2024年8月の日記

2024年8月27日

となりのトトロ(続)

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のアクセスログをチェックした処、通常は一日1,000アクセスくらいなのに、放送のあった23日だけ3,000アクセスくらいになっていました。

さらに調べると「 となりのトトロ 」のページへのアクセス数が異常に増えていました。どうしてそうなったのかはわかりませんが、それだけ注目してくださった方が多かったということでしょう。

今日、なにげに金曜ロードショーの公式X(旧twitter)を見ていたらエンドロールの説明や反響が載っていたので転載しておきますね。

2024年8月24日

となりのトトロ

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昨夜の金曜ロードショーで久しぶりに「となりのトトロ」を見ました。

映画やテレビで何度も見ているのですがそのたびに感動を新たにします。

メイちゃんやサツキちゃんのお父さん素敵ですね。子どもたちの語る夢を大人の理屈で一笑に付すのではなく信じてあげること、子どもたちが発信する小さな信号を見逃さずにしっかり受け止めてあげること…などなど大切なことを気づかせてくれます。

世俗に毒された大人には見えず、純真な子どもたちにしか見えない世界というのが本当にあるのだと思います。

俳句でも、「童心に帰れ、常識や理屈の色眼鏡を外して対象を見よ…」と教えられます。そうした修練を積むことでこれまで見えなかった世界が見えてくるということでしょうね。

2024年8月10日

桜散る 梅はこぼれる 椿落つ 牡丹くずれる 人は……

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大谷本廟の法話のページに出ている表題のフレーズをご覧になった方も多いと思います。

このように美しい花々の最期をさまざまなことばで表現する日本語の機微に感動しますね。 俳人としてもこの侘び寂の心を養うことはとても大事なことだと思います。

ところで法話では、"人はどうか?" と問い、人は「死ぬ」ではなく「往く」のだと説いています。 人は死んで終わりではない。この世は極楽浄土に往生する為の修行ともいえる。だから人は「往く」のだと。

なるほど…と思いました。ある意味でキリスト教とも共通する死後の概念です。

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」

(ヨハネの福音書11章25節)

キリスト教の場合は「イエス・キリストの復活」を信じるだけで永遠の命が保証され天国行きの切符がいただける…仏教の「往く」に対してキリスト教は「蘇る」でしょうかね。

どちらにしても死後の不安を払拭して平安裡に余生を過ごしたいと願います。

2024年8月9日

キリスト教もお墓参りはします

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随分昔の話ですが私の墓参の句を知った俳友から問われたことがあります。

みのるさんはクリスチャンなのにお盆にお墓まいりに行かれるの?

クリスチャンだから…というような堅苦しい考えはなく日本の文化としての「お盆」を詠むことには全く抵抗はありません。

キリスト教には「故人の魂が現世に帰ってくる」という考えはなく、仏教行事であるお盆は基本的に実施しませんが、たまたまお盆休暇やその時期に遠近の家族が実家に集まる…というようなときには、クリスチャンだからといって拒んだりすることはなくみなと一緒にお墓参りに行きます。

そもそもお墓は亡くなった人を葬る場所、弔うために遺骨を収蔵して安置し追悼する場所のことなので宗教とは無関係ですから、生前の感謝の気持ちを表したいという思いでお墓参りをします。

もちろんお墓に霊魂が宿るということもなく信仰対象でもないので合掌して拝むという行為はしませんが、感謝の気持を言葉に出して祈り故人を偲びます。

今から半世紀ほどまえに両親が生前に建てたお墓が高槻市の市営墓地にありました。

明治生まれの父は若くして実家を飛び出し次男坊の悲哀をなめて育ったのでしょう自分の墓を建てることが夢でもあったようです。その後私達は神戸市に移りましたが高槻市在住の姉がずっと墓守をしてくれていました。

終活をはじめたその姉からの要望もあり、決断してこの夏に墓じまいをしました。残っていた遺骨は、母教会の納骨堂への改葬を認めていただけたので、姉も安心して喜んでくれました。

鏡とすその為人墓洗ふ 

2024年8月7日

立秋

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打ち返す白波に秋立ちにけり 

今日は24節気の「立秋」ですね。

現実はまだまだ猛暑ですが、気分だけでも秋を先取りできるのが俳人の特権です。

暑さに句材を探すと観念的な句になりやすいので、俗人には見つけれれない秋を探しましょう。草花や風のちょっとした変化に注目すると感じやすいと思います。

2024年8月6日

広島原爆忌

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今年も広島原爆忌がやってきました。

家内が被爆二世ということもあり、毎年この日の朝は平和式典の様子をテレビで見ながら8時15分には黙祷します。

コロナ禍や殺人的猛暑、深刻な経済不況、絶えることのない戦争のニュースなどなど眼前の現実に心奪われ、被爆者たちの悲痛な核廃絶の叫びも次第に風化しつつある世界の現実は哀しいことです。

黙祷の一分間や蝉時雨 

被爆者であった家内の母は四年前に91歳で亡くなりました。被爆体験のことはあまり話したがらなかった母ですが、晩年は生き残って平和な時代に過ごせた人生を感謝していました。

私達のキリスト教信仰は理解してくれ、神戸に来たときは一緒に礼拝出席して喜んで説教を聞いていましたが、若い頃に交通事故で死別した配偶者と同じ墓に入りたいと強く願って止まなかったので、受洗を無理強いすることなく送りました。

ヒロシマ忌鬼籍の母へ閼伽の水 

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