2014年4月

GHメンバーからのfeedbackを合評としてまとめたものです。

秀句研究(合評)

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目次

春闘の腕章レジを打つてをり

南上加代子

バブル崩壊後、死語同然になってしまった感がある季題であるだけに懐かしい。ほかのことは一切言わず、腕に巻かれた腕章に焦点を絞ることで、かえって連想が広がっていくから不思議である。愛想よく接客しながらも内に秘めた闘志が窺える。景気が回復し再び実感のある季題として復活して欲しいと願う。

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  • 春闘は懐かしい昭和の言葉です。レジを打っているのは若い女性でしょうね。生活感のある句だと思います。
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天つ藤瀬石に屑をこぼしけり

小路紫峡

谿を流れる春水が瀬石に堰かれて白く激っている。ふと観察すると瀬石の上になにやら花屑が乗っている。あたりにそれらしい主は見当たらないのでもしやと切り立つ崖を仰ぐと岩頭の巨木が谿にせり出すように枝を張りだしている。そしてその枝から見事な懸かり藤が垂れているのを見て全てを納得した。単なる懸かり藤ではなく「天つ藤」と形容したことで高さが感じられ具体的に連想が広がるのである。

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  • 藤の高さと渓の情景を短い中に詠まれておられます。東吉野の風景ではないかと思いました。
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春潮に空瓶首を振りつづけ

大星たかし

春秋の彼岸の頃は干満の差が大きく波の動きも印象的。揚句はゆったりとした上げ潮の感じがある。空瓶に命があり波に抗って首を振っているようだと擬人的に見たのが作者の小主観である。異国語のラベルが貼られている空瓶ならなお感興が深くなる。

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  • 昨今はペッボトルが主流で海や川に浮かぶ空き瓶を見なくなりました。空瓶首を振りつづけ・・・本当にその通りの風景を昔よく見ました。 
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囀りに不協和音の鴉かな

大星たかし

梢の春禽たちが競って囀っている。思い思いに求愛の歌を唄っているのだけれど、不思議に調和してリズムを為している。しばらくその余韻にひたっていたが突然鴉がきてぶちこわしてしまった。憎々しく思う気持ちではなく、「もう少し調和の取れた啼き方が出来ないものか」と鴉の無粋さを哀れんでいる気分なのである。

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  • 鴉の容姿、鳴き声どれをとっても確かに不協和音。けれども鴉を憎しと思うのではなく、うとまれて可哀想な鳥だと思っておられるのでしょう。故に成り立つ句だと思います。
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新鮮な卵の上の蠅叩

小路紫峡

笊に入った産みたて卵の上に蠅叩きが置いてあるという。当然ながら卵に止まった蝿を撃つわけではない。蝿を撃った蠅叩きはとても新鮮とは言えないので、作者はその対比に感興を得た。具体的な状況としてはいろいろ連想がひろがるが、「産みたて」という札をつけて売られている何でも屋の店先のような気がする。

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  • 子供の頃、母の実家で小規模の養鶏をしていたことがあり、とても蠅が多かったのを覚えています。 生みたて卵を入れたざるの上に置かれた蠅叩との取り合わせの面白さを感じます。
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春草に轍のあとの外れてあり

高野素十

舗装されていない農道であろう。田畔から少し道路へはみ出して可憐な春草が花を挙げている。そして道に残った轍がそれを避けるように曲がっているのに気づいた。踏むまいと避けた運転手のやさしい心意気とそのことに気づいた作者の心とが通いあって一句となった。ふつうの乗用車ではなくて農耕用の耕耘機の雰囲気である。

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  • 素十の句には無駄がないですね。雨上がりの農道の小さな草花をよけたあと、春の日差が満ち溢れている。 
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日の椿落ちて日陰にころびけり

波出石品女

なぞえに咲くつばきであろうか。日差しに映えて赤く燃えている。と見る間に突然落ちてころころと坂を転がり隠れるように木陰にとどまった。当然ながら日陰の落椿には日面に咲いていたときのような輝きは失せてない。明暗の対比がうまく詠まれている。

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  • お寺の境内の椿かなと思いました。日の椿とうまく表しておられ、「日陰にころびけり」と品女さんの確かな観察力が感じられます。
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これこそは弊衣破帽の葱坊主

阿波野青畝

弊衣破帽(へいいはぼう)の意味を調べると、ぼろぼろの衣服と破れた帽子。特に、旧制高等学校の生徒の間に流行した蛮カラな服装とある。種を採るために畑に残されて坊主とは言いがたいほどザンバラ頭になった葱坊主である。なにげない『これこそは』の措辞が小さい驚きを感じさせ、数ある葱坊主の中で何とこの一本は・・という情景が具体化に見えてきます。

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  • ここまでの葱坊主は見たことありません。青畝先生も感心されたのでしょうね。 言葉をみつけだされるのが巧みです。
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鯥五郎鯥十郎の泥試合

阿波野青畝

長崎県有明海に面した日本最大の干潟「諫早湾」はムツゴロウの国内最大の生息地。ムツゴロウの喧嘩はとてもユーモラス。泥をはね飛ばしながら喧嘩しているムツゴロウの様子ををみて、仇討ちで有名な蘇我兄弟(五郎、十郎)を連想した青畝師の感覚がいかにも柔軟である。「泥試合」の措辞が憎いですね。

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  • 何よりも画面のムツゴロウのの真剣な泥仕合に見入ってしまいました。実際は小さな生き物ですよね。 観察力とユーモア、まさに泥仕合が生きてます。
  • 干潟のムツゴロウを仇討で有名な曽我兄弟に例えたユーモラスな泥試合です。
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のどけしや降神の声長うして

阿波野青畝

神事の神官がお祓いのために降神の儀式をするときの声で、「オ〜〜〜」と言う唸り声に似た発声です。屋外での安全祈願祭のような雰囲気があり、紅白の四方幕の上は筒抜けによく晴れた青天井なのです。『長閑』という季語は基本的に屋外の感興ですので、そんなふうに連想がひろがります。神官の発声にのみ長閑さを覚えたのではなく、まず好天の中での神事の進捗にのどけさを覚え、降神の声によってその余韻に心を遊ばせているのです。

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  • 独特の節回しというか厳粛な中に眠気をさそうような、「声長うして」本当にそうですよね。 
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端渓に墨がまだ干ぬ遅日かな

阿波野青畝

端渓は「中国四大名硯」の一つで、良い端渓硯は、「赤子の肌のように」しっとりとして滑らかで、まるで吸い付くようだと言われます。作者は頼まれていた揮毫を済ませてホッとひと息お茶で喉を潤しながら、ゆったりとした気分を味わっているのである。『遅日』には長閑なゆったりした気分と共に美しい一日が終わるという満足感が伴うので、何とかうまく書き終えたという満足感に通じる感興もある。

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  • 「墨がまだ干ぬ」の措辞が多くを語っておられ、書に没頭された充実の一日を過ごされたことが感じられます。
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染卵ちらと画才の見られけり

小路紫峡

教会学校の子供達がイースターエッグにそれぞれ好きな絵を描いている。最近はマジックペンで書くことが多いが特に約束事があるわけではないので、大抵はそれぞれ好きな漫画のキャラクターや、両親の顔など思い思いに自由に絵を描く。もっと幼い子は落書きの同然のアブストラクトである。そんな子供達の様子を一人ひとり声をかけながら見て回る先生のやさしいまなざしなのである。

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  • 60年あまり前に近所の子供と一緒に日曜学校へ通っていたことを思いだしました。当時は綺麗な色とりどりの染卵で、絵は描かなかったように思います。「ちらと画才」の措辞が生きています。どことなく光るものを見つけて感心されたのでしょうね。
  • 染卵はゆで卵の殻をいろいろな色に染めます。それは生まれたときは純粋無垢であった人間が罪の奴隷になり濁世に染まってしまったことを象徴しています。けれども私たちの罪の身代わりにイエス・キリストが十字架刑で死んでくださり三日目に蘇られたことを信じることで、人は又新しい命に生まれ変わることができる。染卵の殻を剥けばまた真っ白ですよね。これがイースターエッグの謂われです。最近は衛生的な配慮から卵そのものを染めないでカラーの紙に包んだりします。その色紙をとって子供達は白い卵の殻に絵を描くのです。いわば生まれ変わった新しい命に将来の夢を託すのです。単なる習慣としての染卵と鑑賞するのと、季語の持つ本質を理解して鑑賞するのとではまた句の深さが違いますね(^_^) by minoru
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一片の落花に低し甲山

小路紫峡

夙川の花堤から甲山を望む見慣れた景である。うっかりすると落花している高枝の下に甲山が見えていると解しやすいが、それでは景が窮屈になるし平凡。そうではなくて、落花の一片が川風に煽られて高く舞い上がり遠く見えている甲山の高さを超えた瞬間の感興、「高舞へる落花に低し甲山」のほうが分かりやすくていいように思うが、揚句は一片に拘った。それだけ印象鮮明だったのである。甲山は1200万年前に噴火したとされている。標高は309mと低いが、六甲連山よりはかなり手前にあるためくっきりと独立して見える。

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  • 確かに「高舞へる落花に低し甲山」のほうが私にはわかりやすいのですが、紫峡先生は一片にこだわられた。 何度も読むうちに甲山の景が強調されて見えてきます。
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春眠といふ誘惑に負けにけり

波出石品女

平凡な一句と思うかも知れないが、「春眠といふ」の言い回しが巧みである。単に語調を整えるためだけではなく必死に睡魔と戦ったけれどもとうとう負けてしまった・・・という経緯が見えるからである。「春眠の誘惑に負けにけり」というだけでは、そのストーリーが見えにくい。春は仕事や遊びで疲れやすい。家事が待っているのに花疲れで・・・というケースかも知れない。

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  • 「春眠といふ誘惑」この表現がいいですね、"あ〜あ、負けてしまった" という感がよく伝わってきます。
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安心しきつて舌出す浅蜊かな

波出石品女

砂を吐かせるために塩水に浸してある浅蜊である。厨仕事の途中ちょっと小休止と浅蜊を覗くとすっかり箍を緩めて機嫌良く長い舌を出している。酒蒸しでいただけそうな大ぶりの浅蜊かも知れない。『安心しきって』の措辞は心を遊ばせることで感動が生まれ授かったもので、決して頭で考えて浮かぶことばではない。

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  • 厨は女の城、安心して舌を出している浅蜊にご自分の気持ちを重ねられているのかと思います。 主婦の私にとっても台所は一番安心できる場所です。 
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鶯の笛とわかりて大笑ひ

波出石品女

句仲間と吟行中に誰かが口笛で真似たか、あるいは「うぐいす笛」というのもあるのでそれを吹いたのかも知れません。一行の和やかな雰囲気を感じます。品女さんが、青畝師選の「かつらぎ四季選集」に初入選された作品で、技巧も狙いも何も見えない素直さに惹かれる。彼女の作品はこうした生活身辺の句が多く、GHの女流にも大いに参考になると思うので、できるだけたくさん紹介しようと思う。

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  • その場の雰囲気を大笑ひでの一言で表されているのが巧いと思います。
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腹へこむ古き薬缶の甘茶かな

小路紫峡

潅仏会に甘茶を用いるのは釈尊誕生のさい、八大竜王が歓喜して甘露の雨を降らせお釈迦様を湯浴みさせたとの故事によるもの。明治の頃までは各寺で参詣の人々に甘茶を盛んにふるまった。『腹へこむ』の措辞を単なる滑稽と解してはいけない。このことばによって昔ながらのまあるい容で、且つ大容量の薬缶であることを連想させる。この薬缶は、何かとこの寺の諸事に使い回しされるのでボコボコに凹んで古びているのである。

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  • 古寺の本堂まで見えてきて、甘茶も格別な味がしそうです。
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末席の母若からず卒業歌

大星たかし

父兄席の後列にくぐもるように小さく口をうごかしている母親の姿がある。生徒たちが唄うのにあわせて卒業歌を口ずさんでいるのである。華やかに着装った前列のお母さんたちとは違ってシックないでたち、明らかに年代が違うようだ。詳しい事情は、推し量るべくもないが、目立たないようにと気遣っている控えめな母親の姿が印象的に映ったのである。連想を広げていくと一編の小説になりそうな作品。教職出身のたかしさんらしい視点である。

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  • 映画のワンシーンを見ているような雰囲気があります。 母親の年は意外ときになるものです。 まして兄弟の多かった昔は、末っ子ともなるとかなり高齢出産のケースもあり、なんとなく母親は目立たない場所で見守っている感じです。今の卒業式ではなく昭和の臭いがします
  • 私の卒業式は母ではなく祖母にきてもらった思い出があります。若いお母さんたちのなかで地味な着物姿でしたがとてもうれしかった。懐かしさを感じる句です。
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春愁に味覚えたる煙草かな

大森扶起子

バーカウンターの隅で独り飲みながら指に煙草を挟んで物思いにふけっている女性の姿が見えてくる。まだ吸い始めたばかりなので時々はむせて咳こむ。健康によくないということは分かっているけれど吸っている間は少しは憂さが紛れる。実際は他人を写生されたのかも知れないが一人称に詠まれているのが巧みである。

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  • 昔車の教習所で何回も試験に落ちその苛立ちのため煙草に手をだし、やがてヘビースモーカーになった人のことを思い出しました。
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椰子の実とすすむ日あらむ流し雛

小路紫峡

島崎藤村作詞・大中寅二作曲「椰子の実」の歌詞を踏まえた句である。"名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実一つ. 故郷の岸を離れて. 汝はそも波に幾月" という歌詞。「椰子の実と一緒になって進む日もあるだろう」と解釈するだけでは浅く、故郷の岸を離れて汝はそも波に幾月・・・「椰子の実」の歌にある椰子の実と同じように君たちもまた波にさすらいながら流離の旅をするんだろうな・・という感慨なのである。

feedback
  • 椰子の実と流し雛の取り合わせがとても素敵な句です。 YouTubeで歌も聴くことができ、しみじみと鑑賞できます。
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