2023年9月の記事

2023年9月8日

わかる俳句を

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そもそも俳句とは…を正しく理解して俳句づくりができないといつまでも初級段階を卒業できません。

そんな方は、ぜひ原点に帰って、 青畝俳話 のページを熟読してください。

心構えへ編俳句作法編 に分かれているのでどちらも、何度も何度も読み返してください。特に わかる俳句を の記事は俳句作法の原点ですので、以下に抜粋して置きます。

俳句は三尺の童子にみせても大意がわかるような表現を用いたほうがよいと思う。俳句の内部に潜んだ思想とか象徴とかいった奥行の深さについては、とうてい三尺の童子では理解できるはずはないが、表面に現れた事柄は、誰が見ても同じように日本語としてわかるものにしたいものである。

徒らに奇をてらってみたり、日本語としてちょっと疑われそうなちぐはぐした措辞を得意としてみたりして、俳句を俗人には判らぬようにして、仲間の少数人にとっては非常に斬新極まるスタイルと構想であるかのように装う俳句というものがあるけれども、私はそうした難解な俳句に一向頭を下げようとは思わない。

その代りに意味が誰にも判り、誰にも作れそうに感じられるくらい親しさをこめた俳句のうちで、よく味わえば味わうほど句のひろがりが無限につづくように思われ、その対象が自分の前にありありと立っており、それこそこの大宇宙の生命がこもっていると言わねばならぬ奥の深さをそれとなく汲みとられる俳句があると、私は逆上して嬉しくなるのである。

そして私らの俳句修行は、どんなにむつかしい思想でも素材でも構成でも、ほんとうに自家薬籠のものとなるまで自分の身の内で燃焼させてしまって、どんな鋳型へでもつぎこんだらその通りの形のものを造ることのできるような具合に、三尺童子を相手にしてうなづかせてみせる平易さのところまで表現の工夫をくりかえす。俳句修行はすなわちかくの如くあるべしものと考えている。

大言壮語は素人をおどかすのに都合がよい。しかし真に人の生命をゆりうごかすものではない。私らは人の生命をゆりうごかそうと念願する。それには表現という問題が一番大事になってきて、いいかげんなことで大言壮語を放ち、瞞着してはいけないのであって、ほんとうによくこなれた言葉が生まれるまで、自分を責める、自分の工夫をあくまでもやりとおす覚悟である。これは実に地味な仕事で、しんぼうの要することと思う。

2023年9月1日

正しい学びの姿勢

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やすこさんを、毎日句会会員に推薦しました。

一日一句で学ばれるほとんどの方はみな、毎日句会の参加資格を得るために日々努力されていると思います。会員資格を得る目安は、理屈や観念に囚われた詠みかたから脱皮して素直に感動を写生できるようになられたかどうかです。

一日一句での学びを一ヶ月以上継続されても相変わらず没が続く場合は、「俳句とは?」という基本理解が未熟だと言えます。この状況下で添削句を量産しても進歩は難しいです。正しい学びの姿勢を見直しましょう。

俳句を始めようとするとき、基礎的な準備をせずいきなりめくらめっぽうで詠むひとが多いです。これではいくら量産しても空鉄砲です。大事なのは、自分はどのような作風を目指すのかを決めることです。つまり、

多くの先人の作品を鑑賞して、この人のような作品を詠みたいという目標を見つけ出すこと。

私の場合は、それが小路紫峡師であったり、阿波野青畝師であったわけです。そして紫峡師や青畝師の作品集を暗唱できるくらいまで繰り返し読みました。その結果、

みのるさんの俳句は紫峡調、青畝調に似ているね。

と言われた時期もありました。

句意そのものを真似るのは類想なのでタブーです。そうではなくて対象を捉えるための視点やアングルを学び、それを表現するためのことばの調子を真似るのです。

そうした努力の結果そのレベルに到達できたら、そこからが本当のスタートラインなのです。あとは努力して自分の個性が滲みでるように研鑽を続けていくのです。

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