ということになるでしょうか。
青畝先生や紫峡先生の作品はもちろんのこと、品女さんや加代子さんの作品からでもそうした配慮を汲みとることができます。秀句研究のときもそうした視点も含めて鑑賞するとより深く味うことができます。紫峡先生の第一句集『風の翼』から例を見てみましよう。
浜暑しだまつてゆけばなほ暑し 小路紫峡
やや極端ですが、「浜暑し黙つて行けば尚暑し」とするとどんな感じがしますか。理屈ではなく感覚的なものなので説明は難しいですね。好みの問題だともいえますが、少なくとも作者は意図的に字配りされたとぼくは思います。
漢字やひらがなの字配りを考えて推敲することはとても大切だということを覚えましょう。但し漢字だけで句を組み立てたり、難解な漢字をあてて新し味だと誤解しないように注意しましょう。これらは単にひとりよがりに過ぎずテクニックとはいえません。大抵は陳腐な月並み俳句になるのでやめたほうがいいです。
表現のテクニックというのは理屈で理解して覚えても決して使いこなせるものではありません。鑑賞の学びを重ねて自然に感覚として身についてこそ作句に活きてくるものなのです。
毎日句会への参加資格を承認すると、それを機に添削を中止してしまわれる方があります。残念なのですがその方の上達はほぼその段階でストップしてしまいます。毎日句会でもみのる選があるので、添削を受けているのと同じだと誤解されているのだと思います。でも実際は全く違います。
インターネット俳句は、モニターとキーボードだけで処理できるので手間がかからず、ゲーム感覚で句会を楽しむことができます。一方、添削はというとコピーした添削用紙に手書きし、封筒に入れ切手を貼りポストまで歩いて投函するという手間がかかります。しかもこれを毎週休むことなく継続するためには強い意志と忍耐も必要です。つまりネットで毎日句会に参加するのと郵便を使って手書きの添削を受けるのとでは、学ばれる側の姿勢が全く異なります。当然ながらその結果も違ってきてあたりまえなのです。
GHのシステムを有効に活用して短期間で上達を目指すのなら、ぜひ添削の学びを継続して下さい。この場合、添削に送る句を自分で選んではいけません。作られた俳句は全て添削に送って下さい。
一方毎日句会へは添削で○を得た作品のみを投句します。添削で○がつくのはこれまでの実績では1〜3割ですから、1日1句投句するには1周間に30〜50句程度を目標に詠んで添削に送るむ必要があります。投句する句がないときは選句だけという日もあるでしょう。添削句だけ投句するのですから毎日句会では安定した成績を得ることになります。その結果、投句した作品の結果を気にすることがほとんどなくなり、選句に集中するようになります。
この選句に重きをおいた毎日句会との関わりが、短期間で上達するためのキーポイントなのです。互選での高得点にはさほど意味がありません。自分の句を誰が選んでくれたか、誰がどんな句を採っているかに注意して復習してみるとこれまで気づかなかったことが見えてきます。コンスタントに好成績を得ている上級者は選句もしっかりしています。選句力が未熟なひとは月並みな言い回しに反応してしまったり、ことば遊びに翻弄されてしまって選が安定しません。
毎月数人の方から無料添削の申し込みがあります。この IT時代になぜメールでの添削に対応してくれないのか…と食い下がられるかたも少なくありません。でも、手書きと郵送にこだわっているのは、そうした手間をおしまないだけの熱意がなければ上達につながらないことを僕自身の体験で知っているからです。
秀句研究に沢山の方が協力して下さって感謝します。
感想文を書くためには、ただ単に句を読み流すのではなく何度も繰り返し読んで鑑賞する必要があります。その繰り返しによって自然に鑑賞力(選句力)が養われるのです。また、他のメンバーの感想文から学ばされることも多いです。
文章を書くことが苦手だという方もあるでしょうが、ぜひ勇気を出して挑戦してみてください。暫く続けて下さればきっと楽しくなるはずです。鑑賞の学びを続ければ必ず作句にも好影響を与えて上達します。
ぼくは皆さんからの Feedback を励みとして GHを運営しています。秀句研究に参加してくださること、談話室へ消息を書いてくださること等々はみな、みのるへのご褒美だと考えて欲しいのです。そうすることで GHは活性化され、自然に楽しい雰囲気を醸すサイトになって新しいメンバーも与えられると思うのです。
みのるの孤軍奮闘では限界があります。ぜひご協力下さい。
なんとなく悶々としている間に結局6月は一度も日記を更新していなかった。
いつまでも逡巡としている訳にもいかず、気分転換に秀句鑑賞を再開することにした。今回は、品女さんの親友であり、ひいらぎ時代によく一緒に吟行した南上加代子さんの句集から選んでみようと思う。
加代子さんは、大正10年生まれで今年94歳、青畝師のかつらぎ入門が36歳の頃である。数年前に脳梗塞に倒れられていらい入退院を繰り返された。一時は元気に回復されたので、みのる庵にもご招待して鍋をつついたこともあったが、残念ながらいまは認知がひどくなり面会もかなわない状況である。
頂いている句集には青畝先生が厳選された400句が所収されている。加代子さんもまた品女さん同様に身辺即時を詠むことが得意であった。GHの女性陣にとってよき参考になると思う。 全句を取り上げることは難しいかもしれないけれど、できるだけ多くの作品を紹介したいと思う。
読者からの feedbackも大歓迎なので協力していただけると嬉しいです。