今日の毎日句会互選トップの菜々さんの俳句を拝見して、俳句でいうところの「座」と「一期一会」の意味について書いてみたくなりました。
「俳句は座の文学である」という言葉は、俳句に関わる人なら一度は耳にされたことがあると思います。 でも、正しく理解するためにはもう少し補足説明が必要でしょうね。 個人的におつきあいは無いのですが、 曾呂利亭雑記 というサイトがあり、なかなか面白い記事が編集されています。その中の一部を引用してみましょう。
「俳句は座の文学」とは、もう大前提のように言われるテーゼである。「座」というのは正確には連歌俳諧を催す場のことであり、またそうした場をさす近代文芸学上の用語である。 従って、近代俳句を論じる際には正確には、「俳句は座で催された俳諧の性格を引き継いだ文学」というべきだろう。
曾呂利氏がこの記事の中でさらに説いておられるのは、『俳句はもともと連歌の発句の位置づけであったものを、子規によって一度俳諧の伝統から切り離され、虚子によって確立した。 「近代俳句」の論理が、無批判に俳諧の用語をつかってしまうことで見えづらくなるのではないか。』 ということで俳句について論じるとき不用意に俳諧用語を使うことを戒めておられる。 確かに一理あると思う。
また、同じブログ記事に中に、次のような興味深い引用もありました。
座は、文芸用語としては、連歌や俳諧を興行する際に、作者・宗匠・執筆(総称して連衆と呼ぶ)が、身分や地位を越えて一堂に会して詠じる場をいう。これは厳密には、永続的なものではなく、その時かぎりの、いわゆる一期一会の閉じられた機会であることを原則とする。
藤田真一氏執筆「古典文学研究のキーワード」『国文学』40-9号
一泊吟行は、ほとんどが顔見知りのメンバーなので一期一会という実感はない・・・と思われた方もいるでしょうね。 でも、上記の藤田氏の記事は、単に人間関係だけではなく、「俳句の座」そのものが一期一会なのであるということを明確に説明していると私は思います。
GHに限らず俳句を楽しむ人たちの年齢はきわめて高齢化してきています。 全員がいつまでも健康で交わりを続けられる保証は何処にもありません。 一人一人がその意識を持ってお互いを理解し協力しあってよき交わりをなし、 参加できることを感謝しつつ、一期一会のよき思い出を育んでいきたいですね。
今度の吟旅で一番嬉しかったのは、山口県、愛知県、但馬など遠方のメンバーが期待して参加してくださったことです。 そして、吟旅で互いにお近づきになれたことで毎日句会も一段と親近感が増しました。
20人以上のメンバーが二日間互いに切磋琢磨しつつ吟旅を楽しむという企画は簡単なようで難しいです。 どうしても成績が気になり、それによってときに感情のコントロールが乱されるからです。 吟行句会になれている方ばかりではなく、即吟が苦手という方もいらっしゃいます。 経験年数の違いなどもありますから、そうしたことがみのる選の成績に影響してきます。 けれども吟旅の目的は、決して成績を競うことではありません。
成績に一喜一憂するのではなく、個性的な作品作りを目指しましょう。
これはいつも皆さんにお話ししていることですよね。 吟旅での個々の入選数など私には眼中にありません。 この吟旅で何かを会得されたようだ、という確かな感触を皆さんの作品のなかから見いだしたときの喜び、これにつきるのです。
成績を気にしている間は、個性的な作品は決して生まれません。 なぜならどうしても選ばれやすそうな平均的な作風に終始することになるからです。
私は昔先生から、いつも新しさを求めて挑戦しなさい・・といわれていました。 句会で5句出句のとき3句は入選狙い(^.^) あとの2句はちょっと冒険して選者に挑戦。 というようなスタイルを続けていました。 冒険句がうまくはまって褒められたときは嬉しかったですね。 入選狙いも冒険句も全没という憂き目もときには味わいましたけれど(^.^)
今回特別参加させていただいた家内とお友達は、日頃は全く俳句をしません。 彼女たちはグルメと観光が目的で便乗しただけなので、極端にいえば互選もみのる選もどうでもよかったのです(^.^) 第一句会に全精力を傾けて句を詠んだ彼女たちは、第二句会のときには疲れて精神集中が出来なかったそうです。 吟行になれていない彼女たちは、なんとしても5句作らねば・・・という気持ちで必死に頭で考えて句作りをしていたからでしょう。
吟行は雑念を払い心を無にしてまず感動を見つける。次にその感動を17文字に翻訳するというプロセスの訓練なのです。 これになれてくれば、少なくとも吟行で疲れるということはなく気分転換ができてリフレッシュされるはずですね。
即吟が苦手な場合、吟行句会での成績は上がらないかもしれません。 でも、吟旅からかえってから推敲を重ねて佳句に仕上げればいいのです。 吟行で完成品を詠もう、作ろうとすると多作が出来ません。 明日香で訓練したように、たくさん感動して未完成でもかまわず句帳に貯めておくこと、 曖昧な感動では無くて具体的に感動すること、これが大事です。
第一句会のみのる選に一句転記洩れがありましたので追加しました。 まだ気づいていない洩れやミスタイプがあるやもしれませんのでお気づきの場合は教えてください。 また、後日選のうち遅れていたものを追加しました。 もし、ミスが無ければこれが最終版です。
トップページの感想文募集ページへのリンクを張りました。 吉野吟行みのる選の中からご自分のお気に入りの3句と感想文を送ってください。
応募の要領等は投稿ページに詳しく書いておきましたのでお読みください。 決して投稿を強いるものではありませんし、義務を伴う企画ではありません。 お気軽に応募してくだされば嬉しいです。 締め切りまでの期間であれば何度でも修正を受付しますので、その旨付記して追加稿をお送りください。
内容を一部修正したのですが、キャッシュが効いて新しいファイルがダウンロードされないことがわかりましたので、 ファイル名を変えました。 なお、原稿未着の方の選が抜けていますので、再度追加した段階でお知らせします。
感想文原稿の文字数カウンターを作りました。 まだテスト段階ですが、適当に文章を入れて試してみてください。 このプログラムは、単に文章の文字数をチェックするだけなのでメールとしての送信機能はありません。
昨年9月の明日香一泊鍛錬会では4回の句会で各10句出句というハードな訓練をしました。 参加してくださったメンバーに多作に対する恐れを払拭していただくことが目的でした。 句の内容よりは、とにかく必要数の句を詠んで揃えるということにみな必死でしたよね。 でも、二日間の体験を通して、”やればできる” という自信がついたと思います。
さて、今年の吉野吟旅では、吟行ポイントを絞って句を詠むという訓練を目的にしました。 このケースでは、心を無にし精神を集中して対象物を深く観察しなければ佳句を授かることは出来ません。 吉野の成績表を見直しながら昨年の明日香での皆さんの作品とを比べてみてください。 明らかに作風が違ってきています。
わかりますか? 明日香での作品はさらりとした表面的な写生が多いですが、今年の作品はそれぞれが「具体的に感じる」というテーマを克服しつつあるということです。 これは、個々の個性を育むという最終目標に対して大きな進歩なのです。
今年の訓練での課題はもう一つありました。それは出句を5句にしたことです。 むかしの皆さんであれば、5句揃えるのにも必死だったでしょう。 でも今回は、少なくとも7〜10句は詠まれてその中から出句する5句を自選されたはずです。 また同時に自分で推敲される時間もあったと思います。
じつは、これが吟行句会での正しい姿勢なのです。 自選の確かさと季感が動かないように季語を再チェックというプロセスが大切で、 成績の違いはこれらの作業のよしあしによって決まるとも言えます。
そんな話、吟行の前にしてほしかった・・・(^.^)
という声も聞こえてきそうですが違うのです。 苦しい体験をしたあとだからこそよく理解できるのです。 最後に吟行で苦しまないで作句する奥義を説明しましょう。 それは、吟行のとき一句一句を仕上げながら詠もうとせず、見て感じたことをどんどん句帳にメモしていきます。 とにかく心を無にして何かを感じることが重要なのです。
極端な場合季語が無くてもかまいません。 締め切り時間ぎりぎりまで吟行するのでは無く、少し落ち着く時間をとります。 そしてたくさんのメモの中からこれと思う作品を抽出して推敲し、語調を整え、季語(季感)をチェックして仕上げます。 そのときに、未完成であった作品を組み合わせることで佳句になるということも多いです。
昨年と今年との一泊吟行の体験を通して、みなさんは徐々に本物の吟行スタイルを身につけられつつあります。 これらの基本は体験を通して初めて得られるもので理屈ではないのです。 日常の吟行でもぜひこのことを覚えてくださると嬉しいです。 私が伝えたかったメッセージは以上です。
今回は、吉野吟行で得られたご自分の作品の中からベスト3を選んでください。 そしてそれらの作品にまつわる吉野での感動や吉野吟行であなた自身が学んだことなどを短く文章(1000文字前後)にまとめて、 作品と一緒にみのる宛メールで送ってほしいのです。 それらを編集して、吉野の思い出文集兼作品集にしたいと願っています。 ちなみに今日のみのるの日記の文章は、約1500文字です。
文章は苦手・・という方もいらっしゃるでしょうね。でも、おしゃべりは得意でしょう(^.^) おしゃべりの感覚で気軽に書いてくださればいいのです。 あなたは今回の吉野吟行大満足だったでしょうか? もしそうなら、みのるへのご褒美としてぜひご協力ください。
投稿フォームなどは、また用意しますので下書きを始めてください。 7月の GH定例までにまとめたものをプリントして配布したいと思いますので原稿の締め切りは7月10日くらいと覚えてくださると感謝です。
みなさま二日間の吉野の吟旅お疲れ様でした。いつもながら苦しくて愉しい旅でしたね。みなさんのご協力に感謝します。
今回の吉野一泊吟行は何かとても不思議な導きを強く実感した旅でした。 前日までの雨続き、当日も一度は上がるかと思った雨が石鼎庵ではまた降り出し、正直この段階で、”今夜の蛍は無理かも?” と半ばあきらめかけていたのです。 いやぁ〜〜よくぞ飛んでくれました(^.^)
翌日目が覚めると結構強い雨・・まぁ仕方が無いか、夕べ降らなかっただけでも感謝・・と思っていたら、 朝食が済んで滝見の時間になると、”うそ〜〜!” というくらい雨が上がって雲間からはお日様までさしてきました。 誰かが句に詠まれていましたが、水量たっぷりの元気な滝見が出来るようにとわざわざ神様が朝雨を降らしてくださったのですね(^_^)V
天好園の女将はすごく頑張ってサービスしてくれました。 実は今回特別参加させていただいた家内とお友達は、グルメと蛍とおしゃべりだけが目的だったのですが大満足だったそうです。 最近お客さんも減って天好園も経営不振だそうで、ぜひまたいろんな形で利用してほしいという女将の熱い気持ちがサービスに込められていたように思いました。 また、初冬に有志で牡丹鍋でも食べに行きますかね(^.^)
吉野吟旅みのる選のワードデーターをアップしておきました。 印刷して愉しかった吟旅の余韻に浸ってくださると嬉しいです。 室生寺のみのる選は、もう少し待ってくださいね。
成績表を分析するといろいろ愉しい一面が見えてきます。 第一句会で集中力を使い果たして第二句会では沈没した方、エンジンの掛かりが遅くてようやく第二句会、第三句会になって全開になった方、 みんなのお世話や気遣いで日頃の実力が出し切れなかった方・・・等々私にはそんなふうにみえましたよ。 この日のために日々研鑽し努力を積んでこられた方々は、きちんと成果が出たようにも思います。 吟行のためにいろいろと予習をしてくることはとても大事ですが、かえってその知識が句を詠むときに邪魔をすることがあります。 歴史や風土を踏まえた句というのは、何度も繰り返してその地を訪ねて実感を得て初めて詠めるものなので、 吟行の場合あまり史実とかにこだわらず自然体で出会った感動を詠むようにされた方がいいですね。
手前味噌ですが、GHの皆さんの熱心さとお人柄、さらには作品のレベルの高さとに家内は驚いていました。 冗談で、”そりゃあ何といっても指導者が・・・” と言いかけると、睨まれました(^.^)
今日の神戸は終日雨でした。傘を差して頑張って朝散歩しましたが夕散歩は雨がひどくなってきたので中止(^.^)
日記やみのる選へのフィードバックを催促したみたいになってごめんなさい。 余り気にしないください。 懸案のプログラム作成も終わったのでちょっと一息、明日からまた俳句モードに戻します。 来週の吉野も晴れは望めない感じの予報ですが、何とか降らずに粘ってほしいですね。
今日は右脳はお休みにして左脳を使いました(^.^) プログラム何とかうまく動いてるようです。まだ想定外のバグがあるかもしれませんが・・・
プログラミングは一見左脳の仕事のように思えるんですが、アルゴリズムを考えるときには右脳的思考になっているようなところもあります。 プログラムを考えるときはいきなり書き始めるのではなくて、コンピューターに作業させる手順のようなものを考えます。 大まかに考えて手順をさらに細分化していくつかの単純作業に分けます。 そして最後にこれらの小さいプログラムをつなぎ合わせて目的の作業をさせるというのがプログラミングの手順です・ このアルゴリズムを考えるのが愉しく、成否の分かれ道になるんです。
細分化された作業のためのミニプログラム(サブルーチンといいます)を書いては試運転し動作を確認していきます。 そうした繰り返しの後、目的の作業が自動化できたときの達成感は格別なんです。 プログラミングに疲れたら近くのカインズホームまであるいて、ペットコーナーに行きます。 今日はオカメインコの雛が餌をもらっていました。かわいいですね。お値段は60,000円也(゜Д゜)
メンバーの Tuさんは、みのるの日記によく FeedBackメッセージを送ってくださる。感謝です。
日記に書いたことやみのる選の結果が読者にどのように受け入れられているのかということはとても気になります。 だから、FeedBackがあるととても嬉しいですし励みになります。 また頑張ろう・・という元気を与えてくれます。 逆に反応がないとだんだん自信がなくなってきます(^.^)
談話室に書いてくださるのが一番嬉しいですが、FeedBackやメール、Twitterでもかまいません。 お気軽に感想を送ってください。
GHのホームページのページ数は数え切れないくらいたくさんありますが、 ほとんどが簡単なテキストファイルを書いたり書き加えるだけで、 あとはすべて Prelプログラムによって自動的に Web用ページが生成され自動的にサーバーにアップロードされるようになっています。
思考や情緒判断など人にしかできないこと以外の作業は、原則的にすべてコンピューターにさせる・・・ 且つその仕組みは限りなく全自動化する。 この目的達成のためのプロセスを考えるのがまた愉しいのです。
さて、実は全自動化で残っていた課題があります。 みのるの日記、毎日句会みのる選、毎日句会成績一覧などのページには、 すべて月ごとに過去記事へのリンクがあります。 月が変わるたびにすべてのページの過去記事リンクを書き直さなくてはいけませんが、 この作業がまだ半自動だったのです。
とりあえず、成績一覧の過去記事リンク生成を全自動化しました。 この仕組みがうまく動作するようなら、みのるの日記と毎日句会みのる選のページも全自動化を進めようと思います。
今朝、自動アップされた毎日句会成績一覧を眺めながら、改めて再スタート後半年がたったんだなぁ〜という実感を覚えました。
正直な感想ですが、1月頃に比べて最近の作品はすごくレベルが上がっていますよ。 個々の作品レベルもそうですが、何よりも互選の結果がずいぶん確かになっているからです。 眺めながら嬉しくてつい顔が緩みます(^.^)
地元の吟行ではなかなか句が授からない・・・というお話はよく聞きます。 でも私は、あえて地元の通い慣れた吟行地で四季折々の句を詠むという訓練法をお勧めします。
なぜ、見慣れた情景では句が詠めないのでしょうか。 それは、表面的に見えている事象だけで句を詠むという癖がついてしまっているからではないでしょうか。 あなたは、ほんとうに心が動くまでゆっくりと時間をかけて句を詠んでおられるでしょうか。 確かに新鮮な情景を見る方が感動が得やすいですね。 でも、それは薄っぺらで常識的なものが多く本物の感動ではないと思います。
見慣れた情景の中で忍耐し心が動くまで時間をかけて待つ
ぜひ、この訓練をしてみてください。 一句も授からないという日があっても、あきらめないでその場所に通ってみてください。 こうした訓練が必ずあなたの作風を変えることになることを私は保証します。
この吟行法は30年前の初学の頃、ひいらぎ主宰の紫峡先生に教えられました。 毎週土曜日になると須磨浦公園に出かけては半日吟行し、午後は家で推敲するということが5年ほど続きました。 紫峡先生に毎週50句は添削に送らなければならないからです。 須磨だから須磨の句を詠むという姿勢ではとうてい長続きしません。 句碑の辺に佇んでいるとふと笹鳴きが聞こえたり、潮騒が聞こえたり、潮の香りがしたり、また蹲って足もとに目を移すと蟻さんが活動しています。 蜘蛛の囲や毛虫、思いがけない小動物や植物の営みに出会うときもあります。 心を無にして注意深く感性のアンテナを張っていると、これまで気づかなかった発見はいくらでも転がっているはずです。
忍耐強い吟行訓練によって今までは見えなかったものが見えてくる、これが本物の写生術です。 こうした訓練ができてくると、吟行に出かけなくても生活身辺にも句材は限りなくあるはずなのです。 聖書に次のような言葉があります。
俳句に取り組む私たちの精神も同じだと、私は思います。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
俳句結社の習わしでは、互選よりも選者選の結果が絶対ということになっています。
でも GHは結社ではないですし、みのるも専門の指導者ではないので結社のような基準はありません。 互選の結果が全く無意味ということではありませんし、みのる選も絶対ではありませんのであくまでも参考にしてくださればいいのです。
みのる選の基準といえるほどの具体的なものはありませんが、もっとも大切にチェックしているのは季感の有無、季語が適切かどうかということです。 いつもお話していますが、「伝統俳句は季節感が作品の命」 だという点が川柳との絶対的な違いです。 添削をするときも、季感が明確になるようにということをまず第一に追求します。 川柳も立派な芸術です。俳人が時として川柳を邪道であるかのように批判するのは間違っています。 けれども、川柳と俳句との違いを理解し、私たちが求めているのは、あくまで伝統俳句であることを忘れてはいけないと思います。
作者名がわからない句会でのみのる選と作者がわかっている毎日句会のケースとでは、若干選の基準が変わってきます。 吟行句会では、たとい未完であっても着眼点のよい作品を優先して選びます。 けれども毎日句会では、どちらかというと実力のある方に対してはちょっと厳しくなっているかもしれません。人によって物差しが変わるのは不公平ですよね。 でも、慢心することなくいつもハングリーにレベルアップを求めるという方が苦しいですが愉しいと思うのです。 私自身が先生からそういう教育を受け、それが真実であることを身をもって体験したからです。
毎日句会の場合、作者の個性を大切に育てたい伸ばしたいという観点で選びまた添削しますので、 その作者としてふさわしくない方向の見られる作品はあえて落とします。 互選で高点だったのに、みのる選に漏れたときは多分そのふるいに該当するのだと思います。 作者にとっては不本意だと思うのですが、どうか意のあるところをご理解いただければうれしいです。
みなさんは会員の年度作品集をご覧になってどんな風に感じられるでしょうか、全員が同じ作風では面白くありませんね。もしメンバーの作品からそれぞれ独特の個性を感じ取っていただけるなら、それが選者(指導者)としての幅であり冥利だと私は思うのです。 仮に作者名が伏されていても、一読、”あ!これは誰々さんの句だ!” といわれるようなそんな個性的な作品が詠めるようにお互いに切磋琢磨いたしましょう。
いよいよ苦しくて愉しい吉野の鍛錬会が待っていますよ(^.^)
今日の子午線句会、梅雨の晴れ間を得て幸いな句会でした。
いつものように一番乗りは、遙々広島県から参加のあさこさん。 あさこさんのお元気な笑顔がメンバーを勇気づけます。 常連のお二人が別のご用事があってお休みでしたが、先月お休みだった今日子さんも元気に参加してくださって、今日も12名の句会でした。 もうすぐ GH定例に追いつきそう(^.^)
成績を発表しましたのでご覧ください。
家内と家内の友人、そしてつくしさんが参加してくださることになりましたので、今日現在参加予定は23名です。
天好園に電話してもう一部屋確保していただけることになったので部屋割り若干見直します。大きくは変わりません。 原石鼎の庵を借りて昼食と句会を予定しているので、管理されている東吉野村の教育委員会にも最終の連絡を入れました。 あとはメンバーの体調と、当日の天候が守られることを祈るばかりです。 梅雨の頃なので簡単な雨具は必須と思います。
天好園への最終連絡は、20日午前中に入れることになっていますので、急な不都合が発生した場合は、19日中にお知らせください。 案内のしをりを受け取っておられない方は、メールで送りますのでみのる宛請求してください。
4月からスタートを切った子午線俳句会、明日で3回目になります。
現在メンバー14名のうち9名が俳句経験のまったくない初めてという方々ですが、 GHメンバー(あさこさん、せいじさん、わかばさん)が上手に気配りしてくださるので、 和気藹々愉しい雰囲気ですすめられていて感謝です。
当然ながら実力の差は歴然、やむを得ないことですが初心者の方を導いていくのが GHの使命でもあるので、 GHメンバーの助けを得て子午線俳句会を推進できることは、とても幸せなことだと思います。 これまではどちらかといえば遠慮がちで消極的だった方々が、喜々と活気づいて元気になりつつあります。 俳句ライフを楽しんでいるといつまでも若々しく元気でいられるとよく言われますが・・・これってすごいことだと思いませんか(^.^)